雑魚敵ゴブリン(Lv.250)
―――グルルゥゥゥゥゥッ
異様に発達した下顎の牙。
漏れ出す白い息。
多分俺の全身よりもデカいであろう凶悪な顔。
さらにそこから生える、それはもう御立派な二本の角。
濃い緑色の全長は10mちょいってところか?
しかも何だあれ、腰に差してるやつ。西洋的な武器には見られない柄や鞘……もしかして刀? いや、この場合は脇差か。でもそれにしてはかなり小さすぎるっていうか細すぎる気もするけど、まぁ本命はアレではないだろう。
肩に担がれた、木の幹をそのまま切り出したかのような太い棍棒。こっちが主武器に違いない。
「ナビさん、あいつは……?」
『すみません、判りません』
S◯RIかなんかですかアンタは。
『ですが、おそらくあれは“ゴブリン”だと思われます。しかし、ご主人様ではまだかすり傷一つつけるどころか、一吹きで殺されると思うんで逃げたほうがよろしいかと』
逃げる、か。簡単に言ってくれるな。
いや全然強がりとかじゃなくて、こちとら足が竦みまくって立ってるのもやっとなんだよ!
平和な現代の日本で生きてきた一般学生がそれまでの人生で目にしたことのある陸上生物の中で一番デカいのがおそらくキリンだぜ? しかも目にしたと言っても動物園の柵の中にいて、こちらを攻撃してこない保証がある状態でだ。
檻に閉じ込められているわけでもなければ、飼い馴らされているわけでもない。ただ眼前の獲物を狩ろうとする剥き出しの野生。今まで捕食者としてしか生きてこなかった者が被食者として狙われるという恐怖。
恐怖を超えて押し寄せる感情で腹の中がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられたみたいだ。腹の中の内容物が今にも口から溢れ出しそうだけど、それすらできないほどに全身が硬直している。
でも待てよ……ゴブリンといえば異世界ファンタジー物で一番最初に出てくる、街の少年でも倒せるくらいのレベルなはずだよな?
流石にかすり傷一つつけられないは嘘だろ。きっとただデカいだけの虚仮威しさ。そうでも思わなきゃやってられねぇ。
『バカなんですか? なんで何も武器がないのに特攻しようとするんです? ……ちなみに鑑定の結果ですが、あのゴブリンのレベル、250はありますよ』
「……250? 10とかじゃなくて?」
『はい、あと、2秒後に今ご主人様が立っているところが消し飛びます』
それってもう残り1秒もないんじゃ……
振り下ろされた棍棒を脊髄反射で右に避け、受け身を取る。その巨体からは想像もできないくらいのスピードの攻撃。ぶつかった衝撃で抉れた地面がまるでクレーターのようになっている。
「うおぉぉぉぉ!!! 逃げろ逃げろ逃げろぉぉぉおおおお!!!!」
案外恐怖で固まった体もいざとなれば火事場の馬鹿力的なアレでどうにかなるもんなんだな。
いや、今はそんなことどうでもいい! さっきの攻撃を避けられたのだって奇跡に近いんだ。如何にあのデカブツから距離を取るかだけ考えろ! あんな攻撃、一発でも食らったらひとたまりもない。
走りにくい森の中、俺はただひたすら我武者羅に逃げた。
「ナビさん、この付近に隠れられそうな場所はある?」
『えーと、このまま直進して200m程先に洞窟がありますね。そこならあの巨体はまず追ってこられないでしょう』
「オーケー200mだな? 30秒だ!」
―――10秒経過、足音が大きくなってきた! あの図体だ、一歩一歩が地鳴りみたいに地面を揺らしやがる。
『ご主人様! 左に大きく避けて!!』
後ろを振り向く余裕もなく、俺はナビさんの指示通り転ぶようにして左側に飛び込む。刹那、俺が元いた地面にさっきより大きいクレーターが形成された。
二度も避けられて腹が立ったのか、低い唸り声を上げながらゴブリンが棍棒を自身の身体の横に引き寄せた構えを取る。
ここに来てまさかのバット持ちか? なんでいきなり―――
『………!? 伏せて!!』
ナビさんの声に驚いて慌てて大きな岩の陰に転がり込むと、周辺の木や石などが物凄い風圧によって吹き飛ばされていった。
たった一振りでこの威力はヤバい。下手したら振り下ろしたときより危ねぇな。
「おっ! あれじゃないか?」
『そうです、あれです! あと100mくらいです!! 急いでください!!!』
指さした先には大きく口を開く洞窟。もう後ろは振り返らない。ただ前だけを見てひたすらに走るだけだ。
目算残り50m! もう足音すら聞こえない。一歩でも早く前に!
―――残り30m。何かは分からないけど、背筋がゾクッとするような嫌な感触がする。この横断歩道でトラックが突っ込んでくるようなこの感じ……えぇい、そんなこと気にするな!
―――残り10m!! 行け、このまま行けッ……
『ご主人様、危ないっ!!!』
ダンプカーに撥ね飛ばされたような衝撃が体全体に襲いかかる。大地が震えるような爆音と衝撃波に呑まれ、俺の意識はそこで途絶えた。
◆ ◆ ◆
『………様………て下さい……人様………ご主人様!!!』
「んっ……? もしかして俺また死んで……」
『よかった、まだ生きてますね? あ、ちょっと、まだ動かないで下さい。今ご主人様の右腕、無いんですから!』
「えっ、でも痛みは全く感じ………ッ!!!」
辛うじて首だけを起こした先で視界に映るのは、二の腕から先がもげ、骨が剥き出しになっている状態の右腕。
『あまりにも酷い状態でしたので、こちらの判断で勝手に苦痛耐性を発動させておきました』
「―――ッ!? これ俺足も………」
『はい。残念ながら、歩行どころか立つことさえ不可能でしょう』
「……こっちの世界に来てまだ数分だぜ? こんなのあんまりだろ」
少し前の自分の肢体とは程遠い見た目をしてるこの身体を見つめながら深い溜息が漏れる。
「っていうか、あのデカいゴブリンはどうなった?」
『あの個体なら最後に例の棍棒をご主人様に向かって投擲した後、暫くご主人様を探していましたが、運よくこの洞窟の中に吹き飛ばされたご主人様を見つけられず、もと来た方へ帰っていきました』
「そっか。最後のあの衝撃波、棍棒が飛んできたものだったのか」
『…………』
「…………」
『…………』
互いに口にすべき言葉が見つからず、沈黙が広がる。
俺の怪我が治りやすい体質のせいかは分からないけど、もう流血は止まってる。太い血管も切れてるはずなのに血が止まっているのには驚き通り越して恐怖さえ覚えるが、今は命が助かっただけマシだと思うとしよう。だけど、だからと言っていつまでもこうしていられるわけじゃない。
「それでさ、ナビさん」
重苦しい沈黙を破るように俺はポツリと口を開く。
『はい』
「俺のこの消し飛んだ右腕と千切れかけの両足……治す方法はあるか?」
ここは異世界。あんなゴブリンが居るくらいなんだ、治癒魔法かそれに準ずるものがあってもおかしくない―――いや、むしろあってくれないと困る。
『……無いといえば嘘になりますが、今こちらの世界に来たばかりのご主人様には到底耐えられるものではありません』
「いや、構わない。あのクソゴブリンを絶対ブッ殺すために、なんとしても俺には手足が必要なんだ」
『苦痛耐性が効かない中でそのようなことは………』
せっかく掴んだ二度目の人生の切符。こんなところで終わってはいられない。自由に、そして今度こそ幸せになるために、俺は何としてでも生き抜かなくちゃいけないんだ。
それをひょっこり現れたあんなヤツのせいで台無しにされて堪るかよ。俺の人生は俺のものだ。もう他の誰にも邪魔立てはさせない。
「ナビさん、俺はね、自分がやられたままでいることが何より許せないんだ。ま、単なる自己満足にしか聞こえないだろうけどな」
『それは……』
「約束する、必ずアイツをブッ殺す。そのためならどんな苦行だって耐えてみせる」
静かな洞窟に俺の決意がこだまする。
『………わかりました。今から方法を教えます。ですが、決して無理はしないでくださいね?』
「分かった、分かったよ」
『それではその方法を説明します―――』
◆ ◆ ◆
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
両足と右腕だけでなく全身に激痛なんて言葉じゃ生易しいくらいの痛みが襲いかかる。
原因は俺が今まさに浸かってるこの泉の水の過剰回復能力によるものだ。過剰回復だから一瞬で手足が再生されるかって? そんなことはない。
怪我してる傷口に塩を塗り込まれながら何本もの針でひたすら刺されまくってる感じだ。この非常に耐え難い苦痛が完全に再生が終わるまでずっと続くらしい。
ナビさんによると、この洞窟の内部にある泉の水は、魔力濃度が他の場所に比べて高いこの地域の魔力が長い年月をかけてゆっくり浸透してできた高濃度魔力水だそうだ。この過剰な魔力が身体の組織、神経、その他諸々を爆発的に刺激し、強制的に自己再生能力を高めているとか。
『一旦止めに………』
「い、いいや、続行……だッ!!」
この再生中に意識を失うのは厳禁らしい。しっかりともとの腕や足の形を想像しながら行わないと、変な形で再生されてしまうんだと。
しかも中途半端に肘まで再生した状態でここから出られるかっつーの。余計グロテスクだわ。
『苦痛耐性も今は使えないんですよ!?』
そう、そこなのだ。
なぜかこの泉では一切の魔力を使うスキルの使用ができない。恐らくこの高濃度の魔力水に邪魔されて使えないんだろうけど。
「そ、そんなことは……どうでもいいんだ………よ! 完全に治りさえすれば……この程度の痛みなんか、どうってことない………ッ!?!?」
激痛によって言葉が歪むが、あと少し……あと少しで終わるんだから、耐えられる!
―――結局、ほぼ2時間くらい泉に浸かり続けた俺は、もはや痛覚が麻痺して何も感じなくなっていた。ただ、手足は完全に再生し、元通りどころかむしろ前より調子が良いようにさえ感じる。
『お疲れ様でした。途中で意識を失いかけたときはどうしたものかと思いましたよ』
「なんとかなって何よりだよ。全く初日からハードモードすぎるっての。あぁダメだ、安心して急に眠気が……」
波乱の異世界一日目が幕を閉じる。




