友達
ぼくはフランス料理が好きだ。
単純に量が少なくて、すぐに食べ終えることができるから。行儀作法を考えなければ一口でいける。目を瞑って二、三回嚙んで飲み込めばそれで済む。素晴らしいね。
ぼくは食にも酒にも興味が薄い。これははっきりと自覚している。食べる理由は生存に必要だから。それ以上でも以下でもない。
高い料理やお酒に関しては、さらに一歩踏み込んで、明確に「嫌い」と言える。高いお店の高級な料理やお酒って”複雑”でしょ。色々なフレーバーや味覚が混ざり合って口の中で見事なハーモニーを奏でるあの感じ。あれが駄目なんだ。
複雑なものを食べるとね、どうしても変な連想をしてしまう。食べ物よりも身近なもの、文化的な禁忌として定められた例の複雑な肉を食べている気分になる。
もちろん牛や豚、鳥、あるいは羊だって生物学的構造はヒトと大差なく、複雑だ。でも、人間が調理することで——つまり文明で塗りつぶすことで——肉は「物」へと変化する。正確にはぼくたちはそう認識する。
だけど、複雑な料理はその変容した「物」を「生き物」へと復元してしまう。すると、自分が認識できる最も複雑で最も気持ち悪いもの、自身の肉体、自分の肉を想起させることになる。
こんなことは誰にも言えない。明らかに「何とかフォビア」とか病名が付くやつだ。
同様の理由からぼくはシャンパンをこよなく愛し、アルパカをこよなく愛する。
シャンパンは泡が破壊してくれる。複雑さを。
アルパカには複雑さがない。
にもかかわらず、今日の夕食にぼくは有楽町の某フレンチレストランを選んだ。
今語ったような理由からぼくはレストランの類いを驚くほど知らない。というよりも両極端なんだ。ビジネスで使うところと生を繋ぐところ。この2極しか知らない。
で、このお店はビジネス用途として最上に近いところ。つまり、極めて複雑な芸術的物体と芸術的液体を提供してくるところ。苦手なほうれんそうや黒豆を飲み込むみたいに、目を瞑ってぎゅっと飲み下すような。
ではなぜわざわざそんなところに。
当然の疑問だよね。女性陣にかっこ付けたいとかだろうか。それならどれほどよかっただろう。事態はもう少し深刻でね。
由理くんの存在ゆえ。
ぼくと彼だけなら良いんだ。どこで何を食べていようが別に。写真を撮られても問題ない。あ、実際撮られたことあるからね。深夜のファミレスでたらこソースシシリー風スパゲティを貪り食う我々の姿。
でも今回は不味い。女性陣の皆さんがね。
写真週刊誌に載ってしまう。
こういうリスクはどこまで行ってもつきまとうけど、こういう高いお店だと、帰るときに複数の出口があって、タクシーもいわゆる「分かってる」ところと組んでる。店員さん達の口も固いから、謎の「関係者の証言」とか出ないんだ。
面倒くさいことこの上なく、かつ濡れ衣もいいところだけど、事はぼくだけの問題ではないので。
由理くんと女性陣の名誉に関わる。
◆
お店に着いてみたら、意外なことに彼の方が先に来てた。
こういう急遽の客用にリザーブされてる個室、6人が一堂に会することができる長テーブル。壁には等間隔にこぢんまりした油絵が飾られてる。作者は美術の教科書に出てくる系のビッグネームだ。
あ、直筆真作だからね。
それを聞いたときは腰を抜かしそうになった。こわいね。
で、彼は入口付近の席に腰掛けてぼうっと中空を眺めてた。長い金髪を後ろに流し一本に縛って、シアサッカーのジャケットを着て、金縁の眼鏡をかけてる。
ファッション誌の撮影かな?
ぼくが入ってくるのに気づくと彼は颯爽と立ち上がる。
まぁぼくたちはね、手を軽く上げるくらいでいいんだ。挨拶とか別に。
問題は女性陣。
本来彼女達に先を歩いて貰うべきなんだろうけど、今回は由理君を紹介しなければならないので、なんだかぼくが引き連れているような具合になってしまった。
由理くんはとても爽やかな、素晴らしく紳士的な態度で彼女達を迎え入れてくれた。
「お初にお目にかかります。皆さん。町屋由理と申します。先輩にはいつもお世話になっていて。今日は先輩のご友人方とお会いできるときいて心を躍らせておりました。——以降お見知りおきください」
低く逞しい声で居並ぶ女性陣に語りかける。そして軽やかに、上品に、軽く頭を下げる。
前に言ったことがあるかもしれないけど、ぼくはイケメンが好きではない。全員神楽坂に閉じ込めて隕石を落とせばいいと思ってる。
でも、由理くんに関してはね。
これはある種の突然変異的個体なのでね。
女性陣の皆さんも、とても温かく彼を迎えてくれた。
それはそうだ。彼女達は本来であればぼくが口を利くのも憚られるほどの心根優しく上品で優秀で、つまり素晴らしい人たちだ。由理くんとも仲良くなれるに決まっている。
ただ、ちょっと意外なことが一つ。
皆、あんまりはしゃがない……。
え? 銀座駅にも彼がモデルやってる高級ファッションブランドの全面広告出てるよ? 実はぼくが凄いと思っているだけで、あんまり有名ではないのか?
となると有名とは? 彼が有名でなくて何が有名なんだ?
もはや語の定義の問題かもしれないと考え始めたところでハッと気がついた。
これはようするに、彼が「由理・レスパン」だって気づかれてないパターンだ。髪を後ろにひとまとめにしているし眼鏡もかけてるから、世間に露出したイメージとはちょっと違うね。しょっちゅう会ってるぼくからすると定番の格好だけど、初対面だと分からないかもしれない。
その上彼、本名名乗ってるし。
「ああ、私からも紹介する。彼は古くからの友人で、大学の後輩でもある。その、彼は今は芸能活動をしていてね。由理・レスパンという名前で……」
この辺りで「きゃー!」という嬌声みたいなの(実際そこまでではないけど目の色が変わる感じ)を想像していたんだけど、なんか至って普通なんだ。
「まぁ。お会いできて光栄ですわ」みたいな、なんと言えばいいんだろうね。
「ええっと……彼はその、結構有名で……」
ぼくは由理くんのレアリティを誤解なく伝えようと言葉を重ねる。
その矢先、由理くんが口を開いた。
「想像に違わぬ気品溢れる方達だ。まぁ、先輩が初めて紹介してくれた女性の皆さんですから、変な女どものわけがない。そこは心配してませんでしたよ? 先輩」
こいつ……。
由理くんもまたいきなり急にハンドルを切るタイプなんだ。高速道路で。
”変な女ども”とか、本当に……。
「ああ、その、彼は少し言葉が乱暴なところもあるけど、他意はなく……」
なんでぼくが必死でハンドル戻してるのか、不条理にも程がある。でもやるしかない。チラッと、恐る恐る女性陣を眺める。
すると意外にも笑顔。彼女達を貶める台詞ではないとはいえ、女性の前で「女ども」は明らかに失礼な台詞。でも皆さん気になさった様子がない。
女性陣で口火を切ったのは茉莉さんだった。
「私たちが”初めての紹介”ということは、いつもはお二人で?」
「ええ。大体は。時々仕事の関係者が混ざることもありますけど、大体は先輩と二人です」
彼の答えを聞いて満足そうに頷く茉莉さん。そしてなぜか青佳さん。
「お二人はとても親密なお友達でいらっしゃるんですね」
青佳さんがいつものほんわか笑顔で語りかける。
「何せ先輩と俺はスクープされた仲ですから」
「スクープ?」
「ええ。5年前ですね。先輩の家で飲んでいて、話し足りなくなって近所のファミレスに行ったら見事に」
「まぁ!」
あれはもう、なんと言っていいのやら。
ぼくの家でまったり飲んでたのに、突如彼が日本文学の私小説的伝統はけしからん、みたいに切れだして、議論になって、気がつけばファミレス。深夜の。
そこを写真週刊誌に撮られた。
「あれは何というか、私の方がカメラマンに申し訳なかったよ」
「確かに! 先輩の方がくっきり写ってましたからね。あれはきっと編集部で誰かつるし上げられてますよ。タイトルも『世界に羽ばたくモデル由理の、意外にも庶民的な深夜の姿』だったかな」
眼鏡を取って胸ポケットに収め、由理くんが笑う。本当に愉快そうに。
「そして私はきみのマネージャーと勘違いされたわけだ。あの後、きみの所の本物のマネージャーさんが菓子折持って謝りにきたよ」
「そうなんですか? そんなのしなくていいのに」
「それは私が言う台詞だろ」
ぼくたちのしょうもないじゃれ合いに割って入るように、青佳さんが微妙に真剣な眼差しをたたえて聞いてきた。
「その雑誌のお名前と大体いつ頃のものか、覚えてらっしゃいますか?」
「週間スラッシュの2019年4月10日号ですね」
即答する由理くんに一堂面食らった様子。面食らいながらも青佳さん、スマホでメモってるんだけど。
これ、一歩間違えると彼がなんというか、対象に熱い執着心を持つタイプのアレな人と勘違いされるな。しかも対象がぼくということになる。
「彼は記憶力が抜群なんだ。本当にすごいよ。天は二物を与える。その証左が彼だ。……私なんか昨日食べた夕食のメニューも思い出せないのに」
ちょっとうそをついた。
昨日食べた夕食のメニューは覚えてる。アルパカ。
ぼくはアルパカを食べた。ワインはカロリー高いからね。他には何もいらない。
◆
ファーストコンタクトが上手くいってほっと一息、無事皆席に着く。
もろもろの事情もあって、ぼくが長テーブル、部屋最奥の一片。つまりいわゆる上座に鎮座している。で、出口側の対面、下座には由理くん。ぼくから見て右側、手前に青佳さん、続いて知子さん、左側には茉莉さん、アナリースさんと続く。
これにはちゃんと理由がある。
この仕事は由理くんとアナリースさんの面通しを目的としたものだ。だから二人には近くに座ってもらう必要がある。そうすると彼女と親交の深い知子さんは対面にいた方が安心できるだろう。そして残る青佳さんと茉莉さんはぼく側。
ぼくが上座の理由はここの支払いがぼくだから。大体上座か下座の人が払うからね。別に由理くんが上座でもいいんだけど、彼はぼくと食べるときに限って断固奢って欲しがるから。
その割にはこういう高い店に来るとワイン頼むとき「いい?」ってチラ見してくる。普段遠慮がないくせに肝心の所で繊細なやつだ。
結論として、支払う人間が誰かということと由理くんとアナリースさんを近くに配置すること以外、上下とかどうでもよかった。みんな友達だからね。
で、これは少しセンシティブな内容なんだけど、メニューに金額の記載があるのはぼくのものだけなんだよね。女性陣の手元にあるやつには値段が載ってない。
このシステム、昔はさておき今は社会情勢的にも差し障りがある気がするんだけど、こういうお店はその、ね。
ぼくが女の人だったら嫌だな。自分のお金で自由に好きなものを食べて飲みたい。人の顔色をうかがって、何かを食べることを許可してもらうなんて、そんなのは嫌だ。ただ、その考えが正義だとも思わないよ。色々な人がいて、色々な感性がある。
ちなみにぼくのこの問題に対する解決策——になっているかは分からないけど——はシンプル。ぼくが皆に食べたいものを適当に聞いて勝手に注文してしまうという。とはいえコースだから、取りあえず一番高いやつを頼んでおけばいい。”ぼくがそれを食べたいから皆付き合え”という体でね。
お酒はね、裏技がある。ソムリエに聞いて、プロのお薦めをそれぞれ頼んでもらう。さすがに付き合いの長いお店だからぼくの予算は大体分かっているはず。ちゃんと「飲んで美味しい」の部分で値付けがされた——つまり異性との会話料とかが含まれてない——そこそこのものを提案してくれる。そもそもこのお店はそういうサービスはないので安心。ただし、謎の付加価値抜きでもとんでもない値段のやつがあるから気は抜けない。
あ、ぼくは一番安いシャンパンをエンドレスで飲むよ。断固。
味を消してくれるからね。複雑な肉の。
◆
コースが進む中、ぼくは幸せを存分に味わう。
食事を楽しめない代わりにぼくはそれ以上のものを得ている。
ぼくが好意を持つ人たち。青佳さんも茉莉さんもアナリースさんも、今後好意を持てるようになるだろう知子さんも。そして由理くんも。
ぼくが好きな人たちが、皆ゆっくりと打ち解けて会話を弾ませている。
ぼくはこの光景を眺めるのが好きだ。
なんと表現すればいいんだろう。とても綺麗な、理想的な姿だ。
何百年も前、まだ王様や貴族が現役だった頃、給仕をしていた人たちはこんな気持ちを抱いたのかもしれない。そこに取って代わろう、割って入ろうなんて気は起こらなかったはずだ。
良い悪いではなく上下でもなく、ただ「世界が異なる」んだ。
王様とお姫様方が仲睦まじく食事をなさっている。
あのマンガのシーンにもあったね。グロワス13世と4人の美姫の食卓。少女マンガの表現に定評がある漫画家さんの絵で、本当に綺麗だった。細部もしっかり描き込まれていてね。隅っこの方にちゃんと給仕の従僕も描かれている。
彼もきっとぼくと同じ気持ちを抱いていたはずだ。果てしない共感がある。
シルエットしか描かれない従僕に感情移入しているのは、何百万の読者の中ではたぶんぼくだけだろう。
ぼくはぼんやりとシャンパンを飲み続けた。
きれいなものを眺めながら。
そんな平穏な状態をかき乱したのは、友人の何気ない一言だった。
「先輩、今日の時計いいですよね。どこのですか?」
由理くんは多分、ぼくが一人で黙っているのを気にしたんだろう。サシ飲みのときは延々喋ってるから、静かなぼくの姿が新鮮だったのかもしれない。
ただ、その問いは本当に素晴らしい。
良いタイミングだ。
「珍しいな。きみがそういうなんて」
「だって先輩が付けてるやつはいつもこう……ごちゃごちゃしてるから。でも今日のはさっぱりしていてカッコいいじゃないですか」
今日ぼくはとっておきのやつを着けてる。
新進気鋭のブランド、というかまだ始まってもいない『アナリース』の試作一号機「小グロワス」だ。
自分はあるブティックで時計を買ったら、次に店を訪れるときには買った当の時計をしていくように心がけている。店員さんも自分が売った時計が愛用されている姿を見たら喜んでくれるだろうから。
そんなわけで、今日の時計チョイスはこれしかなかった。
「きみも分かってきたな! いいね。素晴らしい。これは何を隠そう、きみのお隣に座る独立時計師アナリース・エストブール氏のハンドメイドだよ。まだ売ってない、非売品だね」
ぼくは言いながらアリゲーターのストラップを丁寧に外し、全員に見えるよう掲げてみせる。アナリースさんも心なしかうれしそう。それはそうだろう。顧客(正確にはまだ支払いは終わってないけど)がここまで気に入っている姿を示しているんだから。
だから、ちゃんと支払いを終えなければ。
「この時計には素晴らしい名前が付いてる。さぁ由理くん、貴殿は見事当てられるだろうか? その名を」
ぼくの芝居じみた台詞は酔いのせいだね。明らかに。
「ああ、先輩のよく分からない振りだ。——無理ですよ。先輩の持ってる時計の名前、全部数字じゃないですか。いくつ組み合わせがあると思ってるんです」
「いやいや、早合点されるな。これは意味のある名が付いている。——よく考えられよ。貴殿にもなじみ深い名だ」
「おれに? なんだろう。思いつきません」
ぼくは時計をさらに高く掲げ、さらに高らかに名を告げた。
「小グロワス」
「グロワス……。ということは、エストブールさんもあの本を?」
由理くんが怪訝そうな顔でアナリースさんに問いかける。
「はい。読みました」
彼女は首肯し、薄く笑顔を見せた。
「前にきみは言ってただろう? 女性には人気出ないって。それがそうでもない。実はここにいるアナリースさんも青佳さんも茉莉も、皆ファンなんだよ。ああ、島津さんも好きかな? 最近流行っている……」
知子さん、朗らかな笑顔で元気よく「はい! 知ってます」と答えてくれた。
よし、全員だ。
ほら、見て欲しい。皆きみの作品のファンだ。みんな。
「確かに言いましたけどね」
ぼくは彼に視線を合わせ無言で問いかける。若干の困惑をたたえた青年の瞳に。
『例のことを言っていいか?』
と。
彼は少しだけ肩をすくめ、小さく頷いた。
彼女達がぼくの「友達」であるという事実が、彼の決断を後押ししてくれたんだろう。
では遠慮なく伝えよう。
ぼくの大切な人たちに、ぼくの大切な人の偉業を、伝えよう。
「ああ、実は今日は祝いの会なんだ。由理くんが俳優なのは皆知っていると思うけど、彼の元に凄い役が飛び込んできた。私はそれを聞いて触れ回りたくて仕方なかったが、しっかりと我慢したよ。それがついに今、お許しが出たのでね。——ああ、きみから言うか?」
「いいえ。先輩、どうぞ」
うれしいね。
友人の成功を我がことのように誇れるのは。
たとえ血を飲み下しても。たとえ唇をかみ切っても、ぼくは誇ることができる。
二律背反の想いはある。妬ましさも憎悪さえも。一方で、ちゃんと喜びもある。
ぼくはうれしい。素晴らしい友人を持ち得たことが。
そして彼の成功を、素晴らしい友達とともに祝えることが。
「彼は今度実写化する『この人を見よ』の主役のオファーを受けてるんだ! これは本当にすごい。あの作品は実写も大当たりするよ! ——皆も同意してくれると思うけど、グロワス13世役に彼ほど相応しい役者はいない。金髪の美麗なルックスもぴったりだし、なによりも勇敢で果断、知的な内面を再現できる!」
シャンパンを一気に飲み干して掲げる。
まさに「この人を見よ」だ。
この偉大な青年を。この、ぼくの友人を。
「まぁ。それはおめでとうございます! きっとお似合いになりますね。あの物語には」
青佳さんがいち早く祝福してくれる。
「うん! 青佳さんの言うとおり、ぼくもそう確信してる。さらにね、物語の解釈においても、彼の右に出るものはいないと断言できる」
もういいよね? 言っていいよね?
再び彼に視線を送る。
苦笑交じりに彼が頷いた。
ぼくのはしゃぎ振りを見て、仕方ないなぁ、と心の声が聞こえてくるような、そんな薄い笑みだ。
◆
「なにせ彼こそが原作者なんだから。——『この人を見よ』の」




