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Re:ヒールオブザクリーク〜少女回復戦記〜  作者: 川口黒子
序章 首都陥落
2/9

1話 この日、この場所で、戦争の新しい時代が始まる

「フラン!起きなさい!もう朝よ!」


「うぅ〜ん……」


 一階から母の怒号が聞こえてくる。部屋の扉は閉めているのに、その声は耳元で叫んだかのように私を叩き起こした。灰色の長い髪の毛が口に纏わりついていることに気づく。身体を起こし、口に付いているそれを取り払った。


 ベッドから降りて、窓のカーテンを開ける。路地にはもうスーツに身を包んだ紳士が多くいて、杖を手に持ち仕事場へと向かおうとしていた。


 私は部屋着のまま階段を降りてリビングへと向かう。テーブルには父が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。母は台所で朝食を盛り付けていた。


「おはよう。フラン。よく眠れたか?」


 父が新聞紙から目を離してこちらを見る。私は頷いて父と反対側の椅子に座った。すると母が朝食の乗ったプレートを2つ手に持ってこちらにやって来る。1つは父のところに、もう1つは私の目の前に置いた。


「さ、2人とも早く食べてちょうだいね。じゃないと遅れちゃうわよ?」


「うん。ありがとう」


 父はそう言いながら新聞紙を畳んで、ナイフとフォークを持って朝食を食べ始める。私も同じようにナイフとフォークを持った。


 ハムとチーズが挟まったパンと、ソーセージが2つ、あとスクランブルエッグがプレートの大部分を占めていた。素朴な味付けだが、朝はこれくらいが丁度いい。私は母の作る朝食が大好きだった。


 パンにかぶりつきながら、父のほうを見る。食事のときは何も喋らず、ただ黙々とナイフとフォークを動かしている。父はすでにスーツに着替えており、杖もテーブルに立て掛けてあった。父の仕事は軍事企業の取り引き仲介役で、窓から見た紳士たちのような仕事人たちと一緒に、朝から晩まで兵器の話しをしているらしい。最近は特に忙しく、朝こうやって一緒に朝食を食べるのは久しぶりだ。


「……どうしたんだいフラン。私の顔に何かついているかな?」


 父はずっと見つめていた私の視線に気がついて、話しかけてきた。父が食事中に話しかけてくるのは初めてだった。


「い、いや別に。今日もハンサムだよ。パパ」


「ははっ、それは良かった。ところでフラン、学校へは楽しく通えているかい?」


「う、うん。友達もできたし、授業も面白いよ。あ、そうだ、明日はその友達の誕生日パーティーに参加するの。だから今日は学校が終わったら、その子を連れて首都に出かけて、パーティーに必要な物を買うつもりだよ」


「あら、そうだったの?楽しむのはいいけど、早めに帰って来なさいね」


 母はそう言いながらジュースを私のプレートの横に置く。


「うん、わかってる」


 私は置かれたジュースを飲み、スクランブルエッグを一気にフォークで口にかき入れた。父も食べ終えたらしく、私たちは同時に立ち上がった。

 父は杖と鞄を持ってそのまま玄関に向かう。私は父の見送りを母に頼まれた。


「パパ、今日も帰りは遅いの?」


 玄関で靴を履く父の背中に私は話しかける。


「……今日は帰らないよ。仕事がたまっているから、会社で泊まり込みをするんだ」


「それ、ママに言った?」


「……いいや」


「どうして?」


「………」


 私の問いかけに父は答えず、そのまま立ち上がって私のほうを見た。いつも薄っすら笑みを浮かべているのに、今日だけは違った。


「フラン、今日ベリンに行くのはやめなさい」


「……どうして?」


 私は不機嫌そうに再度尋ねた。その様子を見た父はいつもの笑みを浮かべて私と同じ目線になるようしゃがみ込む。


「今日ベリンでは午後から雨が降るらしいんだ。せっかくのパーティー道具が雨で濡れたら大変だろう?この街の近くにも売り場はあるから、そこに行くのはどうかな?」


「けど、雨が降るなら傘を持っていけばいいだけだよ。それに、友達は今日初めてベリンに行くんだって楽しみにしてた。私のせいでその子に悲しい思いをしてほしくない」


「だったらなおさら行くべきではないよ。フラン、そのお友達の名前は?私からその子の親御さんに今日は行けないことを伝えておくよ。何なら今日ぐらい、学校を休んでもいいんだよ?ママと一緒に遠くの別荘に遊びに行ってらっしゃい。最近は私が忙しくて行けていなかったからね。私がいない間でも構わないから、どうかな?」


 父は突然、私と友達との約束を邪魔するような言葉を早口で捲し上げた。私の肩に置かれた手は心なしか汗ばんでいるように感じた。私は動揺して一歩後ろに下がった。


「な、なんで?今日のパパなんか変だよ!今までずっと黙って食べてたのに今日は話しかけてくるし、いつもだったらママに必ずいつ帰るのか伝えてるのに今日は秘密にして———


「フラン!!私の言うことを聞きなさい!!」


「———」


 父は私の言葉を遮るようにして怒鳴った。父がこんなにも大きな声を出すことは、今まで一度もなかった。経験のないことが立て続けに私を襲う。目尻が徐々に熱くなり、父の姿が霞む。


「パパなんか、、、パパなんかもう知らない!!」


 私は思わず泣き出して父を突き飛ばし、そのまま自分の部屋にまで戻ってしまった。階段を登る途中、母が驚いてリビングから出てくる音を背中で聞きながら。


 しばらくベッドの上で枕に突っ伏しながら鼻を啜る。そうしているうちに、段々と冷静になり始めた。反省や次するべきことが頭の中を駆け巡る。


(何がなんだかわからなくなって、怒ってパパを突き飛ばしてしまった……もう今年で15歳になるのに、怒鳴られたくらいで泣いてしまった……そろそろ家を出ないと、学校に遅刻してしまう……パパに謝らないと……)


 私はベッドから起き上がり、制服を着て、身支度をしてから再び玄関へと向かう。父の姿は無かったが、代わりに母が立っていた。恐らく、もう仕事に行ってしまったのだろう。


「パパと喧嘩するなんて、珍しいわね。あなたもそういう年頃だし、気が立っちゃうものよね。けど、あとでちゃんと謝っておきなさいよ。パパも申し訳なさそうにしてたし」


「……うん」


「あと、パパから伝言を頼まれているわ。『雨に気をつけて』だそうよ。一体どういう意味かしら?今日はランドブルク全域が晴れの予報なのに……」


「……一応、傘持って行こうかな」


「だったらこれを使いなさい。パパが出かける前にあなたのために用意したものよ」


 母はそう言って真っ黒な傘を私に手渡した。その傘は普通の傘より少し重い気がした。持ち手の部分も、なんだか変わった形だ。それに、黒はあまり私の好みでもなかった。


(私には自分の傘があるのに、どうして新しい傘をくれたんだろう……)


 疑問に思ったが、さっき突き飛ばしてしまった後ろめたさから、素直に父の好意を受け取ることにした。私は学校の鞄と傘を手に持ち、玄関の扉を開ける。


「行ってきます、ママ」


「ええ、行ってらっしゃい」


 恒例の挨拶を交わしたのち、私は家を出て路面電車の乗り場へと向かった。



 ▲▽▲▽▲



 路面電車の窓際で、ぼんやりと外の風景を眺める。近代的な建物の合間合間に新築のアパートが建ち並んでおり、その前の通りを紳士淑女が優雅に歩き、道路ではモダンな自動車がいくつも電車の横を通り過ぎる。


 街並みは物凄い速さで変化していった。たった14年しか生きていない私でもそのことに気づけるほどに。


 学校前の駅で降りて、いつもの通学路を歩く。私と同じ学校へと向かう学生がちらほら見かけるようになってきた。みんな誰かしら友達と一緒に話しながら登校している。

 私は家から学校まで遠いので、いつもひとりぼっちだった。けれど、今は私にだって一緒に登校する友達がいる。


 十字路の信号の横で私たちはいつも待ち合わせをしている。この日は私が少し遅れたので、彼女が先にそこにいた。


「おお!フラン!待ちくたびれたよー!」


 友達のレベッカがこちらに気づいて手を振りながら近づいてきた。私も手を振りながら駆け足で彼女のもとに向かう。


「おまたせー!」


「今日はどうしたんだ?いつもならお前が先に着いているのに。さては、寝坊したんだな〜!しっかり者のお前にしちゃー珍しいなー!」


「ち、違うよ!ちょっとパ……お父さんと喧嘩しちゃって」


「なーんだ親子喧嘩か。わたしなんてしょっちゅう親父と殴りあってるぜ!フランもちゃんとやり返せよな!」


 レベッカはそう言って快活に笑う。彼女はこの通り男勝りな性格で、小学生の頃は男子と喧嘩ばかりしていたらしい。私が今通う中高一貫の学校に転校してきたとき、周りに馴染めずにいた私と真っ先に友達になってくれた。レベッカが初めて話しかけてきたときの言葉は今でも覚えている。


『よー!私の名前はレベッカ!転校生ってカッコいいな!私と友達になってくれ!』


 放課後、違う教室なのにズカズカと入ってきて、私の手を取りそのまま外に出て街に繰り出した。困惑する私を連れ回して結局夜まで遊び尽くすことになった。帰って母にこっぴどく怒られたが、あの日は人生で最も楽しい時間だった。それからレベッカとは大の親友になった。


「暴力は良くないよ。それより急いだ方がいいかも。そろそろ授業が始まっちゃう」


「おっと、もうそんな時間か!走るぞー!」


「ちょ、ちょっと待ってよ!私そんなに速く走れないよー!」


 私たちは走って学校の校門をくぐり、学校の中に入る。私たちは受ける授業が違うので、教室も別々だ。左右に分かれる廊下の前で私たちは立ち止まる。


「それじゃあフラン、放課後校門の前で待ち合わせな!お金はちゃんと持ってきたか?」


「もちろん。今日は午前授業だから昼食代も持ってきたよ。あっちのレストランで食べない?」


「いいなそれ!その辺の予定も放課後一緒に決めよう!じゃ、授業がんばれよー!」


「そっちもね!」


 私たちは別れてそれぞれの教室に向かう。教室に入って、自分の席にそそくさと座る。まだレベッカ以外で会話ができる友達がいないので、私は周りの生徒の会話をただ何となく聞いていた。近くの男子3人の会話が耳に入ってきた。


「今日の新聞読んだか?帝国の戦線が後退しつつあるらしいぞ。死者も結構出たらしい」


「それは北方戦線での話だろ?南方のほうは快進撃を続けているそうだ!前線では"回復兵士(ヒールソルジャー)"がその活躍を支えている!俺も早く立派な回復兵士(ヒールソルジャー)になって帝国のために戦いたいぜ!」


「けど、帝国の同盟国はもうみんな降伏してるんだよ……本当に勝てるのかな……」


「なに弱気なことを言ってるんだ!昨日戦地にいる兄さんから手紙が届いたんだ!『我々は順調に勝ち進んでいる。たとえ仲間がいなくとも、我が帝国は強大な兵力、工業力、技術力で敵国を圧倒している。ヘドリー、お前は安心して家で待っていろ。帰ったら俺の武勇伝をたっぷり聞かせてやるからな』って書いてあった。戦場にいる兄さんがここまで言ってるんだぜ!きっと大丈夫だ!」


 男子は戦争の話に夢中になっている。彼らの言う通り、ランドブルク帝国は今現在、戦争状態にある。それもかなり危機的状況だ。

 帝国同盟に加盟した国々はすでに降伏しており、南北から敵国のブリッシュ王国、ビビアント共和国、キャンドル王国を筆頭とした連合軍が迫ってきており、他のほとんどの国家は静観しつつも連合側を支持し始めている。


 徐々に負け始めた帝国を見て、周りの国家は帝国をこう揶揄した。


 "落ちゆく啼鳥、回復(ヒール)の見込み無し"


 この言葉を学校内で言ったら間違いなくリンチにあうだろう。私はただ黙って授業が始まるのを待った。



 ▲▽▲▽▲



 授業の内容は"回復(ヒール)"に関するものだった。回復(ヒール)とは、元来一部の人間が先天的に持つ能力のことで、ベリンでは住民の5人に1人が扱える。しかし、未だにその全貌は明らかになっていない。分かっていることは、人体の損傷に対する回復(ヒール)が多いことと、回復(ヒール)には"深度"が存在するということ、そして、


【決して自分自身に回復(ヒール)を使用してはいけない】


 一般に知られているのはこれぐらいだ。


「それじゃあこの"深度"について、正しく説明できる者は手を挙げなさい」


「はい」


 私は誰よりも先に手を挙げた。授業での発言が成績に大きく影響してくるのでこの学校の生徒は積極的に発言している。周りの何人かが小さく舌打ちをしたが、私は気にせず立ち上がり、説明を始めた。


「深度は、回復(ヒール)がどこまで傷を治すことができるかを示す指標で、深度1が皮膚から下5センチから10センチまで、深度2が10センチから20センチ、深度3が20センチから40センチ以上の深さまで、ありとあらゆる傷を治すことができます」


「概ねその通りですが、1つ付け加えるとしたら、人体の損傷を治療する以外の特質をもつ回復(ヒール)には、この深度は適用されません。まあ、実例は限られているので、フランさんが言った通りの認識で構いませんよ」


「はい」


 私は満足げに座った。周りから嫌な視線を感じる。このクラスは回復(ヒール)を持っている生徒のみで構成されていて、自分は選ばれた存在なのだと思っている奴も少なくない。そんな奴らが一ヶ所に集められたら、他を蹴落とそうと考えるのは必然だった。

 授業には満足しているが、この嫌な競争には、未だに慣れずにいる。


 その後も真面目に授業を受けて、昼前には午前の授業の全てが終了した。私は教科書を急いで片付けて、走って集合場所の校門に向かった。


 まだレベッカは来ていなかった。今回は私の方が早く着いたらしい。帰路に着く生徒の邪魔にならないよう校門の端のほうで彼女が来るのを待った。


 校門を出る生徒がまばらになり始めた頃、レベッカが走って校舎からやって来た。


「遅い!」


「ごめんごめん!今日テストの補習があることすっかり忘れてたんだよ。それじゃあ早速ベリンに行こうぜ!フランは前にいったことがあるんだよな?」


「うん。だから今日は私が道案内をするよ。ベリンまでは路面電車に乗って行けるから、まずは乗り場に向かおう」


 こうして私たちは近くの乗り場に移動して、ベリン中央十字路行きの電車を待つ。その十字路では最近巨大なデパートがオープンしたので、私たちはそこで誕生日パーティーに必要な物を買うことにしている。


 電車が来たので、さっそく乗り込み外の景色が見れる窓側の席に座った。


「いやーベリン楽しみだなー!でっけぇ建物がいっぱい建ってるんだろ?」


「そうだよ。それに近くには無制限道路が通ってるから買い物が終わったら見に行く?」


「マジで!?ぜってぇ見に行く!」


 レベッカは楽しそうにはしゃいでいる。このあと"ベリンの黄金十字路"を見たらどんな反応をするのか、考えるだけでも口元がにやけてくる。私はそれがレベッカに気づかれないように、顔を窓の方向に向けた。


 通りを歩く人の数が多くなってきた。中には軍服を着ている者もいる。彼らは楽しそうに語らいながら、通りに建ち並ぶ煌びやかなお店の数々を見物していた。


 "ベリンの黄金十字路"、その周辺には数多くのブランド店、著名な高級洋食店、要人も使用するホテルなど、ブルジョワ向けの施設が建てられているが、その他にも巨大な遊園地や多くの階層があるデパートなど、庶民向けの施設もあり、老若男女、階級問わず多くの人間がこの十字路に足を運ぶ。


 まさに、帝国の繁栄を象徴するかのような賑わいぶりだ。


 私たちは十字路近くの乗り場で電車から降りる。


「す、すげぇ……!見たこともない店ばっかだ!それに、建物も全部見上げるほど高い!フラン!あそこの店行ってみようぜ!」


「待ってレベッカ。まずはデパートで昼食を食べよう。おすすめのお店があるの。そこに行ってみない?」


「お、いいな!確かにお腹もへってきたし、それじゃあフランガイドさん、案内よろしく!」


「ふふっ、かしこまりました」


 乗り場を出て、十字路の角に建っている巨大なデパートの中に入った。デパートは5階建ての吹き抜け構造になっていて、どの階も人でいっぱいになっている。

 このデパートには珍しくエスカレーターがあったので、私たちはそれに乗ってお店のある4階に移動した。エスカレーターから降りるとき、レベッカが慎重に足を下ろしている姿は、新鮮で面白かった。


 お店は家族連れが多く混んでいたが、ちょうど窓側の2人席が空いていたらしく、私たちはすんなりとお店に入ることができた。


 それぞれ料理をウェイターに頼んで、料理が来るまでの間に買うべき物がどこで売っているのかをレベッカに教えていた。


「ジャガイモとかソーセージとかは1階に売っていて、バルーンとかナプキンとかは2階で売ってたはず。基本的に食料品が1階、雑貨が2階だね」


「それじゃあ二手に別れようぜ。私が1階で食べ物を買うから、フランは2階でパーティーに必要な道具を買ってくる。あ、けどケーキだけは最後に2人で一緒に選ぼう!それぞれ別のやつを買おうぜ!」


「そうだね。うーん、チョコケーキにしよっかなぁ」


「私はもちろんストロベリー!」


「ふふっ」


「な!なんで笑うんだよ!」


「可愛らしいなぁって」


「ぐぬぬ……私はカッコいい系を目指しているのに……」


「どのレベッカも素敵だよ」


「は、恥ずかしいこと言うなよ!」


 レベッカはそう言って顔を真っ赤にしている。心底可愛いと思っていると、ウェイターが料理を運んできた。並べ終えると、ウェイターは私に話しかけてきた。


「お手持ちの傘、もしよろしければ預かりましょうか?お帰りの際お渡しいたしますので」


「あ〜いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


「かしこまりました。それでは、ごゆっくりお過ごしください」


 ウェイターはそう言って厨房のほうに戻っていく。するとレベッカが不思議そうに尋ねてきた。


「なぁ、朝から気になってたんだけど、どうして傘なんて持ってきてるんだ?今日雨の予報だったか?」


「お父さんが用意してくれたの。私もなんで傘が必要なのか分からなかったけど、喧嘩したあとだし素直に好意は受け取っておこうと思って」


「なるほどな。……しっかし、変わった傘だな。持ち手の部分とかまるで———




 ———ウーーーンンンッッッウーーーンンンッッッ




 レベッカの言葉が、鋭い音によって掻き消された。


 サイレン、サイレンである。


 消防車のものでもない。警察車両のものでもない。


 ベリンで未だに1度も鳴ったことがない。



 空襲警報だった。



 デパートの中は、一気に混乱状態になる。


 店の内外から子どもの泣き声、男の怒号、女の悲鳴が聞こえてくる。そしてそんな彼らをせき立てるように、サイレンの音は鳴り続けている。私の顔はみるみる青ざめていき、呼吸も荒くなっていく。


「れ、レベッカ……け、警報が……警報が……」


 だが私に比べてレベッカは、困惑しつつも冷静に今やるべきことを考えていた。


「落ち着け、落ち着けフラン!訓練通り行動するんだ!私たちは今頑丈な建物の中にいる!外に出ずに、中で待機するんだ!けど、ここは窓ガラスがあって危険だから、デパートの中央に移動しよう!」


「う、うん!」


 レベッカと私は急いで店を出る。周りの客はみんなその場で互いを庇い合いながらうずくまっている。顔は私と同じく青ざめていて、神に祈りを捧げている人もいた。


「……もし爆弾が降ってきたら、上の階だと危ないかもな。一応下の階に降りとくか」


「だったら中央に階段があるからそれを使おう!」


「よし!急ぐぞ!」


 私たちはうずくまる人たちを避けながらデパートの中央へと走る。吹き抜けになっているので他の階の様子が見えた。どの階もこの中央に集まっているが、1階は特に多く、人の頭で床が見えなくなっているほどだった。


「……仕方ない。ここで待機するしかないか」


「うん……」


 諦めてしゃがもうとしたそのとき、遠くのほうから微かに異音が聞こえてきた。



 飛行機の、プロペラ音である。



「れ、レベッカ……聞こえる?」


「ああ、近づいてきてるな」


 私たちはガラス張りになっている吹き抜けの天井から空を見上げる。青々とした快晴に、"黒い鳥"が横一列に並んで飛ぶ姿が見えた。2人は頭を抱えながら小さくしゃがみ込む。


 ———ブーーーン……


 "黒い鳥"は爆弾を落とす代わりに、灰色の煙を空に撒き散らして飛び去っていく。激しい爆発を覚悟していた私たちにとっては拍子抜けであったが、その煙は消えることなく、みるみる広がって青い空を覆っていく。




 まるで雨雲のように。




「な、なぁ……なんか青白い粒が空から……」


 レベッカは空を見上げながら小さく呟く。




『雨に気をつけて』




 父の声が、耳元で聞こえた。


 私は咄嗟に傘を開き、レベッカを引き寄せる。


 その瞬間、"雨"は天井をすり抜けて、"人類"に降り注ぐ。



 ▲▽▲▽▲



 1933年7月12日火曜日13時15分24秒、このときベリンにいた歴史家が、その後に起きた前代未聞の惨劇を目の当たりにして、このような言葉を思わず呟いた。



『この日、この場所で、戦争の新しい時代が始まる』




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