5話 取引終了
私はすぐさま次の怪我人を探し、その人のもとへ駆け込んでは回復を繰り返す。こちらの人員はなんとか保っているが、それでも1人、また1人と敵の凶弾に倒れていっている。
敵の数は予定通り大幅に削ることができたが、彼らを突き破るための決定打が足りない。手榴弾は使い果たし、弾薬も残りわずか。官邸側から近衛部隊が援護しているとはいえ、彼らの方が物資が底をついている状況なので、攻勢に出るのは難しいだろう。
停滞したら我々の負け。早急に決着をつける必要がある。
(一か八かトラックで突撃して敵を撹乱して、その隙に全員で前進すれば……)
そんな無謀なことを考えながら、怪我人がいないか辺りを見渡していると、光輝く人物が突然、柵を飛び越えた。
(あれは……ジェシカさん!?)
驚いていると、彼女に向かって夥しい量の銃弾が撃ち込まれる。しかしジェシカさんはまるで何も起きなかったかのように立ち続けていた。
何が起きたのか理解できず、目を大きく見開いて瞬きをした瞬間、そこにジェシカさんの姿はなく、一瞬にして敵兵士の隣に移動していた。
非現実的なことが目の前で起きている。それにも関わらず私の隣にいた味方の兵士はさも当然かのように話しかけてきた。
「門の方に移動しろ。クラーラさんが突入したら我々もあとに続く」
「は、はい、ですがあの、あれは一体……」
「知らないのか?大隊長は死に鳴く啼鳥と呼ばれる、南方戦線の英雄だ。あれが大隊長の本来の姿だ」
死に鳴く啼鳥、もちろん聞いたことがある。対戦初期は連日彼女の活躍が新聞で書かれていた。しかし、まさかジェシカさんがあの有名人だったとは。
新聞によれば、彼女はこの戦争で最も多くの敵歩兵を殺している。帝国勝利の象徴として担ぎ上げられるのも納得だ。
あの姿になったということは、ジェシカさんは敵兵を1人で蹂躙するつもりなのだろうか。しかし彼女はその場から動かず、敵の隊長と思われる人物と何か会話をしている。
どうやらキャンドル王国の言語で話しているらしく、距離が遠いこともあって上手く聴き取れない。
ジェシカさんは敵陣の真ん中にいるにも関わらず敵兵は撃つ素振りすら見せない。恐らく皆理解しているのだろう。ここで撃ったら命はないと。敵は圧倒的な殺傷能力を持つ銃を手にしながら、生身の人間を殺すことができない。ジェシカさんが異質な存在であることをこの状況が証明している。
しばらくすると、なんと敵兵が次々と撤退していった。官邸の中にいた兵士も皆外に出て来ている。この重要な局面で撤退を余儀なくされた彼らの顔には、悔しさと怒りの感情が滲み出ていた。
敵部隊の撤退を見送った後、クラーラさんがジェシカさんのもとへ走りだす。私たちもそれに合わせて前進した。
「ジェシカさん、時間ギリギリでしたね」
クラーラがそう言うと、ジェシカさんは光を失い、その場に跪く。呼吸は乱れ、額から汗が垂れていた。
「大丈夫ですか?立てますか?」
「……ああ、問題ない。それより、作戦はまだ完了していない。官邸の中に入るぞ」
ジェシカさんはゆっくりと立ち上がり、駆け足で官邸の入り口に向かう。私たちも続いて官邸の中に入った。その途中、レベッカが嬉しそうにこちらに近づいてきた。
「フラン!私たち生きてる、生きてるぜ!」
「……うん!けどまだ油断しちゃダメだよ。ちゃんと安全な場所まで帰還して初めて、作戦は終了するからね」
「おう!そういや、ジェシカさんのあの姿見たか?ゆらゆらとした光が身体が出ててさ、一瞬幽霊でもいるのかと思ったぜ」
「確かに、非現実的だった」
「けど、すぐにもとの姿に戻ったよな。あのまま敵を蹴散らせばよかったのに」
「……」
南方戦線の英雄、その肩書き通りあの姿のジェシカさんは相当強いのだろう。だが、あの姿は一時的なものだった。それに、戻った時の反動も大きいように見える。だからこそ、彼女は自身の存在を作戦の要に置かなかった。そして効果的に、自身を戦術として用いた。
ジェシカさんが英雄と呼ばれる理由は、ただ単に強いだけじゃない。的確な判断によって味方を勝利に導いた、優秀な指揮官でもあるからだ。
「……いや、あれが最善の選択だったよ。無駄に血を流す必要はない」
「そうだな。さすが英雄様!」
「え、ジェシカさんが英雄って呼ばれてるの知ってたの?」
「ああ、ジェシカさんが交渉してるとき隣でクラーラが熱く語っててな。『はぁ、、やっぱりカッコいいなぁ、、』って恋する乙女みたいになってたぜ」
「ちょ、レベッカちゃん!そんな大声で言わないでよ!」
どうやら列の前にまで聞こえていたらしく、クラーラが焦りながら後ろを向く。周りからはハハハと笑い声がした。
「お前たち、集中しろ。そろそろ会議室に到着するぞ」
ジェシカさんのひと声で皆真剣な顔つきになる。私たちも気を引き締めた。3階へと繋がる階段を上がり、会議室がある廊下に出る。すると奥に壊れていないバリケードがあった。
近衛兵らしき人たちが銃口をこちらに向けている。
「待て!我々は味方だ!お前たちの救出に来た!」
ジェシカさんはそう言って両手を上げる。彼女の姿を見た近衛兵たちは安堵した様子で銃を下ろした。彼らはバリケードを取り壊し、ジェシカさんを会議室に案内する。私たちは廊下で待機することになった。
「皇帝陛下を生で見られるなんて、中々ないよな」
レベッカがそう呟く。
「そうだね。それに重要な役職に就いている人たちもいるらしいよ」
「それじゃあジーク将軍とかもいるのか?会ったらサインとか欲しいな!」
「いるとは思うけど、確かジーク将軍は……」
ジーク=ハルベルク陸軍大将、対戦勃発と同時に数々の作戦を打ち立て、それをことごとく成功させてきた名大将である。歳はかなり重ねているが、それでも豪胆な性格は変わらず、その気概にしばしば参謀本部は振り回されていたらしい。そして彼は、回復が使えた。
「回復が使えたから、その……」
「怪物になっちまったかもしれないか」
「……うん」
回復使いを怪物へと変貌させる"雨"。それは都市1つを丸ごと壊滅させる程の兵器だ。たとえどんなに堅牢な建物の中にいようとも、関係なく透過する。都市をほぼ無傷で手に入れることができるこの兵器は、最早戦術、作戦の枠に収まることのない、新たな時代の兵器だろう。
帝国の首都ベリンは、史上初の【戦略兵器】の実験台となったのだ。
▲▽▲▽▲
バリケードを撤去し、救出部隊はそこを抜ける。すると近衛部隊の副隊長がジェシカに敬礼をしながら話しかけてきた。
「ジェシカ大隊長!救出作戦の立案とその実行、誠に感謝致します!」
「立案したのは私ではない。それより、シュタインはどうした?」
「はっ!隊長は怪物となったジーク将軍との戦闘により、名誉の殉職をなされました!会議室内で、武器を携帯していない中、隊長は中にいらっしゃった皇帝陛下並びに高官殿に傷1つ付けさせることなく、守り切りました!!」
副隊長は涙を堪えながら報告をする。
「……そうか」
廊下の最奥には、2つの死体に布が敷かれていた。1つはかなり歪な形で、恐らくジーク将軍だろう。そしてもう1つは初戦で共に奮闘した部隊の同期、シュタイン=ハンマーだ。
布をめくり、顔を確認する。かつて塹壕の中で共に夢を語り合い、笑い合った戦友は誇らしげな笑みを浮かべていた。
「夢を叶えたんだな……シュタイン」
そう呟くと、ジェシカは2人の英霊に敬礼をする。
「……開けてくれ」
ジェシカは静かに命令する。副隊長は涙を拭い、会議室の扉を開けた。中は酷く荒れていた。長机はひっくり返り、書類は床に散らばって、椅子はほとんど半壊している。ただ、1つを除いて。
錚々たる面々が部屋の両脇に立っている。
参謀総長 グラス=ハルベルト
海軍大将 ドミニク=ゲッテンハイツ
内閣首相 トーマス=シュナイダー
外務大臣 ヘレン=リヒター
総括秘書 アンナ=シュミット
そして部屋の1番奥、絢爛豪華な椅子に鎮座されているのは、皇帝ランドブルク2世その人だ。ジェシカはまず跪き、皇帝に救出の旨を奏する。
「皇帝陛下、このような形での謁見、御迎えとなり、誠に申し訳ございません」
皇帝は眉ひとつ動かさず、凛とした姿でいらっしゃる。
「……よい。それよりも、都市の被害はどうなっている」
「は、被害は甚大。死者数も特定不能です。一部住民の避難は完了しておりますが、まだベリンに取り残されている住民がいる可能性があります」
「………」
皇帝陛下は静かに目を瞑り、そして再びジェシカの顔を見つめる。
「……首都ベリンは放棄する。取り残されている住民がいるのなら、可能な限り救出せよ。……私からは言いたいことは以上だ。あとは君たちの仕事を邪魔せぬよう、黙って諫言に従う」
「「「「「「はっ!!」」」」」」
その場にいた者たち全員が、皇帝陛下に対して敬礼を行う。それと同時に、ジェシカは会議室の扉を開け、待機する隊員たちに向かって叫んだ。
「これより要人の護送を開始する!」
▲▽▲▽▲
会議室から出てきたジェシカさんの号令によって、要人を部隊の真ん中に配置する形で外へと移動する。私たちはさっきと同じく部隊の後方を担当した。
「ここからじゃよく見えないな」
「私たちが見るべきは彼らじゃなくて周りだよ。敵兵がいないか注意しないと」
撤退したとはいえ、まだ伏兵が潜んでいる可能性はある。狙撃されないためにも、要人には頭を下げさせ、速やかにトラックへと向かう。
3つのトラックのうち、2つはダミーとして敵を惹きつけるように迂回しながら本部へと戻る。本命のトラックには身辺警護のプロである近衛部隊が乗車し、ジェシカさん率いる我々の分隊は別のトラックに乗る。
「カール、左折してなるべく要人が乗るトラックから離れろ。そして音をたてながら走行する」
「敵を目視したら片っ端から撃てということですね?」
「その通りだ。後ろの3人も理解したか?」
「はい!」
「おうよ!」
「バッチリです!」
「よし、では発進しろ」
トラックは急速前進する。ビルの間を抜けていき、接敵した場合は応戦しつつ基本的には逃げる。敵に長い間車体を見せないように何回も建物の角を曲がりながら本部を目指す。それでも公園に到着する頃にはどこもかしこもボロボロになっていた。3人とも怪我をしたが、致命傷ではない。私以外は完治できている。
本部に到着したのは、私たちのトラックが最後だった。幸い要人らに怪我はなく、もうすでに安全な別の都市への移動を開始しているらしい。本部のテントも片付けられている。
トラックから降りると、ジェシカさんが話しかけてきた。
「作戦は成功した。約束通り、今からお前たちをフランの家まで護送する。ただし、あまり長居はできない。終わり次第すぐに我々もダンケル市に向かう。いいな?」
「はい……!」
私たちは軍用車を1つ借りてベリンの郊外、私の家がある区域に向かう。
「フラン、良かったな!これで母に会える!」
「……うん」
「……どうしたんだ?嬉しくないのか?」
レベッカは心配そうに尋ねる。
「……お母さんは回復が使えるから、その、心配で……」
「……大丈夫だ!ジェシカさんだって言ってただろ?その場所には雨が降ってないだろうって。な!ジェシカさん!」
「微妙な場所だと言っただけだが……フラン、心配する気持ちはわかるが、今は自分のことに集中しろ。周りにはまだ怪物がいる。母の安否が分からず死ぬのでは意味がない」
「……分かっています」
分かっている。分かってはいるが、それでも不安は拭えない。母はそもそも家から出ていないのだろうか?もしベリンの近くにまで買い物に出かけていたら?
最悪の事態が脳裏に浮かぶ。
「お、おい、アレ……」
「やけに静かだと思っていたが、こういうことだったのか」
2人はそう言って動く車の窓越しに家の中を見ている。私も顔を上げて外を見ると、まるで猫のように玄関の前で眠り込む怪物の姿が目に映った。お店の中でも動かない怪物が何体かいる。私たちの車が通ると首だけはこちらを向くが、追いかけてこようとはしなかった。
「恐らくエネルギー切れだろう。怪物は元人間。生き物だ。生物である以上、エネルギーが無ければ動けない。人間を襲うのは、もしかしたらそのエネルギーを補充するためかもしれないな」
確かに、言われてみればそうだ。あれだけのパワーとスピードを出すためには相当エネルギーがいる。野生動物は狩りをするとき以外は基本休むものだが、怪物は無闇矢鱈に音のする方へと移動し、襲っている。本来あるはずのブレーキがないから、ガス欠を起こしやすい。
「……クソッタレですね。"雨"を作ったやつは」
「ぜってぇ許さねぇ!!」
「同意見だ」
トラックは憐れな怪物たちの寝床を静かに通り過ぎる。しばらく道を進むと、見慣れた街並みになってきた。道が全く濡れておらず、人々が大荷物を持って軍人の避難指示に従ってトラックに乗り込んでいる。つまり……
「ここ雨降ってないぞ!やったなフラン!」
「うん、うん……!」
家にさえ居てくれれば、少なくとも怪物にはなっていない。
だが軍人による避難誘導が既に始まっている。もしかしたら母も避難しているかもしれない。
「お前の家はどこなんだ?」
「そこの角を右に曲がって、先に進んだところにあります。見つけたら指を指すので家の前で止まってください」
角を右に曲がると、そこには人っこひとりいなかった。この辺りの避難は済んでいるのだろうか。前に進んでいくと、赤茶色の屋根がついた白い壁の一軒家が見えてきた。
「あ!あれです!」
車はその家の前に停車する。家のベランダには洗濯物が干されていた。母は毎週火曜日の朝に洗濯をして、昼頃にこうして日に当たるように干している。つまり雨が降った昼頃の時間帯は家にいたということになる。
急いで車から降りて、歓喜の気持ちを抑えながら家の中に入る。もし避難していたとしても、置き手紙ぐらいはあるかもしれない。とにかく、母が無事だと分かる何かが欲しかった。
玄関の扉を開ける。
「……え」
怪物が、いた。
母のエプロンを首にぶら下げた、怪物が、いた。
「おい、そんなに慌てて入———!」
怪物を見たジェシカが即座に拳銃を構える。
私の背後から、銃声が3発。
怪物が3歩よろめく。
それでもなお、"立っていた"。
「ま、待って……ジェシカさん待って……ママはまだ……怪物になってない……」
「なりかけているだろ!!もう助からない!!その手を離せフラン!!」
私は、必死にジェシカさんの腕を掴んだ。
「まだ、まだ助かります……お願いします……」
車で待っていたレベッカが、銃声を聞きき慌ててやって来る。玄関の前で2人に"襲いかかろう"としている"怪物"を見て、手に待つライフルを構えた。
「レベッカ!待っ———
———ダン
空薬莢がカランと落ちる。
ママは頭を撃ち抜かれ、後ろに倒れる。
「ママ……ママ……!!」
ジェシカさんの腕を離し、ママのもとへ駆け寄る。ママの顔は撃たれたときの血と、私の涙で赤く滲んで見える。私は身体の傷を必死に回復する。
「大丈夫……大丈夫だよママ……!私が絶対治す……!治してみせるから……!」
光の粒が傷口を覆っているが、一向に流血が止まらない。
「なんで!!どうして!!」
すると突然、ママの腕が上がり、手を私の頬に当てた。
とても、冷たかった。
「……い、キ、テ———
ママの腕が、力無く落ちる。
私は、回復を止めた。