仕事 2
Bで始まるこのブランド訪問は今日の仕事のウォーミングアップみたいなもの。
アナリースさん以外の皆さんはこれまで時計界隈に興味なかっただろうから、まずは雰囲気とか価格感とかそういうものを知ってもらおうと思ってね。
あ、決めつけは良くないな。
皆さんお仕事の後に、偶然知り合ったお友達全員に同じブランドの同じ型番のバッグをおねだりするタイプの副業をなさっている可能性も捨てきれない。その場合、多分こういう場所も来たことがあるだろう。そのお友達と一緒に。
まぁその辺りのプライベートは詮索しないよ。する権利もないし興味もあまりない。自分の才能を生かしてお金を稼ぐことに何ら後ろ暗いところはない。ぼくのようにお金をだまし取っている人間と比べるのはおこがましいくらい真っ当な仕事だ。
そんなわけでざっと事情を話した後、何本か実物を見せて貰った。
基本の手巻き三針。
創業者が作った過去の傑作デザインを腕時計用にリファインしたコンプリートカレンダー。極薄で繊細極まるパーペチュアルカレンダー。
あとは、昔イタリアの王妃様のために作られたというレディースラインを一つ。
そして最後に、このブランド創業者の代名詞とも言えるトゥールビヨン。
事もなげにトレーに並べられたこの5本、総額にすると地方なら確実に家が2軒建つ。都内でも1軒建つ。
最近お金の単位が叔父さんのそれに侵食されてる。
で、ぼくはそのうちの一本、コンプリートカレンダーを手に取った。
コンプリートカレンダーっていうのは、月日と曜日、さらに月齢を表示できるものだ。ただしパーペチュアルカレンダーと違って月末の日数不揃いは自分で直さなければいけない。
これと同じものの色違いを持ってるんだけど、実はあまり使ってはいない。止めると調整が面倒だからね。
「ほら、青佳さん。ここの円窓が月齢を表してる。月に顔が描いてあるのが分かるかな? この顔の表情がブランド毎に違うんだ」
そう言って右隣の彼女に見せる。あまり興味はないだろうけど、一人退屈しているのもかわいそうだしね。
「まぁ! 可愛らしい! あなたがお持ちの物と同じですね。色が違うから、これはホワイトゴールドかしら」
え?
ぼくのコレクションを、ひょっとして……ご存じでいらっしゃる?
「ああ……その、確かにぼくも持っているけど、青佳さんに見せたことは」
「ありますよ。月に何度か着けてらっしゃいました」
「そうか。ああ、本当に驚いた。女の人は男の時計をチェックするって雑誌に時々描かれていたけど、あれは本当だったのか。それにしても青佳さんは記憶力が凄い……」
そこにすかさず茉莉さんが言葉を挟んだ。
「青佳さんは男性のそういう所をしっかり見られてるんですね。私には真似できないので尊敬します」
いつものように前髪を耳にかける仕草をしながら彼女は言う。平然と。
「は? ……あなた、誤解しないでくださいね? 私が見ているのはあなたの持ち物だけです。茉莉さんのように経験豊富ではありませんから」
時計からチラと目を上げ、ほとんど猫なで声といってもよいほどの柔らかい声色で彼女が応えた。なぜかぼくに。
「少し勘違いがあるようです。私は……」
さらに茉莉さんが言い返そうとしたところ、意外なところから助け船がやってきた。
物理で。
「これ、これを見てください! この文字盤の真珠、真珠なのに細かい模様が彫られてますよ!」
急に左腕を引っ張られた。知子さんだ。
意外と力強いね。そして何というか、躊躇無くぼくの腕を引っ張るね。
この部屋はちゃんと監視カメラあるよね。死活問題だからね。しっかりと証明して欲しい。ぼくのほうからではなかったことを。
「そうなんだ。これは本当にすごい技法だよ。割れやすいマザーオブパールにギヨシェ入れるなんて正気の沙汰じゃない。歩留まり悪いでしょう?」
ぼくは店長に話を振っておく。こういうときは他者を巻き込むのが一番だ。
「おっしゃるとおり。ここだけの話ですが凄いことになってます。多分うちのブランドで一番コスパが悪い。逆に、お客様から見ればコスパがいいお品です」
若い女の子相手ゆえに「コスパ」とかさらっと使う超ダンディな店長。そのミスマッチが面白かった。
そんな中、肝心のアナリースさんは無言のまま一本の時計、トゥールビヨンを見つめている。
微動だにせず。
「ああ、それはあなたのお父様が設計した作品です。本当に綺麗だ。——私はそれを見せて貰う度に、なんといえばいいか、その……意志を感じるんです。ブランドの創業者が断固とした意志で作りあげた機構は時代を超えました。そして何百年も経て、あなたのお父様がそれを引き継いだ。一人の人間が何を遺せるかという問いへの答えかもしれません」
こんな恥ずかしいことを言うつもりはなかったのに、口が勝手に動いてしまった。でも心の底からの本音。
「——彼と、そしてあなたのお父様は時計界の王だ。その証をこうして残された」
ぼくの大げさな言葉を聞きながら、アナリースさんは静かに、丁寧にトゥールビヨンをトレイに戻した。
そして言った。
意外にも彼女の紡ぐ言葉には情感があった。普段少し平板な語調がほのかに熱を帯びている。
「ずっと昔、同じ言葉を伺ったことがあります。ある方から。私はその場にいて、隣で聞いていました。ある方と彼の会話を。——ずっと、ずっと昔のことです」
父親のことを「彼」と表現するのは欧米言語では普通だけど、日本語にするとちょっと違和感があるね。人称のような文化の根源に関わる部分はなかなか癖が抜けないものだから。
「そうですか。多分それをおっしゃった方は凄い方なのでしょう。同じ考えに到ることができて光栄です。その言葉を聞かれたお父様が喜んでいただけたならいいのですが」
アナリースさんがゆっくりと顔を上げ、ぼくと視線を合わせる。
そこには真っ赤に充血した両の瞳があった。
繊細な宝玉を包み込むように水の膜さえも纏わせて。
多分このトゥールビヨンはお父さんとの思い出の品なんだろう。
「彼がどう思ったかは分かりません。ですが、彼は作りました。その方の言葉ゆえに」
「ああ、それは……凄いな。では私はその方に感謝しなければなりません。希代の時計師エストブール氏にこの傑作を創造せしめた方に」
彼女は笑顔を浮かべた。
でも、それが本当に笑顔だったのかどうか、ぼくには分からない。
少し悲しげにさえ感じられたから。
不思議なことに。
◆
四方山話で小一時間経過したあたりで店長さんが離席。数分の後に何冊かの本を携えて戻ってきた。
「ところで皆さん、マンガは読まれますか?」
分かる。ぼくや同類のような時計好きでない限り、1時間も同じようなモノを眺め続けたら飽きる。そろそろお暇する時間ではあるんだけど、店長さんとしては自ブランドの印象をもう一押ししたいところ。
で、例の本が出てくる。比較的若い顧客向けのセールストークだね。
「こちら、最近凄く流行っているマンガなんですが、実はこの中に明らかにうちのブランドをモデルにした時計が出てくるんですよ」
そう『この人を見よ』の主人公グロワス13世は時計好きなんだ。
あ、これも話すと長くてね。
民の悲惨な生活に心を痛め、世界の「不正」を糺そうと決意していた王は、当然のことながら当時贅沢品の極みであった時計のこともよく思っていなかった。でも、現代からの転生者であり万能に近い才能を持っていた彼は、精密時計製造の技術が軍事力の向上に繋がることをよく分かっている。そこで平民の優秀な時計師(明らかにこのB社の創業者をモデルとした)を呼び出し、自身が持つ現代知識を伝えて協力者にする。そして、その動きを皮切りに彼は他の優秀な平民達とも心を通わせていくことになる。特に作中もう一人の主人公、王の終生の同志となる平民の青年ジュール・レスパンと。
同時に、軍事技術の向上を目指す王は必然的に近衛軍のメアリ姫と距離を縮めることになるわけだ。
あ、話の後半には、敵国エストビルグ人でありながら彼の愛に惹かれて王妃となったアナリゼ姫に、王が時計の重要性を講義する場面もあるよ。
「『この人を見よ』ですね」
口火を切ったのは意外にもアナリースさん。
彼女まで知っているとなると本格的に大ヒットなんだな。由理くんの小説は。
「はい。よくご存じでいらっしゃる。お読みになったことが?」
「実はフランスにいた頃、ネットに掲載されていた小説版を読みました」
そうなの? それは古参読者だ。
趣味で書いた小説が地球の裏側、フランス人の少女にまで届く。それがどれほどに凄いことか、昔おままごとのような小説を書いたことがあるぼくには分かる。
全部。
才能と努力の差を。
口の中に広がる苦みは錯覚だ。
ぼくはいい年をした大人の男だ。一人で妬み、嫉み、喚く分には良いけれど、人前でそれを見せるわけにはいかない。
たとえこの味、血の味を飲み下しても笑顔でいなければならない。確かにぼくは惨めだがそのくらいの矜持は持っている。
「さすがエストブール様です。目の付け所が違いますな」
店長はお嬢様方皆に「様」付け。ちなみにぼくだけ「さん」付け。これは逆の意味で親密さの証だけどね。
「ありがとうございます。ただ、このお話は、時計関連の記述もとても不正確ですね」
「それは仕方ありません。何でも原作者は当時アマチュアで、趣味で書かれたものとのことで。今度アニメになるようですが、その時はしっかりと監修が付くでしょう」
アナリースさんは薄らと笑みを浮かべて頷いた。
そして、それ以上のことは口にしなかった。何も。
「ああ、ところで店長、ひょっとしてこのお話とタイアップとか考えてたりします?」
時計に限らずブランド品が小説やマンガとコラボする例は結構多い。特に日本の作品が世界的に人気の昨今、高級ブランドも積極的に動き出している。
「いえ。それはしません。こうしてこぼれ話にするのは面白いですが、公式にとなるとちょっと」
珍しく言いよどむ店長。
言いたいことは非常によく分かる。色が付いてしまうからね。最高峰の時計ブランドはそれを嫌い、マンガやアニメは当然のこと、ハリウッドスターとさえタイアップをしない。
まぁ最近大人気の某八角形の時計を出してるブランドとかは、風潮を逆手にとってアメコミとかとコラボしてるけど、あれは本当に例外。
「公式のコラボはしない」
この言質はぼくにとって素晴らしい閃きを提供してくれた。
『この人を見よ』の作中時計は明らかにこのB社をモデルとしている。でもB社はそれを広報に使うつもりがない。ということは、他のブランドがそれを使っても問題ない。例えば、つい先日までB社の時計を実際に設計していた時計師が新たに立ち上げたブランドなんてどうだろうか。
その際問題になることがあるとすれば、B社がコラボを避けたのと同様の理由。つまり「安っぽくなってしまう」こと。
でもね、作品自体ではなくて、その作品のキャラクターを演じる可能性がある芸能人をアンバサダーとして起用するのならばどうだろう。例えば現在大人気のモデル兼俳優を。
ここで皆に明かすことはできないけど、彼、由理・レスパンは『この人を見よ』の原作者であり、かつ、恐らく製作されるであろう実写版の主役を演じることになる人物だ。
その彼が「エストブール」のアンバサダーになるとしたら。
彼はアイドルではなく、どちらかといえばアート系のモデルに近いから、ブランドイメージも庶民的には寄らない。逆にスタイリッシュで現代的、高踏的なイメージを付けられる。「エストブール」も新進気鋭、つまり現代的なインディペンデントブランドだからコンフリクトは起きづらいだろう。
問題は先方の許諾と、最も重要なもの——ギャラだね。
許諾についてはいけるはず。「エストブール」は価格帯的に3桁から4桁の時計を売る超高級ブランドで出自も超一流。アンバサダーになることで由理くんの格が落ちることはない。
問題なのはギャラ。契約金だね。こればっかりはアナリースさんというか、エストブール氏が幾ら出せるかにかかっている。
もちろん、ぼくも頭を下げよう。
2日おきくらいに彼のメッセージ連投に付き合っている仲だ。少しは値下げしてもらえるかもしれない。
なんて素晴らしいことだろう!
皆喜ぶはずだ。
青佳さんも茉莉さんも『この人を見よ』のファン。今日の話を聞く限りアナリースさんまでも古参ファン。知子さんはまだ分からないけど、まぁ毛嫌いする感じでもないだろう。
彼女達と由理くんが知り合いになったら、例の原作者の話や映画主演の話を伝えても大丈夫になるかもしれない。そして、アナリースさんは彼に直接オファーすることができる。
彼女達は喜ぶだろう。
お気に入りのキャラを、あの人気絶頂の由理・レスパンが演じるんだから。
原作ファンは実写映画のキャスティングに一際敏感らしいけど、今回は誰からも文句は出ないはず。容姿端麗にして万能、政治と戦争の天才。ヒロインを優しく庇護し、民衆を愛する偉大な王。
グロワス13世は由理くんの当たり役になる。
彼以上の配役はない。だって彼が書いた作品なんだからね。
◆
ぼくにも使える部分が残っていた。
ぼくにはまだ使い道があった。最後の。
これほどにうれしいことはない。魚だって豚だってそうだ。肉は人が食べ、骨は砕いて家畜の肥料にする。無駄なところはどこにもない。それこそが生き物の最上の姿だと思う。
虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。そしてぼくは皆に楽しみを残す。
思いついたらすぐ動くべきだ。
些細なことかもしれないけど、ぼくだって皆を喜ばせることができる。
『由理くん、夜、暇?』
あいさつも何もなしに投げたメッセージ。
返事は1分も経たずに返ってきた。
『飲むんですか? どこにします?』
『今銀座にいるんだけど、来られる?』
『行きますよ。19時くらいになりますけどいいですか』
『いいよ。店はあそこ行こうか。有楽町の』
『了解です。おれ予約入れときますね』
『頼む。人数はきみを入れて6人で』
そこで一旦メッセージが止む。ちょっと間があって再び会話が再開された。
『サシじゃないんですか?』
『うん。きみに紹介したい人たちがいるんだ』
『実は初ですね、そういうの』
『今回ばっかりは私の顔を立ててくれ! 皆いい人達で、友達なんだ』
『いやいや、もちろんOKですよ。先輩の友達なら』
この気軽さがいいね。思えば彼とも長い付き合いだった。
さて、女性陣の皆さんについては今日は夜まで空けてくれているはずだから、夕食くらいは大丈夫だろう。でも一応聞いておくよ。
「ああ、ちょっと皆に聞いておきたいんだけど、今日、夜は一緒に食事できるかな? 19時から」
即座に了解してくれる皆さん。とても優しい。
少なくとも、ぼくが変なことをする不埒なやつではないことを分かってくれている。あるいは信じてくれている。
うれしいね。
だからぼくはその信頼に応えなければならない。そしてお返しをしなければならない。皆の好意に対して。
「それと、もう1人追加でご一緒してもいいかな? 私の友達なんだが……」
言い終わらないうちから青佳さんが問いかけてくる。超真顔で。
「そのお友達は女性の方ですか?」
「いや、男だよ。不味かっただろうか……」
答えたらすぐに普段のにこやかな笑みに戻った。よかった。
皆知ってるかな。美人の真顔ってかなり怖いからね。ぼくはもう数え切れないくらい経験してるけど、いつ見ても慣れない。
「私の自慢の友達だ。とてもいいやつでね。それに、男の私から見ても驚くほどにカッコいいイケメンだよ」
由理くんと会えて不快になる女の人はまずいないだろう。
もちろん人間の多様性は無限大だからごく稀にはいるだろうけど、そんなのは、それこそぼくがトラックに轢かれて異世界に転生するくらいの確率だ。つまりほぼゼロ。いや、ほぼじゃなくてゼロだな。
彼はちょっと性格がピーキーなところがある。それは認める。
でも、その欠点を上回るだけのオーラとイケメン力があるからね。ぼくも来世はああいう感じで生まれたい。
冗談だよ。
「まぁ! あなたがお友達を紹介してくださるなんて初めて。楽しみですね!」
青佳さんが変わらぬ笑顔で答えてくれた。
うれしいね。他人に喜んでもらえるというのは。




