物語
ぼくが最近始めた趣味の話をしよう。
といってもまだ1週間も経っていないんだけど、今のところちゃんと続いているから紹介してもいいだろう。
ぼくは今、1つの物語を書いている。
どうやって?
ワインの力を借りてね。
ほろ酔いか、酷いときには泥酔状態から書き始める。そうすると、麻痺していた脳がキーボードを叩く度にどんどん活性化されて「ああ、回り出したな」と意識できるようになる。
癖になると結構面白いよ。長く正座して痺れきった足を立ち上がって無理矢理動かすような感じ。あれ、足の細胞がぷちぷち死んでいる感じがするよね。それと同じだ。
脳の細胞が死んでいく感覚がある。
ぼくは今、脳と引き換えに何かを遺している。
それはたぶん、ぼくの肉体と同程度に無価値なものだろうけど、とにかく身体という物質を物語という概念に変換しているんだ。
なぜか分かるだろうか。
簡単な話。
身体は消え去る。完全に。
でも概念は残るだろう。少なくともぼくの身体を構成した物質の燃え滓が散逸してなお。
残ればいいね。
さて、そんな感じで書き始めた物語は案の定大傑作だ。もちろんぼくの主観においてはの話だけど。
どんな話かというとね、簡潔に言えば最近大流行りの異世界転生ものだよ。
地方のちょっと大きめの中小企業を引き継いだ世襲社長がフランスっぽい異世界に転生する。
あ、最近覚えた言葉に「タイあら」というのがあるよ。
これはタイトル・あらすじの略らしい。インターネットの小説サイトって凄く巨大で作品がたくさん掲載されてる。そんな中で自分のお話を読んでもらうためには、とにもかくにも読者の目を惹かなければいけない。
だからぼくも頑張って、読んでもらえるようなあらすじを考えた。
『父の死により地方の造園会社を引き継いだ男は、お飾り社長の無力感に心底嫌気がさして自死を選んだ。
そんな彼が何の因果か異世界に転生し、またお飾り社長(国王)をやるはめに。収支は真っ赤、国内は階級闘争寸前、周囲は敵国ばかり。独身の彼を取り巻く見目麗しの令嬢たちだけが彼の癒やし…のはずもなく。
使える現代知識なし、じんわり近づく革命の気配と始終暗闘ギスギス私生活を乗り切るべく、彼は今日も玉座で物言わぬ置物になる。』
こんなやつだ。どうかな。ちょっと読みたいと思うかな。
見ての通り、前半はぼくそのものだ。つまり、このしょうもないぼくが死んで謎の世界に生まれ変わったらどうなるだろうって話。
昔ちょっと恥ずかしい話をしたことがあるの、覚えているかな。
夢に三沢さんが出てきて、ブラウネって名前のお姫様になっていた。ぼくは王様。
実はぼくそのものが王になるという発想はここから生まれたんだ。
あの時のぼくは夢の中で『この人を見よ』の世界に入ったわけだけど、多分無意識にどこかで単語を拾ってたっぽいね。ネット広告かな。よくマンガの広告が流れてくるからあれだろう。
中でも超イケメンの主人公グロワス13世が絶世の美少女ブラウネ姫を強引に抱きしめるシーンはキャッチーで、マンガの切り抜きコマが頻繁に使われてる。前々職がネット広告代理店だったこともあって広告を見るとついついインプレッションとかコンバージョンとかチラついてしまうけど、それは忘れる。夢がない。本当に!
いずれにせよ、発想の起爆点として『この人を見よ』は存在する。内容は似ても似つかぬものだけどね。
で、話を戻そう。
大ベストセラー『この人を見よ』はいわゆる典型的な勧善懲悪の戦記物だ。優秀なリーダーが優秀な部下とともに敵を倒す話。随所に読者がスカッとする場面があるし、物語的にも派手に盛り上がる部分が多い。内政も戦争も快刀乱麻。内には敵を鋭い舌鋒でやり込め、外では敵を華麗な戦略で叩き潰す。現代知識を利用したオーパーツ技術を開発する場面も結構あって、読者は自分と同じ現代に生きた主人公の優位性、つまり自身の優位性を自覚して気持ちよくなれる。
翻ってぼくが考えたお話は、確かに基本構造はよくある「近世ヨーロッパ風異世界で王様になる」というものなんだけど、徹頭徹尾地味。
というかね、本当のことをいうと一種の思考実験なんだよね。
地方の中小企業1つ背負いきれなかった男が、いきなりその何百倍も何千倍も巨大で、かつ現代の常識が通用しない世界に責任ある立場として放り込まれたらどうなるか、という。
どうなるかな。
さて、あらすじを紹介したから、次はキャラクターもお見せしよう。
”ぼく”が飛ばされる異世界の名はリュテス。お気づきの通りフランスの古名の1つだね。
そこを支配するカピア家の王、アントワン3世がぼくが飛ばされた先の人間、つまり主人公になる。
それにしても、名前を考えるのって本当に面倒くさいな。悩んだ末に大好きな小説の主人公から拝借してきた。実際は「アントワーヌ」なんだけど、日本だと女性名と誤解される響きだから少し語尾を変えた。3世はほら、ぼくがその、ね。3代目なので。
主人公を紹介したら次はヒロイン。これが重要だよ。魅力的でかわいいヒロインは作品の人気を左右する。
でも残念なことにこのお話は思考実験なので、ヒロイン達はあまり”ぼく”に優しくない。
まずブリューベル・ドゥ・ラ・モール公爵令嬢。
うん。まぁ、その、あれだね。名前はご想像にお任せする。
彼女は首席国務卿、今で言う内閣総理大臣の娘さん。
次にジャスミナ・ドゥ・レナール侯爵令嬢
こちらも名前の由来は聞かないでほしい。分かるね。
国軍元帥の娘さんで正式な軍士官(大佐)でもある。
青……ではなくブリューベルさんは典型的なお姫様なんだけど、王に近侍する関係上秘書的業務をこなす。ジャスミナさんはシンプルに軍人。軍からの出向で国王付武官。
かわいい系お姫様とカッコいい系有能女性。
結局の所、このお話はぼくの現実の生活を核としたものだから、登場人物のモデルもまぁ……そうなった。モデルとなった当人達にこのことが知れたらぼくは潔く腹を掻っ捌くしかない。だけどまずありえないことだからね。2人ともネット小説とか全く読まないだろうし。
さて、普通ならこの二人と主人公はすぐ仲良くなって恋愛に発展するはずなんだけど、リュテスは”ぼく”のために創られた地獄なのでそうはならない。
ブリューベルさんは表面上優しいものの、それは実はお父さんである首席国務卿の立場を考えての演技。内心は無能な王を軽蔑してる。
ジャスミナさんはもう少しマイルド。軍人なので上官——この場合王だね——を極度に批判的には見ないよう教育されてる。だけど超優秀な人なので、若干「こいつで大丈夫か?」と思ってる。
こんなラインナップでお届けするお話です。
あらすじにも書いたとおり、王様は無能——当たり前だよね。現代日本人が近世ヨーロッパっぽい謎ワールドに放り込まれて何が出来る?——だから、毎日よく分からない話に引きずり回されて、どうしよう? どうしよう? って右往左往する。
それを表面的には優しく献身的な二人の美貌の姫がサポートしてくれるわけです。内心の侮蔑を隠しながら。
で、肝心の政治家である首席国務卿ドゥ・ラ・モール公爵と国軍元帥ドゥ・レナール侯爵。彼らはいい人でね。いい人というか、”ぼく”の能力については見切って諦めてるんだけど、国家のために忠誠を尽くそうとしている。だからぼくは彼らを頼る、もっとはっきり言えば縋りながら、なんとか生き延びていく。
今のところ書き進めたのはここまでかな。
で、実は今迷ってるんだ。
徹底的にリアル路線で行くか、あるいは”物語”にするか。
リアル路線だとこの先には悲惨な末路が待ってる。本心を言えばそのまま精密に”ぼく”が見放され、破滅していく様を描いてみたい。
だけど、一方で、それでいいのかと疑問を覚える自分もいる。
だってそれは完全な自己満足だ。
ぼくはいい。それで気持ちよくなれるんだから。チラシの裏に書き散らすならそれでいい。でも、ぼくはこのお話をインターネットに公開するんだ。ということは読者の存在を意識しなければならない。絶対に。
ひょっとしたら、気まぐれにぼくのお話をクリックしてくれる人がいるかもしれない。その人——彼か彼女か分からないけど——にとって”ぼく”の破滅はおもしろいだろうか。
ここが分かれ道だ。
ぼくは「閉じる」のか、あるいは「開く」のか。
そこで原点に立ち戻った。
ぼくは何のためにこのお話を書こうと思ったのか。
ぼくは凡人のお話を書きたかった。でもただの凡人の物語ではない。凡人がなにか「善いこと」を為しうると示す物語を書きたかったんだ。
誇れる能力を持たず、やることなすこと上手くいかず、日々を無為に過ごす1人の男が、不条理な世界に強いられて、悪戦苦闘の末にほんの少しでも「善いもの」を遺す。お姫様に愛されることもなければ敵国を華麗に打ち倒すこともなく、国内の問題を完治に導くこともない。
ただ、生きて、やり過ごし、全てを何とか誤魔化していく。
つまり——うまくやる。
そうして凡庸な行為を積み重ねながら、彼は最後には何かを遺して死ぬ。
そんな非現実的でご都合主義的な話を書きたい。
なぜか? だってこれはぼくが創る話だ。現実に起こらないことをぼくは描くことができる。
ああ、実際に、誰か他の人のもとには起こることもあるだろうけど、ぼくには絶対に起こしえないことを。
本音を言おう。
現実のぼくが他者の関心を浅ましくも欲するように、ぼくが創る”ぼく”のこともまた、読者の人たちに愛してほしいんだ。
ああ、こいつは駄目なヤツだけど頑張ったな。結果、ささやかながらいい結果が残ったぞ。こいつは駄目なヤツだけど、なんか憎めないヤツだ、って。
だから作者たるぼくは後者の選択肢を採る。
ぼくは「開く」。ぼくは「招く」。
そして願わくば1人でも、たった1人でもいいから、読者の人に楽しんでほしい。
愛してほしい。彼を。
◆
インターネット小説の世界で最大手の投稿サイト、『ノベルライターになろう』を掲載先に選んだ。
『この人を見よ』も実は最初ここで連載されていたんだ。アマチュアの趣味小説としてね。
そう。このサイト、作品が人気になると出版社から「出版しませんか」とお誘いが来ることもあるらしい。凄いね。
ぼくは頭のてっぺんからつま先の爪まで俗物なのでそういう名誉欲には敏感だよ。
あれ? これはひょっとしたら、ぼくの作品も大人気になってお誘いが来ちゃうかもしれないな。そんなことを考えたりもした。
だってここだけの話、一般的な枠組みで言えばぼくは元商業作家だからね。全く売れなかったとはいえ1冊本出してるからね。いわばプロだ!
ああ、申し訳ないな。プロがアマチュアの世界を荒らしちゃって!
親友アルパカをラッパ飲みしながらそんなことを考えていた。
これはインタビューの準備をしなければいけないね。あ、それっぽい創作秘話も考えなきゃならない。どうしようかな? 他の人に言っちゃおうかな。あのお話、実はぼくが作者なんだ、って! ああ、困ったな! 考えることが一杯だ。
で、アルパカくん(今日は白を投入)を一本飲みきったあたりで頭が冷えていく。
ぼくの心配は全て、完全なる杞憂であることを十分に理解しているからだ。
でも、結果がどうあれ完結まではちゃんと書くよ。それまでは居るよ。
楽しくやろう。
さて、アカウント登録して原稿をコピペした。
準備万端。
ぼくは投稿ボタンをクリックした。
◆
朝起きてまずやること? 決まってるよね。
顔を洗ったり歯磨きしたり、そんなことはどうでもいい。あとでいい。
まずやることは「ノベルライターになろう」の作者ページを開いて反応を確認することだ!
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まぁそうだよね! うん。理解している。これまでもそうであったように、人生とはこういうものだ。
ぼくはごく冷静に現状を受け入れた。
まだ冒頭、5話までしか投稿していない。まだ話は動かない。人物紹介と世界紹介で終わったようなもの。だから気にしないよ。
気にしない……。
呪文のように脳内でそう唱えながら、心の芯の部分はとても冷静に、とてもひんやりしている。
”ぼく”は見てもらえなかった。
もちろんそれは当然のこと。理解している。たとえば人でひしめく東京駅の雑踏の中、なんの特徴も無い平凡な男を誰が目に留めるだろう。つまりこれはそういう類いのよくある状況なんだ。
そんなことを考えながら画面を眺めていると、作品情報ページの脇に置かれたボタン「アクセス解析」に気がついた。
藁にも縋る思いでクリックしてみる。
合計 8 PV
8!!
PVだからイコール人数じゃない。それは分かってるよ。
でも8ということは、最低でも1人は読んでくれたという。これも間違いないはず。ひょっとしたら2人かもしれない。1人は5話まで読んでくれて、あとの1人は3話で止めたんだ。きっとちょっと休憩したんだろう。また暇になったら続きを読んでくれるはず。もうそうに決まってる!
つまり1人か2人は読んだということになる。ぼくの話を!
書斎の椅子の背もたれに身体を預け、天井を見上げる。
ぼくには1人か2人の読者がいるぞ。このぼくには。
つまり、ぼくの精神が生み出したものが、顔も名前も知れぬ誰かの脳裏に踏み入ったんだ。
ぼくの話が!
——これはなんと幸せで、偉大なことではないだろうか。ぼくの物語が生きるということは。
ぼくは満面の笑みを浮かべている。
そのはずだった。
でも侭ならないね。ぼくは自分の顔の表情一つうまく操ることが出来ない。
実際にはね、泣いていた。
人は辛いときもうれしいときも泣く。
泣かないときもある。ぼくはずっと泣いてなかった。もうずっと。
そして今、泣いている。
一銭にもならない手慰みの物語をネットの片隅にあげて、それが1、2人の見知らぬ人に読まれた。
そのことに対して、明確に、ぼくは泣いている。




