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作者: 赤石 桜

歌は生活の一部だ、と昔したためた記憶がある。

歌を享受するのは水を飲むのと同じくらい日常的な行為で、あるいは、代謝に関わらない生命維持活動だとすら言えるのではないか、と。

その見解は今ももちろん変わらない。

でも多分、歌はそれほど万能じゃないのかもしれない、とも思う。

上手くは言えないけれど、それは充実している時には感じない。むしろ擦り切れて、渇いている時、歌になにか頼ろうとした時にこそ顕著に感じることだ。例えば歌には限りがある。コップ一杯分の渇きがあっても、歌はあらかじめ缶詰めされていて、コップ一杯分の容量には決して届かない。それで、なまじ中途半端に飲めてしまえたものだから、よけいに渇きに敏感になる、みたいな。

あるいはオレンジジュースを飲みたいと思っているのに、用意されていたのがグレープフルーツジュースだった、といったような。

とにかく良くも悪くも歌は生命維持のための娯楽であって、決して僕らを満たさない。涙を止めてはくれない。

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