8話 勲章授与式
「ではレベッカ、お前はより実戦向きな訓練を積める学校に私から推薦しておく。そこは約3ヶ月の短期集中型訓練だからフランよりも少し早く卒業することになる。あそこは短い期間で優秀な兵士を育てあげるため、かなりキツい訓練が待ってるぞ。もしそこを首席で卒業できたなら、フランと同じくお前を私の大隊に採用する。いいな?」
「おう!だけどその前に一度じいちゃんの家に行ってもいいか?家族に顔を見せなきゃ心配すると思うんだ。それに、軍に所属することも言わなきゃだし」
「構わない。訓練開始日には間に合わせろよ」
ジェシカさんとレベッカは今後の予定を決めている。ジェシカさんによると、明日はこの役所の広場で簡易的ではあるけれど皇帝からの勲章授与式があるらしい。そしてレベッカはその日の夜からダンケル市を離れることになる。私は試験が3週間後にあるのでしばらくここに留まり、勉学に励む。
つまり、レベッカとは離れ離れになるのだ。
「あ、忘れてた!フラン!下で私が獲ったサーロイン食べに行こうぜ!お腹ぺこぺこだろ?」
「……うん!ジェシカさんも一緒に行きませんか?クラーラさんも恋しがっていましたよ?」
「……はぁ、仕方ない。行かなかったら私の部屋に突撃してきそうだからな。だがその前にフランの志願書云々の資料を仕上げる必要がある。先に行け」
「わかりました」
私たちは部屋を出て、皆が待つ広場へと向かう。
(……レベッカとしばらく会えないのは寂しいけど、再会したときレベッカに心配されないようちゃんと力をつけなくちゃ。レベッカもきっと、同じことを考えてるだろうから)
私たちが歩む道はひどく険しい。だから今日だけは、全てを忘れて楽しもう。明日を生き抜く、活力を得るために。
▲▽▲▽▲
広場ではしゃぐだけはしゃいだ兵士たちは、皆テントの中で爆睡していた。私とレベッカはジェシカさんの計らいでさっき使っていた第2執務室の中で寝ることになった。
「あの、私たちだけがこんなしっかりした部屋で寝るのは何だか気が引けるのですが……」
「泥酔したバカ共と一緒に寝たいのか?」
「いえ……有り難く使わせて頂きます……」
「フラン!一緒に寝ようぜ!」
「同じソファで寝たら狭いだろ。お前はこっちのソファだ」
「ちぇ、まあフランも疲れてるだろうし、今日はゆっくり寝れるほうがいいか」
「レベッカ、まさか夜更かしするつもりだったの?」
「だってもうすぐフランと会えなくなるだろ?だから今のうちに話せること沢山話しときたいしさ!」
「うーん……あ、そうだ!だったら明日授与式が終わったあとレベッカの誕生日パーティーを開かない?豪華にはできないだろうけど、ケーキぐらいは買えると思うから。そこでいっぱいお話ししよう!」
「いいなそれ!にしても、今日色々ありすぎて明日が誕生日だってことすっかり忘れてたぜ。フラン、覚えててくれてありがとな!」
「うん!」
「そろそろ明かりを消すぞ」
ジェシカさんはそう言って部屋の電気を消す。私は軍服を着たままソファに仰向けになった。天井は木の板で作られていて、当然だが自分の家の部屋とは異なっている。
(お風呂にも入ってないし、着替えもしてない。パパとママと、森でキャンプをしたとき以来だなぁ……)
だが、軍人として生きていく以上、これが何日も続くことを覚悟しなくてはならない。雨風を凌げる場所で寝れていることだけでも、感謝しなくては。
私は身体を横に向けて目を瞑る。
少し頭がぼんやりとし始めてきた頃、部屋の扉が開く音が聞こえてきた。
(レベッカがトイレにでも行ったのかな?)
そう思いつつ目を閉じたままソファで横になっていると、頭にコツンと何かが当たる。目を開けると目の前に黒い棒のようなものが宙に浮いていた。
『おーい!起きて起きて〜!ねぇーってばー!』
それはあの黒い傘だった。可愛らしい女の子の声が聞こえてくる。傘は私の目の前でぴょんぴょんと跳ね回っている。
「なんだ、夢か」
『夢じゃないよー!』
「ぐふぅ!?」
もう一度目を瞑ろうとすると、傘は私のお腹にその先端を突き刺してきた。
「……は?……え?……は??」
『こんにちはフラン!私の名前は妖精!』
「リカバリー?」
『長いからリリィって呼んでね!』
「………レベ——
『あーダメダメ!他の人に知られちゃダメなのー!』
リリィは傘の持ち手で私の口を塞いだ。夢だと信じたいが、どうやら夢ではないらしい。喋る傘など聞いたことがないし、どうやって宙に浮いているのか全く見当がつかない。今日は非現実的なことが立て続けに起こったが、これが1番理解不能だ。
「あ、あなたは一体何者なの?」
『何者なのかと言われたら、傘だよとしか答えられないかなぁ。私もどうして傘として生まれたのかわからないの。私が知っていることは自分の名前と、貴女のそばにいなきゃいけないこと、あと絶対に私の存在を知られてはいけないこと』
「……パパに作られたの?」
『ううん。あの人は私を連れ出しただけ。コロン研究所からね』
(コロン研究所……ママの遺書にも書いてあった……)
『それより酷いよ!私のこと軍のテントに忘れてたでしょ!お陰で身体を解剖させられそうになったんだからね!』
怒っているのだろうか。リリィは傘をパカパカと開け閉めして抗議しているようだった。
「……ご、ごめん。軍の人たちが調査したいって言うから」
『調査なんてさせないし、できないよ。私は硬いからね!それじゃあフラン、これからよろしくね!私のことはなるべく他の人にバレないよう持ち運んでね!』
「は、はぁ……」
リリィはそう言うとバタンと床に落ちた。拾い上げてみても、ピクリとも動かない。さっきまでのやり取りは本当に現実で行われたものだったのだろうか。わからないが、とりあえず傘はジェシカさんが用意してくれた遠征用のケースの隣に置いておいた。
(……疲れているのかもしれない。早く寝てしまおう)
そう思い、私はソファに戻って再び目を瞑った。
▲▽▲▽▲
朝、少し早く目を覚ますと、まずあの傘を見に行った。傘はちゃんとケースの横に置いてあり、移動しているわけではない。安堵して皆を起こさないようにソファに戻ろうとすると、聞き覚えのある声が傘から聞こえてきた。
『おはよー!よく眠れた?』
「……夢じゃなかった」
『もう、そうだよ!夢じゃないよ!現実だよー!ところでここだとすごく見つかりやすいと思うんだけど。ケースの中に移動していいかな?』
「いいけど、狭いよ?」
私はケースを開ける。
『問題なし!うんしょ、よいしょ、よし!入った!どう?これならバレない?』
「大丈夫だと思うけど———
「フラン?もう起きたのか?」
背後から突然レベッカの声がした。私は慌ててケースを閉めて後ろに振り返る。
「なんか声が聞こえなかったか?」
「き、気のせいだよ!それよりレベッカ、おはよう!いい朝だね!」
「……そうだな!昨日はしゃいだお陰でよく眠れたし、今日だって誕生日パーティーがある!楽しみだせ!」
「その前に勲章授与式だ。お前たち、これに着替えろ」
先に起きていたジェシカさんが扉を開けて現れる。両手にはパリっとした制服が2着あった。
「あ、その制服!」
「お前たちが着ていたやつだ。今日は式典だからな。まだ軍人ではないお前たちにはこれを着て授与式に参加してもらう。授与式は朝の10時から始まる。それまでに準備をしておけ。あとフラン、これは昨日用意した試験に関する資料だ。お前が持っておく物と、学校側に送る物がある。確認しろ」
「あ、はい!」
私は資料を受け取り、学校側に送る方をまず確認した。
(……大丈夫そうかな。親から許可をもらう欄が空白だけど、仕方ないよね。今は、パパもママもいないから)
ペラペラとめくって確かめ、ジェシカさんに渡す。
「よし。それじゃあ早めに準備しとけよ」
ジェシカさんは制服を手渡すと急ぎ足で部屋から出ていった。私たちは受け取った制服に身を通し、鏡の前に立つ。
「私たちって、学生だったんだよね……」
「そうだな。何も知らない学生だった。……この制服だけは、大切に保管しておこうぜ」
「……うん。そうだね」
無垢だった私たちの象徴。
血塗られることのない私たちの思い出。
これから先、袖を通すのは制服ではなく、軍服になる。今日貰う救国勲章は、無垢だった私たちへの餞別として、制服の胸元に付けておこう。
国を救ったのは、無垢だった私たちである証として。
9時45分、勲章授与式が始まろうとしている。昨夜はどんちゃん騒ぎの場所だった広場は、テントが全て片付けられて、式典用の軍服に身を包んだ軍人たちが規則正しく並んでいる。
1番前の隊列にはクラーラとカールがいた。カールは顔色ひとつ変えずに直立しているが、クラーラは少し青ざめている。
「……クラーラ、大丈夫かい?」
「うぅ、二日酔いが酷くて……どうしよう、途中で吐いちゃったら……」
「その時は新聞の表紙を飾ることになるだろうね」
「それだけは絶対に嫌だ……」
隊列の横ではダンケルにいるマスコミが総出でカメラや手帳を片手に式典が始まるのを今か今かと待っている。そしてそんな彼らを私たちは隊列の1番後ろでソワソワしながら覗き見ていた。
「すげぇ、記者がいっぱい来てるぜ!」
「う、うん……少し緊張するね。私たち、勲章を貰えるほどのことはしてないもん。ちょっと場違いじゃないかな?」
すると私の隣にいた軍人が話しかけてきた。
「なーに、胸を張って立ってればいいんだよ。君たちはちゃんと活躍したんだ。君の回復が無かったらもっと被害が増えていた。回復兵士として君は立派に役目を果たしたんだよ」
「あ、ありがとうございます……!そう言ってもらえて嬉しいです……!」
「レベッカちゃんも、すごい狙撃能力だったし、腕っぷしも中々のものだった。そこいらの軍人よりよっぽど強いよ」
「まぁな。親父に鍛えられてるからな!」
私たちの話を聞いて、前に並んでいた屈強な軍人も後ろを向いて会話に混ざってきた。
「レベッカ。昨日の腕相撲大会、まだお前に勝ちを譲ったわけじゃないからな」
「はぁ?あんたは1回戦目で私に負けただろ!」
「利き腕じゃなかったからな。手加減してやったんだ」
「その割には、結構悔しがってたけどね」
隣の軍人がクスクスと笑う。
「お前も2回戦目で負けただろ」
「おっと、それは言わないお約束だよ」
『これより、勲章授与式を始めます』
司会の声が広場に響き渡ると同時に、さっきまで話していた軍人たちは一瞬で背筋を伸ばし、真面目な顔つきになる。私たちも釣られて姿勢を整えた。
『皇帝陛下がご来場なされます』
司会の言葉と共に役所の扉から皇帝陛下が現れる。陛下の後ろにはトーマス=シュナイダー首相を筆頭に御前会議に参加していた重鎮たちが続いており、その後に勲章を持った役所の職員らが外に出てきた。
隊列の軍人たちは全員敬礼をしている。私たちも慌てて敬礼をした。皇帝陛下は隊列前の中央に立ち、陛下の左斜め後ろに他の人たちが並ぶ。陛下は絢爛豪華な装いをなされていて、首相らは黒いカッタウェイコートを身につけている。
『皇帝陛下の御言葉です』
陛下は即席で用意した小さな雛壇を上に立ち、堂々とした立ち振る舞いで前を向く。陛下の御言葉を一語一句聞き逃すものかとマスコミの記者が齧り付くようにその様子を見つめている。
「……諸君、此度の活躍、見事であった。諸外国の突発的な奇襲を前に、臆することなく対応し、我を含め、多くの国民を救ってくれた。ここに、我が名をもって最高栄誉の1つである、救国勲章を授ける。今後の諸君の活躍に期待する」
御言葉が終わると共に拍手が湧き起こる。陛下は慎重に言葉を選んで発言していた。敵が誰であるか明確でない以上、下手に刺激するような文言や語句は避けなければならない。陛下の御言葉が、国の方針を決定づけるのだ。
『これより、勲章の授与を行います』
陸軍に所属している軍人たちに授与する場合、本来ならば陸軍大将が彼らの胸に付けるが、ジーク将軍が殉職しているため、今回は首相が取り行う。
隊列の1番前にいた人たちから順に一歩前に出て、首相がその人の前に立ち、勲章を授与する。最初はジェシカさんだった。
「ジェシカ君、おめでとう。これで君に授けられる勲章が無くなってしまったね」
「……私の士気に影響はありませんので、ご安心を」
「相変わらず、頼もしいかぎりだ」
続いて多くの兵士たちが胸元に啼鳥を模した勲章をぶら下げながら隊列の1番後ろに行進していく。彼らの中には自慢げに胸を張る者や、目に涙を溜めている者もいた。そんな彼らを横目に、私は自分の番が来るまで緊張しながら待つ。
しばらくして、私たちが最前列になった。横から首相が近づいてくるにつれて、心臓の鼓動が早くなる。
とうとう私の番がきた。
「フラン君、今回の救出作戦について、詳しく聞いているよ。君が立案したんだってね。大したものだ」
「い、いえ、上手くいくかもわからない、賭けに近いものだったので、誇れるようなことではないです」
「いいや。君は誇るべきだ。軍の中で謙遜していては出世は叶わんよ?」
「え、どうしてそれを……」
「今日役所の廊下を歩いていたら偶然ジェシカ君と会ってね。そこで君の話を聞いたんだよ。あと、これは秘密なんだけど……」
トーマス首相はそう言って私と同じ目線になるよう膝をつき、小さく呟く。
「年幼学校への転入志願書の空欄、本来ならあり得ない措置だが、特別に"私が"サインをしておいた」
「———!?」
「君の実力なら落ちる心配はないと思うが、念のためにね。……フラン君、君には期待しているよ」
そう耳打ちをして、トーマス首相は勲章を私の胸元に取り付けて何事も無かったかのようにレベッカの方へと向かう。
首相は試験を受ける許可を出す欄に自身のサインをしたと言った。つまりそれを無下にした場合、彼の意向に反したことになる。志願書を見た教官は震え上がるだろう。
そして本来その欄には、受験者の保護者がサインをする必要があり、そこに首相は自身の名前を綴った。つまり、
彼が事実上、私の保護責任者となったのだ。
こんな横暴普通なら許されないことだが、私の場合、それを断る理由がない。むしろ、感謝すべきことなのだ。首相自らが強力な後ろ盾になってくれたのだから。
(トーマス首相はなぜこんなことを……?私に期待していると言っていたけれど、本当にそれだけ……?)
あり得ない。一国の政治を主導している人間が、期待だけで小娘ひとりにここまでの待遇を施すはずがない。
(何か必ず裏がある。……警戒しておこう)
胸元に飾られた救国勲章が、やけに重く感じた。
考え込んでいる間に、救国勲章の授与式が終わろうとしていた。最後はこの作戦で殉死した軍人たちに対して勲章が授与された。私の目の前で頭を撃たれた兵士の名前も呼ばれる。
ジェシカさんは生き残った者が勝者だと言っていたが、それは決して死んだ者、つまり敗者を、蔑ろにしていいということではない。ジェシカさんも、そのことは充分理解しているはずだ。
死んでいった仲間の栄誉を讃え、授与式は終了した。