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テスト  作者: ひさち
1/12

呪われた花嫁と南東門の鍵

一、灯の前


 ──わたしの胎は、芽吹きを知らない。

 その凍る呪いが、骨の奥で静かに軋む。


 雪代ゆきしろの水が石垣を濡らし、湿った鉄と苔の匂いが夕風に滲む頃――

 父は身じろぎもせず、「拒む権利はない」と言い放つ。

 母は言葉を置き去りにした指先で、膝の婚礼衣装の銀糸を撫でた。

 刹那の光だけが映す、彼女の胸に宿る痛み。


 呪いを婚約者に明かすな。それが両親の“慈悲”。

 けれど胸底のおき火は消えず、暗い息を吐き続ける。

 まつりごとの駒であっても、わたしは誰かの妻。

 ならば初めの一歩だけは、偽りなく踏み出す。


 深夜の回廊。

 霜解け水が石畳に滲み、靴底がぬめる。

 高く掲げた火芯は弱く、壁の影はいっそう濃い。

 鼓動が耳の奥で波となり、冷えた空気が肺を削る。


 ──戻るなら、今。


 震える指を握り込み、扉を二度叩く。


——

「……お入りください」

——


 低く、それでも微かな温を含む声。

 扉の向こうに満ちるのは、白檀の甘香と、革油に潜むくゆり。

 王子は大卓から身を起こし、疲労の翳を宿す瞳でこちらを捉えた。

 幾夜の剣を越えた眼差し――それなのに、ほのぐらさの中に柔らかな光を宿している。


「……わたくしは――」


 膝が笑い、視界の端がわずかに波打つ。

 けれど瞳を逸らさず、言葉を落とした。


「子を授かることが……できません」


──


 火芯が小さく囁き、甘い蜜と焦げ砂糖の香りを燻らせる。

 王子は驚きもせず、長い息をひとつ。

 伏せた睫毛がかすかに揺れ、静かな光が戻る。


——

「その重さを、独りで抱えてここへ?」

——


 頬を掠めた熱を袖でそっと拭う。

 怒りでも憐憫でもない。

 宝石を慎重にすくうような視線が、わたしの欠落を映し取る。


「言ってくれて――ありがとう」


 湖面に細雨が触れるような声。

 壁に掛かる竜狩りのタペストリーが、灯を受けてわずかに揺れた。

 古き血の色が糸の奥で呻き、過去の怨嗟が遠くで滲む。


─────


二、鎖の影


 王子は言葉を飲み込み、沈黙が降る。

 火芯がまた一つ弾け、冷えた石壁に甘苦い煙が滲んだ。


 その沈黙の底で悟る。

 剣でも王冠でもなく、真実を分かち合える一瞬――

 それが彼を生かし、わたしを救う一条の光なのだと。


 蝋の雫が、ぽたり。

 石に広がる暗紺の輪が、問いを結び目のように締める。


「……それでも世継ぎは要ります」


 吐き出した声が胸裏で裂け、痛みの棘が逆流した。

 妃とは、愛の結実ではなく王国の循環を保つ器――幼い頃から染み込んだ鉄則だ。


 王子は応えず、卓上の海図を指でたどる。

 紙の皺が擦れ、微かな月光を反射する。そこへ、白檀の甘香に、磨き残した鋼の酸味――革紐が湿気を孕んで軋む匂いが、鋭く混じり合った。


──

「側室は置かない」

──


 囁きは刃を抜く音より低い。

 胸元で脈が跳ね、指先が裳裾を潰す。


「……では、将来の王位の安泰は」


 問い――否、叫び。

 王子は海図の片隅、《南東門》と記された小さな枠に触れたまま、視線を上げない。


「私が即位した暁には、血脈だけを王の証とする、その鎖を折る」


 言葉は火花というより氷片。

 わたしの声は細く揺らぐ。


「諸侯も……聖職団も、黙っては――」


 言い切る前に、王子の唇がわずかに歪む。

 笑みというより、決意の影。


──

 息が途切れ、石の冷気が足もとを這う。

 ──ポ、と雫が落ちる音。

──


「許しが下りねば……“門”で答えを得る」


 拳を開き、白く残る爪痕に蝋燭の光を滲ませ、

 遠くで響く雷鳴に、窓硝子が微かに震え――



三、芽吹きの夜明け


 足許が揺らぎ、一瞬、視界が白く飛ぶ。

 咄嗟に壁の石目を掴んで、どうにか身体を支え――

 血と権威、刃と陰謀の渦に、己は耐え得るのか。


 だが次の瞬間、王子が囁く。


「新しい鍵は――君の灯だ」


 低く、けれど確かな温度。

 胸の氷膜に細い亀裂が走り、奥で水音がした。

 一度、全身から力が抜ける。壁に背を預けなければ、崩れ落ちてしまいそうだった。


 窓硝子を叩いていた氷雨が、ふいに息を潜めた。

 遠雷の残響だけが、まだ靴底をかすかに震わせている。


 王子の掌に受け止められた涙は、もう冷えていなかった。

 水光みずひかりが指の隙間で瞬き、その温度が胸の凍土へ滲み込む。


「……傍にいる、と誓います」


 声はなおも微かに揺らいでいたが、途切れはしなかった。

 石室の静寂に溶けてゆく、わたしの宣誓。

 王子は頷き、掌を重ねたまま視線を落とす。

 炎ではなく、その雫に宿った淡い光を見守るように。


 ──その滴こそ、新しい契約の印。


 闇に沈む竜狩りのタペストリー。その瞳の銀糸に月光が触れ、古き血脈が次代へ身を託すがごとく、細い閃きを走らせた。


 王子はそっと離れ、書架へ向かう。

 灰絹で綴じた古文書を一冊抜き、白蝋の封を示した。

 刻まれた古文字は《南東門》――先ほど海図で示した門。


「もし私が倒れ、鎖を折りきれぬまま果てたら……君に託す」


 冷たい紙の肌理きめと、封蝋のわずかなざらつきが掌へ移り、脈と同じ速さで揺れる。

 王子は穏やかに微笑む。凪いだ湖面に射す黎明の翳りのように。


「だが本当は使われない方がいい。

 私自身の手で、鎖を断ち切るのが最善だから」


 封書を胸に抱き、わたしは深く息を飲む。

 恐れは残る。それでも胸の奥で、白い根が闇を穿ち始めた。


 ──芽吹きは土を裂き、光を探して伸びるもの。

 棘に血を奪われても、春泥を踏み越えてゆく。


 雲間が薄く割れ、東雲しののめが城壁を洗った。

 鐘が一つ――夜明け前の時を告げる鈍い響きが空を震わせる。


 王子と並び、開かれた扉へ踏み出す一歩。

 滑らかな石の冷たさが足裏を刺すが、背筋は揺らがない。

 微光が二つの影を長く伸ばし――溶融。

 遠く、湿った風が泥と青草の匂いを運び、苦みの中に淡い甘さを滲ませて――。


 胸いっぱいに吸い込み、そっと瞳を閉じた。

 黒い土の深処で、白い根が確かに脈打つのを感じて。


 ――胎動。


また、よくわからない話を。


物語のテーマ考察

―「呪いを“治す”のではなく、“受け容れ、世界を変える”物語―


1. 呪い=“治療すべき欠落”という前提の反転

 多くのファンタジーは「呪いを解除する旅」を骨格に据えます。ところが本作は、 呪い(不妊)を〈治療対象〉ではなく不可逆の前提として描き、そのまま抱えた状態で価値観と制度を更新 しようとします。


「子を授かれないわたしを罪としないために、王制そのものを変える」


 ここにあるのは“個を社会に適合させる”物語ではなく、“社会を個に適合させる”物語です。呪いを解く代わりに 血統の王制という“常識”を解体 し、新しい継承観へ踏み出す――これが従来の「奔走して呪いを解除する」パターンとの決定的差異です。

 意図的にカットしていますが、王子は兄たちと血みどろの王位継承争いの最中です。血筋に縛られることへの憎悪が渦巻いています。だから「即位した暁には……」という台詞に繋がるのです。


2. 現実の〈不妊〉問題との重なり

 現実でも「産めないなら価値がない」という無意識の規範が女性を蝕みます。本作のヒロインは、社会が押し付けてきた“母であれ”という規範と、王子の“伴侶であってほしい”という願いの狭間で揺れる。ここには 不妊と告げられた当事者が自己価値を再構築する葛藤 が重ねられます。


〈自己肯定〉 王子の受容:呪い=罪ではない

〈価値転換〉 王制改革:血統より“選ばれし意志”へ


 呪いを治すのではなく、呪いと共に「生きていい場所」をつくる――これは 現実の不妊カップルが“治療の成功”だけでなく“別の家族観”を模索する過程 と響き合います。


3. 呪いを“社会の歪みの見取り図”にする構造

 ヒロイン個人の欠落が、王国システムの欠落を照らし出す装置になっています。


個人 不妊“欠けても愛は成立する”関係モデル

制度 血統偏重の王位継承 能力・意志で継承者を選ぶ法

歴史 竜狩り=血で築いた王朝“選択”で築く新王朝


 三層がシンクロし、「呪いは社会を書き換えるインク」へ昇華されます。呪いをなんらかの奇跡で解くより、 変革の火種として保持するほうがドラマが深く、現代性を帯びる わけです。


4. 王子の“受容”が持つ革命性

 王子は側室を拒み、血筋の鎖を折ると宣言します。これは単なるロマンス的包容ではなく、特権者みずから制度を手放す行為。

 現実でも「男性側が家制度・姓・地位のしがらみを壊す覚悟」を持たない限り、不妊や多様な家族形態は真正面から承認されにくい。王子の覚悟はそのメタファーにも読めます。


5. 胎動=希望のメタファー

 終章の 「白い根が闇を穿つ音/胎動」 は、“子を産む”代替として 〈二人が蒔く未来〉 の象徴に置き換えられています。

 肉体の妊娠ではなく、 価値観の妊娠。それが「呪いを抱えたまま芽吹く」物語の核心です。


まとめ

 本作は「呪い解除」→「呪いと共生し社会を書き換える」へ焦点を転倒。


 不妊という現実問題の“治らないかもしれなさ”を真正面から引き受け、〈寛容な制度〉を用意することで物語を肯定的に閉じる。


 個人のペインが制度のペインを照らし、改革の物語へ接続。


 結果として、 “治せないものを治さずに生き延びる方法”こそが、呪いを解くより大いなる救済 である、というテーマが立ち上がっています。

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