ハエたたき
「あの……達人先生に対して、とても申し上げにくいのですが……」
キツネさんがおずおずと訊いてくる。
もちろん私は寛容に質問を許した。
自分でも説明不足で、不親切なお手本だということは自覚していたからだ。
キツネさんは予想通りの質問をしてきた。
「いまのハエたたきが、剣の上手とどのように関係してくるんでしょうか?」
「インパクト、あるいはショックを与えるための稽古だよ」
今度は口頭での説明を加える。
例えば木刀なりメイスなり、棍棒でも良いのだが鋭利ではないもので打撃を加えたとしよう。
上手はピシャリと打つ、インパクトや切れのある打撃が可能だ。
しかし熟練していない者の打撃は、鈍重だ。
打撃を効かせようとするあまり、インパクト後のフォロースルーが必要以上になってしまうからである。
打撃の切れはインパクトだけをプレゼントして、すみやかに帰宅するのがコツだ。
そのコツを覚えるのがハエたたきなのである。
インパクトをプレゼントしたならば、すぐさま後退。
これならば敵の防具に適確なダメージを与えられる。
というか、そのイメージを掴みやすいはずだ。
「なるほど、私たちは女の子ですから鉄の棒で他人を叩くことには馴れていません。そのコツを掴むための練習なんですね?」
「その通り、ペシッと叩いたら一歩でも二歩でも後ろにさがると、さらにイメージしやすいよ」
では、参るぞよとカカシに向かったのは、甘々なお姫さまだ。
ヒュンヒュンとハエたたきを振り、一度ピッと下段に構える。
そこから中段に変更、エイヤとハエたたきで打ち込む。
へにょり、ぺふっ。
格好だけでなんとも締まらない打ち方ではあったが、笑ったりはしない。
そのかわり、コツを伝授する。
「例えば目の前にハエたたきの網目を持ってきて、左の指先で軽く端をつまむ。そして目をそらさずに手首だけで軽く打つんだ、目で見ている場所にね」
そしてカカシとの間合いは、まず踏み込み無しで腕を伸ばした距離。
まだ肩を入れてリーチを伸ばすとか、踏み込むといった技術は盛り込まない。
今できる最適解を、キチンとこなすだけだ。
お姫さまと他にも数名、成績イマイチな方が数名は現状の稽古。
それ以外のアイドルさんたちは、次の段階に進む。
「なに、他人が先に進んだところで気にすることはないよ。結局みんな同じ場所へたどり着くんだから」
そのように言い置いて、成績良好な者を次へと進ませた。
次の段階、それは踏み込み打ちだ。
先ほどお姫さまに教えたのと同じように、網目から標的を覗きハエたたきを命中させることが目的。
そこに踏み込み動作が加味されるだけ。
意外と言っては失礼か、のんびり口調の犬さんが適確なショットを打ち込んでいる。
しかも剣技体一致のタイミングでだ。
「いやぁ、健康のためにボクシング習ってるから♪」
独特の訛りで、犬さんは嬉しそうに言った。
犬さんは笑っているが実はこのハエたたき、 ボクシングでいうところのジャブのコツなのである。
『飛んでいるハエを軽くピシャリと打つように』、というのがハエたたきジャブの秘訣なのだそうだ。
その犬さんがスイスイと水すましのように軽い足取り、ヒュンとハエたたきを振ってはピシャリ。
様々な角度、様々な距離、様々なコースからカカシをシバいている。
「そうそう、あんな感じあんな感じ」
あれが目的地とばかりにお手本とする。
では私も少し遊ばせてもらおう。
まずは右前の片手中段、そこから音もなくひと足。
ひと呼吸で三打ち、そのうち一発目と三発目はペタペタと触れただけ。
ニ発目のショットだけをキビシく打ち込んだ。
つまり初手は牽制、終い手はお釣り。打ち終わりに敵の接近を許さないための一発だ。
そしてカカシの革鎧を確認すると、ハエたたきで刻んだ爪痕が明確に残っていた。
今度は両手ダラリンのノーガード戦法、そこからヌルリと接近。
十文字型の腕にペタリ頭部にピシャリ、さらに胴を撫でて離れ際にもう一度頭部へ。
鉄を呑んだ鉢巻は弾け飛んだ。
おっと、やり過ぎた。
こんなものを見せて、一般人というか女の子たちが真似を始めてはいけないのだ。
辺りを見回すと、やはりアイドルさんたちは目を丸くしていた。
だから私も断りを入れる。
「今のはあくまで熟練者の技、君たちが目指す場所はここじゃない。あくまで目指す場所は、素早く軽く命中させること。防具の破壊を目指してはいけない」
お遊びはここで中断、再びアイドルさんたちを見て回る。
ひとつ悪いクセを見つけた。
ハエたたきで打ったあと、大上段に構えてしまうことだ。
剣道でもこれはバンザイ剣道と戒めている。
命中させて「どうだ一本取ったぞ」とアピールするのは、スポーツである。
武を名乗るのであれば、敵の反撃に備えて中段に構えを取るべきだ。
まして『王国の刃』は防具が砕けるだけ。
ワンショットワンキルでもない限り、敵は反撃してくるのだ。
とはいえ、打つから引き戻すの動作は、バンザイ剣道を呼び起こしやすい。
引き戻しの勢いでバンザイしてしまうのだ。
だから私から指導をひとつ。
『打ったハエたたきで、そのまま敵の目を突く。だけど足は後退する』
それを意識するだけでバンザイ剣道は治るものだ。
そうこうしているうちに、お姫さまたちのイマイチ組も合格点を出せる動きになってきた。
やはり競争意識というか、仲間の上達が早いと遅れを取り戻そうと奮起するものらしい。
踏み込み打ちの稽古に参加させるが、ここでも問題発生。
前足出る足後ろにひく足がピョコンピョコンと上限跳ねてしまうのだ。
それには、構えたときの両足の歩幅を狭くすることで対応させる。
それでもまだ跳ねてしまう。
どうしたものかと考えていると、アイドルさんの仲間が助言してくれた。
「ダンスのステップみたいに、ただ足後ろに前に出してみれば?」
何も考えず、ただ前に出る。
踏込もうとか鋭い動きで、などと欲張らず、ただただ前に出る。
それだけでバッタのような跳ね上がりが消えるのだから、世の中は分からないものだ。