あなたにヴィクトーリアの微笑みを。
クレズン王国の城下町、カイザンの一角にある広場。
緑の芝生が広がるこの場所では、鬼ごっこや球遊びをする子供たちでにぎわっていた。きゃっきゃっと楽しそうに声を上げ、色とりどりの花や風船、色彩豊かな看板で飾り付けられた城下町の温度をさらに上げるかのようにはしゃぎ回っている。
一方、広場を取り囲むように巡る石畳の路上では、大人たちが忙しなく動き回っていた。
波紋のように広がる食べ物屋や土産物屋。それらの店では、店先を鮮やかな看板やリボンで飾りつけしたり、あらかじめ用意しておいたとっておき商品の在庫確認をしたりと大忙しだ。
しかし、ロビンはそんな浮かれた街の喧騒にもお構いなしだった。広場の端には、盛り上がる街の様子を見守るかのように枝を広げた、大きなケヤキの木が立っている。
ロビンはその木陰にどっかりと座り、数枚のカードを芝生の上に並べながらブツブツと何事かを呟いていた。
「えーと、『火のフェルワンド』は〝地上・攻撃特化〟だから『水のサーペンダー』へのATK値は1.5倍の2乗。ランクAだと最低90ぐらいにはなるか。となると……」
赤い炎を吐く灰色の大狼のカードを芝生の上に置き、その隣に紫の大蛇が描かれたカードを並べる。
「『水のサーペンダー』のDEF値は80そこそこだから、賽の目がどうであれ勝てるはずだよな……」
「うーん、ちょっと惜しいね、ロビン!」
そう頭上から声をかけたのは、上半身は赤いビキニで下半身は膝丈の巻きスカートという、この辺りでは見かけない露出の高い恰好をした少女。日によく焼けた小麦色の肌が、明るい太陽の日差しの下で輝いている。
褐色の少女は少年が並べたカードを覗き込み、うーん、と首を捻っていた。
「何だよ、リタ。今年も来たのか」
少女を軽くあしらうロビン。
しかし実際には、心臓の鼓動が一段高く跳ね上がるのをしっかりと自覚していた。
クレズン王国では『神王魔獣』と呼ばれるカードゲームが盛んで、毎年春に大会が開かれる。街が浮かれた様子だったのもそのせいだ。一年に一度の、王国をあげての大きなお祭り。
その時期にクレズン王国に呼ばれる旅芸人の一座。その一座の踊り子なんだ、とリタはロビンに語っていた。ロビンより二つ年上の14歳。
初めて会ったのは一年前。その前の年、決勝まであと三つというところで負けたロビンは、「今年こそは優勝するぞ」と息巻いていた。10歳でそこまで進めたなら大したものなのだが、ロビンの目標はあくまで優勝だ。
そうして一人黙々と自主トレしているロビンの前に現れたのが、リタである。
リタは国外の人間なので大会には出れないのだが、このゲームに詳しく、ロビンの練習相手になってくれた。
そうして去年は10戦してロビンの10敗。全くもって、歯が立たないのである。
本来、このカードバトルでは『魔導テーブル』と呼ばれる魔道具を使用する。台の上にカードを載せると自動的にATK値とDEF値を計算、予想ダメージ値を算出してくれる仕組みになっているのだ。実際のバトルでは、これに賽の目が乱数として加わるが。
しかしこの『魔導テーブル』はとても高価だ。まだ子供で、しかも平民のロビンに手が出る代物ではない。そのため、彼は練習ではいつも暗算で行っている。
複雑なダメージ計算や戦略をすべて頭の中でやってしまうほど優秀なロビンなのだが、なぜかリタには勝てないのだった。
「そっか、去年も駄目だったんだねぇ」
「そうだよ、悪かったな。あと一つだったんだけどさ」
決勝へ進んだ者は身分に関係なく翌日クレズン王城に招待される。そして王家や貴族の前で決勝戦を戦うことになるのだ。
これは非常に名誉なことで、平民にとっては夢の舞台。
そして三連覇すると殿堂入りとなり、一代男爵に叙せられ、貴族の仲間入りをすることができるのだ。
たいていはロビンより年上の大人たちばかりなので、12歳のロビンが優勝するのは並大抵のことではない。
「お前、大会当日にはいつもいないよな」
「その日は王城に行かないといけないからさ。王様の前で芸の披露をするの」
こっちも恒例行事だからね、と言ってペロリと舌を出すと、リタはロビンの前にペタンと座り込んだ。巻きスカートの隙間に手を突っ込み、カードの束を取り出す。
「でも、そのまま王城に滞在してるから、決勝戦まで来てくれればロビンの雄姿を見れるかも」
「よっし、頑張るぞ!」
「でもこれじゃ駄目だねぇ」
地面に並べたロビンのカードを指差し、リタが溜息をつく。
「え? 何でだよ?」
「テーブルには3枚並べられるんだよ。例えば……」
リタが自分の手持ちから二枚のカードを取り出した。茶色い凶暴な顔つきの栗鼠が描かれたカードと、鋭い牙を持つ青い土竜のカード。
「『風のトラスタ』ランクBの〝効果上昇×1.5〟。それと『地のヴァンク』ランクCで〝地上属性のATK値・DEF値を90%ダウン〟。この二つを併用するとロビンの『火のフェルワンド』のATK値が減らされて『水のサーペンダー』のDEF値が上昇する。勝率が逆転するわよ」
「……あっ、サーペンダーは〝水中〟だから『ヴァンク』の影響を受けないのか。『トラスタ』もスキルはそのまま……」
「そういうことね」
「でも、防御で『トラスタ』なんか使うかよ」
「それは思い込みでしょ。ステータス上昇スキルはDEF値にも使えるんだし」
「しかも『ヴァンク』……」
「敵も味方もダウンさせるカードだけど、使いようということね」
「うーん……じゃあ『ヴァンク』が出てるときは要注意か」
「というより、場に出てるのが二枚なら残り一枚は何が出るかわからないんだから、つねに要注意なんだけどね」
お姉さんのようにロビンを諭しながら、リタが自分のカードを再び手元に戻す。
「ま、とりあえず練習バトルをしましょうか。今年はねぇ、いいものを持ってきたんだよー!」
そう言ってリタが持っていた袋から取り出したのは、長さ30㎝、高さ10cmぐらいの黒い台。
上面には四角い凹みが三つと、右下にはガラスの文字盤。
ロビンは目を見開き、あんぐりと大きく口を開けた。
「これ……魔導テーブル!?」
「うん、そう」
「どうやって手に入れたんだよ、こんなもの!」
見ると、テーブルはあちこちに小さい傷がついている。かなり使い込まれたもの……どうやら新品ではないらしい。
「ワイズ王国でも『神王魔獣』は流行ってるんだよ。これはねぇ、お貴族様のおさがり!」
台を指差しながら、リタがニコニコとしている。ロビンを驚かせることができて、嬉しいらしい。
「ある伯爵領のお屋敷に呼ばれて行ったときにね、褒美代わりに貰ったの。水がかかって壊れちゃった、もう要らないからあげるって言われてね」
「じゃあ、ダメージ計算はできないのか……」
「できるよ? ほら」
リタが手に持っていた『風のトラスタ』のカードを載せる。やや遅れて、右下のガラス窓にパッと赤色の数字が浮かんだ。ATK20・DEF20で、予想ダメージ値は33。
「ちょっと反応は鈍いけど、ちゃんと直せば使えるのにね。勿体ないよね」
「へぇ……」
感心したように魔導テーブルを眺めたロビンは、「ん!」と一つ頷いた。
「よし、やるか! 今年はせめてリタに一勝する!」
「目標が小さいわね」
「いいんだよ、一勝で。そしたら、オレは……」
何か言いかけたロビンは、慌ててぶんぶんと首を横に振った。
「オレは? 何?」
「何でもねぇ!」
去年よりまた少し綺麗になったリタから目をそらし、ロビンはゴシゴシと右手で唇を擦った。
* * *
そうして時間は過ぎて、ロビンとリタのカードバトルはというと、またしてもロビンの全敗という結果になった。
「あー、これで20連敗か……」
ロビンがガックリと肩を落とす。
「でもロビン、強くなったよ。きっと決勝に行けるよ」
「そうだよな。最後はもうちょっとだったし。次は絶対に勝つ!」
「……うん」
夕方の太陽が、二人以外誰もいなくなった広場の緑をオレンジ色に染めていた。そろそろ帰らなければならない。
「じゃあね、ロビン」
「あ、待てよリタ! テーブル、忘れてるぞ!」
リタに続いて慌てて立ち上がったロビンが、右手にしていた黒い台を差し出す。
「あげるよ」
「え?」
「魔導テーブル。ロビンにあげる。そのために持ってきたんだもん」
「え……」
ロビンの目が目の前のリタと右手のデッキの間を泳ぐ。しばし悩んだが、ロビンは首を振り、再び黒い台をリタに差し出した。
「ううん、いい。これは、リタのものだろ」
「でも……」
「オレ、今年は優勝するつもりだし。そしたらきっと、王宮から貰えるはずだし」
「あ……」
もし今年も負けたら、ロビンはまた一人で黙々と練習することになる。魔導テーブルがあれば、その鍛錬もずいぶんと捗ることだろう。
しかし優勝すれば、来年は王者として挑戦者を受けて立つことになる。王者はクレズン王国に保護されるため、魔道テーブルの一つや二つ、褒美として与えられるに違いない。
これではまるで、ロビンに「今年も優勝できないかもしれないし」と言ってしまったようなものだ、とリタは後悔した。
「ごめん、ロビン」
「あやまるなよー」
リタに悪気が無かったことはロビンにも分かっている。
ロビンは困ったように頭を掻いた。
「リタがさ、また持ってきてくれよ。オレが優勝しても、しなくても。この街に来たときにさ。なんたってまだリタに勝ってないし。いつか絶対に勝つ。ずっと待ってるから」
早口でそう言うと、ロビンは「ははっ」と照れ臭そうに笑った。リタが落ち込んだのではないかと慌てすぎて、言わなくていいことまで言ってしまったような気がする。
「……うん」
リタがロビンから魔導テーブルを受け取った。
沈みかけていた夕陽はもう地平線ギリギリのところまで落ちていて、東の空からは藍色の闇が広がり始めている。
広場に長く伸びた二人の影は、夜の闇の中に消えそうになっていた。
「……じゃあまたな、リタ」
「うん、またね。……ロビン」
二人の時間は終わり。リタに手を振り、ロビンが広場を駆けてゆく。
その後ろ姿を見送っていたリタは、ふう、と溜息をついた。
すると、やや肩が下がったリタの細長い影を、それより二回りぐらい大きな影が覆い隠す。
「……いつまでこんなことを続けるつもりですか、マルゲリータお嬢様」
背後の樹の陰から現れたのは、紺色の騎士服を着た背の高い男性。ワイズ王国のマヘンリ辺境伯に仕える騎士、カリブだった。
眉間に皺を寄せ、困ったような顔でリタを見下ろしている。
「その恰好も。貴族令嬢にあるまじき服装ですよ」
「いいじゃない。どうせ偽物だし」
リタがパチンと指を鳴らすと、小麦色の肌は透き通る程の白い肌に代わり、黒い髪は輝かんばかりの金色に代わり、ビキニと巻きスカートは首元から足先までびっちりと覆われた薄い水色のドレスへと変わった。幻覚魔法だ。
「でも……そうね。こうしてロビンに会うのも、今年で最後ね、多分」
元の姿に戻ったリタが、淋しそうに溜息をつく。手元にある魔導テーブルの疵を、そっと撫でた。
来年は15歳になる。そろそろ婚約者を募らなければいけない年頃。一人娘であるマルゲリータは、爵位を継いでもらう婿を迎えなければならない。
そうなると、さすがに隠れて他国の少年に会う訳にはいかないだろう。年一回とはいえ。
勿論、マルゲリータは素直に親の言うことに従う気は無かったが。
カリブに促され、リタは広場の裏手からぐるりと遠回りをし、用意されていた馬車に乗った。
向かう先は、城下町の関所を越えたさらに奥、クレズン王国の貴族が住んでいる高級住宅街。
クレズン王国との国境に領地をもつマヘンリ辺境伯一家は、毎年このカードバトル大会の時期にクレズン王国の貴族、バルト家から招待を受けている。
一昨年のこと。このカードバトル大会を見学したお転婆お嬢・マルゲリータは、飛び抜けて年若なロビン少年が華麗に大人達をなぎ倒すのを見て夢中になった。
ロビンは城下町に住む平民、リタは隣国の貴族。到底身分は明かせないものの、彼と話すにはカードバトルに強くなるしかない、と一年で猛勉強し、持ち前の根性と聡明さでここまで来たのだ。
この疵だらけの魔導テーブルは、リタの努力の証。さらに一年、腕を上げるだろうロビンと対戦するためにリタが入手し、今日のために頑張ってきた大事な宝物。
「あまりにもお嬢様が熱心なものだから、バルト家が貴族の子息令嬢を集めてカード大会を催してくださるそうですよ。これからはそちらで頑張ってください」
「私はカードゲームが好きでロビンと会ってるんじゃないわ。ロビンが好きだからカードゲームを極めたのよ」
「もうどちらでもいいです、それは。とにかく大人しく、やり過ぎないようにして下さいね」
カリブの言葉に、リタはぷくぅと頬を膨らませた。
* * *
バルト家のパーティでのカード大会は、リタにとっては全く物足りなかった。
何しろ貴族の子息令嬢にとってカードはあくまで遊びであり、熱心に研究するようなものではないからだ。
「マルゲリータ様は本当にお強いですな。隣国の方でなければ大会への参加を推薦いたしますのに」
バルト伯爵がそう言ってリタをもてはやす。
そりゃそうよ、優勝を目指すロビンの相手になるために頑張ったもの、言っとくけどこれでも欠伸が出そうになるぐらい手を抜いたわよ、と内心思いながら、リタは曖昧に微笑んだ。
「こうなると、こちらも隠し玉を出すしかないですな」
バルト伯爵がパンパンと両手を二回打つ。すると、奥から侍従に伴われて誰かが歩いてきた。
ちらりと横目で見たリタは、思わず体ごと向き直った。自分の見たものが信じられず、何度も瞬きをする。
そこに現れたのは、ロビンだった。
いつもの薄汚れたシャツとズボンではなく、まるで貴族の少年のような小奇麗な格好をしている。
「おや、マリゲリータ様。どうかなさいましたか?」
「あ、いえ」
ハッと我に返ったリタは、慌てて扇で顔を隠した。
魔法で変装していたから旅芸人のリタと同一人物だとは到底思わないだろう。しかし万が一にもバレてしまい、ロビンの口からそのことが広まってしまったら、辺境伯令嬢としてのマルゲリータは終わってしまう。
「この者は城下町で神童と評判のロビン・ジョルジです。此度バルト家が支援することにしたのです」
「そうなのですか」
「ぜひ彼と戦ってみてください」
リタは困ってしまった。ここでロビンに勝ってしまったら、せっかくの支援の話も無くなってしまうのではないか。
それに明日は大会本番だ。ここで負けてすっかりやる気をなくしてしまったらどうしよう、はたして真面目に勝負するべきかそれとも負けてあげるべきか、と悩んでしまったのだ。
そんなリタに、ロビンはすっと跪き、頭を垂れた。
「初めまして、マルゲリータ・マヘンリ様」
「え、ええ……」
すっと顔を上げたロビンが、意味ありげにニヤリと笑う。
「真剣勝負でお願い致します。――21回目は、勝ってみせますから」
その言葉に、リタは扇を取り落としそうになった。
◇ ◇ ◇
二人のカードバトルは、パーティの終了と共に
「もうこの辺で」
とバルト伯爵に止められ、勝敗はつかなかった。
結局リタに勝つことはできなかったこと、そして辺境伯令嬢マルゲリータとしての彼女との身分違いを認識し、ロビンはその言葉を飲み込むことになる。
七年後――マヘンリ辺境伯領はヨーラン辺境伯軍に攻め込まれた。
豊かな土壌を欲したヨーラン辺境伯による暴虐である。マヘンリ辺境伯は自分の正当性を主張したが聞き入れられず、ワイズ王国にも「南方の僻地の小競り合い」と放置された。
時を同じくして、ウィーレ湿地帯にてマッドワームの異常種が発生。すぐ近くで交戦中だったマヘンリ・ヨーラン両軍はともに甚大な被害を被った。
ワイズ王国は北と南を分断するハビン砂漠を封鎖、二つの辺境伯領は完全に見捨てられた。
真っ向から魔物に立ち向かったマヘンリ辺境伯は、あえなく死亡。二年前に結婚した夫とも死別し、マルゲリータは辺境伯代理としてワイズ王国からの離反を決断した。
バルト伯爵を通じてクレズン王国に協力を願い出で、クレズン王国領に近づきつつあったマッドワームの群れを巧みな戦略で駆逐する。
そして弱体化していたヨーラン軍も蹴散らし、ハビン砂漠南部を制圧した。
この功績をクレズン王国に認められ、ワイズ王国および魔物災害の盾として、マルゲリータは女性の身で『バルメトン公国』を建てることになる。
そんなマルゲリータ1世を支えたのは、優秀な軍師にして彼女の二番目の夫、ロビン・ジョルジ・バルト。
バルト伯爵の庇護を受け、やがて養子となった彼は、マルゲリータのために最大限の知恵を絞り、魔物の脅威からクレズン王国を守り切った。
何を望むかとクレズン王に問われ、マルゲリータはロビンを望んだ。
ロビンもまた、マルゲリータを望んだ。
多くの民も二人を望み、クレズン王も深く頷いた。
国も身分も超えた二人の物語は、世界中で広く長く語り継がれることとなる。
ロビン少年と旅芸人リタ――これは、そんな二人が出会って間もない頃の、秘密の物語。