ピットのファイター・ダイス
家紋 武範さん主催、「夕焼け企画」参加作品です。
このお話は、暴力や流血が描写されています。
苦手な方は、無理せずブラウザバックしてください。
また、このお話は、創作でフィクションです。
現実の個人・企業・団体などとは関係ありません。
広い空間の中央に、狭い鉄の檻がある。
6メートル四方、高さも6メートルほどの檻の中。
仮面を着けたスーツやドレス姿の観客たちが見守る中で繰り広げられるのは……。
上半身裸の男二人が合金性の槍を持ち、突き、薙ぎ払い、振り下ろし、また突く。
片方は黒髪の男で、1.5メートルほどの槍を剣のように振り回し、慣れていない様子ながらも、重い一撃を繰り出していく。
もう片方は金髪の男で、堂に入った構えで一撃一撃を丁寧に反らし、かと思えば、黒髪の男のように激しく振り回して打ち合い、素早く突いて傷をつけていく。
何度目かの打ち合いで、黒髪の男が槍を取り落としてしまう。
……が、金髪の男は槍を肩にかついで顎をしゃくる。
黒髪の男は警戒をしながら槍を手に取り、痛みに顔を歪めながらも、鋭い突きを繰り出す。
しかし、金髪の男はなんなく避け、槍を脇にはさんで固定し、黒髪の男の腹を蹴り飛ばす。
蹴られた衝撃で背中から檻に激突した黒髪の男は、蹴られた腹と鉄格子にぶつかった背中の、二重の痛みに膝を床に突いて悶えた。
その様子を冷めた目で見ていた金髪の男は、20秒だけ待ち、黒髪の男が手放した槍を、男の足元へ放り投げる。
黒髪の男は三度槍を取り、金髪の男の意図を探る。
……そして、正しく意図を読み取り、恐怖した。
戦え。さもなくば、死ね。
金髪の男の目は、そう語っていた。
強く、強く、語っていた。
初めて生まれた恐怖の感情に戸惑い、黒髪の男の槍の穂先が微かに震えだす。
それを見た、金髪の男は、
…………嗤った。
楽しい時間の始まりだと、嗤った。
金髪の男の口の端が、三日月のように吊り上がる。
ゆっくりと、一歩、二歩、距離を詰めれば、
黒髪の男は同じ分後ろに下がり、鉄格子に背中をぶつける。
それは、つまり。
逃げたいのに、逃げられない、ということであり。
黒髪の男の運命は、
すでに、決まったということ。
金髪の男が槍を構え、気迫の雄叫びをあげれば、
黒髪の男は、恐怖の悲鳴をあげ、イヤイヤと首を横に振る。
金髪の男は、恐怖に染まり戦意を失った黒髪の男に構わず、素早く二度三度と槍を突く。
腕を、脚を貫かれた黒髪の男は、槍を取り落とし、立っていることもできなくなり床に転がった。
その先に待つ運命に、観客たちがざわめきだす。
歓喜に。
黒髪の男が、異国の言葉……おそらく、母国語……で命乞いのようなことをわめく。
だが、金髪の男は、
首を横に振り、突いた。
槍を引き抜き、また突く。
突く、突く、突く。
その度に、観客たちが歓喜の悲鳴をあげる。
黒髪の男が、何かを探すように弱々しく手を上げ、
喉を貫かれて、手が床に落ちた。
床に血が広がり、黒髪の男が二度と動かないことを確認した金髪の男は、勝利のパフォーマンスとばかりに槍を風車のように回し、石突きで床を強く突いた。
これにて、戦闘は終了。
観客たちは、拍手と賛辞で勝者である金髪の男を讃え、生々しい死をもたらした戦闘の興奮が冷めやらぬままその場をあとにする。
観客すべてが退場して静まり返った後、ようやく檻が開けられ解放された金髪の男は、観客とは別の出入り口からその場をあとにする。
あとに残されたのは、物言わぬ骸となった黒髪の男と、血の臭いだけ。
※※※
戦い終えた金髪の男……ダイスは、『組織』が用意した自室に戻り、熱いシャワーを浴びて汗と血の臭いと戦闘の余韻を洗い流す。
下着の上からバスローブを羽織っただけの姿でリビングに戻り、ソファに腰かけ紙の資料にライターで火をつけていく。
それらの紙の資料は、先ほど戦った黒髪の男の資料だった。
戦闘が終われば、その資料も用済み。毎回すぐに処分することにしていた。
多角的に調査された資料を1枚1枚確認して不要であることを念のため確認してから、火をつけて処分していく。
そんな作業をしていると、ふいにノック音が聞こえる。
「開いてるぞ」
こんなときに自室に来るのは、一人しかいない。
「やあ、旦那。お疲れさまです。……そいつぁ、さっきの男の資料ですかい?」
予想通り、ダイスの付き人をやっている小男だった。
背が低く、腰も低く、有能で、ダイスのスケジュール管理から調べもの、料理に掃除に物の調達やちょっとした小間使いまで、頼めば大体なんでもやってくれる、『組織』が用意してくれた有能なマネージャーだ。
……2回言うくらい、本当に有能な男だ。
「あぁ……。これだけ調べてくれたお前さんにゃあ悪いとは思うが、こればっかりは性分でね」
「へい、分かってまさぁ。……で、こいつが今回のファイトマネーの一割です。残りはいつもの口座に」
差し出された茶封筒の中身……大量の未使用紙幣……を一応確認して、念のため枚数を数える。
小男が悪さするなどとは思っておらず、小男にくれてやる分をちゃんと数えるためだ。
「ああ、いつも助かる。……ほら、サブ、お前さんの取り分だ」
一割のファイトマネーをきっちり半分に分けて、小男にくれてやる。
「へい、ありがとうごぜぇやす。……しかし、旦那? いつものことですが、あっしがこんなにもらっていいんですかね?」
ファイトマネーの一割といっても、この国の平均月収半年分に相当する。
その半分なら、平均的な月収3ヶ月分か。
少なくとも、上限なしの賭け事や家や貴金属などよほど大きな買い物をしない限りは、しばらくの間遊んで暮らせる額だ。
それだけの金額をまるで小遣いのようにポンともらって、いつものことながら小男は恐縮しきりだ。
自分は『組織』から十分な給金をもらっているのに、こんな大金を追加でもらっていいものかと。
「構わねぇと毎回言ってるだろうが。いいからもらっときな。毎回世話になってる俺のほんの気持ちだよ」
「……へい、ありがとうごぜぇやす」
毎度のことながら、サブと呼ばれた小男は深々と頭を下げる。
その様子を見て、満足げに頷いてソファに深く座り直す。そしてまた、残りの資料に火をつける作業を再開した。
「ところで、旦那? 今回はどうでしたかい?」
付き合いの長い小男には、返事は分かっていたものの、今回の対戦相手を決めたのはこの小男なので、どうしても直接聞いてみたくなっていた。
「ああ、ダメだったな。ありゃあただの人殺しだ。自分より弱いヤツを斬り殺すことしかできねぇヤツだったよ。あれで、なにがサムライの末裔だ」
「ダイスロールで槍を引いちまいましたからねぇ……。剣なら、もう少し楽しめましたかね?」
先ほどの戦いは、命を掛け金に、死ぬか気絶して動かなくなるまで続けられる違法なバトルで、戦闘前に6面サイコロが振られて出た目によって使用する武器が変わる仕様になっていた。
サムライを嘯き異国の地で連続殺人を行っていた殺人鬼が、この国でも連続殺人やらかそうとしているようだったので、拉致して殺しても誰も悲しまないだろう。
警察に捕まることなく、連続で殺人を行うその実力を見込んで、追跡・捕獲・拉致を決定・実行したサブには、目の前の金髪の男、ダイスの反応が気になってしかたがない。
「いいや、大して変わらなかっただろうな。サムライの戦をお前さんに頼んで調べてもらっただろ? それによると、馬に乗り弓を撃ちながら近付いて槍で突き合い、それから刀を抜くらしいぞ」
「へい、そうでしたね」
「刀しか使えねぇんなら、そいつぁ、ニセモノだろうよ。ヤツがこれまでやっていたのは、バトルじゃあねえ。ルールが決まってるスポーツか、獲物を狩るハントだろ」
「なるほど、そうかもしれませんね。……満足できなかったようで?」
やれやれと肩をすくめるダイスに、怒ってはいないかと様子を伺うサブ。
「いいや。観客は盛り上がったから、それで満足さ」
しかし、命のやり取りをしていたにも関わらず、あくまでショーをやっていると主張するダイスは、表面上は満足げだ。
「では、あっしはこれで」
「ちょっと待ちな」
退席しようとするサブを呼び止めるダイス。
やはりなにか粗相をしていたかとビクつくサブだが、
「『ピット』の掃除費用は、足りてるか?」
ファイトマネーの残りもサブに渡そうとするダイスに、丁寧に断りをいれる。
「へい、旦那、ご心配なく。費用は『組織』の方から出ますんで。片付ける者にはチップも渡されます。あっしからも小遣い程度ではありますが、手渡ししていますんで、ご心配なく」
「そうかあ?」
「へい、給金はあっしもしっかりともらってますんで、これ以上は旦那から掠め取ってるとあっしの方が疑われちまいます。ご勘弁を」
「……いや、まあ、金を十分にもらっているなら、いいんだがよ」
頑として受け入れないサブに、頭をかくダイス。
こういう、気前がいいところと、気配り上手なところは、サブも好んでいて真似しているところだ。
ただ、あまり手下に金を渡しすぎると、調子に乗るアホが出るのも事実なので、そこら辺の線引きはしっかりしているサブだった。
「では、あっしはこれで。……そうそう、頼まれてた、マズいと評判の酒、冷蔵庫に注意書き付きで入れてますんで。頼んだのは旦那だから、本当にマズかったからといってもクレームは受け付けませんぜ?」
「おお、そうか。いつものことだが仕事が速くて助かるよ」
サブが退室したあと、頼んであったマズいと噂されている酒がもうあるとのことなので、どんなものかさっそく封を切り、グラスに注いで、まずはストレートで口に含む。
その直後、あまりのマズさに噴き出して、咳き込んだ。
表現しがたいマズさにこれは酒か? と疑ってみるも、注意書きには醸造所が廃棄されるタンクを使用しジョークでマズさを極めてみるべく少数だけ作った酒なのだと書かれていた。
腐ってはいない、はず。香りはまあまあ。だが、味は……苦味? 渋味? エグ味? ダイスの語彙に存在しない形容しがたいマズさ。
しかし、興味本位で頼んだのは自分なので、八つ当たりもできやしない。
勝利の余韻はどこへやら。
果汁なんぞで割って呑むことも試さず、ふてくされてベッドに潜り込み、そのまま眠った。
※※※
『ピット』と呼ばれる地下闘技場が世界のどこかにあるのだという。
そこでは、定期的に生死を賭けた戦闘が行われており、勝者には栄光を、敗者には死を、等しく与えているのだという。
名もなき『組織』によって運営されている『ピット』は、あらゆる娯楽に飽きた金持ちどもが、最後に行き着く場所のうちのひとつと言われており、高額な掛け金が山のように積まれて、一夜にして凄まじい額が動くのだという。
ただ、ここ何年もの間、まともに賭けが成立していない。
一人のファイターが、ずっと勝ち続けているから。
そのため、観客は金のやり取りを楽しみにするのではなく、そのファイターが獲物を惨殺する様子を楽しみに来るのだという。
※※※
片手用の両刃剣を右手に持ち、右半身を前に出した構えから、わずかな動作で踏み込み、刃を横にして突く。上半身をひねって薙ぎ払い、右下からすくい上げるように斬り上げ、左半身を前に出すように踏み込み、右上から力を込めたけさ斬り、手首を返して右側へ薙ぎ払い、からの、唐竹割り。
ダイスによる、淀みのない流れるような剣戟は、ソードダンス……剣を使った舞のようでありながら、その一振り一振りがすべて必殺の一撃であることをサブは知っていた。
今度は、敵側の斬擊を想定した防御の動作。
相手の剣にぶつけて弾き、剣撃に対し剣を直角に立てて真正面から受け止め、右手を引いて左手を押し出して剣に角度をつけ敵の剣をそらしつつ柄頭を跳ね上げカウンターを打ち込み、かと思えば、背中を見せるほど回転しながら引き、すぐさま踏み込みながら上半身をひねって遠心力を乗せた回転斬り。
手配や段取りは得意でも荒事は苦手なサブには、動作のすべてを理解できてはいないが、ダイスの動きは本当に目の前に敵がいるように思えて、本来の目的を忘れてつい見入ってしまう。
片手用の剣を舞うように振り回すソードダンスを堪能していると、不意に動きを止めたダイスが呆れた様子で問う。
「で? サブよ、いったいなんの用だ? まさか、トレーニングを見るためだけに来た訳じゃないよな?」
「へいっ、すいやせん。あまりに見事なもので、見惚れていやした。……次のゲームが決まったので、その報告に来やした」
サブの言葉にニヤッと嗤い気をよくしたダイスは練習用の剣を壁に立て掛け、いつも仕事が早い相棒に問いかける。
「そうかい。そいつぁいい。……で、相手の資料は?」
「この中に、……ですが旦那、まずはシャワーを浴びて汗を流してからにしてくだせぇよ?」
「おおう、そうだな。先に汗を流してくるから、時間があれば待っていてくれ。……時間があればでいいぞ?」
ダイスが見ていないところでは、なにかと忙しく動き回っていることをサブは見透かされている気分になりながらも、そのちょっとした気遣いに気をよくして、待つ間に一手間かけてやろうと動き出した。
「おう、サブ、待たせたな。……って、悪いな、気を遣わせちまったみたいだ」
「いえ、時間なくてこんなものしか用意できませんで。申し分けねぇや」
こんなものと恐縮しつつも、温めたパンや即席のスープ、ベーコンエッグにサラダなど、テーブルいっぱいに料理が並べられているのを見て、ダイスは感謝というよりもむしろ呆れの表情すら浮かべていた。
シャワーを浴びるわずかな時間で用意された料理の品数がもうコース料理並で、サラダだけでも生野菜とゆで野菜の2種類が用意されているとかもう意味が分からんし。
サブって、NINJAで分身の術とか使えただろうか? と首をひねりながらサラダを一口。
茹でただけの野菜だが、ソースがうまいせいか次から次へと食べたくなる不思議な感覚。
これはもう、資料とかあとにして温かいうちに食事をいただいてしまおうと、食事の方に集中することにした。
「ふう、食った食った。ごちそうさん。……さて、資料は……」
「食後のコーヒーですぜ。……じゃ、あっしは片付けておきやすんで、ごゆっくりどうぞ」
たくさんの食器を音もたてずに運ぶサブを尻目に、資料に目を通していくダイス。
「…………だーめだこりゃ」
しかし、すぐに資料をテーブルの上に投げ出してしまう。
「そりゃあ、そうでしょうよっ」
洗い物をしながらも聞き耳を立てていたサブが、当然とばかりに声をかけてくる。
「……これじゃあ、ゲームにならねぇだろう」
「そこをなんとか、盛り上げてほしいそうですぜっ」
「そうはいわれても、なぁ……」
資料には、麻薬中毒になって借金を重ねた男性が、借金を返せなくなって妻と子どものもとから去ったところを、『組織』が取っ捕まえたらしい。
麻薬による悪影響で、体のあちこちがダメになっていて、もう長くはもたない状態になっているという。
そんな人物が、ファイターとして命を懸けた興業試合をやったとしても、まともに動けずにすぐ終わってしまうだろう。
「それを、盛り上げろと言われても……」
あまりのムチャ振りに、天井を仰ぎ見て、片手で顔を覆ってしまう。
ちなみに、『組織』は、銀行も経営しているし、麻薬も扱っている。
そろそろ麻薬からは撤退したいらしいが、そこはあまり関係がない。
「……まあ、奮戦に期待するか……」
「あっしはいつでも、旦那を応援していやすぜ」
ぐぐっと両手の拳を握ってみせるサブに、肩をすくめるしかできないダイスであった。
※※※
高層ビル街の一角。
誰もが一度は憧れるような、高級な貴金属店やレストランがならび、上流階級の者ばかりが高級車に乗って行き交う場所。
表向きは、会員制のクラブ。
情報が外に漏れないよう細心の注意を払って運営されているそこは、夜の闇を照らす人工の明かりに照らし出された地下駐車場に車がまばらに入っていく様子がうかがえる。
誰も違和感を覚えない光景。
防弾ガラスと堅牢な装甲に守られた高級車が入っていって、一台も出てこない光景に、誰も、違和感を覚えない。
法も、正義も意味をなさない、誰も、手を出してはいけない場所。
そんなところで、今宵、また血で血を洗う命懸けのバトルが行われると連絡を受けて、仮面を着けた上流階級の紳士淑女がその場に集まる。
携帯電話やスマートフォンのようなものだけでなく、マイクや発信器のようなものまでしっかりと対応するために、念入りなボディーチェックと専用の機器による反応の有無などを確認した上で、手渡された目元を隠す仮面を着けてようやく紳士淑女はその会場に足を踏み入れることができる。
そこでは、大金持ちと自覚のある者たちであっても、普段中々口にすることのできない貴重かつ高級な酒や料理が振る舞われる。
美味い食事で腹を満たし、美味い酒で舌を滑らかにした者たちは、自分の身分を明かさず、相手の身分を詮索しないことを条件に、普段顔を合わせない者たち同士が、顔を合わせて歓談している。
それは、国や街の権力者と経済界の重鎮や大企業のトップという組み合わせだけではない。
警察のトップと、マフィアのボスだったり。
裁判官と、他国の犯罪組織の親玉だったり。
表面上は、関係悪化から冷戦をしているとされる国のトップ同士だったり。
経済界や医療分野の有力者なども、違法な組織と知ってか知らずか言葉を交わしていく。
そうすることで、双方が同じ人間だということを理解し合い、双方の発展に寄与することを、改めて心に誓い合うのだった。
そんな、非合法な社交の場に、仮面を着けた男が現れ、今宵の戦士と獲物を軽く紹介する。
片方は、『組織』が誇る『ピット』の英雄。
片方は、麻薬に依存して借金まみれの情けない男。
どちらが勝つかは、明白。
今宵もまた、血の惨劇が見られると、観客たちが舌なめずりしながら開始を待つ。
まず、檻の中に入れられたのは、痩せぎすのみすぼらしい男。
上半身裸で履くズボンもボロボロ。
その様子は、前時代的な囚人のようだった。
檻の中に入れられ厳重にカギを掛けられてからは、ビクビクと不安そうに周囲を見る様子が観客たちの嘲笑を誘っていた。
次に檻の中に入れられたのは、連戦連勝の『ピット』の英雄。
むき出しの上半身からうかがえるのは、鍛え抜かれた上で、無駄に筋肉質でもない理想的なバランスの体型に、幾多の闘争と勝利をうかがわせるいくつもの傷跡。
堂々と胸を張って歩く様は獅子のような威風。
その場に現れ、自分の足で歩き、開けられた檻の中に入る。
ただそれだけで、沈黙と静寂がその場を支配した。
仮面の男が開始と終了の宣言をすると説明し、戦う前に武器を選ぶためのダイスロールが始まろうとしていた、その時。
檻の中であっても威風堂々たる男、ダイスが片手を挙げて宣言する。
「皆さま、一つよろしいか?」
戦闘開始前の息を飲むような緊張感の中、抑揚のない問いは、観客たちが一息つく役割も果たした。
周囲が無言で耳を澄ましていることを確認したダイスは、沈黙を了解と捉えて語り出す。
「戦闘開始前のダイスロールは、本来そちらの仮面の男クラウンが行うことになっていました」
痛いと感じるほどの沈黙の中、ダイスはよく通る声を一度切り、周囲を見渡し対戦相手を見る。
「ですが、今回の相手は戦士ではなく、ただの浮浪者です。扱ったことのない武器を与えても、使いこなせずにあっさりと負けてしまうでしょう」
観客たちは、近くの者と小声で相談してみるも、すぐに「その通りだ」と結論があちこちから出る。
「そのため、今回は、対戦相手にサイコロを振ってもらいましょう。……相手の運が良ければ、得意な武器を手に取ることができるやもしれません。……そうなれば」
にわかにざわつき出している観客を、言葉を切ってもう一度見渡す。
「……そうなれば、弱者が強者を喰らうやもしれません。……そうなれば、それこそ面白いでしょう?」
外見からはっきり分かるほどの圧倒的強者が、スポーツもろくにやってきていないような圧倒的弱者に負ける。
それは、ともすれば、非常に盛り下がる結末かもしれない。
だが、一方的な蹂躙という確たる展開より、不利をひっくり返されるかもしれないという手に汗握る戦いの方が、より面白いかもしれない。
観客たちは、その気持ちを、拍手と指笛で応えた。
「では、今宵はそういった趣向で」
ダイスの言葉で、相手の男に6面サイコロが手渡される。
震える手でサイコロを受け取り、大きく唾を飲み込む男。
2回、3回と深呼吸し、無言でほうり投げたサイコロは、2を上にして止まった。
広場の一角に設置された大型スクリーンにサイコロの目がどの武器を指すかの早見表が表示された。それによると、2は、『剣』だった。
鞘に納められたままの片手剣が取り出され、鞘から解放され、ダイスと男に手渡される。
仮面の男クラウンにより、戦闘開始が宣言された。
ダイスは剣をだらりと下げた様子で無造作にゆっくりと近付く。
決して広くはない檻の中、武器を持った屈強な男が近付いてくる。
その事実に恐怖し錯乱状態になった男は、剣をめちゃくちゃに振り回し泣き叫びながらも威嚇しダイスが近付けないようにしている。
しかし、ダイスは冷静に、振り回される剣を自分の剣ではじいて徐々に近付いていく。
男は後ろに下がりながら、なおも剣をやみくもに振り回す。
そこに、体力や技術やペース配分といった考えはない。
ただただ必死に、生き延びるために、攻撃されないように必死に攻撃していた。
……少なくとも、本人はそのつもりだった。
だが、ダイスはやはり冷静に剣をさばき、対峙する男を後ろへ後ろへと追い詰めていく。
男の背が檻に付き、後ろに注意がそれたことで、一時剣の振り回しも止まる。
「そぅら、首をいただきだ」
その隙を突こうと、右手を大きく引いてからの、首を狙った大振りの一撃。
男は、悲鳴を上げながら前に飛び込み難を逃れた。
そして、すぐにダイスの方に向き直り、今度は少しずつ前に進みながら、剣を振り回し始めた。
呼吸も荒く、半べそをかきながら。
しかし、命がけで生き抜くために、ただ剣を振り回していたほんの少し前とはうって変わって、積極的な攻めに転じた。
相変わらずむちゃくちゃな振り回しだが、必殺の意思の込められた剣撃に、ダイスは一時防戦に回る。
そして、今度はダイスが檻に背を付き、一見追い詰められたように見えた。
形勢逆転とばかりに、剣を大きく上に振り上げる男。
当然、隙も大きくなるためダイスは華麗に前転して難を逃れる。
しかし、男はというと、剣を檻に強く叩きつけてしまい、反動で剣を取り落としてしまった。
ぜえはあと、肩で息をする男。
対して、涼しい顔で檻の中央付近に立つダイス。
男は警戒しながら、取り落とした剣を拾い、今度は腰だめに構えて雄叫びをあげながら全力で突進した。
その、魂を震わせるような雄叫びに、観客は震え上がるものもいた。
だが、ダイスは冷静に横へ飛び回避しながら剣を振るい、浅い傷を付ける。
男は傷に意識をそらされ、鉄格子に正面からぶつかってしまう。
剣の傷と、鉄の檻にぶつかった痛みとで悶える男。
開始直後の情けない様子から一転して、激しく攻め立て捨て身の突進までした男を、嗤うものは誰一人としていなかった。
それは、息一つ乱していないダイスもまた同じで、先日のサムライもどきよりよほど戦いづらいと感じていた。
……それと同時に、戦士としての敬意も。
「立ちな。戦いはまだ終わっちゃいない。勝負はまだ決まっちゃいない。さあ、立て!」
その一喝はむしろ、固唾を飲んで見守る観客たちの方が恫喝されているようにも感じられ、観客たちの多くがその身を震わせた。
そして、ダイスは、男にだけ聞こえる小さな声で静かに語りかける。
「(生き残って、嫁さんと子どもにファイトマネーを渡して謝りたいんだろう?)」
ダイスの言葉に、男は悶えるのをやめ体を起こし膝に手を付き、剣を拾いながら立ち上がり、吼えた。
その、野生の獣のような咆哮に何人かの観客が気を持っていかれて倒れたが、誰もそんなこと気にしちゃあいない。
誰もが、今がクライマックスだと確信し、手に汗握って結末を見逃すまいと二人に全神経を注ぐ。
男が、剣を頭上に掲げる。
片手用の剣を両手でしっかりと掴み、再度咆哮をあげて踏み込み、必殺の一撃をくりだす。
その一撃に、ダイスは、
口を、三日月のように吊り上げて、嗤った。
大きく踏み込み、剣を全力で振り下ろす男の脇をすり抜けて躱し、一閃。
首から血が吹き出し、倒れる男。
男が倒れたまま、完全に動かなくなったのを確認してから、剣を頭上に掲げて、宣言した。
「俺の…………勝ちだ!!」
ダイスの勝利宣言に、観客から歓声と拍手が贈られる。
仮面の男クラウンにより、戦闘の終了が宣言され、熱狂冷めやらぬ観客たちは、生々しい殺し合いを見た感想を口にしながら、その場を後にする。
観客が全部いなくなったのを確認してから檻が開けられ、ダイスもまたその場を後にする。
倒れたまま動かない男を、一度振り返ってから。
※※※
夕焼けに染まる住宅街の一角。
庭で一人ボール遊びをする子どもに、スーツ姿の男が声をかける。
「やあ、ぼうや。ママはいるかい?」
しゃがみこんで目線を合わせる男に、うなずく子ども。
子どもは、「ママーッ!」と声を張り上げ、家の中に走っていく。
少し待つと、若い女性が家から姿を現す。
「どちらさま?」
警戒気味の女性に、男は名刺を差し出し告げる。
「弁護士のジャックといいます。どうぞよろしく。本日は、亡くなった旦那さんから預かっていたものをお届けに上がりました。確認をお願いします」
男が差し出したものは、二種類。
大量の紙幣が入っているスーツケースと、妻と子どもに宛てた手書きの便せん数枚。
これまでの後悔と二人への愛が切々と綴られた手紙を読んだ女性は、泣き崩れてしまう。
そして、泣き出した母を心配する子どもを抱きしめ、夫からの想いで嬉しくてたまらないのだと教えた。
「では、確かに渡しましたよ。それでは、失礼します」
夕日が沈む方向へ去っていく自称弁護士の男を見て、子どもは母に宣言した。
「ママ、ぼく、大きくなったら弁護士さんになりたい。あのおじさんみたいに、カッコいい人になりたい。…………なれるかな?」
「……ええ、なれるわ。きっと。……でも、弁護士になるには、たくさん勉強しないとなれないわよ? ……勉強、できる?」
「うんっ!」
父を亡くした子どもは、去る男に理想を見いだし、未来への希望を胸に母と共に自宅へと入っていった。
※※※
弁護士を名乗ったスーツ姿の男は、離れていたところで待たせていた車にノックしてドアのロックを解除してもらい、車に乗り込みシートベルトを締める。
「出してくれ」
運転席でハンドルを握る小男に告げれば、車は揺れも少なくスムーズに走り出す。
「……しかし、旦那? よかったんですかい?」
運転する小男は、どうしても納得がいかない様子でスーツの男に尋ねるが、
「なにがだ?」
助手席に深く腰かけるスーツの男はとぼけてみせた。
「今回のファイトマネーを、相手側の家族に全額渡したことですよ」
「ああ、その事か」
「いや、その事かって……。相当な額ですよ? 働かなくても、10年は暮らせる額です。それこそ……いやまさか……旦那?」
ときおり、助手席の男の方に視線を向けながら運転する小男は、なにかに気づいたように、自らが身の回りの世話をしている男に問いかける。
「それこそ、なんだ? サブ、俺とお前の仲じゃないか。言ってみな?」
「……旦那、あの子どもが、高校を出るまでの資金を渡してやったつもりですか? もう、金を渡すことも、見守ることもできなくなった父親の代わりに?」
小男が自分の考えを述べてみれば、スーツの男……ダイス……は、軽く笑い飛ばし、大げさに肩をすくめてみせた。
「よせよせ。そんなんじゃあねぇよ」
「だったら、なんだってんです?」
ため息まじりにサブが問えば、
「いやなに、戦士の魂に敬意を表しただけさ。久しぶりに出会えた、戦士にな」
思わず、ダイスの顔を見て車を止めてしまうほどの威圧感をダイスから感じ、大きく唾を飲み込むサブ。
「楽しい戦いだったよ。久しぶりに心が、魂が震えたようだったよ。……歓喜でな」
しばしの間、そのまま前を見ていたダイスが、ふぅ、と息を吐くと、威圧感も鳴りをひそめ、サブは大きく息を吐いてようやく生きた心地がし始めた。
……威圧感が無くなるまで、隣にいたのは、血に飢えた猛獣かなにかに思えてしまっていたから。
「それにな、サブ。俺にはもう、使いきれないほどの金を持ってしまってる。それを、どう使おうと俺の勝手だろ?」
「………………はぁぁっ。…………ま、旦那の言う通りなんですけれどね。金の使い道に困っているなら、あっしに相談してくだせぇよ。いつでも相談に乗りますよ?」
「そうだな。必要になったら相談しよう。さ、帰ろうぜ。外道を閉じ込めておく、愛すべき俺の檻によ」
夕焼けの方角に、再び車が走り出す。
「なあ、サブ。今日はなんか美味いもの作ってくれよ」
「……へい、そう言われると思い、仕込みは済ませておりやす。期待していてくだせえ」
他愛もない話をしながら。
人の営みのすぐ近くで。
血と戦いに取り憑かれた戦士が、
その牙を、研ぎ澄ます。
また、命懸けのバトルをするその日に向けて。
このお話は、創作でフィクションです。
現実の個人・企業・団体などとは関係ありません。