暗殺貴族お抱えの掃除屋です! —依頼で当主の心を掃除したら、とんでもない執着を向けられていることに気がづきました—
拝啓。天国のお父様、お母様。
魔術学院では落ちこぼれの私でしたが。
現在は、ブラックベル伯爵家お抱えの、
”お掃除屋さん”として働いています。
△
黒い袋が3つ。リタの足元に投げられる。
大きさはバラバラ。縦長で、そこそこの質量がある。
「コイツら今回の分。いつも通りよろしく〜」
「わかりました!」
「元気だね〜……」
ピンクゴールドの髪の男、ヨークは返事をよそにタバコに火をつけてひと吸いした。
片耳それぞれに10個前後のピアス。派手な柄物のシャツの上に暗い色のジャケット。口元から漂う気怠げな白い煙がセクシーだった。
「んーと、」と呟くリタの片手には、業務用のハサミ。
ジョキジョキと躊躇なく上から切り裂く。
動きに迷いはなく、手慣れていた。
「わぁ」
濁った茶色い目と目が合う。
背中で縛られた両の手。正常な位置から90度以上曲がった顔。
こめかみにピンポンボールほどの穴の空いた頭から流れた血は固まっている。
小さくヒッと高い声があがればタバコのつまみになるのだが、仏さんと向かい合っている女は通常運転だ。
リタに聞いても「今日は比較的キレイだな、と思いました。」というガキの書く読書感想文以下の言葉しか返ってこない。
「目はどうしますか?」
「いらねー」
「はーい」
聞き分けのいい返事だ。
この場にそぐわない丸っこい声は、初めて仕事を任せた時から変わらない。
新鮮な死体に手をかざすちっこいブルーブラックの背中に「変わらなぇなァ」とヨークは感慨深げに目を細める。
きっと田舎に帰ったときに会う、いまだ垢抜けない幼馴染の姿のように眩しい。
しかし彼は生憎と変態好事家の元で育ったので、スラム以外の人間関係がどんなものかを知らないが。名前も犬種から勝手につけられた。
ちなみにスラムでは殺す・騙す・犯すの実質3択である。あるのは受動か能動かの違いぐらいだ。
「リタちゃんこの仕事ついてどんぐらい?」
「今月で23ヶ月目です」
「細か。もうすぐ2年ね。そんなに経つか〜」
「はじめは不安もあったんですけど、」
「うん」
「ヨークさんみたいに頼もしい人達がたくさんいるし、それにご当主のアッシュ様も優しいですし……私、とっても良い場所で働けてるなって!」
「うーん、いい子。はい。じゃあそのお手て拭こうね〜」
振り向いたリタに素晴らしく良い笑顔を向けられたヨークは唸る。
企業紹介用のパンフレットに載せる写真なら即採用の、花が綻ぶような、満面の笑み。
キャッチフレーズは「笑顔の絶えない職場です!」あたりだろうか。
人の命なら容易に絶えているが、世間のはみ出し者にとっては笑顔あふれる職場である。
「今日はどれが必要ですか?」
「腎臓」
「じんぞう……」
やれこの女が良い意味でも悪い意味でも周りから構われる理由がわかる。
朗らかな笑顔とは反対に、快楽殺人者のように血がベットリとついた指先。
深海のような色をした目は「お仕事頑張ってます!」と言いたげに真剣そのものだ。
そりゃあもうキレイに取るもんだから、下手に善良な医者を拉致ったり、闇医者を抱えるよりもラクなのだ。「ヤツらは足元をみてくる、まぁそん時にゃ頭に一発鉛の玉をブチ込めばいい」とはヨーク弾だ。
2人の視線は黒い袋に向けられる。
数分前までの死体はすでになく、黒い袋をベッドにした血の海に人間三人分の臓器が置かれていた。
「あー、これ。これにしよう。一番塩分気にしてなさそう」
「真ん中ですね」
「それ以外は消していいよ」
タバコの火を足で押しつぶす。「はい!」という明るい声が薄暗い部屋に響いた。
「そういえば、なんで全部回収しないんですか?」
「需要と供給。金あるヤツは追い込まれれば札束を積むしかない。あとずっと保管できる物でもないから管理が面倒。その都度借金やら薬やら極悪人から逃げ回ってる小悪党から回収したほうが費用はかかんない。鮮度もいいし。死んだヤツもスクラップにされるより慈善活動に使われるとイイ地獄に行けるかもしれないし、ウィンウィンって感じ」
「言い慣れてますね」
「新人が大体1ヶ月ぐらい働いた時に、この手の類の質問をされるからね〜。むしろ聞かれたことに驚き」
「あ、」
「いいよ〜別に。興味ないか、誰かから聞いたんだろうな〜って思ってたし」
興味がない、というよりは目の前の仕事にいっぱいいっぱいで考える隙間がなかった。
良くも悪くも愚直な女である。
「ん。袋まとめた?」
「はい」
「じゃ行こーか」
ヨークの後ろを小さな歩幅で慎重にトテトテと歩く。
その腕には臓器の入った袋が抱かれていれる。
「もう一つ質問いいですか」
「今日は勉強ねっしーん。いいよ〜どうせ暇だし」
「臓器って繊細ですよね」
「そーね。腹かっ捌けばそこら中にあるクセに」
「適合する人?ってどうやって見つけてるんですか」
「お。いい質問」
忘れてた、とでも言いたげにヨークは「ん、」と腕を差し出した。その手に黒い袋を渡す。
リタは内臓の入った袋を大事そうに持つので歩きが遅くなってしまうのだ。
「金ないヤツとか人生詰んでるヤツって、最後にどこへ辿り着くと思う?」
「……。刑務所、とか」
「ハハ、そりゃあいい。ケツの保証はできねーけど3食昼寝付きだ。でも違う。ブラックリストに行き着いちまうんだよ」
「ブラックリスト?」
「そ。金貸し屋にもある。要は返済能力がないヤツの烙印」
扉を開ける。冷たい夜の風が頬を撫でた。
外には既に馬車が待機していた。御者はハットを被っているが、こめかみから反対の唇の端まで傷のある男だった。
「どん底ってさ、底がねーんだよ」
「?」
「売れる身内も、金も、身分も、権力もないやつは最終的に自分をかける。それしか方法がないから。ゴロゴロいるさ。ま、そういうブラックリストがこっちの世界にもあるってこと」
ヨークは壁を軽く叩く。馬車が動き出した。
「ブラックリストに名前がのる時、ドナーとしても分類をする。それ専用に特化した魔法スキル持ってるヤツがうちにいるしな。他にも色々するけど。今回のは珍しいけど典型的な依頼」
「珍しい割に月一でありますよねー……」
「需要が高くて何より」
沈黙のち数秒後。
アハハ、と渇いたものを飲み込むように2人は笑った。
リタは「そういえばそういう場所だった」と思ったし、ヨークは「そういやこの子、最初は騙されてココ入ったんだった」と思い返した。
小窓から外を眺める。
霧が立ち込めた街並みの中で、街灯が怪しく光っていた。
「あ、」
と何かを思い出したようにヨークが呟く。
目の前にいるリタを横目と見れば、こてん、と可愛らしく小首を傾げた。
「そういえば、」と続けて咳払いをする。
「アッシュさんが今回の件終わったら来いってさ」
「?はい。わかりました」
「心当たりは?」
「え、」
「何やらかしたの」
「……。もしかしてクビ、とかですか」
リタはあれこれと考えたのちビクビクと答えた。
やらかした覚えがなかった。いや、しかし。どこかでやらかしたら可能性も捨てきれない。新人の仕事だろうか、それとも。
どんどん青ざめていく。
その様子を見てヨークは慌てて明るく返す。
「いやいや、覚えがないなら気にしないで〜ほら最近あの人に呼ばれること増えたじゃん? なんかあんのかなーって」
「あぁ〜!その件ですね」
「知ってんのね。ちなみに何してんの」
「うーんと。アッシュ様から直接の依頼で、」
「ストーップ。ストップ。うん。それ以上は言わなくていいや」
直接の依頼。
これほど聞いていい物か悩むべきものかはない。
ヨークは「あー」だとか「うー」だとかぼやいたあと、「ま、いいか」と頷いた。
「ちょうどいいから最近見てる新人の報告と、今回の任務完了について伝えといて」
「わかりました」
「他の連中と一緒に新人くんの指導したって聞いたけど、どうだった?」
「ソリュくんは覚えがよくて、ガレンさんは丁寧です。あと何回かお仕事を一緒にすれば外でもできると思います!」
「了解。メモ程度でいいから書き置き残しといて」
「はーい。あ、着いたみたいですね」
馬車がブラックベル邸の正面玄関へ止まる。
濃い霧の先は5歩進んだ場所も見えない。今夜は特に酷かった。
「ではまた今度 」
「……悪いコだね〜うっかり死ねない。次に会えたらキスしてあげよう」
「ふふ。楽しみにしています」
あっさりと返されてヨークはむっとしたがらも扉を閉じ、馬車を出発させた。
邸宅内は広い。従業員用の建物も敷地内にある。
進み出した馬車は霧の中へフッと消えた。
「お帰りなさい、リタ」
ハリのある落ち着いた声。
正面玄関が開く。執事の格好が堂に入った男が現れた。白い手袋の上で蝋燭が霧の中を照らす。
「ヘンリーさん! ただいま戻りました」
リタのパッと明るい笑顔に、ヘンリーは目尻に皺を寄せて微笑んだ。
屋敷の中は外の霧を感じさせない明るさだった。
「荷物はそのままで構いません。アッシュ様が執務室に来るように、と」
「?珍しく急ですね」
格式高い肖像画が並ぶ壁、輝くシャンデリア。
だが、その美しさの裏には隠し扉や仕掛けが潜んでいる。柱には鋭利な武器が擦れたような痕跡が残り、通路の奥には目立たぬ扉がある。
床の軋み音すら計算された静けさを持ち、空気には鉄の香りが微かに混じる。
飾られた装飾品の中には、手に取れば即座に武器となるものもあった。
「えぇ。……どうやら最近は寝つきがよくないらしく」
「そうでしたか」
「あなたも戻ってきたことですし、当分は大丈夫でしょう」
そう言ってヘンリーは執務室の扉をノックした。「アッシュ様、リタが戻りました」という声が分厚い扉に反射し、静かな廊下に響く。
リタは耳を澄ます。最近はこの間が少しは慣れてきたものの、それでも緊張が走る。呼吸を整えながら、扉の向こうからの返答を待った。
数秒後、「入れ」という低く、よく響く声が聞こえてくる。
ヘンリーが扉を開き、丁寧に一礼して「失礼します」と言い、すぐに部屋を後にした。
リタは軽く息を整え、一礼してから静かに部屋へと足を踏み入れる。
厚い扉が閉まる音が背後に響くと、空気がさらに重く感じられた。
「帰ってきたか」
低く落ち着いた声が響く。
執務机の向こうに座る男が、彼女を見据えていた。
「はい。ただいま戻りました」
リタは入ってすぐの場所で背筋を正し、言葉を返す。
部屋の主はわずかに顎を引きながら目線で机の前まで来るように促している。
リタは静かに歩を進めた。
「先に報告を聞こう」
男の髪は灰色で、目は紫がかった黒。
短く整えられた髪は、光を受けるたびにわずかに紫の艶を帯び、闇に溶け込むような深みを見せた。
目の色は、まるで底知れぬ夜の闇に潜む紫黒。澄んでいるのに、どこか冷たく、深く、計り知れないものを感じさせる。
その瞳が僅かに細められるだけで、背筋に冷たいものが走るほどの圧を生んだ。
顔立ちは端正でありながら、どこか人ならざる雰囲気を漂わせている。頬はすっきりと引き締まり、鋭い顎のラインは彼の意志の強さを物語る。肌は雪のように白く、どこか儚げな美しさを持っていたが、それを打ち消すかのように、口元の笑みはなく閉じられている。
暗殺を生業とする者特有の静けさと、貴族としての優雅さが同居するその姿は、まるで夜の帳に溶け込む影のようだった。
リタは、思わず唾を飲み込んだ。
「今夜あった任務は無事成功しました」
「新人は」
「訓練を続ければ外で働いても問題のない素質があります」
「何回だ」
「あと3回ほどだと思います」
「そうか」
会話が終わる。
いつものことなのでリタは気にせず「アッシュ様」と話を切り出した。
よくよく顔を見ればうっすらと目の下にクマがある。また無茶をしたな。表情筋が動かない分、変化がわかりやすい。
「すぐに始めますね」
「頼む」
「何度でも申し上げますが、私のはあくまで対処療法です。適切な医療が必要かと」
「……前の依頼についてはもう治った。だが今回のは違う。医者にはすでに見てもらっている」
リタは目をまんまると開いた。
初めて依頼をされたのが約3ヶ月前。「悪夢の原因となる”記憶”を取り除いてほしい」というものだった。
蘇る記憶は簡単には消えないので、定期的に行なっていた。
「治ってよかったです!」
治ったことは喜ばしいことだ。そして医者に相談していたという進歩にも驚いていた。
例え銃口を向けれらても、爆薬を身体中に巻きつけられても自身の弱みを晒さない人だと思っていたから。
実際に初めてリタに依頼した時なんて、「口外するな。書き残すな。伝えるな」や「バレないように徹底しろ」や「目を抉る。爪を剥ぐ。最後に口を縫い付けてやる」といった具合に脅された。
手負いの獣の最後の悪あがきのように。
しかしそれでもめげずに彼の依頼をこなしたのは、彼自身がその時、拷問された直後のようにぐったりとしていたからだ。
「それで今回のことについて主治医はなんと?」
「……、……われた」
「はい?」
珍しく歯切れの悪い。
アッシュは自身でもわからない痛みを抱えているかのように、胸を押さえた。
「リタを使え、と言われた」
「私に?」
「匙を投げられたんだ」
「あの人が? もしかして深刻な……」
「いや。むしろ笑われた」
頭に浮かぶのは、鮮やかな緑葉の色をした長髪の年齢不詳の若い男。
モノクルの紐で結んだ髪と、白衣だけであれほど胡散臭くなる人間はいまい。それでいて目も良く、腕も良く、薬も作れるのだから厄介だ。
彼は医者である前に、いわゆるマッドサイエンティストらしく、ブラックベル伯爵家とは持ちつ持たれつの関係らしい。よく「これ以上の職場はない!」と喜色満面の恍惚とした表情で喚いている。片手にノコギリ、もう片手に注射器を携えている。
常に横に侍らせているナースは黒レースのニーハイにガーターベルトというセクシーお姉さんである。
「病名は聞いたが、まぁもういい。とりあえず、この痛みを取り除いてほしい」
「名のある病なのですか!?」
「気にするな。死んだり寝込んだりするものではない。治療法も聞いている。これはその一環だ」
リタは「治療法がある」と聞いてホッと胸を撫で下ろした。
「始めてくれ」
疲れたようなため息が艶っぽく響く。
背もたれに寄りかかるアッシュは厭世的な目で空を眺めていた。
リタは一度頷いたあと「わかりました」と言って、自身の左手をアッシュの心臓にかざし、右手を頭に添えた。
「大きく3回、深呼吸をしてください」
リタの能力は、正確には『抽出』だ。
任意のモノを取り出すことができる。
しかし手で認知し触れることのできるものだけだ。
魔法学院にいた頃、彼女は自身の能力はせいぜいお掃除程度の、ゴミを吸い取ってまとめたり、取り除いたりする風魔法に近いものだと考えていた。
しかしアッシュに出会い、自身の魔法について考え直すきっかけとなったのだ。
彼は興味がなさそうに、だが力強く「抽出。それが本来の力だ。」と淡々と伝えた。そこから鍛えられたのが始まりだった。
「見えぬものを暴き、混じるものを分かち、今、純なる一滴へと還れ——抽出!」
能力——ユニークスキルと呼ばれる魔法がある。
意図的に発芽させた者や、いつの間にか手に入っていた者、遺伝的に生来持っている者など様々だ。一度手に入れると一生変わることはない、諸刃の剣。
リタはいつの間にかユニークスキルを持っていた者であると同時に、凡庸なスキルゆえに落ちこぼれ判定された生徒でもあった。
条件の伴う、例えば儀式や手順を踏んだユニークスキルは時に、神にも到達しうる力を持つ。
しかしリタの持つユニークスキルはシンプルなものだ。単一的な力が弱い。
そこに目をつけたのがアッシュである。彼はリタを鍛える時によく『スキルと自身の価値観の”解釈”を広げろ』と言った。
「抽出したい記憶や感情を思い浮かべてください」
「ん」
「もう少し、前へ」
「小瓶に」
「わかりました」
記憶と感情はリンクしている。
浮かした右手の手のひらに、黒くドロドロとしたものが塒を巻く。
リタのために用意された記憶のカケラを触ったあの時から、彼女は生き物の記憶や感情も”抽出”できることを学んだのだ。
その記憶のカケラを用意したのもアッシュだった。
思えば彼は、言葉数が少なく秘密主義なところがあるが、こと仕事や魔法に関してはとことん真摯だった。
当時、隣で実験の様子を見ていた緑髪の医者は「これだから素直なヤツは嫌いなんだ」と偏屈そうにブツブツと言っていた。
彼はセクシーお姉さん以外の女が苦手なのである。
「……終わりました」
手のひらに浮いていたものを、キラキラと光る小瓶へと移す。
夜空みたい、と表現できればよかったのだが、どちらかというと煮詰めすぎた砂糖水のようなものだった。
アッシュは思考回路の訓練を行っているため、感情や記憶の表面化が上手い。だからこそ短期間で終わる。
こういった訓練はブラックベル家だけなのか、貴族の全員が対象なのかはわからないが。
「違和感はありますか?」
「ないな」
「気分はどうですか?」
「いつも以上にクリアだ。体は気だるいが、頭はハッキリしている」
「よかったです」
最終確認をして、リタは小瓶をアッシュに渡そうとした。
しかし手で「まて」と制される。
「リタが持っていてくれ」
「私が? もしかして……これも治療の?」
「一環だ。話が早くて助かる」
「そういうことでしたら」
「金庫をやろう。今後も君が管理してくれ」
「構いませんが……」
本当に大丈夫だろうか、とリタは小首を傾げる。
これまで小瓶に保管してきた記憶や感情は全てアッシュ自身で管理している。
そのまま廃棄したのか、いまだに保管しているのかは謎だ。
誰にでも、覗かれたくない過去は存在する。
アッシュ・ブラックベル——裏社会の不文律。闇の貴族。屍の王。
暗殺を生業とする彼は、この国の、必要悪だと人々は言う。
「——期待している」
ピシャーンッと雷が落ちたようにリタは直立不動で固まった。
嬉しさ半分、怖さ半分、といったところか。
だがリタにとって、そんな自身の感情はどうでもよく。「信用されている!」と初めて仕事を任された牧羊犬のようにはしゃいでいた。
ここまで長かった。
落ちこぼれ生徒として卒業した後、職を手にしたと思えば周りには怖い男・酷い男・ヤバい男の三柱しかおらず、先輩であるヨーク曰く「クズ男の見本市」と言わしめられた場所。
『お前がリタ・プリツィーエか』
『え、……はっ、はい?』
『臓器だけを、闇医者も羨むほど綺麗に抜き取れるか?』
そんな組織のボスはどんな男かと戦々恐々としていたあの頃が懐かしい。
いや。今思い返してもとんでもない初会話である。
だがしかし、リタから見た当主であるアッシュは冷静沈着で比較的マトモであった。
「ありがとうございます!」
「何かあればまた呼ぶ」
「はい! 良い夜を」
元気よく返事をし「失礼します!」と言ってエマは部屋から嬉しそうに飛び出した。
その後ろ姿にアッシュは思わず、というようにフッと笑う。
「……良い夜を」
真っ白な雪景色をそっと嬲るような呟きは薄暗い部屋に消えていった。
△
転機が訪れたのは小瓶が30個ほど、金庫に並んだ頃だろうか。
「これでよし、と」
コトン、と金庫の中に花の装飾がされたシルバーの小瓶が並ぶ。
リタは嬉しそうに頷いた。
その日はとても良い日だった。
非戦闘員の人たちに誘われてお酒を飲んで、話に花を咲かせた。
お酒もごはんも美味しくて、星空は満天。ちょうど流れ星も見えた。
『あれ? でも女の人って時々入ってきますよね? 多い時は10人以上いたような』
『仕事はできるんよ、仕事は。なんならそこら辺の野郎より上手い女もいた』
『うんうん。問題はコレ』
そう言って誰かが親指をぴこぴこと動かす。
『やれ誰と寝ただの、やれあの男はこの女は自分のだの。惚れた腫れたのお祭り騒ぎ。あ、もちろん水面下でね。まっ従業員同氏の殺し合いは制限してるけど、恋とか愛とかの前に立ちはだかる障害ほど脆いものはないからね』
『至るとこで死体がプカプカ』
『なまじずっと男世帯に急に女を大量に放り込むからいけねぇ。男に耐性のある女とか身が固そうな女ばっかの印象だったけど、なーんでかなぁ、そういう女ほどココに来ると急に免疫ガタ落ちするんだよな』
リタ以外全員男だったが、彼らも彼らである意味ロクデナシで、知らない世界を眺めている感覚。
背伸びをして、ハイヒールに指先を入れる高揚に似ていた。
『今度合コンしよ。合コン』
『ふふん。フツーの職場ならこうはならないけど、ココにいる男はすぐに浮気するし不倫するし、三股するし、それでいて開き直るし、殴るし蹴るし、顔面にタバコの火を押し付けてくるようなヤツばっか。破綻してる。借金を女に押し付けるし、気持ちよくなかったらポイッ。魔法で観賞魚に変えて部屋で飼い殺しにしてたヤツもいた』
『最後のはキショいな』
『クズ野郎オークションしようぜ。変態さんが釣れる』
『だから気をつけなね、リタちゃーん。使用人に女の子いるけど、従業員にはいねーから』
『はいっ!
『いいお返事〜』
何より、彼らの会話は刺激的だ。
下品と低俗をちょうどいい塩梅でかき消すテンポ感。
グロテスクな話も慣れた者だった。
「おいしかったなぁ」
あの日を境にリタは依頼を受け小瓶にアッシュの記憶や感情を詰め込んだ。
そして終わったあとは「持っておけ」と小瓶を渡させる。
特別報酬としてお給料が増える。でもそれ以上に小瓶を渡されることが嬉しかった。
「ふふふ」
ベットに寝そべりながら、ちっちゃな金庫に入った小瓶を眺める。
最近のお気に入りだ。
扉を閉め、ダイアルをもとに戻し、花がモチーフの鍵をゆっくりと閉める。
「……」
——ちょっと、見てみたいなぁ。
「……ぁ、だめだめだめ!」
ブンブンと思い切り頭を横に振る。なんてことを考えているのだろう。
最初は気味が悪かったが、黒い液体はよく見れば蜂蜜みたいにトロトロとしていて、いつだって甘そうだ。
一口舐めてみたい。
そうすれば記憶や感情も見れるし、なにより甘そうだしお得——
「違う。見ちゃだめ」
でも見るな、とも言われていないよね。
「うぅ」
ふかふかの枕に顔を埋める。
ぼんやりとした頭とは対照的に、指先は手際よく金庫を開けていく。
「……わるいこ、か。ふふ……は、……ぅ」
そうだ。
ストッパーとなる理性を壊し、「秘密なんて覗かれるためにあるようなもの」なんて悪い男たちの甘言に乗るために酒を煽った。
自分がどうしたいか、なんて自分が一番知っている。
『——いい子だね。』
この言葉を聞くたびに、魔法学院のことを思い出す。
落ちこぼれだと笑われた、あの頃。
魔法の才能は時に暴力的だ。努力を重ねて”誰か”になろうとしていた。
善良で、凡庸。いや、それ以下の。笑顔が取り柄の、優しい子。
「いい子にしてたのに。……結局、なにもなかったなぁ」
悪い子だと。
そう言われて、どれほど救われただろう。
一つ、金庫から緩慢な動作で取り出す。どれでもよかった。
寝転がりながら、天井を見上げる。
揺れるシルバーの装飾が、微かな光を受けて控えめにきらめいた。
「……うん」
独り言のように小さく呟きながら、小瓶の蓋に指を添える。
キュポッ。
静寂を破る軽い音が、密やかに室内に響いた。
「……」
一滴だけ。人差し指の腹にちょこんとのる、それだけ。
黒い液体は艶やかで、ぷっくりとした丸みを帯びていた。
滴ることもなく、表面張力を保ったまま、まるでそこに留まり続ける意志を持っているかのようだった。
「ん……」
ギュッと目をつぶる。
ためらいを振り払うように、一気に指を口の中へ。
パクッ。
アルコールで熱くなった舌に、冷たく絡みつく感触。
喉の奥へ落ちていく、それはまるで闇を飲み込むような感覚だった。
「——!」
パッパッパッ、と。
一瞬一瞬を切り取ったようなに、映像が次々と変わる。
目を閉じているのに、瞼の裏側に写真が勝手に浮かび上がり、数秒後には消えていく。
『アッシュ様!』
『こちら今回の——』
『……そんなこと言わないでください』
『えーっと、アッシュ様?』
『ありがとうございます!』
『これは……そのぉ、』
これは全て——私だ。
耳にかかる髪。小走りの後ろ姿。紙を摘む指先。
パッとした明るい笑顔。真剣な横顔。拗ねた頬。書類を持って傾げる表情。
へにゃっとした、嬉しそうな綻び。逸らされる目線。朱のさす目尻。
シャンと伸びた背中から、顔の細かいパーツまで。
——愛おしい。
思わず、バッと目を見開く。
上半身はすでに起き上がっていた。
「……こ、れ」
口が開いては閉じる。その繰り返し。
手のひらにおさまる小瓶は何も言わない。ラベルにはNo.3と書いてあり、最初の頃のものだとわかる。
顔に熱が集まるような。
背中に氷を入れられたような。
一個に手をかけてしまえば、あとはもう簡単だった。
寄せては帰っていく波のように、番号の若い小瓶から口へと自然にちっさく含んでいく。
全てが記憶を切り取ったかのように鮮明で。アッシュの声で聞こえてくる、おそらく彼の感情のようなものも、取り止めがない。
「ぁ……」
だが決して。
穏やかな感情ではない。
それだけがわかった。
健気だ。可愛い。愛おしい。
ずっと。ずっと一緒にいたい。君以外、考えられない。
隠せるかな。あぁ、どうしてやろう。秘密だ。
誰も見るな、口を塞ごう。華奢な肩、首、頸。歯形をつけたい。
……——愛してる。
ドクドク、と規則的な心臓の音が痛い。
耳のすぐそば。鼓膜の横で囁く言葉。
痺れたみたいに首を通って、背中にゾクゾクとしたものが駆け巡る。
いっそ。触れられたのなら——
その刹那。
リタは突然、背後に走る冷たい殺気に気づいた。
寝台に横たわっていた身体が無意識に強張る。
次の瞬間、鋭い風を切る音とともに、何かが枕元に突き立った。
白いシーツの上に深くめり込んだのは、黒光りする短剣。その刃先が微かに震えている。
瞬間的に跳ね起きると、薄暗い部屋の中に複数の気配を感じた。
影が動く。リタの目が慣れる前に、一人が素早く距離を詰めてくる。
「……ッ!」
反射的に身を捻る。しかし腕が捕らえられ、力強く引き寄せられた。
「おとなしくしろ」
低く押し殺した声。腕を捻り上げられ、痛みが走る。
足元を払われ、バランスを崩した。だが、床に叩きつけられる前に、別の腕が腰を抱えるように支えた。
「……!? っ、離して……!」
リタは歯を食いしばり、体を捩った。誘拐か、あるいは——暗殺。
どちらにしても、尋常ではない。だが、彼らの動きは妙に手慣れていた。
まるで、こちらを生かしたまま連れ去ることが目的のように。
「黙ってついてこい」
襲撃者の一人が短く命じた。だが、その瞬間——
「なーに、をしている。の?」
高く、冷たい声が響いた。
その声を聞いた瞬間、リタは理解した。見回りだ。
「ここボスの縄張り。ボク感知した。生体反応」
「……っ、クソッ、ユニークスキルか!」
「安心して。ボスには報告済み。キミたちよかったね、ボクで。安心して身を任せていいよ。死体蒐集家の従業員には渡らないようにするね。じゃなきゃ家族とか親友にも見せたことのない穴という穴に、っていいか」
ここは暗殺貴族ブラックベルの屋敷。
従業員とはいえ、その住居区画で襲撃など、誰かに気づかれないはずがない。
「だからあれほど調べておけと……!」
「何百人といる使用人やら従業員やらを調べろってか!?」
「そっか。そっか。何名様かいらっしゃっていらっしゃる。正面玄関からではなく、乙女の窓を蹴破って。そっか。喚く。素人。ど素人。裏社会の不文律。悪の貴族の館へようこそ」
暗闇から現れたのは、見回りをしていた眼帯の男。
彼は毎夜、幽霊のように彷徨う。
腰に佩いた短剣を抜くよりも早く、彼は鋭く足を踏み込み、一撃で襲撃者の顎を撃ち抜いた。
「ぐっ……!」
「あれ。下手になっちゃった。かも」
男は声を上げる間もなく崩れ落ちる。
「……!」
襲撃者たちは即座に反撃しようとした。しかし、それを許すほど甘くはない。
彼は銃を正確な位置に置き、次々と襲撃者たちを捌き、撃ち抜いた。
数秒も経たないうちにピクピクと、まだ暖かい死体が転がる。
「はい。撤収」
見回りの男が口笛を吹くと同時。廊下の先から数人の影が現れ、瞬く間に死体を取り囲んだ。
「掃除屋。キミも手伝って」
「は、はい。すみませ、」
「キミは。非戦闘要員。だからボクがいる。キミも一般人よりは動けるけど。領域が違う。戦闘要員の区画だったらボク来てない。あいつら嬲るの好きだし。死体でオブジェ作るし。しゃぶらせるし。キモいし。キショい」
「……。ありがとうございます」
苦しそうな声でお礼を言う。後半の部分は反論しようとも思わない。ただの事実である。
「生きてるやつ探して。吐かす」
短く指示が飛ぶ。
リタは息を詰めたまま、荒い呼吸を整えた。
襲撃者たちは短時間のうちに制圧され、倒れ伏している。助かったのだ。
「眠れそう?」
見回りの男が声をかける。
リタは無言で頷いた。
いつの夜だって血生臭い死体を見ようが、ぐっすりだ。
だが、ベットの上に散らばる小瓶を眺める。
さっきは嘘をついた。
今日は眠れるだろうか、と素直な感想が頭の中で横滑りをした、その時だった。
「久方ぶりに……騒がしいな」
今度こそ、全身が凍りつくのを感じた。
ゆっくりと扉が開かれる。
そこに立っていたのは、深い夜をそのまま纏ったような男。
ブラックベル伯爵家当主、アッシュ・ブラックベル。
「……説明しろ」
見回りの男は即座にアッシュに爪先を向け、状況を報告し始めた。その間も、リタの視線は彼の顔から離れない。
——さっき、私は彼の記憶を覗いてしまった。
リタの喉が、ごくりと鳴る。
「お前たちは下がれ。あとで報告を聞く」
「んー。了解です。帰るよー」
見回りの男が気だるげに答えた。
死体を片付けていた者たちが命令に従い、部屋から退出していく。
扉が閉じられ、静寂が戻った。
「——リタ」
静かに呼ばれた名。
リタはアッシュを見た。
彼の背後には、開かれた金庫。
そしてサイドテーブルにある、開け放たれた小瓶の蓋。
「……何か、言い残すことは?」
低く、押し殺した声。
リタの指が、無意識に微かに震えた。
アッシュの記憶。彼の感情。
それらを知ってしまった以上——
「いや……。まってください」
リタは手のひらをビシッとアッシュの前に出した。
「?」
「アッシュ様は私が好き」
一か八かの賭けのようなものだ。だが。
「そうだが」
恥ずかしいそうな様子もなく、アッシュは頷く。
こてん、と傾く顔は無防備な顔で。
獲物を狙う捕食者のように鋭い目だけがアンバランスだった。
「なぜ殺す流れに?」
「殺しはしないが?」
「……へ?」
そんな殺人者みたいな目をしていて? と言いそうになる口を閉じる。いや、暗殺を生業とする貴族なんだけども。
「逃げないのか」
数秒間、言葉を探した。
彼は言葉数が少ない。「何か言い残すことはあるか。」その問いの意味を、やっと咀嚼し始めた。
「もし逃げたら……?」
「聞きたいか」
「できれば」
「追いかける。リタはすぐに捕まって……いや、非戦闘員だから逃げるスキルと避けるスキルを磨いたのか。なら少し時間がかかりそうだ。捕まえたら、そうだな。まずは……」
「まずは?」
「足の腱を切る」
「まっっってくださいっ!」
判断が物騒。リタは足首があることを確認した。
この瞬間にも彼はすぐに、正確に、足の腱を切れる。
「そして君だけの、花の牢獄を作ろう」
「あの、聞いてます?」
「装飾は銀で、足枷は、まぁお気に入りの職人がいるからそいつに作らせよう。あとは適当なところに養子縁組をして妻にする。社交界には出なくていい。あんな汚物の吹き溜まりみたいな場所に、君は行かなくていい」
「いやそうじゃなくて、」
「外での仕事がなければずっと一緒にいられる。寝る前にあの小瓶を飲んでほしい。君がどんな顔をするのか見てみたい」
「すごい……。これがクズ男の見本市トップ」
リタの声をフル無視して、アッシュは微笑む。
この話を聞かない感じ、確かに正確に一癖も二癖もある暗殺者どもを束ねる長なだけある。むしろ隠そう……としていたのかはわからないがまだマシな部類だ。
「アッシュ様」
「なんだ」
考えろ。考えろ。考えろ。
こういうときに言い訳を瞬時に考えられるユニークスキルがほしい。
「……——私は、今のお仕事とアッシュ様が大好きです!」
「そうか。雇用主として嬉しい限りだ」
「もしけっ、結婚? したら伯爵家夫人になるんですよね?」
「あぁ」
大好き・結婚・夫人。
アッシュの顔に嬉しさが現れる。微かなもので、それも一瞬だ。
しかし効果は覿面のようで、アッシュは黙って次の言葉を促した。
「現在。貴族の夫は外で稼ぎ、妻は家の中を取り仕切る。貴族の常識です。しかし私は平民出身。理想の夫婦像、というのがあります」
「理想像……」
「はい! そうです。理想像。憧れ。長年考えてきた夢。叶えたい乙女心! そう。それは夫婦でバリバリ働くこと……」
力説。これに尽きる。
グッと力強くリタは胸の前で拳を握った。
「リタ・プリツィーエは共働きを提案します!」
渾身の声を張り上げた。
アッシュはその言葉にしばし沈黙した。
そして、微かに肩を震わせると、やがて吹き出すように笑い出した。
「ふ……ははっ……貴族の常識を覆すとは。実に君らしい」
「え、笑うとこですか!?」
「いや、面白い話だと思ってね。だが悪くない。夫婦で仕事をするのも、なかなか刺激的かもしれないな」
リタは初めて見るタイプの笑顔に思わず固まった。
しかし一難去ったと、ほっと息をついた。
そしてアッシュがくすくすと笑いながら、彼女の髪をそっと耳にかける。
「よし、共働き夫婦計画、乗ってやろう」
「はいっ!」
リタはぱちぱちと瞬きをし、それから、ゆっくりと笑顔になった。
——後に。その話を聞いたヨークは「イイ話かな??」と乾いた表情で笑ったという。
数年後——。
「アッシュ! 納期が迫ってますよ! 早く片付けたいので手を退けてください!」
「……分かっている」
「分かっているのなら、」
「君と離れたくない。リタ……」
「アッシュ……朝からずっと膝の上なんです! あの子も外から帰ってきます」
「……。そうだった」
そんなやりとりをしながらも、アッシュとリタの二人は笑い合い、楽しそうに過ごしていた。
共働き夫婦。平民出身の妻と、暗殺貴族の夫。
貴族の常識を覆した二人は、今日も仲良く(?)仕事に励んでいるのだった。
——ちなみに。
後に生まれた娘も、二人の馴れ初めを聞いて「イイ話なのかな??」と困惑したという。