真贋 3
朝から飲むのはよくないね。
半ば無職のような生活をしているからできることだけど、それでもあまりの背徳感に目眩がする。
親愛なるアルパカ氏が1匹息絶えて、ぼくの意識も途絶えた。
起きたら20時。
案の定色々な人から何件もメッセージが来てる。
OK。分かってる。自分の挙動がどことなく不安視されていることは薄々気づいている。茉莉さんが話したんだろうね。女性陣のコミュ力の高さには本当に感心させられる。
怒りはないよ。知子さん、アナリースさんとの交流については前に話したけど、青佳さんとも色々あってね。
皆真心からぼくを心配してくれてる。皆いい人達だ。
皆さんから送られてきたちょっとした小話メッセージに一つ一つ返事をしていく。
最近「お子様見守りサービス」みたいになってきた感があるけどね。
皆文章がうまい。どうでもいい話を装いつつ、ぼくが必ず返事をしなければならない形式の内容になってるからね。
あー、お子様見守りじゃなくて、これはひょっとすると高齢者の方用の突然死見守りサービスに近いのかもしれない。シグナルが途絶えたら……みたいなやつ。
怖いね。
冗談抜きで、みんなにいらぬ心配をかけるのは申し訳ない。
ぼくが大丈夫であることの外観をしっかり見せていく必要があるな。
まぁそれはいいよ。
今後の課題にしよう。
さて、ぼくは食事をしなければならない。
南米原産のもふもふした生き物の血をすするという、極めて健康的な。
朝1匹分吸ったので、夜も1匹。
これをやっていく必要がある。
お恥ずかしながら、最近ちょっとだけ手が震えるんだ。それを収めるためにも是非血を飲まねばならない。つまり薬だね。
というのも、今も手に持ったスマホが震えてね、ちょっとだけ文字がブレる。
でもこればっかりは仕方がない。
自分が書いた小説が、フォロワー10万人を越える有名作家にネット上で公開処刑されてるんだから。
ふわっとぼかして思わせぶりなコメントとかじゃない。ぼくの作品『地に落ちて死なば』をはっきりと名指しで。
こんな経験はなかなかできないよ。
ユリスさん、というか由理くん、投稿30連投とかしてるんだけど……。スクロールしてもしても延々続いてる。論文かな?
リアルタイムでリポストといいねの数字がガンガン増えていくのを目視できるのはちょっと面白い。リポストが5000とか行くことあるんだね。感動する。
さて、そんなわけでぼくは鎮静剤を必要としている。脳を適度に麻痺させて、ゆっくりと読もう。彼の意見を。
◆
冒頭の投稿から火力高い。
「私は自身の主観において、この『地に落ちて死なば』を全く評価できない。徹頭徹尾無意味なものであり、害悪であるとすら考えます。というのも、これは「閉じた」状況の描写であり世界に向けられていない。つまり物語とは言いがたい。一見シニカルでコミカルな物語の覆いを剥ぎ取ったとき、そこに現れるのは徹底した醜悪さなのです。」
投稿文字制限の140字ぴったりというのがまたね。
でここから長々と、彼が考える物語の定義とそれに即した「評価できる作品」の基準が語られていく。
要点を抜き出すとこんな感じになる。
小説を含む文学作品は他者に向けた「働きかけ」の道具であり、作者はそれを使用して社会、あるいは世界をより善い方向へ導くことを意図する。作品を読んだ読者の中には善い変化が生じる。これらの行動の総体こそが「偉大なこと」であり、価値を持つものである、と。
発表される作品は多種多様。巧拙の違いもあればジャンルの違いもあり、ストーリーも様々だ。しかし、どのような内容であれ、それによって他者を何らかの形で変化させようと望む作者の意図——意思こそが尊い。彼はその意図を感じられる作品を評価する。
分量はやたら長いものの、内実は彼の「そうだと思う」という意見——主観的な——の羅列であり、かなりの危うさを感じさせるものだ。ぼくのような無名の一般人が書き散らすのとは訳が違う。彼には知名度と立場がある。これ、学術系のプロが参入してきたら炎上というか不毛な論争になりかねない。彼もそのことは承知しているから、随所に「私見」「個人的な意見」と差し挟んでいる。でもね、そうすると今度は彼の立場が「弱いものいじめ」と映りかねない。
要するに、著名な商業作家が1アマチュアの趣味の作品を自身の主観的好悪を基準に名指しで叩いている構図になる。
ぼく個人としてはそれは別に構わない。100万部本を売った作家も「ノベルライター」の片隅でひっそり創作を楽しむ作者も、作品を作っていることには変わりはない。社会的な影響力やらキャリアやら、そういうのを全て剥ぎ取ったとき、2人の作者は対等だ。そして相手の作品に対して意見を述べる権利がある。今回はあまりにも釣り合いが取れない2人だけど、原理的にはそういうこと。
ただ、そのように感じない人も多いだろう。これが辛いところだ。
ユリスさんがぼくを攻撃し、虐めてやろうと意図してこの連投をやったわけではないことは明白だ。それをしたければもっと効果的な、自分がダメージを喰らわないやり方がいくらでもある。たとえば昨日の「晒し」の後、対象を明示せずに書けばいい。何でもいいよ。「悲しいなぁ」みたいな言葉。たぶん彼の意を受けた人たちが一斉にぼくを血祭りに上げてくれるだろう。
だからこの真正面からの否定は、逆に凄く光栄なことだ。
彼はネット上で不特定多数に言葉を発しながら、その実ぼくに——ぼくだけに語りかけている。つまり、ぼくの話はそれだけ彼の心を動かしたことになる。
さぁ、ちょっと話が複雑になってきたね。彼の意見は「他者に影響を与え、世界をより良い方向に導くもの」が「物語」であり、それを意図した作品が善い作品であると主張している。
で、現状ぼくの『地に落ちて死なば』は、少なくとも由理くんの心を動かした。自身の立場を無視しても30連投以上に及ぶ投稿をしたいと思うほどには。つまり、ぼくの作品が「物語」ではなく、価値のないものであることを主張する行為自体が、彼の主張の根拠を切り崩しているんだ。だから問題になるのは最後のポイント。ぼくにその意図があったかどうか。
これはどうするべきかな。悩ましいところだ。
最終的に彼の投稿は『この人を見よ』とぼくの『地に落ちて死なば』が完全にかけ離れたものであるという主張に行き着く。両者を同一視するのは自身への最も酷い侮辱であり、同時に『地に落ちて死なば』作者——つまりぼくだ——への同程度の侮辱でもある、と。
前段が余りにも長すぎてぼやけてるけど、これは要するにぼくの作品が彼のものの「パクり」であるという風聞を消し去るためのものなんだろう。
小火を消そうとしてくれたのかな。
いや、恐らくそんなこと忘れてるだろうね。パクりかどうかとか、頭の中から消え去ってる感ある。
火力強すぎるからね。
ワインを半分も空けたのに、妙に頭が冴えてくる。
ぼくは久しぶりに、本当に久しぶりに、意思を剥き出しにしようとしている。
対峙すべきである、と。
まともな大人としては彼の立場を慮るべきだ。
彼は付き合いも長い大切な後輩だからね。今の状況がよろしくない旨をメッセージか電話で伝えて、婉曲な謝罪、あるいは弁明を出すよう彼にアドバイスすべきだろう。その作家としての立場と作品の未来を守るために。
で、ぼくの方は、SNSのアカウントを持ってないので「ノベルライター」の近況報告に声明を出す。
「ユリス先生にご指摘頂いて、その後は光栄にも直接DMで教えを請うことができた。結果、自身の過ちに気づくと共に、より善い作品を作っていこうと思いを新たにした」みたいな感じかな。
直接和解したこと、ぼくが彼の指摘を受け入れると共にそれに満足したこと、ぼくが前向きに捉えていること。以上のコメントが必須。
その後は、1ヶ月か2ヶ月か掛けて徐々に更新を減らし、最終的に未完で放置する。
これだけやってさえ、面倒な風聞は彼の元に纏わり付き続けるだろう。でも彼の今の立場であれば、やがては忘れられていく。極言すれば作品さえ売れていれば何の問題も無いんだから。
さて、ぼくはどうするべきか。
なんか面白い状況になっているな。
『この人を見よ』の献辞捧呈式の場面みたいだ。
強大な権力を持つグロワス13世に若き1学徒ジュール・レスパンが立ち向かう。2人は互いに以前から知り合いで、友人と言ってもよい関係を築いているんだけど、公式な場での「対峙」は初めて。
2人の私的な関係がどうあれ、周囲——場を埋める旧体制の象徴たる貴顕諸氏と、彼らを起点とする世論——は2人の立場を明白にこう認識する。
王と学生。力ある者と力なき者。
衆人環視の状況下において、ジュール・レスパンは堂々と自説を開陳する。王との友誼に縋ってではない。自身の主張を信じるがゆえに。
由理くんはまさにグロワス13世だね。作品の著者であり実写版の主役でもある。そして圧倒的な強者だ。対するぼくは誰にも知られていない、1アマチュア創作者だ。さながらジュール・レスパンだろう。もちろんあんな知性も美貌もカリスマもないけどね。
例の献辞捧呈式の場面で、王と学生はそれぞれの立場を脱ぎ捨て個人として対する。
ならば日本のネット上で、大ヒット作家ユリスさんと1アマチュア創作者のぼくもまた、立場を脱ぎ捨てていいだろう。先輩と後輩の立場も離れていい。
個人として対しよう。
ぼくはぼくの子どもを守る。
殺させはしない。二度と。
◆
テキストエディタに長々書いた社交辞令の類い——つまり、有名な先生に読んでいただけて嬉しい、やら、ご指摘いただき恐縮、やら——は全て取り払った。
何を思ってかは知らないが、自分の名声に傷をつけてまで”ぼく”に言葉を届けようとしてくれた由理くんに、それは失礼だと感じたからだ。
◆
「自作『地に落ちて死なば』にSNS上で寄せられたご感想への返答」
自作『地に落ちて死なば』について、昨日SNS上で『この人を見よ』作者ユリス氏より長大なご感想を頂きました。
拝見したところその内容は、私の作品に対する批判というよりも小説を含めた文学作品全般に対する氏の個人的な意見を表明したものと感じられます。
よってこの場において、氏の主張を詳細に検討批判することは無意味であろうと思います。
そこで私は、ユリス氏同様に、私自身の主観的な意見を開陳することを以て「ご感想」に対する返信といたします。
私は自作を、何らかの目的を達成するための「道具」とは考えません。それは一個の自立した「存在」であろうと考えます。その存在は存在する以上、必然的に他者——読者に何らかの影響を与えることでしょう。その事象を私はとても好ましく、望ましく思いますが、それは結局の所、偶然がもたらした「結果」に過ぎないのです。
この自身の物語観は以下の意見を導きます。
自作含め、全ての作品は誰もが生み出しうるものである、と。
残念ながらユリス氏が主張される「偉大さを触発する作品」は稀な存在です。稀な存在が貴重であるがゆえに何らかの価値を持つことは事実ですが、一方でそれに「のみ」価値を置くことは選ばれた者の傲慢と感じられます。「その意図さえあればよい」との付言を受けてなお考えは変わりません。私を含め、どれほどの人がそのような大それた意図を持ちうるでしょうか。
私は「偉大なこと」も「素晴らしいもの」も書きたいとは望みません。ただ誰しもが生み出しうるもの、ただし自身に固有の特徴を備えたものをこそ作りたいと願います。偉大、卑小という、歴史的、文化的文脈においていかようにも変化しうる価値観ではなく、どのような状況においても唯一普遍であるところのもの、「存在すること」を描こうと望みます。
平易にまとめるならば、私は「書くこと」自体に価値を見出します。ただ書き、作る。書かれたものは作品として「存在」になるでしょう。究極的なところでは「内容」は重要ではありません。よって、内容はこうあるべき、との主張もありません。
ですから、自作『地に落ちて死なば』において私は、私が書きたいと望むものを書いています。書くべきものではなく。
私は卑小な、取るに足らぬ、凡庸な人間を描きたいと望みます。彼は大それた事はなにもできません。何かを成さねばならぬ立場にありながら(ご存じかと思いますが、主人公は王です)。彼はただ耐えて存在するのみです。
存在は我々の生の前提をなす状態であり、普段意識されることはありません。よって、その前提が常に脅かされるシチュエーションにあってのみ、我々はそれを意識することができます。誰しもが平等に持つ唯一のものである「存在」と、それに耐える人間の姿を私は描きたいと思います。それこそが全ての人にとって開かれた、唯一の普遍的なものであると感じるからです。
最終的にこう纏めましょう。
私は「存在に耐えること」を内容とした作品=存在を創り出します。そして、出来上がった作品=存在が何らかの形で読者の精神の中に生き残ることを願います。ただし、自身の作品=存在がどのような影響を他者に与えるかは私の関知するところではありません。こうなってほしいという望みはもちろんありますが、それはあくまでも私の個人的な願望に過ぎません。
ゆえに私は今後も、ユリス氏が評するところの「グロテスクで醜悪な状況」を書き続けるでしょう。無意味なものを、無目的に。
ユリス氏のご感想末尾に、自作と『この人を見よ』の差異を強調する部分がありました。
私の考えをここで述べておきます。
『この人を見よ』は選ばれたごく一握りの人が書いた、選ばれたごく一握りの人のための物語です。その他大勢の我々は観衆として英雄の姿に心躍らせ、楽しみます。そして恐らく憧れを抱くでしょう。つまり、ユリスさんはご自身の意図を達成されました。
一方、自作『地に落ちて死なば』は普通の人が書いた、普通の人のための物語です。非凡な状況に放り込まれた凡人の姿に何を感じるかは読者の皆さん次第です。生み出されたのち「作品」は自立して「存在」するのですから。作者が口を出すことではありません。
以上です。
◆
明らかに議論ではないね。
自分はこう思う、というのを互いに言い放っただけ。まぁ、ぼくの方は少し踏み込んで「あなたの意見には全く同意しない」と書いたけど。
後攻なので許してほしい。
勢いに任せて書き上げて、「ノベルライターになろう」の「近況報告」にアップ。
清々しいね。
ぼくはワインの残りをゆっくり飲み干しながら、暗い部屋に光るパソコンのモニターをぼんやり眺めていた。
ちょっと間を置いて、スマホにメッセージが届く。想像通り由理くんからのものだ。
『先輩、次いつ空いてますか? 飲みましょう。おれ、話したいことがいっぱいあって』
『いいよ。飲もう。そして話そう』
ぼくは即座にそう返した。
これまでも彼と飲むのは楽しかった。そして、”ぼく”がどのような生き物であるかを知ってくれた彼と話すのは、これまでよりももっと楽しいはずだ。
ブラウザで開いたタイムライン(ああ、見るためだけの鍵をかけたアカウントはあるよ。フォロー・フォロワーともに0だけどね)には、相変わらずユリスさんのポストに関する諸々が流れている。
お薦めタブに切り替えて、話題のポストをざっと見る。
そこにちょっと目を惹くものを発見した。
いや、なんか冷静に言ってるけど、酔いが吹っ飛んだ。
アルパカくんたちの貴い犠牲が一瞬で消し飛んだ。
@annalisse_estbourg_jpn
「突然ですが新作を発表します。これは私が大好きな小説の主人公、リュテス王アントワン3世のファンアートとして作りました。彼の愛用時計をイメージしています。もちろんエストブール(アナリース)のハンドメイド。さぁ皆さん、ご覧下さい!」
アナリースさんのアカウントだね。うん。見まごうことなく。
知ってるに決まってるよ。「エストブール・ジャパン」の実質的な公式アカウントだ。星バッヂも付いてる。
アイコンもご本人の実写画像だからね。欧米の人は躊躇ないよね、顔出し。
そして、顔出しのお陰もあってか時計界隈では異例のフォロワー5万人超。
時計界隈は基本男の世界なので、綺麗な女性が入ってくるとすぐ姫扱いする。ちなみに彼女の場合完全なる業界人(エストブールCMO兼エストブールジャパンCEO)で、本人も時計師で、容姿も女優級という。まぁ時計好きはフォローするよ。当然。
元々英語アカウントのフォロワーが10万を超えてるのに加えて、この日本語アカウントの方までも日本のみならず全世界からフォローされてるっぽい。
で、本文もだいぶ問題だけど、それよりもインパクトがあるのが添付された画像。
1枚目は銀の36mm径三針スモールセコンドの時計の全体写真。
小グロワスが34mmなので、機械はそのままにケースを一回り大きくして素材をYGからWGに変えたバリエーションになる。
機械を流用しているので、針位置のバランス調整のために文字盤のデザインには手を入れてある。スモールセコンドの位置が比較的中心に寄ってしまうのを目立たなくするため、各アワーマーカーを伸ばして外周を狭める視覚的効果を作りだしていた。
繊細で華奢な小グロワスに比して、新しい方は巨大化したサイズと若干存在感を増したアワーマーカーが時計全体の「メンズっぽさ」を強調している感じだね。
2枚目は裏側、つまり機械の接写。
これは小グロワスと同じもの。時計好きなら絶対画像拡大して舐めるように見るやつだ。手巻きだから自動巻き用のローターもなく、各所の仕上げを鮮明に観察することができる。
問題は3枚目と4枚目だ。
これが問題。本当に……。
3枚目はこの新作時計を着けた男性のリストショット。
ただし、その手のひらが女性の手と結びあっているという。
4枚目は新作を着けた男性の腕と小グロワスを着けた女性の腕の集合写真。
これは何というか、すごいね。
どちらもエストブール(アナリース)ブランドなのでデザインの方向性はケース、文字盤ともに統一されてる。色もWGとYGで、何となくメンズ・レディースのバリエーションっぽい。つまり、何も知らずに見たら結婚記念のペアウォッチのような……。
あー。うん。
何度見ても、どちらも明らかにぼくの腕だ。
心当たりもある。
先日、小グロワスを返しに行ったとき、諸々話した後でこの新作を見せられて試着させてもらった。新しい時計を出されたら試着を望むのは時計好きの本能だからね。しかたないね。
で、写真も撮る。
それはそうだ。美しい思い出は残しておかなければならない。断固として。
ぼくが「もちろんネットに掲載したりはしませんよ」とか言いながらバシャバシャ撮ってると、彼女もスマホを取り出して……。
顧客に見せる着用イメージ写真にでもするのかと思ってたら、いきなり手を握られました。
そして、手を握り合った状態のまま激写された。20枚くらい。
誓って言うけど、ぼくは離そうとした。でも両者指をかみ合わせている状態なわけで、ぼくが力を抜いて手を引こうとしても、彼女が握りしめたままなら当然離れない。
こうして宣材には使えそうもない謎写真が出来上がったわけです。
一通り撮り終わった後で、今度は彼女も小グロワスを自分の腕に着けて、集合写真を撮ろうと提案してきた。
『いいでしょう?』
みたいな。フランス語でお願いしてくる。
なんでフランス語ってあんなに大人っぽい雰囲気になるんだろうね。
申し訳ない。ぼくは抗しきれなかった。
ちなみに、同好の士が何人か集まると自慢の時計を着けて集合リストショットを撮るというのは時計界隈では常識的行動なので、全く他意はない。全く。
ごく普通の趣味活動の一環だよ。
つまり、3枚目と4枚目は完全にプライベート、趣味の写真。
そのはずが、気がつけば全世界に向けて大公開されてる。実質ブランド公式アカウントから。突然の新作発表の素材として。
そして、この衝撃的な元投稿にぶら下がったポストには、とてもありがたいことに『地に落ちて死なば』のアドレスが貼り付けられていた。こんなコメントと共に。
「この作品は連載中のため、メインヒロインがまだ登場していません。これから読まれる方はご注意ください」
これはやっぱりそういうことなんですかね……。
普段はエストブールの時計やブティック内装工事の進捗、ヘルシーな朝ご飯とか超お洒落ファッションの自撮り写真が連なるアカウントに突如現れるネット小説のリンク(メッセージ付き)。
意味が分からない。
そもそもファンアートって、普通イラストとかマンガとかそういうのだよね。
それが作中で大した描写もされていない時計。しかも、国産クオーツの文字盤色をちょっと弄ったセミオーダーとかではなく、正真正銘のワンオフ工芸品。4桁万円近くする。
要するに、かなり前から(アナリースブランドの)新作として製作していた作品を「ファンアート」として提供した形になる。アニメやマンガはおろか、紙の本にすらなっていない素人のネット小説に。なんだこれ……。
まぁアートといえばアートだね。嘘とは言えない。
ただ、火力が高すぎる。
これは難しいところだ。
文句を言うわけにもいかない。ぼくは彼女に小説のことなんか一言も話してないから、その作品の作者がぼくだとは分からないはず。分かったとしても、ぼくが言っていない以上「知らなかった」と返されればそれまで。建前としてね。
ぼくの腕(と彼女の腕)の写真も、そもそも時計自体が彼女のブランドのもので、かつ腕だけで個人を特定するのはほぼ不可能だから、個人情報の観点から文句は言いづらい。言おうと思えば言えるけど、形式としてはブランドの好意で未発表新作を試着させてもらった状況なのでね。こちらが強く出るのはおかしい。
さて、ここで状況を纏めておこう。
ぼくの書いたお話『地に落ちて死なば』は「ノベルライターになろう」という投稿小説サイトで好評連載中。
総合ポイントはありがたいことに1000間近。つい数日前まで100くらいだったんだけどね。1000は凄いとはいえ、有名作品は50000、100000が当たり前の世界。全体的に見ればだいぶマイナー作品の部類に入る。
そんな日陰のお話が、なぜか『この人を見よ』の作者に文字通り狂ったように名指しで叩かれている。そして、知る人ぞ知る超高級時計ブランドから新作をファンアートとして(写真を)送られてる。
なんだこれ……。
アナリースさんは知ってか知らずか——まぁ知ってるんだろうね。——ぼくのお話を宣伝してくれた。全くの好意から。それは嬉しいよ。本当に。
たださぁ、一連のポストについたコメントを見るとさぁ。
英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語。アラビア語。国際色豊か。
突如発表された新作ゆえ、凄い数のコメントが付いてる。
英語とフランス語以外読めないから翻訳機能を使うんだけど、日本語に訳された台詞がね、その、ちょっとね。
時々変なのが混じってる。
「とても素晴らしい時計に美しい腕だね! ところで、さっき部下に日本出張を命じておいたよ。写真の”余計な部分”を切り落としてくるようにって! lol」
みたいな。
スペイン語のコメントだ。
そのアカウントに飛んでみると、なんかぶっとい葉巻銜えて金のネックレスした南米系の日焼けしたおじさん(上半身裸・刺青入り)の自撮りが映ってたりする。ダイヤで装飾された銃の写真とかアップしてる系の。白い粉を販売されてる団体の代表の方ですかね。
他にもなんか似たようなネタがいっぱいある。
「”いらない部分”はうちの子が平らげてくれるだろう! HAHA」
みたいな。
砂漠を背景にターバンと白い長衣を身にまとった恰幅のいいひげ面のおじさんとかがコメントしてる。おじさんの足下にお座りしてるうちの子とやらはちょっと大きめの可愛い猫でした。茶と黒の斑点模様で、やたら眼光の鋭い感じの、人間の腰よりも背が高い猫。生肉が好物っぽい。
みんな冗談で言ってるのは分かってるけど、時計界隈なので嫌なリアリティがあって若干怖い。普通にそういう人たちがメイン顧客になる世界なので。
どいつもこいつも「lol」「HAHA」じゃねーんだよ!
で、一番怖いコメントを紹介しておこうか。
日本語でね。
「は?」
って、3件。
正直これが一番怖いです。




