白球を追わない夏の球児
北浦「こんにちは、これはスポーツをしない野球部の話だ」
滝本「私が北浦くんを誘う理由は考えるまでもないよね?」
7月も半ばを過ぎると、夏休みの話題でもちきりだ。クラス中の仲良しグループがあれこれと計画を立てている。
「俺は野球部の活動だけで終わるんだろうな」窓からグラウンドを眺めてそうつぶやく。うちの野球部はわりと活動熱心である。そのわりに結果がでない。学校創設から50年の歴史で高校野球は甲子園の土を踏むどころか地区予選を突破したことすらない。その時期がくると野球部以外の生徒たちは『今年は初戦コールド負けしなけりゃいいけど』と笑う始末だ。
「完全試合達成を経験したい投手はウチとの対戦を申し込むだろうな!」誰だ、わざわざ俺に聞こえるように言うやつは。
自分らの実力不足のせいとはいえ、笑い者にされるのはため息がでる。
「この夏さ、北浦くんはどこか行かないの?」後ろから声がした。「わかってるだろ、部活だよ」俺は後ろを向く。斜め後ろの席にいる女子、滝本の顔が視界に入った。彼女は少しあきれ顔をした。
「夏が終わった野球部なんて休んでも問題ないでしょ」全校生徒はすでに高校野球はとっくに予選敗退という結果がでているのを知っている。
「そうかもしれないが、アイツらとボール追うのも楽しいもんだ」
俺がそう語り始めると彼女はにっこり笑って話を続けた、スルーかい。
「私は家族でちょっと遠出するつもりなの。栃木にね、おじいちゃん家が……」
そこまで話したところで言葉を区切った。滝本は教室の前方を見た。つられるように俺もそっちを見る。いつの間にか担任教師が教壇に立っていた。クラス委員長が号令をかけると生徒たちが礼をする。
うちの担任は話が簡潔で短い。HRがすぐに終わる。今朝はクラス全員が出席、特に連絡事項などもない。ああ、今日も平凡な日になりそうだ。次の授業のために準備することもないので、俺は席でぼんやりしていた。
「それで北浦くん」滝本がさっきの話の続きを始めた。長くなりそうだから俺はイスを滝本の方に向ける。「確か夏休みに栃木の爺さんトコへ行くんだったか」
栃木か、イチゴの名産地だっけ? 小学生の頃に全国の都道府県の名前と場所を勉強して、どんな特徴があるのか学習する授業があったんだが覚えてねーな。
「そーなの、おじいちゃんはレジャー関連の会社を経営しててね、毎年夏休みは家族でそこに行くの。北浦くんは栃木に行く気はない? 旅行代理店の業務もやってるから」
「なんだよ、じいさんの会社の営業かよ」
「期待には応えるわよ。大手の規格化されたパッケージよりおじいちゃんの独創性あるアイデアは楽しめるはずだから」
「俺は部活があるし、それに爺さんがどんな人かもわかんねーからなあ」
「北浦くんなら大丈夫でしょ、おじいちゃんだって歓迎すると思うよ」
滝本とそんな会話をしていると、教室の前の入り口から女子が一人入ってきた。その女子は俺の姿を見ると、まっすぐこっちにやってきた。
彼女は俺の席の前に立つ。そして俺に向かってこう言ったのだ。あ、こいつは生徒会の1年だ。
「北浦くん、野球部のことなんだけどさ。今年の夏は活動休止になるかもよ?」
「え……部長からは何も聞いてないんだが?」
「生徒会会議で、夏休み中にグラウンドを地元の少年野球クラブに貸し出そうって決まったの。今日のお昼には野球部にも通達がいくよ」
「野球界の未来を担う少年たちのためか。どうしてうちの学校の部活を無視するのかは謎だが」
彼女はため息をつく。
「少年野球クラブの方が真面目にやってるでしょ」
彼女は教室を出て行った。
「部活動ができなくて残念だったね♪」滝本はにやけ顔だった。
「なんで野球部に一言も言わずに決まったんだ?」
「生徒会長に談判してみる?」
俺は首を横にふる。
「俺たちにそんな熱意はない、公園でキャッチボールだな」
「高校生男子集団が公園でキャッチボールしてるとか、子供のことも考えて」
そこへチャイムが鳴り、授業が始まる。夏休み前の授業なんて、もう消化試合みたいなもんだ。
学生食堂にて昼食を終えた後、スマホにメールがきた。部長から部員への一斉送信だ。
“生徒会の判断により、夏休みはグラウンドと部の備品を少年野球クラブに貸し出すから部活動はなし”
テキトーな連絡である。その程度の部活であるのは事実だが、生徒会から一方的に休止命令がだされると腹たつな。
「あらー正式に連絡がきたみたいね」
滝本が背後から俺のスマホを覗きこむ。
「おい、勝手に覗くなよ」
滝本は俺の隣に座る。
「ごめんごめん、今朝のことが気になってたからさ」
彼女は軽く謝って弁当を取り出す。その弁当は米が少なく野菜が多い。肉は脂身が少ない部位だ。いかにもスタイルを気にする女子の食事だ。滝本みたいな女子が自分のスタイルを気にするとは意外だ。だってこいつ、可愛いけど女を意識せずに付き合えるタイプだし。
「北浦くん、夏休みの予定は決め直さないとね。計画もなく怠惰に過ごすと夏休み明けに後悔するわよ。特にどこにも出かけずに家にこもってただけだと、友達と話すネタもなくてぼっち行きよ?」
「だからおめーの会社を利用して旅行でもしろってか? だいたい、金がないだろ。俺が両親に提案しても簡単には了承しないはずだ」
「ご新規さん向けの特別コースならお手頃よ、北浦くんひとりでも大丈夫。私の家族と一緒に旅行へ行くけど、一人増えても大差ないの」
「俺を試しているのか? 家族水入らずのところを邪魔するつもりはないぞ」
滝本は鼻で笑う。
「北浦くんてさ、もっと好奇心が激しいタイプだと思ってたんだけど。興味のストライクゾーンが広い人でしょ」
好奇心旺盛は長所にも短所になる性格だ。
「そうなんだよ、入部して半年間も投手か打者かすら決められなくて半端者さ」
俺の自嘲による不機嫌さにあきれたのか、滝本は苦笑いして弁当を食べ始める。俺は席を立ち教室に戻ることにした。
「君は何事にも食いつくじゃん。旅行して知らないものに触れれば得るモノは多いと思うんだけどな」
俺は後ろからそんなことを言われつつ歩く。
「栃木はイチゴだけじゃないよー」
この日の放課後は滝本のことを思い浮かべていた。野球部のことは全く考えなかったのは部活のことより彼女との旅行に意識が向いたから。野球部の部室にいるのに無関係なことを考えるのは珍しくないのだが。
「北浦くんいるー?」
そこへ滝本が登場、野球部とは何の縁もないのになんだ。
「あら? 備品の手入れをしてるのね」
グローブを磨いている俺を見ていう。滝本のことを考えていたので単に意味もなく拭いているだけになっているのだが。
「たまにはしないといけないだろ」
「え……たまになの? 毎日やるものじゃない?」滝本は大げさなぐらいにひいた。
「ま、この部室を見ればそれも当然かもね」滝本はあきれ顔だった。「掃除すらできない孤独おじさんの部屋みたい。汗と泥のシミと臭いもこびりついてるし、こんな部室でよく過ごせるわね」
「俺らの活動場所はグラウンドだからな、部室なんてただの物置だ」
「この部屋に女子は入れないほうがいいわね。部室をこんな惨状しておいて平気でいるような男の集まり、なんて噂されたら困るでしょ」
「そうかもしれないが、女子はみんなキレイ好きなのか?」
中学時代の俺は女子というのは細やかでお淑やかなものだと思っていたが、高校で滝本と出会ったらそれは単なる幻想だと気づいた。
「学校から与えられた部室なんだからちゃんと管理なさい」
こいつのことをガサツ女子だと思っていたが、小言のうるさいお節介女な一面もあるんだな。母親みたいだ。え! こいつに母性を感じる!?
「北浦くんて、野球以外のことに関心がないのね。さっき部長さんに北浦くんを誘いたいって相談したんだけど『やめておけ』だってさ」
「なんで!?」
「学校で活動できないだけで独自にやるんじゃないかなーって思ったから」
俺が聞きたいのはそこまでして誘いたい理由なのだが、黙っていると滝本は机に置かれていた雑誌を手にした。
「ふーん、野球以外にも関心はあるのね」
滝本が手にしているのは、巨乳のグラビアアイドルが表紙を飾っている雑誌だった。
「こんなに胸の大きい子、男子を興奮させるために成長したようなものよね」滝本の声は平静だ。男の欲情を単なる自然現象として受け止めているようだ。こいつ、自分はそういう対象にならないだろうとか思ってそう。
「グルメ特集餃子編? アイドルが餃子の食レポするのミスってない?」
餃子はニンニクとニラを使う。女子は臭いを気にするだろうな。
「そうでもないさ、男は気にせず食べれるだろう。男向けグルメ情報だからな」
「おじいちゃんは餃子に詳しいわよ」
滝本がそういった時、ガラッと豪快にドアが開いた。その主は部長だ。
「滝本っ! 俺を栃木に連れて行ってくれ! 本場の餃子を味わいたいんだ!」
「え? 私、北浦くんを誘いたいんだけど?」
「意欲のあるヤツを連れて行くべきだろう」
「大丈夫、北浦くんがお土産を買ってきてくれるから、冷凍でもそのままの味を再現できる新技術があるもの」
滝本「北浦くんって、流されるタイプだったのねー。だから好奇心旺盛というか、興味が分散してるんだろうけど」