死と変容
身体に生じた異変は日常生活をいささか困難なものにする。
足の骨を折れば、普段何気なく登る短い階段さえ一つの試練と化す。腕の筋を痛めれば、平静難なく持つ茶碗すら耐えがたい鉛の球に成り代わる。
身体と同様、精神に生じるものもまた同様の問題を引き起こすだろう。その不運を身に受けた人の生に。
14歳の少女、下川茉莉の身に——より正しくは精神に——生じた一つの異常は、彼女の歩く目映い早朝の遊歩道を暗い森の茨道へと変えた。
賢く真面目な中学生の少女。
人並みに反抗期はあるが、それとても品良く抑制されたものだった。忙しく働く父母の代わりに年の離れた弟の面倒を見ることを、厭わしく感じながらも受け入れた。それが彼女の役割であり、役割を立派に果たすことは心地よさを感じさせた。
中学校ではバスケットボール部に所属。注目を浴びるほどの選手とは言いがたかったが、その長身とチームへの献身は高く評価されていた。
そして、思春期の少年少女が常に最上の関心と数える容姿について、彼女は明白に恵まれた。
小学校から続けていたスポーツの影響か、女子にしては高い、細身ながら強靱な芯を感じる四肢。化粧をせずとも十分に存在感を持つ凛とした瞳と鼻梁。
つまり、日本の地方都市に住む中間階層の少女が持ちうるもののほとんどを彼女は持っていた。
まともな家族と恵まれた容姿、人並み以上の知性と身体能力。そしてほどよい人望。
下川茉莉という一人の少女はまさにそのような存在として在った。
14の夏までは。
◆
精神に生じる異常とはどのようなものか、それを物語るには、”異常発生初日の朝”を見れば十分と言えるだろう。
少女は朝目を覚まし、眠い目をこすりながら着替えを済ませた。学校は夏休みだが部活動の早朝練習がある。ゆえに眠気を堪えても動かなければならない。
手慣れた仕草で、迷うことなく、彼女は着替えを済ませた。
そして再びベッドに腰掛けた。何か、あるいは誰かを待って。
これこそが異常である。
少女の中に存在する中学校2年生の少女の意識は自分で着替ることを選択した。同時に、彼女の中に明白に存在するもう一つの意識は侍女を待つことを選んだのである。やっかいな状況があるとすれば、他者からは2者と映るこの2つの意識は、互いを認識することができなかった。両者は別たれつつ一体である。ゆえに対話など不可能なのだ。
少女は侍女を待つことを「当然」と認識し、女は自身で支度をすることを「当然」と認識する。
——ああ、今日は朝練だから早く動かなきゃ。服を着替えて……世話の者は今日は遅れているようですね。珍しいことです。
少女の心内をあえて言語化するならばこのようなもの。つまり矛盾を矛盾と認識しない——正常と捉えることが彼女の異常であった。
慣れ親しんだ見知らぬ建物の階段を下り、慣れ親しんだ見知らぬ者達と食卓につく。
——ここは……離れの庭小屋の2階でしょうか。なぜわたしはこんなところに……今日のご飯は何かな。あんまり重いと動くの辛いから。お母さん、私が言ったこと覚えてるかな。
人は他者の心内を知り得ない。ゆえに外面と行動を以てそれを測る。彼女にとっての幸運、あるいは不幸は、片方の存在が現代日本における行動を当然ものとして慣れ親しんだがゆえに、別たれつつ同一である存在もまた、それを「当然」と認識したところにある。
ゆえに他者が観察し得た異変は些細なものに過ぎなかった。
茉莉は、食卓に並んだ納豆の小鉢を見る。匂いを感じる。そして吐いた。
母親はそれを不審な行動とは感じなかった。思春期の女子が身体機能の変化に伴って被るゆらぎ、体調不良であると理解した。
「お母さん……頭痛いよ……」
母親は体温計で熱を測り、それが平常のものであることを確認する。だが、母は念のため部活動を休ませることにした。
第1の日である。
◆
人は慣れる生き物である。他の全ての生き物と同様に。
生存に不可欠な身体機能を喪失してさえ、やがては適応する。気の遠くなるような苦悩と焦燥、憤怒、慨嘆の末に。この世界は人をいとも簡単に、気まぐれに殺すかと思えば、怖気を振るうほどの執念を以て生かそうともする。そこには理由がない。ただそう在る。
この世界の不条理性が少女を生かした。つまり、偶然生かした。
ある果物を大好物とする人間と全く受け付けない人間の意識が混淆したときどのようなことが起こるだろうか。彼、あるいは彼女は喜んで果実にかじり付き、かじり付きながら、まさにその至福の瞬間において最大の嫌悪と共に横隔膜を震わせ、吐き出す。
等分に混じり合うとはつまりかくの如きものである。
片方の意識が片方に対してほんの少しであっても優越を得られているのであれば——ある意識が主体でありもう片方が客体であるような——問題は解決する。主体となった意識は自身の置かれた世界を自身固有の認識において捉えながら、足りない部分、理解不可能な部分を客体意識から吸い上げる形で動けばいい。
だが、まことに不幸なことに、あるいは幸運なことに、この日本人の少女下川茉莉とサンテネリ女性メアリ・エン・ルロワは等分にあり、同一であり、かつ別たれていた。
14歳、ごく普通の、あるいはほんの少しだけ様々なものに恵まれた中学生の少女は、中央大陸随一の大国サンテネリ王国の近衛軍を率いる伯爵家の姫として生を受け、長じては王に嫁ぎ子を為した女、サンテネリ国王グロワス13世妃メアリ・エン・ルロワと同一の存在となった。
夫を亡くしたのちは長く住んだ光の宮殿を早々に辞し、実家家領の田舎に隠棲した女。
一人娘メアリ・アンヌは国家存亡のさなか過酷な東部戦線を維持し続けた将軍——彼女が目立った何かをしたわけではない。ただし、国家を救った決定的な作戦命令の多くがその名の下に出されたことは明白な事実である——の一人として脚光を浴びた。彼女は戦後政界に身を置き、あまりにも肥大した軍とあまりにも脆弱な議会・政府の均衡維持、意思疎通に務め、新国家の最も危険な一時期を大過なく乗り切る一助を為した。市民は目に見える戦功を讃え、為政者達は目に見えぬ偉大な政治力を讃えた。その功績の全てをもって、メアリ・アンヌは国民から2つの名誉ある仇名を得た。
「市民メリア」あるいは「共和国の守護女神」。
そしてメアリ・アンヌを産んだ女はこう呼ばれた。「女神の母」と。
◆
人は慣れる生き物である。
茉莉の”不調”はその修復に半年を要した。食事すらまともに取ることが出来なかった初期。他者との会話に怯えた中期を経て、この逞しい生き物は回復を為した。しかしかつての少女に、ではありえない。新たな生き物へと彼女は変化したのである。
茉莉、あるいはメアリという。
特段珍しいことではない。彼女が体験したような極端なものではないが、人は常に同様の「変化」を繰り返す。10年前の自分と10年後の自分が同一の存在であるなどということはありえないのだ。身体的にも、精神的にも。
ゆえに彼女の変化はありふれたものであった。
そして回復期の最後に、少女はもう一つのありふれた経験をする。異性との出会いという。
休み休みではありながら復学した彼女は、日常生活を大過なく送る段階を確実なものにしつつあった。すると次の階梯が眼前に立ち現れる。「将来」である。
中学3年生に進級した彼女の目の前には受験という少々やっかいな問題が立ち塞がっていた。大学への進学ならば1年や2年遅らせても問題はないが中学から高校へのそれは死活問題といえる。実際のところ、それが問題であるかどうかは家庭の常識によるのだが、ここにおいてもまさに幸運なことに、あるいは不幸なことに、彼女が生まれ育った下川家は、子どもの高校進学を当然のことと捉える部類の環境であった。
母が連れてきた家庭教師は遠縁の大学生だった。世間的に評価が高い大学に通っていることから、恐らく学力には何の問題もないのだろう。
すでに茉莉でありながらメアリである少女にとって、実際のところ高校受験はそれほど高い障壁とは言えなかった。半年程度の遅れなどすぐに取り戻すことができる。
メアリの知識があれば理数系、特に数学と理科は問題ない。実際に軍を率いることは叶わなかったが、彼女は近衛軍士官としての教育を受けていた。近衛軍の士官とはつまり、サンテネリ国軍の多くがそうであるような貴族の次男三男が腰掛けで遊び暮らすための地位ではない。実戦に必要な全て——当然のことながら火砲の運用法までを含む——を詰め込まれた存在である。
ゆえに、実際のところメアリ=茉莉が不安視したのはその大学生の性別である。茉莉の意識は「年上の男性」に身構えた。メアリの意識は「年上の男性が取るに足りぬ男である可能性」に身構えた。男性との交流経験がそう豊富とはいえない少女に比して、メアリは様々な男性と知り合ってきた。軍の”同僚”達——つまりバロワ家の家臣団——と、王宮の中核人物と、そして、夫と。
女の夫は国王であった。他者がどう評するかはしらないが、彼女にとっては明らかに、尊敬できる男性であった。
それら多くの男達を見てきた彼女にとって、6つ年上、21歳の青年はほとんど「こども」に近い。
一方で茉莉にとって6つ年上、21歳の青年はほとんど「大人」である。
しかし、2つの相反する要素は少女の体内で見事に混じり合った。
それがつまり慣れるということだ。
「ところで下川さん、さっきご両親からちょっと聞いたけど、はまってる趣味があるんだよね?」
顔合わせを済ませた遠縁の青年が、少し困惑したような、だが、明らかな気遣いを秘めて発したこの言葉が少女の耳に届いたとき、世界は一変した。
『ところでメアリ殿、昨夜ガイユールの夜会で少し小耳に挟んだのだが、メアリ殿はとても素晴らしいご趣味をお持ちだとか?』
メアリと茉莉は別たれながら同一の存在である。ゆえにメアリの心に灯ったものは茉莉の心に灯ったものと同一である。
メアリは万感の愛を点した。それは恋ではない。その段階は過ぎ去ったものだからだ。
一方で、茉莉の心に花開いたものは興味であった。それは恋ではない。その段階の前にあるものだからだ。
メアリでありながら茉莉であるところの少女は愛でありながら興味であるところの感情を得た。明白な矛盾であるが、それがつまり慣れるということであった。
◆
男が家庭教師を務める期間は高校受験までの1年間。
少女はやるべきことを完璧にこなした。幼時には”本物の”淑女教育を、10代半ばからは”本物の”士官教育を受けたメアリにとって、与えられた課題を片付けることは何ら苦にならなかった。茉莉にとってもそれは同様である。生来が真面目な少女なのだ。
それに今回はとっておきのご褒美もある。
やるべきこと、つまり授業内容を終えた後、余った時間は男との雑談に充てられるのだ。彼女は男の生活について色々と尋ねた。大学生活や彼自身が興味を持っていること。そして、気になる異性の存在。
男は苦笑交じりに誤魔化したが大凡の想像はついた。誰かと付き合っていたが、恐らく別れたのだろうと。持ち物から「女の感性が漂うもの」が消えたのだ。スマートフォンのケースやハンカチ、あるいは服から。
その日彼女は上機嫌だった。
受験の志望校には都内の女子高を選んだ。偏差値的にはかなり上位の——ほぼ頂点に近い——高校を彼女は明確に志望した。
この日本において、上位の高校に進み上位の大学に入り卒業することは、その人間の有用性を証明する客観的な基準と見做されている。よって、どのような形であれ、男の側にいる際、自身の能力が役に立つことを周囲に示せる可能性を広げておきたかった。
より卑近で打算的ながら、意外にも重要なもう一つの理由もある。
彼女の受験が失敗に終わるとはつまり、客観的に男の無能力を示すことになってしまう。
茉莉にとってもメアリにとってもそれは不本意な状況である。
茉莉にとっては、両親が男に悪印象を持つ可能性である。
メアリにとってはより深く、その状況はある感情と直結していた。死後のグロワス王が受けた嘲罵を彼女が忘れることは決してない。その時感じた限りない憎悪と憤怒をも。
少女は予定通り高校に合格した。
両親は狂喜した。そして大げさに過ぎるほどに家庭教師の青年を褒め称えた。事実彼はまともであった。当然のことながら、母親は娘の男に対するささやかな興味に気づいていた。場合によってはこの先恋仲に発展する可能性も。そうなったところで特に問題は無い。経歴や能力の点から見て男の将来は有望に思われたし、男の母親とも友人同士の付き合いをしている。娘が嫁姑問題で苦しむこともないだろう。
だが、それは今ではない。
未成年、それも中学生の娘に手を出すとなると話は別だ。
だが、男にその気がないのは明白であった。母親とはつまるところ”経験を積んだ娘”である。いかに娘と男が隠そうとしたところで、そのような関係性が二人の間に存在した場合感づくのは難しいことではない。
ゆえに男はその点においても株を上げた。当人のあずかり知らぬところで。
「まともな大人の男性である」と。
このささやかな勝利は、家庭教師の1年延長というささやかな報償によって報われた。少女は1年どころか大学受験まで面倒を見てもらうことを望んだが、あいにく男は21歳。翌年には社会人になる。アルバイトを続けることは不可能だった。
高校1年生の1年間、少女は男を知った。より正確には男の新たな一面を。
彼が小説を書いていることは中学時代から話に聞いていたが、それが雑誌に掲載されたという。そこからトントン拍子で依頼が来て、大手出版社から出版が決まった。雑誌に掲載された短編を加筆して一冊の本に仕上げたものだ。
彼女は青年の歓喜を間近で見た。混じりけ無しの歓喜を。
茉莉にとってもメアリにとってもそれは初めて見る姿であった。
普段落ち着いた態度を崩すことがほとんどない彼は浮かれてこんな軽口を叩きさえした。
「最初のサイン本は茉莉にあげよう! オークションで売るなよ?」
少女は男の言いつけを忠実に守った。彼女は渡された本——サインというよりも署名というべき楷書体で彼の名前が1頁目に記された——を決して売りはしなかった。
しかし客観的に見る限り、売らないという行為を彼女の手柄とするのは難しい。
需要が存在しなかっただけなのだから。
男の本は全く評判を呼ばず、本は全く売れなかった。
それは幻想的な話だ。
ささいな切っ掛けから子羊をもらい受けた青年が、1人と1匹当て所ない旅をする話。いわゆる「純文学」に属するものゆえ、彼女にはその面白さは理解できない。
ただ、好きか嫌いかと問われれば好きであると言えた。より正確には作品が好きだったのではない。作者を好いたのだが。
「小説家にはなれそうもない。ままならないね」
そう苦笑交じりに語る男の姿を彼女は見た。
茉莉にとっては初めて見る「大人の男の挫折」である。そしてメアリにとっては見慣れたもの。夫が20年に及ぶ治世の中で積上げた数多くの挫折。その度に彼は言った。
「ああ、ままならないものだよ」
どう言葉をかけてよいか分からぬまま少女はじっと佇んでいた。
とはいえ時間は数瞬のこと。男は真面目であった。何があろうと仕事——授業はしなければならない。感慨にふける時間はない。
だから彼女は勇気を出して言った。
黙ったまま時を過ごすことだけはしたくない。そう感じたのだ。女がかつてしたように。
10数年に渡り何も言わなかったことへの報いを受けた思い出が、女に勇気を授けた。
「私は好きです。兄さんの本」
「茉莉はおれの大切な読者だ。だからその、聞いていいかな。どこが良かったか」
「私は好きです。……羊が。かわいかったです」
彼は少し大げさに笑い、やがて真顔に戻って答えた。
「ああ、それはうれしいな。おれの大切な子どもを、好きと言ってくれた。その言葉に救われたよ。茉莉はおれを救ってくれた」
◆
彼女が2度目に男を救ったのは大学2年生のとき。
彼の父が亡くなったのだ。
葬儀から2週間が過ぎたころ、彼女は男の家を訪ねた。
地方の私鉄駅から10分ほど歩いたところにある単身者用アパートの一室。日曜の昼のこと。
大学生になっても月に1度か2度、彼女は男と会っていた。本来であれば毎日でも一緒に居たかったが、彼女には大学があり男には仕事があった。
「親戚のお兄さんの様子を見に行ってあげる」という口実は様々な知見を彼女にもたらした。
男が就職したのは小さな広告代理店。仕事が相当な忙しさであろうことは生活感の無い部屋の様子からすぐに分かった。たぶん家に帰っても寝るだけなのだと。その忙しさゆえ、特定の親密な異性が存在しないであろうことも。
勝手知ったる様子で上がり込む彼女を、青年はいつものように穏やかに迎え入れた。
フローリングに置かれたローテーブルの上には小難しい本が何冊も積み上げられている。『園芸』『建築』『流通』『経営』『リーダーシップ』『組織』『財務』
視界が捉える表紙から読み取れる単語は、そのどれもが男の未来を暗示していた。
輝かしい未来を。
男は言った。
「覚えることが多くて大変だよ。これは……」
彼女の視線が本に向いていることに気づいた彼はその数冊を無造作に積み重ね、テーブルに手頃の空間を作った。
「兄さんなら大丈夫です。なんとかなります」
彼女は心にもない、そして中身も無い台詞を返さざるをえない。
25の、もうすぐ26になる若者。つまり社会に出てまだ3年程度の若者が1つの会社を背負わなければならない。その肩に、多くの社員と家族の人生を。
それがどれほどのものか茉莉には理解できない。そしてメアリには理解できる。明確に。だが、その重荷に対して言葉が無力であることも彼女は知っている。
茉莉は無知ゆえに、メアリは知りすぎるがゆえに、言葉は無力であった。
「それにしても、色々読んでみて思う。本当に社会は複雑だ。小難しい本をたくさん読んできたつもりだけど、実際はね。おれたちが生きる世界のほうがずっと小難しい」
滅多に聞くことのない台詞を男は告げる。
内容ではない。語調に変異がある。それは自嘲ですらない。否定だった。
その予感を確信に変えたのは、またしても1つの情景であった。
部屋の隅、光の当たらぬ一角に色々なものが雑多に積まれている。CDと本だ。
青年がクラシック音楽、特にオペラを好むことを知ったのはまだ彼女が高1の頃だった。雑談の最中、彼はお気に入りの作家について彼女に語った。いかにもかぶれた文学部生の仕草で。
そして当時読んでいた哲学書についても語った。こちらは意外にも分かりやすく、半ば現代文の授業のような調子で。
大学生となった今振り返れば、それは当時の彼の音楽と哲学に対する解像度の差であろう。半可通とすらいえないクラシック音楽と本格的に勉強していた哲学では理解度が異なる。そして理解が深ければ深いほど、他者への説明は分かりやすくなる。
『ニーベルングの指輪』『トリスタンとイゾルデ』『タンホイザー』『パルジファル』。彼が好きだと言った作曲家のCDが無造作に積上げられている。
『精神現象学』『歴史哲学講義』『存在と無』『実存主義とは何か』『文学と何か』『シチュアシオン』『幸福な死』。
哲学書と小説もまた。
再びその視線に気づいた彼が言った。ごく自然に、放り投げるように。
「ああ、興味ないかもしれないけど、欲しいものがあったら持っていっていい。ゴミ出しの手間が省ける」
その後も「分別が面倒だ」と愚痴をこぼしながら、彼は申し訳程度に備え付けられたキッチンに去った。お茶を出す準備に。
空隙があった。
隣家の壁が邪魔をして日当たりの悪い部屋の中に、この時間奇跡的に入り込んだ陽光は、漂う埃すらも高貴な雪の結晶のごとく浮かび上がらせる。
結晶はふわりと、自然の法則に従って落下する。
女の瞳はそれを追った。
”ゴミ置き場”の一角にそれは落ちた。
正確には一冊の本とその上に無造作に置かれた一枚のCDの上に。
そこには「彼の子ども」がいた。——決して長くは生きず、育たなかった、彼の幼子が。
そこには一枚のCDがあった。
彼は昔、例のかぶれた仕草で彼女にこのCDを勧めたことがある。
「おれが理解する”存在する”とは、これなんだ。ここに全部詰まっている」
明るい黄色の縁取りの中『Tod und Verklärung(死と変容)』と黒いゴシック体で印字されたタイトル。
女は理解した。
自身が為すべき事を。
重荷を背負う男にかける言葉は無くとも、水を飲ませてやることはできる。
それこそが自分の役割であると彼女は考えた。
兄さんに。陛下に。
「兄さん、これは捨てないで」
彼女は一冊の本と一枚のCDを拾い上げ、麦茶の瓶をひっさげて戻ってきた男に突きつけた。
「ああ、それはもう……」
「持っていてください。——わたしのために」
こうしては彼女は2度救った。
男の子どもと、男の存在を。つまり男を。
◆
3階まで吹き抜けになった豪華なエントランスを抜けて、彼女はインターホンの前に立つ。
かつて住宅街の細い路地を抜けて辿り着いた日陰のアパートは、今や駅間近の巨大なタワーマンションに変わった。
かつて彼女は路地を歩く時間を好んだ。塀の上を歩く猫や庭に出された犬の姿を見ては和んだ。スニーカーを履いてキャンバス地のトートバッグに食材を詰めて軽快に歩いた。ミディアムロングの髪は陽気に揺れた。
今、駅と目的地はほとんど一体化している。プラットフォームを降りて構内の敷地を出れば、すぐ目の前にマンションがある。
猫も犬もいない。
ブランドもののヒールを履き、革の小さなショルダーバッグを肩からかけてひたすらに歩いた。少し長めのボブに切りそろえた髪は颯爽となびいた。
それでもなお、変わらないものがある。
男と彼女の関係はそれにあたる。
彼女にとって男はずっと兄さんであった。
茉莉は男を好んだ。ともに居たいと望んだ。劇的な出来事など何もない。ただ、14の時に陥った絶望の淵から今日に到るまで、常に傍らにいた唯一の異性である。
メアリにとって、男は愛する人である。かつてともに在り、これからもともに居たいと願う。その上で彼女は男にとって「有用な存在」でありたいと望んだ。肩肘張った話ではない。何かをしてあげたいと望んだのだ。
ゆえに昨日の会食は、彼女にとって明白な転機であったといえる。
当初の予想が外れたのだから。
青佳、知子、アナリース。ともに自身と同じ感覚を秘めていると想像していた。彼は彼である。彼がグロワス13世——彼女達の夫であるように。その感覚は自身の状況と同じだ。自分もまた茉莉なのだから。14の頃に知り合った遠い親戚のお兄さんに好意を抱く一人の女性であり、かつグロワス13世を愛する一人の王妃である。
だが、青佳も知子も、彼が友人と称したあの男も、恐らくは「彼」を知らない。
一昔前の文学青年を。書いた作品が売れずにうなだれる小説家の卵を。毎日の仕事に追われる新社会人の青年を。託された重荷を前に立ちすくむ男を。
そして男は今、絶望の淵にいる。
かつて自身がそう在ったごとく、狂いかけている。
彼の側には誰もいない。かつて自分には両親と弟が居た。そして彼が。
今、彼は独りだ。
死が訪れようとしている。
それを止める術はないだろう。茉莉は理解している。彼女もまた一度死んだのだから。
しかし死は終わりではない。死は1つの変化である。
茉莉がそうであったように。茉莉が茉莉でありながらメアリであり、メアリでありながら茉莉となったように、人は常に死に続け、その度に生まれ続ける。
その状況に名を付けるならば、それは変容であろう。
「兄さん? まだ居ますか?」
部屋に繋がるロビーのインターホンスピーカーに彼女は語りかけた。
応答があったのだ。彼は在宅だ。
だが、確かめたいのは在不在ではない。
彼がまだ居るのかどうか。それを知るために彼女はやってきた。
「ああ、茉莉。居るよ。——今開ける」
解錠を示すランプがつき、居住区の自動ドアが開く。
彼の声の後ろには、かつて付き合いで聞かされ、やがて聞き慣れた旋律が大音量で鳴り響いていた。
彼が最も好んだオペラの終幕。
『Liebestod』




