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三墨村には今日も人間がいない  作者: 壱﨑ノル
冬の三墨村
8/9

7 朝の匂い


「また怪我したら寄ってけよぉ」



空魚が手綱を外された子犬のように元気に飛び回っている。


扉の前で大きく手を振る岸礫さんに振り返しながら、私は来た道を大通りへ引き返す。


傷薬の効き目は抜群だったようで、塗り込んでさほど経っていないのに、痛みは引き始めているという。さすが老舗(しにせ)


彼らが薬屋に入って来た時は単に、大きい荷物だな、としか思っていなかったが、今改めて見ると、ニドさんが背負っているのは二人分の荷物だった。どうりで大きいはずである、恐らく足を痛めたユティアを気遣ってだろう。見た目こそおっかないものの、彼女に対する愛情が感じられてあったかくなった。



「えっと、この村のことを説明する前に、ちょっと私用を済ませてきてもいい...かな? 修理に出してた自転車を回収したいんだけど...」


「自転車?」



隣を歩くユティアが聞いた。歩幅に狂いはなく、どうやら本当に傷薬は効いているようだ。



「何、それ」


「え、知らない?」


「知らない」



ニドさんも首を横に振っている。


知らないのか。


知らなければその姿は文字からは想像がつきにくいだろう。自分で転ぶ車、とか。



「自転車っていうのは、踏み板を両足で回して進む、移動用の乗り物の事。椅子みたいなのがついてるからそれに座って、前についてる握り棒を動かして向きを変える...ほら、あれあれ」



前の十字路を、後ろ角を生やしたおばあさんが自転車をゆったりこぎながら通り過ぎて行った。


百聞は何とやら。ニドさんは合点がいったように軽く頷いた。



「あれか。以前見たことはあったが、その名前までは知らなかった」



ユティアは、へー、と本当に知らない様子である。彼女の故郷では使われていなかったのだろうか。


何にせよ、乗ってみれば分かるだろう、その利便性。


私も今、身をもって体感している...。



・ ・ ・



「おおー、近くで見ると本当に高い...!」



高層建築を見上げて目をきらめかせる。だがこれもまだ序の口だ、とはあえて言うまい。


中央通りに本格的に入ると、私にとってはお馴染みの、そして彼女にとっては初めてであろう、色々な店のものが混ざった独特の匂いが空気に溶け込んで私達を包んだ。 


そしてそのほとんどは食べ物のものである。


朝ご飯抜きで遠い区まで遠征している者、軽食のみを挟んで山を行くつも越えた者。


3人の腹が同時に鳴った。


空魚は、どうでも良いよとでも言うふうに、ころんと鳴いた。


・ ・ ・


屋根付きの食堂内は蒸しており、私たちはその中央辺りに席を取った。私の馴染みの食堂だが、朝に来るのは初めてだ。


朝だというのに、席は半分くらい埋まっているし、既に注文場には何人かの列が見える。



「おおぉ…!あの板に書いてあるのがご飯の名前?凄い種類…!」



ユティアは私が小さい頃初めて食堂を訪れたときと似たようなはしゃぎようだ。彼女の故郷にはこのような場所は無かったのだろうか。


二つ向かいの席に、黄米と鶏肉の定食を持ってきた男が座った。甘辛い匂いが漂ってきて空腹を刺激する。



「私、あの人と同じのがいい」


兜鶏(かぶと)定食?注文していいよ、私が(おご)るから」



嬉しそうに椅子からぴょこんと跳ね降りて、料理名を確認してからカウンターに小走りで向かっていく。



「感謝する…後で必ず返させていただく」



律儀に払おうとしてくれるニドさん。その申し出はありがたいのだが、私は丁寧に断っておいた。何度か食い下がったが、ニドさんは折れてくれた。


私は二人に、ここの絶品を気兼ねなく楽しんでほしいのだ。内職をちょびちょびやっているおかげでお金にさほど困っている訳でもないし、それにここは安い。紙幣が一枚あれば3人分くらいは食べられるだろう。



「はくれちゃん、助けてー」



ユティアが食券機を前に右手を振っている。だいぶ新しい設備で、確か去年にはまだなかったはずだ。



「どうしたの?あ、お金今()ったっけ」


「うん、それもそうなんだけど」



整列したボタンの前で円を描く様に指をくるくるさせている。



「このボタン押すのであってるんだよね...?...どれが、『かぶとていしょく』?七文字ってことは分かるんだけど」


「えっと......あ、これこれ」



私は右上の方のボタンを指差した。



「ありがと!」



お金を3人分入れて、ユティアの兜鳥定食、私の粉桃丼、そしてニドさんの朝刺焼を順に押した。短い電子音が鳴り、桃色の食券が細い隙間から吐き出される。



「そういえば私、まだ生まれのこと言ってなかったよね」


「う、うん」



触れてはいけないような気がして、一番話題は出していなかったことを突然切り込まれて動揺した。



「遠征に来てたニドに助けてもらったのが三歳?くらいの時で、勉強になることも何も出来ずに育っちゃってたから、私そのとき言葉あんまり話せなかったんだ」



遠征。


確か先の大戦ではこの村からも出兵があったと聞いたことがあったけど、それとはまた別なのだろうか。それにしても三歳とは、想像以上に早い。


私は食券を口から取り出しながら聞いた。



「ニドは私のとこからしたら外国語を使ってたんだけど、聞いてるうちに耳も慣れてだんだん話せるようになって、今はもう母国語みたいに喋れるようになって。私の国の言葉は話せなくなっちゃったけど、今はもうどうでもいいし」



ユティアは食券を料理中のおばちゃんに渡すと、渡し口の側で待ちながら続けた。



「けど教わったのは発音とその意味だけで文字は全然触れなかったから今も全然読めないんだ。出てくる前はずっとあの国にいたからここの文字も全然見かけなかったしね。どうせ話すのもニドとだけだったから問題はなかったんだけど」


なるほど、どうりで言葉が上手かったわけだ。言葉少ないニドさんだが、それでも彼女が言葉を話せるようになる程には話しかけていたのだろう。自分の言葉が通じなかった異国の子供に。


どう言う経緯で出会ったにしろ、彼らの間に築かれた絆はそう緩いものであるはずがないだろう。




それから、私の持ちかけたくだらない話に明るく返してくれたりしているうち、食券に印刷された番号が呼ばれた。


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