告白バトル編 四語だけで仕留めろ
放課後の体育館。ペンキとワックスの匂いが混ざって、床は薄く光っている。
片付け忘れの脚立が立ったまま。回しっぱなしの扇風機が、乾ききらないTシャツの背中へ風を押し込む。パイプ椅子が一脚、ずれて鳴る。
ルールは単純。四語だけ。先に黙ったほうが負け。黒板の端に、チョークで「私」「相手」とだけ書く。白い粉が指に残る。
彼女が一歩、白線に沿って近づく。まぶたの際が汗で光る。
視線が合う。息が詰まる。合図もなく、始まった。
「ヤバい」
開幕の牽制。私の脈が速度を上げる。扇風機がカラ、カラと首を振る。
「キモい」
笑いを噛む音。彼女の肩が小さく跳ねる。冗談の皮で、本音を包む手つき。
「エモい」
絵の具が乾きかけのポスター。赤の斜線に、夕方の光が引っかかる。
彼女の指先が端を押さえて、紙が呼吸する。
「かわいい」
チョークが黒板に触れる、キュッという短い音。私の欄に一本、線を足す。
彼女の耳たぶが、ほんの少し赤い。ここからが本題。
「ヤバい」
彼女は髪留めを口に咥え、まとめ直す。うなじの温度が目に見える錯覚。
私の喉が勝手に鳴る。扇風機の風が、その音をごまかす。
「エモい」
彼女のスニーカーが床を擦る。白線の上で、つま先がそっと揃う。
視線が落ちたまま、口角だけが上がる。
「キモい」
攻撃。じわっと効く。笑いが腹の奥で弾ける。
私の足もとで、落ちたテープの芯が転がって止まる。
「かわいい」
息の向きが変わる。言い切った瞬間、ようやく目が合う。
チョークに手を伸ばす私の手首を、彼女が軽くつかむ。脈が触れ合う。
「ヤバい」
距離が縮む。扇風機の風が、ふたりの間で反転する。
彼女のまつ毛が揺れる。汗の一滴が、顎から落ちる。
「エモい」
ここで畳みかける。声が低くなる。
黒板の「相手」の欄に、彼女が線を一本引く。目が笑っている。
「キモい」
私の反撃。けれど、声の揺れでバレる。
彼女が「わかってる」の顔をして、親指の腹で私の手首をなでる。脈が跳ねる。
「かわいい」
また言ってしまう。癖になる。負けフラグの音がする。
彼女の喉が小さく鳴って、笑いを飲み込む気配。
「ヤバい」
一歩、さらに近い。Tシャツ同士が触れて、布が小さく鳴る。
床の冷たさが、足裏から消える。
「エモい」
呼吸が合う。扇風機の首振りが止まる。空気の流れが一点に集まる。
黒板の白粉が、二人の息でふわり舞う。
「キモい」
最後の牽制を、彼女が甘く言う。やわらかい毒。
心臓が笑ってしまう。勝敗の天秤が傾く音。
「かわいい」
降参の合図みたいに、声がほどける。
同時に、手首を掴んでいた彼女の指が、掌へ滑ってくる。体温がからむ。
沈黙。
扇風機だけが回る。遠くでバスケットボールが一度、床を弾む。
彼女は息を吸い、目を細めて、ほんの囁きで——
「かわいい」
二回目。追撃。致命傷。
黒板の線なんて、もうどうでもいい。私の「負け」は、たぶん勝ちだ。
私も、握った手を少し強くする。
汗とチョーク粉の匂い。夏の終わりの味。声は一語しか許されない。
「ヤバい」
笑いが同時に漏れる。
それは、ここにしかない告白の形。四語でやり切った、静かな勝敗宣言。——次の戦場は、下校の並木道。蝉の声が審判をしてくれる。
放課後の体育館。ペンキとワックスの匂いが混ざり、床はまだ薄く光っている。
片付け忘れの脚立が一本だけ立ち、回しっぱなしの扇風機が乾ききらない T シャツの背中へ風を送る。パイプ椅子が一脚、ずれて鳴った。
ルールは単純だ。先に黙ったほうが負け――黒板の端に「私」「相手」とだけチョークで書くと、白い粉が指に残る。彼女が白線に沿って一歩近づく。まぶたの際が汗で光り、視線が合った瞬間、言葉の試合が始まった。
「……ねぇ、わたし、本気で鼓動が暴走しそう。冗談抜きでヤバいんだけど」
――開幕の牽制。私の脈は速度を上げ、扇風機がカラカラ首を振る。
「ふふ、そんな顔して。怖がってるくせに強がるの、ちょっと可愛いけど、同時に軽く引くわ。ほら、少しキモいって自覚ある?」
――笑いを噛む音。彼女の肩が小さく跳ねる。冗談の皮で本音を包む手つき。
「でもね、この夕方の匂いとか、汗で滲む空気とか……全部、胸の奥がきゅっと締まるほど沁みてくる。こんなの、エモい以外の言葉が見つからない」
――絵の具が乾きかけたポスターの赤斜線に夕光が引っかかる。彼女の指先が紙を押さえ、呼吸する。
「……もうやめて。真面目な顔でそんなこと言われると、あなたが思ってる三倍くらい、わたしの中で可愛いが暴走するんだけど」
――チョークがキュッと鳴り、私の欄に一本線を足す。彼女の耳たぶがわずかに赤い。
「正直、髪を結い直す余裕なんてないのに、どうしても整えたくなる。だって後ろ姿だって――変に見えたら最悪でしょ。だからヤバいのよ、今」
――彼女はゴムを咥え、うなじが柔らかく揺れる。喉が鳴るのをごまかす扇風機の風。
「うん、その真剣さが眩しい。つま先が白線に揃うだけで、あなたがいつも以上に綺麗に見える。……だから、胸が熱い。ね、ほんとエモいんだって」
――彼女のスニーカーが床を擦る。口角がわずかに上がったまま視線を落とす。
「わかったわかった、じゃあこっちも正直に言うけど。さっきから無防備に褒めすぎ。むず痒くて鳥肌立つ。もう、いい加減キモいの、自覚して?」
――じわっと効く一撃。落ちたテープ芯が転がり、止まる。
「でも、やめない。だって本当に可愛いと思うんだもの。あなたの赤くなった耳も、照れ隠しの呼吸まで愛おしい。わたしに線を足させて?」
――息の向きが変わり、手首を掴まれる。脈が触れ合う。
「……こんな近くまで来られたら、逃げ道なんてないじゃない。汗の匂いも鼓動も筒抜けでしょ? ねぇ、本当に、ヤバいって」
――距離が縮む。布が小さく鳴る。
「それでも目を逸らさずにいてくれるのが好き。呼吸が合うのも嬉しい。ねぇ、この感じ、わたしの語彙じゃ足りない。全部まとめてエモいで押し切らせて」
――黒板に彼女が線を一本引く。目が笑う。
「もう、わたしが何を考えてるか全部わかってるんでしょ? そんな得意げな顔して撫でないで。――ほんと、イジワルでキモい人」
――声の揺れでバレる。親指が手首を撫で、脈が跳ねる。
「イジワルでも、どうしようもなくあなたが好きなの。だから可愛いなんて言葉、いくらでも繰り出すわよ。――それで崩れるあなたを見るのが好き」
――彼女の喉が鳴り、笑いを飲み込む。
「……もう一歩来たら本当に限界。心臓が爆発するかも。たぶん今日いちばんヤバいのは、告白より先に倒れる未来」
――T シャツ同士が触れて、床の冷たさが足裏から消える。
「だったら倒れる前に抱き留める。ふたり分の呼吸で支え合えば平気でしょ? ねぇ、それって……最高にエモくない?」
――扇風機の首振りが止まり、白粉がふわり舞う。
「もう降参しなよ。わたしの負けでいいから、それ以上甘く囁いたらほんとに脳がとろける。……キモいって言わせないで」
――甘い毒。天秤が傾く。
「降参なんて言わない。わたしが勝っても負けても、あなたのことが可愛い。それだけで全部チャラ。それが答え」
――手首を掴んでいた指が掌へ滑り込む。体温が絡む。
沈黙――扇風機だけが回り、遠くでバスケットボールが一度床を弾む。
彼女は息を吸い、細めた目で囁く。
「……ねぇ、何度でも言うよ。ほんとに可愛い。だから、わたしが抱きしめてもいい?」
黒板の線などもうどうでもいい。私の「負け」は、きっと勝ちだ。
握った手を強くして、汗とチョーク粉の匂いを吸い込み、私は一語だけ返す。
「――もちろん。むしろ、もうヤバいくらい待ってた」
笑いが同時に漏れる。
それがここにしかない告白の形だった。次の舞台は下校の並木道。蝉の声が、今度は祝福をくれる。