託された物とは
図書館の意匠を凝らした入り口を潜ると、大きなホールとなっており、ステンドグラスから光が取り入れられていた。その中央に丸形のカウンターがあり、「受付」というプレートが掛かっている。
「すみません。この国の歴史なんかが書いてある本って閲覧できますかね?」
カウンターの中で書物をしていた女性に話しかける。
「こんにちは。ええ、何方でも可能ですよ。ただ、この名簿にお名前を書いていただけますか? もし文字が書けないなら代筆も可能です」
そう言われてから、気付いた。この人エルフだ。
魔族との大戦時には、魔族側に付くことが多かった種族だから、無意識に少し緊張してしまう。
「ああ、ありがとう。」
名簿を受け取ってから、自分の名前を書き込み、それを返した。
俺の名前を見た受付のエルフが、少し目を見開いた。
「どうかしましたか?」
「えっ、ええ。失礼ですが、お名前はブルーノで間違いないですか?」
「はい、間違いないです」
少し訝しみながら、俺の名前がどうしたのだろうかと気にはなる。
「賢者ガルマは生涯で一つの予言を残したとされています」
「予言?」
ガルマに予見者のような能力はなかったが、俺が封印されている間に修行でもして身につけたのだろうか。
「はい、全国にある図書館の司書らは、それを代々秘密裏に受け継いでいます。そして、その内容はブルーノという戦士が、この国の歴史か勇者の歴史を調べようとするだろうというものになります」
「は?」いや、まさか……。
「そして、予言の者が現れた時には、ある本を渡すようにとの遺言が残っています。」
「は、っはは」
少しわかってきたが、驚き過ぎて乾いた笑いになってしまった。
「それがこれです。全国の図書館に一冊ずつ受け継がれています」
魔法陣が机に刻まれたと思うと、司書さんの机の天板が開き中から一冊の本が現れた。
「この本を私の世代で渡す機会があるなんて思ってもいませんでした。」
そう言った司書さんの瞳は、期待と不安で少し揺れているように思えた。
そうして、俺は司書さんから一冊の本を受け取った。その瞬間、本は光輝き、ガルマの魔力の余韻のようなものが感じ取れた。
確認するように司書さんの方を見やると、司書さんの目からは一筋の涙が流れていた。
少し驚いたが、数百年間への想いならば、当たり前かと腑に落ちる。
手に持った本が少し重くなった様に感じた。
「……試すような事をして申し訳ありませんでした。ただ、今お渡しした本には賢者ガルマが自ら掛けた魔法が掛けられておりました」
司書さんは一息つくように目元を拭うと続ける。
「この400年の間、ブルーノを名乗る戦士が現れないわけではありませんでした。その者達が、偶然の一致によるものなのか、賢者ガルマの遺産を探る不届き者なのかはわかりません。しかし、この本がその者達に紐解かれることはなかった。」
心当たりはある。ガルマは異様に封印術は上手かった。こういった魔法は消費される魔力も少なく、空気中の魔素で少しずつ補填されるから一人の術者でも千年持つこともある。
「そして、今の光は本が貴方を認めたという証拠です。また、これをもって全国にある図書館に保管されている賢者ガルマが残した本は消滅し、司書の皆は代々のお役目を終えたことを知らされていることでしょう」
本当にガルマは罪なことをする。俺がもし、異次元から帰ってこれなかったら、もし、本で歴史を調べようとしなければ、どうなっていたのだろうか。
裏を返せば、絶対に帰ってくると信頼していたとも取れるんだよな。
「俺が貰っていいのでしょうか…」
「ええ、もちろんです。この国の図書館に関わってきた者が、賢者ガルマの予言に報えたことに心からの祝福を」
「……ありがとうございます」
本を読み終わった後は、もう日が沈み初めていた。夕暮れの余韻に浸りながら、ため息交じりに少しだけ、どうするかを考える。
「まずは、この本だよな…、背負うには重すぎる」
ただ、考えすぎてもわからないので、司書さんへの謝礼を再度伝えるついでに聞いてみることにする。
「あの…、ありがとう御座いました。本は全て読み終えました」
「そうですか、それは良かったです」
司書さんは、さっきの涙を流していた姿とは違い、今は少し晴れやかな顔をしている。
これならば、少し踏み入った話をしてもいいだろう。
「失礼であれば、すみません。この本の内容を知りたいと思いますか?」
俺が魔王と戦ったのは、つい昨日の事のようだが、封印されていた間に400年が経っている。それはあまりにも長すぎる時間で、その期間は言葉で紡げないほどに想いが積み重なるはずだ。
だからこの本は、ただのガルマからの贈りものではなくなっている。
ガルマの没後400年の間に何人もの人に守られ、引き継がれた。その歴史がこの本には詰まっている。
それに、ガルマ本人が望む、望まないに関わらず、ガルマは歴史の中で偉人となった。司書さん達は、歴史上でシンボル化したガルマに対して何を思っていたのだろうか。畏怖、義務、面倒、信仰、どれも正解のようで、違うような気もする。
そうなると、本の内容を知りたいかを問うのも、もしかすると信仰への冒瀆になることもあり得る。
「気にならないとは言えません。ですが、あの本は賢者ガルマが、貴方に必要と判断したものです。」
「そうですか…。ただ、400年もの歴史を俺が、俺だけが受け取っていいのでしょうか?」
俺の言葉に、司書さんは表情を少し崩して視線を優しいものにする。
「…ありがとうございます。その想いだけで、その本を守った者達は救われると思います。あなたのような方が本を引き継いでくれて良かった」
「そうですか?」
きっと想像もできないほどの人数が関わっているはずだ。それが俺にとっての一瞬でしかないからこそ、踏み潰すようなことはしてはいけない気がする。
「ええ、そう思います。本当に…」
「わかりました。今は俺が受け取りますが、いつか必ず返しに来ます。きっとその方が、この本も役に立つはずですから」
「……そうですか。貴方がそう望むのであれば、お待ちしています」
最後に笑った司書さんは、とても美しかった。