友
一つのありふれた話がある。家族についての。
若いフランス人の青年が日本にやってきた。彼は大学の臨時講師や語学学校の講師をして食いつなぎながら人生を楽しんでいた。母国での栄達には到底足らぬ経歴も、欧州の若い白人男性が比較的少ない日本においては多少の優位性を持つ。彼は異国を満喫した。
一人の若い女。20歳に満たぬ大学生の女は語学の授業でその男と知り合った。講師と学生として。やがて女は、彼がアルバイトをする語学学校にも入学した。女は語学が好きだった。真実かどうかはさておき、女は周囲にそう説明した。
やがて二人の間に子どもができ、女は大学を中退した。そして籍を入れた。
数年が経ち、男は母国に帰った。
男にとってそれは当然のことだ。楽しい時間はやがて終わる。ここからはしっかりと生きなければならない。遊びは終わりにしなければならない。
彼は立派な分別を備えた立派な男であった。
町屋由理という少年がいる。
ありふれた話の最新の登場人物こそが彼だ。
少年の記憶は父と母の親密な抱擁、繰り返し交わされる頬への接吻に始まる。父と母はまことに幸せそうに、楽しい毎日を過ごしていた。それは少年の記憶の基層にある。
小学生に上がる直前、父は消えた。
母は彼を構わなくなった。正確には構う時間が消えた。父が消えたのと同様に。
少年の母は毎日仕事に出た。技能も学歴も持たず盤石な実家もない女は、労力に比して低い賃金を我慢して様々なパートを掛け持ちした。時間あたりの収入が低く生活に必要な量を下回るのであれば解決策は一つしかない。時間を増やすことである。
女は善良であり、少年を愛していた。顔を合わせる時間は限られていたが、それでも確かに交流はあった。
少年の生活は2つの世界を舞台として展開された。
一つは学校。もう一つは家。
サイズの合わない——体躯に比して少しだけ小さい——服を一張羅のごとく毎日身に纏い、刈られることもほとんどない乱れた金髪の少年。大人しく小柄な男の子。
言葉すら拙い。
彼は他者と会話する機会をほとんど持たなかった。忙しい母は話し相手を務める余裕を持たない。友人もいなかった。
東京の外れ、住宅街と繁華街の狭間に位置する古い木造アパートの一室で、少年は一人生きた。母が帰ってくるのを待ちながら。
彼は母が好きだった。自身と同じく古びた服を着た、くたびれた女を彼は愛した。なぜならば母は食べ物をくれるからだ。
何一つ興味深いところのない、眠気を誘うこの陳腐な”物語”は、現実の物語が常にそうであるように唐突な、あるいは理不尽な流転を見せる。
町屋由理は小学6年生になった。
同様の境遇に置かれた子ども達の多くがそうであるように、少年もまた粗暴さと攻撃性を十分に育んでいた。まだ小柄ながら、級友達を脅しつけ、学級の輪を乱す術を身につけつつあった。
その技能は少年にとって最も重要なことである。
分数の計算も九九もできず、初等漢字すら覚束ないながら、それら「大人」が重視する知恵など彼には何の意味もない。
逆らい、暴れ、恐れられることは、彼が必要とする全て——といってもたった一つのもの、尊厳——を獲得する手段であったのだから、計算や漢字などとは比較にならない。
ごく普通の問題行動が突如終わりを告げたのは夏休み、8月のこと。
少年は駅前の繁華街から他の場所へと屯する場を移した。
図書館である。
最初は地元の公民館に。次は区立の図書館へ。朝、建物の開場と同時に入り、夜、閉館とともに出る。
突然現れたこの少年——明らかなやっかいごとの予感を纏った——に対し、施設の職員が身構えなかったといえば嘘になる。しかし日を追うごとに彼らの視線は穏やかなものに変わった。
少年は奇声を発して館内を混乱に陥れることもなければ、書架を荒らして貴重な区民の財産を毀損することもない。むしろ、その財産を最も効果的に活用した。
少年は手当たり次第に本を読んだが、中でも職員の目を惹いたのは学習図鑑の使用であろう。インターネットの普及に伴い紙の図鑑を使用する子どもは非常に稀な存在となっていた。その稀少な子ども達でさえ、内心は馬鹿げたことと思いながら、親や教師の古くさい思い込み——紙の本を使った方が勉強ができるようになる——に従順に従う振りをしているに過ぎない。
だが、この少年、町屋由理は図鑑を愛し、辞典を愛した。
彼はそれを「読む」。何かを調べるのではない。読んだのだ。
図鑑を読むとはつまり、世界を読むことに他ならない。
ある日、少年は珍しく受付の職員に声を掛けた。遠慮がちな。
受付の女性司書は極めて不可思議な感覚を味わうこととなった。
伸び放題のくすんだ金髪と皺だらけの黒いTシャツを着た、恐らくハーフであろう彫りの深い顔立ちの少年。
「すみません。もしよろしければ、余ったコピー用紙をいただけませんか。後、鉛筆を貸していただくことは可能でしょうか」
大人びた言い回しよりもその語調こそが不思議な印象を生んだ。つまり深く、円熟した知性である。
そして同時に相反するものがあった。若さである。
◆
中学校の3年間、彼の生活は大きく変わった。おもに2つの点で。
1点目は彼個人についてである。
少年は1年生の1学期から3年生の3学期に至るまで、全ての定期テストで首位に付けた。一方で授業態度や課題の提出状況が評価に関わる内申点は完璧とはいえない。少年の中には明白な基準が存在した。自分にとって必要であるかどうかという。
意外にも彼は授業を熱心に聞いた。
傍目にも教師を凌ぐことが明白な能力を示しながら、それでも彼はその言葉に耳を傾けた。他の生徒が「つまらない」「退屈」と小馬鹿にする教師の、明らかにつまらない、退屈な解説に対してもその集中力は変わらなかった。
小学校と構成員がさして変わらぬ公立の中学校ゆえ、小学生時代の彼を知る級友達の疑問は至極真っ当なもの。過去を知る者達にとって、彼の態度は「良い子になって内申点を上げる」素振りとも思われなかったからだ。
なぜそんな無駄なことをするのか、と問う級友に彼は答えた。
「無駄かどうかは、今の俺には分からないから」
と。
一方で、指示された各教科の課題はほとんど提出しなかった。正確には一つも。
この余りにもアンバランスな態度は教師達を困惑させた。彼らは町屋少年に明らかに好意を持っていた。それは当然である。彼ほどに真摯に、真剣に授業を聞く生徒はいない。ゆえに、塾通いで先取り学習をして学校を軽んずる”中途半端に出来る子”の調子づいた態度ではありえない。
教師達は叱るというよりも自分たちの疑問を解消するために理由を尋ねた。
彼は答えた。
「もう理解して覚えたものばかりですから。もう一度それをノートに書く理由が分かりません」
教員達はその言葉を真実として受け取った。少年に悪意がないことも。
ゆえに彼らは成績をどうつけるべきか対応に悩むこととなった。結果、彼の成績表には「5」ではなく「4」が並んだ。
二つ目の変化は家族についてのもの。
母が自身の持って生まれた特性——美貌——を最大限生かせる仕事に就いたのだ。
それから母子の経済状況は目に見えて好転した。軽く押せば柱も折れそうな木造アパートから立派なエントランスを備えた鉄筋造のマンションへと、彼らは転居した。そして食事は目に見えて豪華な、栄養のあるものとなった。
母は目に見えて美しくなった。
そして、本格的な成長期を迎えた少年もまた。
「由理は好きな子いるの?」
精神をすり減らす生活に区切りを付け、また別の心を削る生活に身を投じた彼女にとって、息子の成長はこの残酷な——つまり平凡な——世界が自身に与えた唯一の果実である。
父親譲りの金髪と極めて整った顔。長く引き締まった手足。そして思春期の少年とはとても思われない落ち着いた佇まい。だが、ときには興奮し声を荒げる程度の揺らぎを持った。
知性においても少年は明らかに常軌を逸していた。特に記憶力は驚くべきもので、学問の世界など遙か彼方に捨て置いて久しい母親にとっても彼の能力は明白であった。
つまり母の問いは正確にはこのようなものだ。
「あなたを好きな子は星の数ほどいるでしょうけど、その中で、あなたの好みの子はいるの?」
と。
彼は答えた。
「まだ分からない。——でも、尊敬する人はいるよ」
驚いた女はどこの誰かと矢継ぎ早に問う。
「ああ、違う。彼女とか付き合うとかじゃないんだ。——純粋に尊敬する人。そもそも男だからね。その人は」
つまり”そういうこと”かと驚愕に驚愕を重ねる母に、彼は説明せざるをえなかった。
「だから! 好きとかじゃない」
どこの誰かと母はもう一度尋ねた。
「ここに。……心の中にいる」
少年は苦笑交じりに言った。
長じて振り返れば気味が悪いほどに芝居がかった場面でありながら、それはさながら一幅の絵画のごとく、ささやかな荘厳さを秘めていた。
◆
区立最上位の公立高校を卒業した青年は都内の私立大学に入学した。
この世界において自分に何が為せるのか、深刻な悩みに襲われたのはまさにその時期である。
彼はこの世界を愛していた。
彼が元来持った渇望も焦燥も、全てが既に過去のものとなった世界を彼は生きている。
当然のことながら、至る所に不平等があり不正があり不幸がある。それらは個人的な性質のものであるかもしれないし、制度に由来するものかもしれない。だが、最も根源的なところ、世界自体の枠組みにおいて、そこに「不正」は感じられなかった。
少年が思い出すのはまさに小学6年生の夏。
この不可思議な天国を知覚した当時のこと。図書館で最初に手に取ったのは『この国のしくみ』という小学生向けの学習図書だった。
『日本では、そこに住むすべての国民はみんな、ひとりひとりの人間としてたいせつな存在です。わたしたち国民は、基本的人権というものをみんなが持っています。また、わたしたち国民は、どんな人でも、同じようにあつかわれます』
鼻の奥、両眼の奥に小さな火花が散る。それを鎮火させるための水分——涙がにじむ。
硬い表紙の大判の本。大きな文字で書かれた子ども向けの言葉。
その「言葉」が途方もない数の人々の血によって記されたものであることを少年は知っていた。かつて故国で、自分の血もまた使われたのだから。文字を描くインクとして。
『いつか私の子孫とあなたの子孫が会堂で語らう。この国の未来を巡って、人々を代表して論戦を交わす。平等な立場で。そしてね、ジュール殿。会議が終われば彼らは二人で旧市に繰り出す。そこで酒を飲みながら趣味の話に花を咲かせる。——友として』
脳裏に蘇る言葉は、生前の少年が人生唯一の「同志」とした人間のものだ。彼の言葉——あまりにも理想主義的であまりにも荒唐無稽な——が現実であるような世界が存在することはまさに驚異であった。そしてまた、喜びであった。
——あなたは正しかった。あなたが為そうと望んだことは。皆は嗤い、取るに足らぬと貶めた。あなたの意思と存在を。あるいは俺もまた大義のためにそれを許容した。見下げ果てた屑共を手懐けるために。しかしあなたは俺を叱らないだろう。俺を許してくれるだろう。俺が生涯において唯一誇れることがあるとすれば、それは俺が、俺だけがあなたを理解したことだ。偉大なグロワスを。大王じゃない。偉大なグロワス氏を。
町屋由理は、ここ日本において人生の答え合わせを為したのだ。
それで話は終わり。
だが、幸運なことに、あるいは不幸なことに、彼は未だ12歳の少年である。
つまり、先を生きなければならない。
物語の結末の先を。
大願を遂げた後、何をするべきか。
目的を失った彼はかつての断固たる意思を持ち得なかった。いうなれば途方もない虚脱感。漠然とした徒労感があった。この先には何もない。にもかかわらず生きていかねばならない。
『彼は疲労困憊、全身全霊で岩を転がし頂上を目指す。あと一息でたどり着く。すると岩は呆気なく、轟音を響かせて転がり落ちていく。麓にね。彼はとぼとぼと岩の後を追って山を下りる。岩は最初置かれた場所に戻っている。男はため息をつき、また転がす。全身の筋力を酷使して。そして頂上一歩手前で再び岩は滑落する。これを永遠に繰り返す』
かつて「友」が淡々と語った挿話を思い返す。
当時既に青年はこの話がサンテネリのものではないことに気づいていた。
そして偶然にもこの日本で原典に出会った。
高校の図書室で埃を被った海外文学全集、ある作家の思想エッセイに述べられた一節。
シーシュポスの神話。
「友」はこの話を知っていた!
フランス人の作家が何十年も前に書いたこのエッセイを。あるいは着想となったギリシャの神話を。どちらでも構わない。いずれにせよ地球の物語だ。
——ああ。つまり、あなたはここにいるのか! この世界に。あなたは”この世界”を実現しようと望んだ。サンテネリに。不正と不義が世界の骨組みとしてある世界において。
青年は発想の剽窃をもって「友」を軽んじようとは思わなかった。
一人の人間が世界を変えようとする。それがどれほどの苦行であるか、大改革の最中国家を運営した彼にはよく理解できた。「友」が背負ったものがどれほどの「岩」であったのかを。
自身の腕に巻かれた腕時計に目をやる。
中学生の時、必要に迫られてホームセンターで買った簡素なデジタル時計。長年の酷使に耐えかねたウレタンのベルトに罅が入ったそれを、青年の瞳はじっと眺める。
たとえばこの品をサンテネリの時計職人に示したとして、同じものを彼らは作れるだろうか。決して作れはしない。基本的な理論に始まり、部品の素材、加工技術、全てを一つ一つ積上げなければならないのだから。
誰がそれを為しえようか。
それは一個人の業ではない。途方もない、気が遠くなるような試みだ。事実、自分は為しえなかった。そして「友」もまた。
だが、それを知ってなお一歩を踏み出そうとした意思と、実際に一歩を踏み出したその行動を誰が嗤おうか。それこそが人に為しうる偉大さの最たるものである。
若き由理はそう考えた。
『シーシュポスの神話』は一つの契機となった。
フランス文学と哲学の研究に定評のある私立大学を彼は志望校に選んだ。願えば国内最高峰の国立大学にも海外の有名大学にも行ける能力を有しながら。
官僚になることも大手企業の重役になることも、あるいはかつて生業とした弁護士や政治家になることも、もはや彼は望まなかった。
彼は別のことを望んだ。
人を揺り動かすもの。人をして偉大なことをなさしめる動因となるもの。それが何であるかを知りたいと望んだのである。
そしてもう一つ。
叶うならば、「友」と再会したいと望んだ。
◆
大学に入って初年の秋、彼は大学の友人——知り合い以上のものではなかったが——の紹介を受けてアルバイトを始めた。モデルの。
彼の存在は学内でも少々有名になっていた。噂も飛び交っていた。
どこかの事務所からデビューが決まっているといった卑近なものから、実は海外の、日本贔屓で有名な(日本の温泉地に別荘を持っていると噂の)さる大物政治家の隠し子であるという荒唐無稽のものまで。
彼は噂を気にしなかったが、別のことで苛立ちを募らせていた。
生活の全てが下らなく思われた。大学の授業は、特に初年度のものは簡単に過ぎた。そして級友達にも興味を見いだせなかった。
虚無感は青年を確実に蝕む。その悲惨な状況の責がどこにあるかと問われれば、確実に青年の中に存するもの。
彼はつまるところ、羊の群に迷い込んだ虎であった。飢えた。
ある日所属するモデル事務所の担当者がもたらした仕事の資料には、彼の心を惹きつけるちょっとしたキャッチフレーズが紛れ込んでいた。
「世界を変える。木々と暮らす世界へと」
よくある陳腐なフレーズだが、なぜか無性に腹が立った。世界を変えるとはどういうことか、それを知っているのかと詰問したい気分だった。
——どんなやつがほざいているのか、是非顔を見てやろう。
生来青年の気性は温和なものではない。それは苛烈な攻勢である。
自身の芸名を「由理・レスパン」と決めたのも、自分たち母子を”消費”し、捨てた父親に対する意趣返しである。
おまえが捨てた”生き物”が、おまえの名を名乗って生きているぞ。
心の中で嘲笑う。
彼は名前を幾つも持っている。
ジュール・エン・レスパン、ジュール・レスパン、町屋由理。
サンテネリにおいて青年は、心から憎んだ家名を終生使い続けた。そして今生日本においては、侮蔑以外の感情を持ち得ない家名を使う。奇しくも同名の。
愉快な気分であった。
サンテネリにおいて、ジュール・レスパンは家名を汚し尽くした。貴族制という一つのシステムを絞め殺すことによって、レスパンという貴族名を唾棄すべきものとなした。
レスパン家の者達は青年亡き後こう見られるだろう。「あの国民会行政委員長、あの『人の自然に関する宣言』を書いた男の係累」と。それほどに愉快なことはない。
ゆえに今生において、彼は由理・レスパンとなった。
◆
クライアントはとぼけた顔をした、中背中肉の、目立った特徴のない男だった。地方の造園会社の3代目。苦労を知らず、親の敷いたレールの上を楽しそうに歩くタイプの人間。
覇気もなく生気も薄い。
彼は出会い頭に言い放った。大した仕事ではないのだから失ったところで痛くはない。
「小金持ちのお遊びはさぞや楽しいでしょう。——あなたは本気で思っているんですか? この《《よく分からない何か》》で世界が変わると」
男は面食らったように青年を眺める。少し丸い、若干眠たげな瞳に困惑を浮かべて。
しかし由理の感性は、目の前の平凡な二つの眼球に潜む、あまりにも微小な違和感を鋭く嗅ぎつけた。
政治家は他者の機微に敏感でなければならない。彼はかつて政治家であった。どれほどの? ある大国の建国の祖と謳われる程度の。
「逆に聞くが由理さん、どんな行動であれ、あなたは自分が何かをすれば世界が変わると思っている。そういうことだろうか」
「ええ。何も善いものを生み出さない行為に価値はありません。俺は価値ある仕事をしたい」
「それはあなただけの特性と考えていいのかな。変えられるのは選ばれた者だけ。あなただけが特別な人間だと」
名付けるならば懐かしさ。彼はかつて、誰かとこのような会話をしたことがある。
この論法を由理はよく知っている。一言一句諳んじることができる。
かつてアキアヌ大公の屋敷で青年が「彼」と交わした議論。
『…陛下は王です。王には分からない』
『では、レスパン殿が先ほど述べた”すべての者の等価”は嘘かな。私以外の者は理解でき、私にのみ理解できないのだとすれば、私には他者の持つ能力が欠落していることになる。等価ではあるまい』
そして決定的な言葉が発せられた。
他者の目を惹くところなど欠片もない、路傍に転がる石のように平凡な、一人の中年男の口から。
「では、あなたは他者を巻き込むべきだ。拒絶ではなく。決めつけるのではなく。誘い込むべきだ。——あなたが何を望んでいるのかは分からないけれど、あなたの想いは恐らく善いものだ。だから、それを《《上手く》》実現するよう努めて欲しい」
と。
——貴殿の想いは恐らく善いものだ。だからそれを、《《うまく》》実現するよう努めてほしい。慎重に、平和的に。
こうして青年は出会った。
友と。




