表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テスト  作者: ひさち
15/16

君を器にはしない

 森の縁に、一本の巨木が立っている──そう呼ばれる男がいた。木立こだち。身の丈はゆうに二メートル、肩は厚く、斧に馴れた手は節だらけ。川沿いの粗末な小屋に住み、夜明け前に薪を割り、刃を川で冷やし、砥石を細く鳴かせる。壁には無銘の長剣が一本。


 各国からの封蝋は、かまどの火種に。仕官の誘いも、指南役の約束も、彼には刃の鈍りに見えた。彼の主義は短い言葉に尽きる――金で剣は抜かない。名は貸さない。必要以上に殺さない。借りは即日返す。そして、身体はその者のもの。

 彼が動くのは、金でも名誉でもなく、声にならない助けを嗅ぎ取ったときだけだった。


 その朝、風向きが変わる。樹脂の甘さに、革と香油がわずかに混じる。遠くで馬のいななきが途切れ、鉄具が乾いた音を立てた。

 木立は斧を立木に掛け、火は消さないまま無銘の刃を外す。帰る火の気配があると、人は無茶をしないからだ。


 街道は白く乾き、砂粒が陽に細かく跳ねていた。護衛の列は崩れ、野盗の輪がすぼまる。木立は音を立てず踏み込み、二度、三度と刃を返す。金具がはじく音、砂のざらつき、血が風にさらわれる匂い。戦いは短い。蜘蛛の子が散る頃、馬車の扉が内側から震え、薄青の外套が光を受けた。


 娘は夜明け前の月のような顔をしていた。裾を持ち上げ、破片を踏まぬよう足を置く。木立が背を向けかけた、その肩に、ためらいの一拍が落ちる。


「待ってください」


 砂が小さく鳴った。娘は呼気を整え、目を真っ直ぐにした。


「子種を下さい!」


「……は?」


 街道脇の低木から鳥が一羽、遅れて飛び立つ。風の音だけが間を埋め、木立は刃を鞘に納める。革袋の水を差し出すと、娘は縁を指で確かめてから音もなく口をつけた。白い喉に水が小さな波を立てる。


「話を聞こう」


 娘は外套の留め具に触れ、指をいったん離し、また戻した。声は折れない。


「わたくしは、とある強国の第七王女です。護衛は……散りました。けれど、元より道はひとつでした」


「ひとつ?」


「わが王家は古くから娘の生まれる比率が高い。ゆえに妾を多く抱え、かろうじて男系を保つのが常でした。姫のほうが常に多い。だから規定があるのです。第三王女以降はどこにも輿入れせず、外から優れた血を取り入れる器として使われる。

 産んだ子に継承権は与えられません。名も席も持たず、血の強さだけが数えられる。第七ともなれば、政の駒にさえなれない。わたくしには命が下りました。『辺境一の豪傑の子を孕め。孕むまで帰るな』と」


 風が外套の裾を裏返す。娘はそれを押さえ、息を少し浅くしてから、ゆっくりと戻す。目だけは逸らさなかった。


「……道具、という言い方しかできません。怖くて、怒って、けれど王家に生まれたなら従うのが礼だと教わりました。命令の文を胸にしまい、ここまで来たのです。あなたが助けてくださらなければ、今ごろ……」


 木立は砂を踏み、剣柄を握った片手を開いた。歯の奥に金属の味が広がる。長く息を吐き、風の向きを一度だけ確かめる。


「国に帰る必要はない」


 娘のまつ毛が影を濃くした。


「なぜ、です?」


「俺があんたを略奪するからだ」


 言葉は荒いが、音色は水底を流れる。怒りは刃のように立っているのに、声は驚くほど静かだった。


「略奪は暴だ、と言うなら今言ってくれ。俺は意を聞かずに連れ出さない。だが掟があんたの身を道具に変えるなら、掟より先にあんたに従う。名も肩書も要らない。山で薪を割り、畑を耕す。欲しいなら子を持つ。欲しくないなら持たない。

 合図は、あんたが決めろ。うなずきでも、沈黙でも、手の重さでも」


 娘は外套の胸元を握り、指を解き、また握る。喉がかすかに上下し、呼吸が落ちつく。ひとつだけ近づく。砂が靴底で柔らかく鳴った。


「『略奪』という言葉は……怖いです」


「そうだな」


「けれど、わたくしは国に『使われる』より、あなたに『選ばれたい』。……いいえ、違います。わたくしが、選びたい」


 彼女は目を上げた。湖に朝の一条が触れた時の色が宿る。


「これを合図にします」


 娘は、木立の手首に自分の手をそっと重ねた。細い指先。脈が触れ合い、温度が混ざる。言葉より早く、間が合意に変わる。


「なら、今この瞬間から、あんたは俺のものだ。俺も、あんたのものだ」


 木立は馬の手綱を取り、鞍を低くして娘を乗せた。膝裏を支える手は必要なだけ強く、必要なだけ短い。娘は彼の肩に触れ、布の粗さで現実を確かめる。


「お名前を、まだ」


「辺境の誰か、でいい」


「では、わたくしも。同じで」


 ふたりの前で、北の林が影を濃くする。遠くで犬が二度吠え、風が体温を少し上げた。火の匂いは小屋の方角からまだ薄く届く。帰る場所の匂いだ。


 街道を振り返れば、王都へ続く大路は陽に白かった。だが娘は振り返らない。外套の襟を押さえ、頬を撫でる風を吸い込む。薪、土、革、遠い雪。すべてが、自分で選んだ匂いになる。


 略奪は叫びではなく、合図からはじまった。

 その合図は、彼女の短い沈黙と、彼の穏やかな「はい」でできていた。


■ 概要と主題

 この物語は、国家の制度に縛られた王女と、自由を選び続けた辺境剣士の邂逅を描いた掌編です。

 「略奪」とは暴力ではなく、掟からの救出であり、合意による共犯であるという逆転の定義が、主題の軸となっています。


 第一声「子種を下さい!」というズッコケ無茶台詞を発端に、王家の非人間的な制度と、それを当然として受け入れてきた王女の背景が浮かび上がり、無名の剣士がその在り方を根底から否定していく。


 この流れは、制度(国家) vs 個人の自由という、普遍的テーマへと接続されています。


■ 構成 漫画的呼吸と間の演出

 この掌編は、漫画的な文節分割と「」の演出が要所に活かされているかもしりません……。


 一文ごとの呼吸の長さと句読点の配置。台詞の前後に視覚的な情景や身体感覚を挿入し、行間に沈黙・戸惑いや確認を含ませている。


 特に王女の台詞「子種を下さい!」→「わたくしが選びたい」への流れは、少女漫画的“意志の自覚”構造を短いスパンで描ききっています。


 また、剣士の言葉づかいは非常に簡素でありながら、一行一行が沈黙を圧縮した爆発のように響くよう設計されており、「は?」の一言には、読者の想像する“あらゆる感情”が重なる余地が意図的に残されています。


■ キャラクター構造:掟と自由の対比

 剣士〈木立〉は、制度を拒む者/名を持たぬ者であり、「自由とは何か」の体現者です。


 しかし彼もまた、他者の意志が動くまで自ら動かないという律を持ち、ただの自由人ではなく、自己規範に従う「律の人」として造形されています。


 王女は、最初は制度に従う“器”として描かれますが、彼女の選択の瞬間(「略奪してください」)をもって、自分の人生の能動的選択者へと変容します。


 この「選ぶこと」そのものが、彼女にとっての革命であり、読者にとってのカタルシスとなっています。


 この構造は短編ながら、「制度の外にある名もなき自由人」が、「制度の中で名を持つ者」を救い出す、“境界線の越境譚”の典型でもあります。


■ 漫画的セリフ構成と画面割りの感覚

 セリフは非常に直截で、吹き出しに収まりそうな行数と密度で設計されており、ビジュアルを想起しやすい。


 特にラストのやりとり──

 「辺境の誰か、でいい」

 「では、わたくしも。同じで」


 この一節は、“同じになることで愛を確認する”少女漫画の定型を想起させつつ、彼らが“制度に名前をもらわずとも愛を築ける”ことの宣言になっています。


 まあ、西◯子絵で想像するといい話かも?笑

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ