必死必殺
Z旗とよばれるものがある。
艦船同士の信号のために使われる旗のひとつだ。
かの日露戦争日本海大海戦においてロシアのバルチック艦隊を迎え討つ、連合艦隊司令長官東郷平八郎が合戦前に掲げさせた旗である。
Z旗
アルファベット最後のひと文字。
つまり後がない戦いに挑む覚悟と決意を持て、との意味らしい。
その決意と覚悟が、陸奥屋まほろば連合にはある。
つねにその意気で稽古して、稽古を続けている。
常に必死、常に目一杯。そうした姿勢が良いのかどうかを問われれば、決して健全ではないのかもしれない。
しかし武においては正義だ。
強くなければ死んでしまう、鍛えが足りなければ滅びてしまう。
令和の御代ともなればさすがに読者諸兄も、種族の存亡という観念は薄いのではないだろうか?
私だって薄い。
しかし古流武術というものが発生した昔は、〇〇氏を滅ぼしとか〇〇家はここで途絶えるのでしたなどと、当たり前にあったのだ。
その必死さに比べれば、私たちなどぬるいぬるい。
やはり先人というものは偉大なのだ。
しかし必死にならずとも食にはありつける、必殺の決意なくとも職はある。
そんな現代日本でここまで稽古の虫となるのは、一般社会からはみ出てしまわないかと不安にもなってしまう。
豪快に振り回された長杖が、ピタリと止まる。
手の内ができている証拠だ。
長杖を使うのは、我らがラブリー小隊長のトヨムである。
もうこんなマネができるようになったか。
手の内など普通は三年はかけて身につけるものだが、トヨムはこの短期間でモノにしてしまった。
いや、以前から手槍に興味を示したり元来が拳闘士だったりと、資質は十分にあっただろう。
それが今この時期に開花しているのだ。
さらには闘魂。
この娘の鬼気迫る迫力、正直に言えばトヨムの闘志は私でさえ肝が冷える。
現代人から最も遠くかけ離れた存在がトヨムなのかもしれない。
「私は戦闘能力が低いのであれこれ言えませんが」
ともにトヨムの稽古を見ていたカエデさんがもらす。
「小隊長って鬼なんですか?」
「かもしれない」
私は即座に答えた。
「この短期間にあれだけの技を振るうとは、タダではない」
「リュウ先生が認めるほどですか」
「鋭い、まるで名月の冴えるかのように」
「そこまで……」
いや、カエデさんが絶句することは無い。
トヨムはトヨムでこれまでの人生で、苦渋を舐め続けてきたのだ。
体重が軽すぎるが故に、高体連や国体に出場できなかった屈辱。
そのくせビッグタイトルではない地区大会などでは、妖刀村正の斬れ味のごとき技を振るっていた。
読者諸兄に、いま一度語らせていただく。
満足した者は武から離れる。
それほどまでに 武の道は険しく厳しいものなのだ。
しかし満足できないモノは、武の道を歩み続けてしまう。
この私がそうだから断言できる。
私も公式戦の記録など残してはいない。
だから未だに戦い続けているのだ。
そして私やトヨムだけではない。
陸奥屋まほろば連合の上位者から下位者まで、必死の稽古を続けている。
その筆頭は士郎さん。
草薙流の必死必殺、命のやり取りを前提とした稽古。
これが参加者たちを魅了しているのだ。
以前にも言ったかもしれないが、映画『激突』のキャッチだ。
命懸けだから面白ぇ。
そうだ、我が命ひとつを的にして、全力で生きることは面白く楽しいことだ。
面白きこともなき世を面白く。
長州の志士、高杉晋作による辞世の句だが、ダラリと生きることよりも全力疾走の命懸けで生きることの尊さが、よく現れていると私は思う。
カエデさんのような軍師タイプの人間などは、『そこまで必死にならなくても』と考えるだろうが、違うそうじゃない。
カエデさんだって軍師たるために、これまでの人生を必死に生きていたはずだ。
人生は必死であれ、必殺であれ。
ただし、審判が「止め」の号令をかけているのに追撃の回し蹴りを浴びせるのはいただけない。
それは試合ではなく、ただのケンカであり暴力だ。
もちろん不正や反則なども論外だ。
ただ痛めつけたい、ただ酷い目に遭わせたいというのは試合でも武でもない、サムライなどとは到底かけ離れた牛頭馬頭畜生の振る舞いである。
ではサムライらしい勝ちとは何か?
試合合戦戦闘にいどむにおいて、「勝ちたい」と思う心すら邪であり不純であると私は考える。
勝ちたいという気持ちは欲である。
欲をもって試合に挑むとはなにごとか。
存分な稽古を果たし、心気力の充実した者であるならば「敗れれば即、死」の境地に達しているはずである。
その境地に達していないのだから「勝ちたい」などと自分に都合の良い妄想がうまれるのだ。
勝負合戦に挑むならば、その心持ちは晴天のごとく晴れ渡り、「今日は死ぬには良い日だ」とでも言うべきであろう。
これまでの稽古に身を委ねよ。
己の流派を何故信じられない。
それはそれまでの稽古が邪であり、純度の低いものだからだ。
流儀に抱かれよ、同衾せよ。
この言い方で読者諸兄に伝わるだろうか、私の想いが。
流派の教えをまず信じ、徹底的に稽古し抜く。
それこそが勝利への最短距離なのだ。