汝、理の前に潰えよ
太古からこの世を生きる龍の中には、理に触れ、それらを司る者も存在する。
理に触りし龍は己が理の一部となり、時にその言葉は仮想から現実へと変容し、世界はその意志に従う。
理の一端を為す者の言葉にその中で生ける者は抗うことを許されない。
その世界の意志となる言葉を―――龍言という。
◆ ◆ ◆
「―――ッ!!」
凄まじい重圧によって瞬く間に地に顔をうずめた破天丸の体がさらに圧迫される。骨が軋み、内臓も圧し潰されかけ、呼吸すらまともにできない。
『苦しいか? ……ハハッ、肺が潰れて声も出せんか。気にするな、そのような考えを持てるのも今のうちだけだ』
龍の恐圧とはまた方向性の違った重圧。精神と本能にのみ効果があるソレと違い、龍言はそこにある全ての存在に問答無用で作用する。同族ですら抗うことを許されないものに、一介の鬼である破天丸が抗う術などありはしない。
文字通り、指の1本すらまともに動かせないこの状況。抜け出せなければ物言わぬ肉塊へと成り果てるほかない。
そんな破天丸を他所に、魔龍は再び爪に黒紫色の禍々しいオーラを纏わせる。
―――ドガァァァァァアン!!!
破天丸の心臓を狙った一撃が地を割る勢いで振り下ろされた。
『―――まったく、運の良い奴だ。すんでのところで体を僅かにずらし、辛うじて心の臓への直撃を避けるとはな』
だが、後方へ吹き飛ばされた破天丸の体の下では赤黒い染みが大きく広がっている。
凄まじい衝撃波で心臓の半分に左肺、その他色々な臓器や骨が損壊しており、致命傷なことに変わりはない。
しかし圧倒的絶望の中、破天丸はただひとつだけ希望を見出していた。
(身体が……動く?)
不可思議な力で押さえつけられていた身体が自由になっているのを確かに感じる。
奪われて初めて理解する、己の身体を自らの意思で動かせることの恩恵。その有難みを破天丸は深く脳みそに刻んだ。
すかさず破天丸は肉体の再生を開始する。ただ魔龍に悟られないよう、敢えて地に伏せたままである。
直接的ではないとはいえ、魔龍の滅魔のオーラに晒された傷は再生が遅くなっていた。想定より遅い傷の治りに破天丸は少々焦り始める。この間にも魔龍が今度こそ己の心臓をあの鋭い爪で貫くのではないのかと。
破天丸が焦りを募らせる中、一方の魔龍もとある問題に直面していた。
(チッ、身体の自由が効かんな。解除がほんの一瞬遅れたか……)
龍言は理を一時的に操る力。その強すぎる力ゆえ、発動中は他の行動が一切不可能になり、解除後丸一日は同じ龍言を使用することができなくなるという制約がある。もしその縛りを無理やり破ろうものなら、使用者の体に甚大な損傷がもたらされる。
先の一撃、破天丸への殺意が理性を上回ってしまっていた。龍言の解除が一瞬遅れたのだ。そのほんの僅かな思考の遅れが魔龍の動きを固定する。
傷の再生が遅い破天丸にとってこれは好機に次ぐ好機。なぜか動きを止めたままの魔龍に疑問を覚えながらも、破天丸の肉体は余すとこなく完璧に治癒が完了する。
未だ動かぬ魔龍を横目に、破天丸は鮮変萬果を握りしめおもむろに立ち上がる。
先程までの風属性に代わり込められた水属性の魔力はその刀身を美しい水色に染め上げる。溢れ出る冷気が周囲の空気を冷やし、靄となって鋒から垂れ流れる。
一瞬で距離を詰め、逆袈裟を斬るように下から上へと胸の中央に埋め込まれた宝玉ごと断ち切る太刀筋で刃を振り上げる。
それと同時に魔龍の龍言による反動が終了する。防御、反撃がともに間に合わないと判断した魔龍は宝玉への損害を極力抑えるべく上体を思いっきり後方へ反らす。
「氷刃、凍壊ッ!!」
水色に染まった鮮変萬果の纏う極寒の冷気が魔龍の体を切り裂く。溢れ出す冷気は斬った肉体だけでなく飛び散る血さえも全て凍らせ、無数の小さな氷粒が空を舞う。
『高々こんなもの、我の動きを封じるには至らん!』
腰から肩にかけて大きく凍りついた己の身体をものともせず魔龍はブレスを放つための準備へと入る―――が、
『ゴフッ!』
大きく開けた口から夥しい量の血を吐き出しながら胸を押さえ、破天丸を睨みつける。
僅かな動きでたちまち氷に亀裂が入り、凍っていた体の部分ごとその全てが崩壊したのだ。
体表が大きく抉り取られたような傷口に、すかさず破天丸が攻撃を挟む。
「炎刃、灼烈ッ!」
臓腑が露わになった肉体を赤く染まった刀身が焼き尽くすように走り抜ける。灼熱の炎が傷の上で爆ぜ、例えようのない激痛が魔龍を襲う。己の肉体を内部から灼き続ける炎のせいで上手く再生ができない魔龍は痛みと怒りで絶叫する。
氷結による肉体の崩壊、さらにその傷口を灼き続ける炎を以ってしても宝玉は未だ無傷のまま魔龍の胸にしかと存在している。
それもそのはず、巨大だった龍の形態の時にさえ金剛石のような硬さを誇っていた宝玉は、人型に変化した際さらに圧縮されている。そのため、硬度は以前と比べて数十倍にはなっており、余程の攻撃でない限りその表面に掠り傷の一つすらつくことはない。
『キサマァ! 絶対に許さん! キサマも我と同じように臓腑を切り裂き、生きたまま灼いて苦しみながら殺してやるッ!!』
再び掌を天に向け魔龍は宣言する。
『我が憎き敵を包みし空間よ、【捻れろ】』
空間歪曲の龍言が発令される。破天丸の周囲の空間が歪み、それに伴い破天丸の左腕と右足が歪み始める。
指先の輪郭が一瞬歪んだかと思えば、瞬く間に全ての骨を粉砕しながら胴体目掛けて破壊の螺旋が突き進む。
刹那の判断、破天丸は捻れていない右手で鮮変萬果を握り、自身の左腕と右足を断ち切る。体から別たれた手足は捻られ続け、最終的にただの肉塊になった。
もし手足を切り落とす判断が一瞬でも遅れていたら今頃破天丸も目の前に転がる肉塊と同じような目に遭っていただろう。
片手片足を一瞬にして失った破天丸は体勢を保てず、そのまま地面に仰向けに倒れ込む。即座に損失した手足の再生を始めるも、欠損の再生は通常の怪我の再生より遥かに膨大な魔力と集中力、それに時間が必要となるため、なかなか思うようにいかない。
(まず立ち上がれるように足から優先して治す! 最悪片手ででも刀は振れるし、腕は後回しだ)
『自分で手足を切り落としたか、良い判断だな。だが、それをした時点でキサマは詰んでいるのだ』
足の完全再生がまだ終わらず地面に転がったまま破天丸の元に一瞬で近づき、今度こそ心臓を確実に潰そうと腕を振りかぶる。
たとえ心臓を潰しても、羅刹の末裔であることとこれまでの戦闘を踏まえれば破天丸ならすぐに死ぬことはない、だから弱らせた後にゆっくり自分がやられたのと同じ事を仕返してやろうと魔龍は息巻く。
しかし、このままただ黙ってやられる破天丸ではない。迫りくる拳を右手に握る鮮変萬果で弾き、その勢いのまま未だ完治していない魔龍の胸の傷を斬る。
傷のせいでブレスが撃てず、己の肉体のみで戦うしかない魔龍は激痛に耐えながらも、破天丸を苦しめるこの絶好の機会を逃さぬという確固たる意志でその鋭利な爪を左胸に突き立てようと迫る。
『「うぉぉぉぉおおお!!!」』
叫び声の中、ジリジリと魔龍の爪が破天丸の胸に迫る。破天丸も必死で押し返すが、隻腕ではやはり込められる力に限界がある。
爪の先端が皮膚に刺さり、鮮血が流れ出す。
そしてついにドスッという音とともに破天丸の体を五本の爪が貫通した。




