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反出生届

作者: 後谷戸隆

「反出生届を提出しにきました」


 と言うと、係の人はちょっと顔を上げて書類を受け取った。


 慣れた調子で記入されている項目をチェックすると、


「じゃあ生まれないということでよろしいですか」と最終確認されるので「はい」と答える。係の人が収受印をポーンと押して、


「じゃああなたは生まれませんので」と書類を後ろのレターケースみたいなところにスポッと入れて、それでもうおれは生まれないことになったらしかった。


 なんだかあっけないもんだなあと思いながら家に帰る。


 これで生まれることによるあれやこれやのよしなしごとみんなから解放されるぞと思うと気分も上向いて来て、前祝いというわけでもないけれども「パック寿司」を買って家に帰った。


 寿司をつまみながらだらだらとインターネットを見、カップラーメンを何分で食べるのが一番おいしいのか検証している動画とかを見ていると友達がやってきて、


「生まれないことにしたんだって?」


「うん、そう」と答えると友達は悲しそうな顔をして、


「そっか、ちょっと残念かも」と言った。


 友達は生まれることを選んでいたから、それで一緒に生まれられないのは残念だ、という意味で言っているのだろう。


「そうは言うけど、べつに生まれることにしたって世界のどこに生まれ落ちるかは完全にランダムなのだから、また一緒に友達になれるという確約があるわけでもないじゃん」と言った。友達は渋い顔をするのだった。


 まあ、リップサービスだと思おう。来世でも友達でいようねと言われるのはうれしいものだ、と思いながら寿司をつまんでいると、友達が急にぽろぽろと泣き出して、


「えぐっえぐっ、かなり悲しい」とか言い出した。


「えっ? 本当に悲しんでる?」


「うえうえっ、ちょっと泣くわ」とか言い出してハンカチまで取り出して涙を拭う友達。


 おいおいおいと思う。そんなに悲しまないでくれよと思うのだけれども、でもたしかに毎日のように一緒になって遊んで、別に用だってないのにお互いの家を訪問してだらだらしたりするというようなことを繰り返していたのだから、そいつに会えなくなってしまうというのはたしかに残念なことなのかもしれなかった。


 それでも今さら生まれようという気持ちにはなれないので、


「ほら、生まれたらめちゃくちゃ大変だしさ、絶対生まれなかったほうがいいってあとで思うって!」と友達の肩をばんばん叩くのだけれども友達はぼろぼろ泣いてしまって、


「うんうんそれはわかるんだけどうんうん、うえうえうえ、おいおいおい」と泣き続けるのだった。


 こいつこんなに涙もろいやつだったんだなあとしみじみ思う。友達の知らない面を知るのは変な気分だった。ペンギンはミルクで子育てをするというのを知ったときと同じぐらい変な気分だった。


 でもだからといってそんな泣かれたって自分の生きる道を変えることはできない。心を強く持ち、生まれないことは絶対にゆるがせにしないぞと思っていたのだけれども、でもうずくまってすんすん泣いている友達を見ているとだんだん心が動かされてきてしまって、こんなに悲しんでいる友達を一人ぼっちで世界のどこかに生まれさせてしまうのはものすごい罪じゃないかというような気分になってきて、とんでもない後悔の気持ちが生まれてきた。


 それでうーんと腕を組んで頭を捻ってから、


「わかったよ、じゃあおれも生まれるよ」と言うと友達はぱっと明るい顔をした。


 でもすぐに暗い顔になって、


「ごめん、そうは言ったはいいものの、本当にいいの?」と聞いてくる。


 おまえ、自分でそそのかしたくせにそういう気持ちが揺らぐようなことを言うんじゃねえよと思ったけれども、まあ、友達の不安もわかるといえばわかるのだ。


 生まれるというのはとても大変で、おれは常日頃、どうして生まれることを選択してしまった人たちは、そんな過酷な選択肢を選ぶことにしたのかということがちっともわからないというふうに思っていて、万が一にもまかり間違って生まれるような選択をしてしまったら、きっと「生まれないほうがよかったなあ!」って後悔するのに決まっているからな、と考えていたのだ。


 そんなおれを強いて「自分と一緒に苦痛の世界に行こう!」なんて誘うのは、ある意味で「一緒に拷問を受けに行こう!」みたいなもんなのではないか、というように友達が思ったとしてもそれは仕方のないことなのだった。


 だが。


「まあ、いいよ、別に、生まれるのなんて、たぶん、そんなに複雑な理由はないよ」と言った。


 半分嘘で、半分本当のことを言った。友達は不安そうな表情をしていたので、心の中で大丈夫だぜと言って慰めた。そんなに不安そうな顔をしなくてもいいのだぜ。


 それでおれたちは市役所に反出生届の取り下げ願いを提出しに向かったのだった。


 冬の空はすぐに暗くなってもうあたりは真っ暗で、外灯の青い光だけがぽつぽつと灯って幻想的だった。その向こうに未生界の市役所の窓の明かりが真っ暗な中にぽつんと光って見えていた。


 歩きながら友達は、


「生まれたら、きみのことを探しに行くよ」って言った。そんな、おまえ、クサいこと言うなよと思いながら、そんなことできるわけないだろうと思いながら、でもおれはそんな言葉にも感動してしまって、こいつのことはやっぱり友達だったなあ思ってしまった。


「約束しろよ」って返した。ああそれも大変クサい発言ですね。でも仕方がないのです。


 おれはこいつについていって、それでこいつと一緒に知らない新しい世界のどこかに生まれて、もちろん友達にはなれたりはしないだろうけれども、でも同じ世界のどこかにはこいつがいるんだと思いながら、生まれる前に「一緒に生まれようね」って言いあったこいつがこの世界のどこかにはいるはずだって思いながら生きていこうと思ったのだった。


 どちらともなしにおれたちは走り出した。市役所に向かって、おれたちがまた生まれるために、苦汁を飲んだり生まれないほうがよかったなあって後悔するために、人に恋をしたり好きになったり別れたり悲しんだり唇がなくなってしまうぐらい噛み締めたり、血のおしっこをしてしまったり病気になったり死んでしまって悲しんだり。


 でももしかしたら、生まれてきてよかったよって、もう一度思うために。

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