そして西洋剣術軍団の存在
身体を真横に向けての剣素振り。
やはり『W&A』の脳筋まんきぃズは動きが固い。
そして面白いことにキャリアの浅い者、女子などの非力な者ほど上手に剣を回していた。
「まあ、こんなのはほんの準備運動のようなものさ。次に移るよ」
今度は逆回転、真正面を向いた敵の脇腹を斬り上げる軌道で剣を回す。
それが済んだら伸ばした前腕の上下を通過する、横回転の素振り。
「まあ、こんなところかな」
基本的な素振り、終了。
大力剛力の者ほど、己の出来の悪さにヒザをつく。
おのれぐぬぬ、といった活発な感情ではない。
「俺はなんと不器用なことか」と嘆くマイナスの感情でしかなかった。
だが、彼ら彼女らが悪いのではない。
殺気や気迫で押してゆく武しか伝えていなかった、私たち指導の者が悪いのだ。
師に責こそあれ、弟子に否は無しである。
「今日できなかったからといって、なにも落胆なんてすることは無いさ。それよりも『継続は力なり』だ。できないことができるようになるまで、稽古を続けることが大事なのさ」
「おのれ、ぐぬぬ……」
歯ぎしりするのは、草薙士郎子息、キョウちゃん♡である。やはりこいつもできなかったか、不器用者め。
「んじゃ次は受け流しの稽古といこうか」
続いての教練は、私が務めることになった。
技の無双流、力の草薙流、位の床山流。
こうした技には、やはり私が出るべきだ。
まずは二人一組になってもらう。その上で仕太刀打太刀に別れさせる。
仕太刀は仕える太刀、つまり教えを請う側であり型を演じる際には勝ちを得る側。
打太刀は師匠の側、教えを授ける側である。
型を演じる際には勝ちを譲る側である。
我が無双流において打太刀は、きちんと負けなければならない。
というか仕太刀の誤りで怪我をさせられても文句は言えないとしている。
例え仕太刀が誤りをおかしたとしても、それを躱さなければならないのが打太刀なのだ。
その姿勢が型に緊張感を生み出し、油断のない剣士を作るのだ。
もっとも今回の場合仕打に分けたのは便宜上。
そこまでの責任は負わせない。
「まず仕太刀は剣を頭上掲げて、そう、頭を守るように剣は地面と水平に」
当然ではあるが、剣を執る手は『斬る手』である。
「打太刀は仕太刀の剣を叩いてやる。だけど乱暴くさい撃ち方は駄目だぞ。あくまでこれは相棒を育てるための『稽古』なんだ」
この精神。これこそが剣の精神なのだ。
ひとりで強くなったと思うな。
相棒あればこそ、君の強さは出来上がったのだぞ。
例え打太刀を実力で追い抜いたとしても、君は生涯打太刀に頭は上がらないのだ。
いや、頭を上げようという考えこそがおこがましい。
例え君が猛者になったとしても、それは役割分担に過ぎないのだ。
猛者はいずれ生命を落とす。
ならば凡才としか評価を受けていない者が稽古を続け、猛者であった君の実力を追い抜き、そして流派を存続させるのではないか。
「努力しても死んじゃうのかよ。リュウ先生、百戦百勝の太刀を授けてくれよ」
そんなことを考えるなら、私は叱りつけるだろう。
「百戦百勝を目指したくんば、黙って稽古せい!! その上で自流を立てて一党一派を興すべきだろう!」
と。
そしてもしも本当に自流を押し立てたのならば、是非とも知らせてもらいたい。
駄目な流派ならば即座に私が叩き潰すからだ。
こんなことを言うと、読者諸兄の中には。「そんなこと言って、リュウ先生ホントに勝てるんですか?」と考える方もいよう。
しかしこれには、以前語ったことがあるはずだ。
「弟子は絶対に師匠を越えることはできない」
じつはこの言葉、通背拳の常松勝老師が語った言葉なのだ。
「流派は代々弱くなる、何故なら弟子は師匠を越えることができないからだ」
そんな意味合いの言葉だったはずである。
え〜〜、弟子って師匠を越えられないの〜〜? とお考えの方。
己の師と比べられるだけで、貴方は十分『現代の猛者』になっているはずだ。
師匠にできて自分にできない訳が無いなどとトンパチな発言を許されるのは、武田惣角先生の直弟子であった故佐川幸義先生くらいなものである。
うっかりと師匠を越えられないと嘆いたみなさま、佐川幸義先生ほどの達人たり得るや否や?
ちなみに佐川先生のお弟子さん方は、千回を『1佐川』という奇妙な単位だ呼んだそうだ。
佐川幸義先生の腕立て伏せ、腹筋背筋スクワットは、1ラウンド千回だったからだそうだ。
余談のおまけ。佐川幸義先生は健康診断で病院に行ったとき、お医者さんに「ちょっと身体を動かして心拍を上げてください」と言われたとき、黙ってバービーを千回こなしたそうである。
佐川先生ほどになれば、千回のバービーなどウォーミングアップ程度に過ぎないということだ。
ちなみにではあるが、師匠の武田惣角先生は一刀流の達人であったそうで、剣素振りのしすぎでヒジが伸びなくなってしまった。
という逸話も聞いたことがある。
そろそろ読者諸兄もゲップが出そうなくらい、ディープな武術談義にごちそうさま状態であろうが、そろそろメンバーたちに目を移そう。
「撃たれた仕太刀は、手首を効かせて西洋剣を回転。打太刀の小手……どこでもいいから打ってやれ」
小手、つまり一番最初に切っ先が届く場所。
ではまたもやボクシングに例えてみよう。
ボクシングで一番最初に届くパンチは?
ジャブである。
そしてジャブは、華麗なアウトボクシングでは生命線足り得るパンチである。
今回の西洋剣術稽古において、アウトボクシングは私たちの目的地と言える。
我ながら良い稽古だと自負してしまいそうだ。
で、脳筋まんきぃズと悩めるウェルテルことキョウちゃん♡である。
……こいつら、さっきまでは不器用な自分に嘆きをみせてたのに。
いざ打ち合い型稽古を始めたら途端に生き生きとしやがった。
さくら猿にヨーコ猿、ヒカル猿は言うに及ばず、モヒカンやモンゴリアン。
果てはキョウちゃん♡まで華麗な剣を振るってやがる。
ただ、小手打ちの反撃が少々力強くあり過ぎる。
「もっと力を抜いて、その小手打ちに反撃されるかもしれないからな」
そう、『すぐに変化ができる打ち終わり』。
それもまたシュガー・レイなスタイルなのだ。
「ちなみにリュウ先生」
カエデさんだ。
「プロチームに西洋剣術チームがいるということで調べてみたのですが、いましたね」
「何がだい?」
「西洋剣術アマチュアチームです。しかもあちらでも講習会を開催して、西洋剣術を『王国の刃』内で広めようという動きのようです」
「かなめさんに報告して下さい」
そうか、まあそうなるさな。
王国の刃は西洋の中世を舞台にしたゲームだ。
あちらの武術を広めたところで、なんら不思議は無い。
西洋剣術軍団、どのような技を用いて、我々にどのような関わりをもって来るのか。
熱ある者ならば挑んで来い、知恵有るならば関わるな。
というところか。
西洋剣術を日本に広めたい、東洋圏に広めたいというのならば、我々に関わっても良いことはない。
自慢ではないが日本の古武道というものは、ちょっと『アレ』なところがある。
『お前たち、異世界の住人かよ』というような価値観が尊ばれているのだ。
バッサリと言ってしまうと、頭がどうかしているのだ。
サムライという世界史上でも指折りな『アレ』の価値観を、ほぼほぼそのまま引き継いでいたりもする。
こんな連中にプランを抱いた者が関わっても良いことはない。
お願いだから賢くスマートであってもらいたいものだ。