部品練習、斬る
彼女たちにとっては最高の見せ場、納刀と血振りが形になった。
ではいよいよ、本題である抜き付けと斬り下ろしだ。
「やっぱり居合を学んだというからには、このふたつを外す訳にはいかないよね」
抜き付けに関しては、納刀と同時進行で行っている。
だが、本格的な抜き付けとなるとかなりしんどいものがある。
重複するが、あのクソ重たい刀を片手で操作するのだ。
ちょっと想像したくないであろう。
だからこの部品は軽めの稽古で『良し』を出してあげることにする。
「抜き付けはさっきもやったからね。それに私もまた、人斬りなんか作りたくない。ということでここは駆け足で次に移る」
鍔はへその辺り、左手は鞘を取り、右手は拝み手で下から柄を取る。
左手親指で鍔を押して、鯉口を切る。
「右手のリラックスを忘れないで、左手は形の棟をしっかり挟んで」
抜き付け開始。刀は鞘から抜き、鞘は刀から抜く。
「本当は徐々に抜く速度を上げていくんだけど、そこまでは要求しないから、左手で刀の帽子、切っ先を感じ取って」
と、その前に刀全体の真ん中あたりまで抜けたら、鞘を横倒しだ。
そしていよいよ切っ先が鯉口から離れる、というときに。
「小指を締める」
私はわざと、ゆるい抜き付けを見せた。つまり。
「今の段階では、これくらいゆるい抜き付け抜刀でかまわないからね」
あまり斬ろうとしない。
鋭さや速度は、初心者には禁物である。
ただ、小指を締めるだけ。無理に斬ろうとすれば、無理に抜かなくてはならなくなる。
無理に抜くと鞘を壊してしまうこともある。
だから刀に馴れていないうちは、ゆっくり丁寧に。
ひとつひとつの動作を正確に行うことだ。
「で、本当はこの抜き付けを百回くらい繰り返すんだけど、そんなことをしたらみんなの右腕がアイドルらしからぬ鉄腕に育ってしまう。ほどほどで止めておこう」
本当にその通り、アイドルの女の子たちが、ブルース・リーのような格好良い前腕になってしまう。
「さあ、抜き付けはしんどいからほどほどにして。つぎは居合の華、斬り下ろしに移ろうか」
ほどほどにしてなどと言いつつ、斬り下ろし動作のスタート地点は抜き付け完了の姿勢からだ。
つまり片手で日本刀を水平斬りしたところからである。
意地悪い指導をするなら、この抜き付け完了の姿勢を取らせたまま技の解説をするというのがある。
が、私は素人相手のそのようなことはしない。
型武道などと侮ることなかれ、厳しく鍛えようと思えばどこまでも厳しく鍛えることはできるのだ。
「ままままま、それはそれとしてだ。全員抜き付け完了してるね? それじゃあ手首の操作で刃の水平を保ったまま、切っ先を動かします」
切っ先を切っ先方向へ。言葉にするとヘンテコな感じがするが、ものすごく簡単に言うならば切っ先で後ろを指差すのだ。
そして同時に左手で、鞘の鯉口をへそ前まで持ってきている。
刀がほどよく後ろをズブリと指差したなら。
「刃を上に向けて、耳を防御。切っ先が垂れることなく起き上がることなく、水平を維持したまま頭上へ」
その右手を左手が追いかけるように昇ってゆく。
左手で形は右手と合掌するような感じだ。
「刀が頭上に到着、同時に左手で柄を取る」
もちろん両手は一本拳、私たちが言うところの『斬る手』である。
「気力充実意気軒昂、それは良いんだけどみんなは初心者。ここは気持ちをやわらげて、斬る意識よりも刀を立てて落とす感じを目指そう」
はい、スタート。
素直に素直に、力を入れずに正しい技で、その結果斬れていればそれで良い。
一年も二年もやってそれでは困るが、階段の一段目などはこれで良いのだ。
そして斬り下ろしを真面目にやるのなら、また片手の水平斬りに戻るのだが、初心者にそれでは負担が大きすぎる。
斬り下ろし完了の姿勢から、右手を支点で左手の平で柄頭を押し込ませた。
「切っ先が持ち上がって刀が立ち上がるだろ? これで刀は軽くなる」
軽くなったところで振りかぶりだ。
バンザイにならぬよう。
「振りかぶりは、ふたつの拳が髷に触れない程度」
に振りかぶる。振りかぶり完了の態勢は、刀が地面と水平。
切っ先が垂れず起き上がらず。
「こればかりは感覚で覚えてほしい」
感覚、このような曖昧さを読者諸兄は理不尽ととらえるだろうか。
だとしたらご心配無く、世の中には鏡というものがあるのだ。
それで姿勢を確認すれば良い。
ただし、私は師匠から『お前の先生は鏡か!!』と叱られたものだ。
なんつージイさんだよ、とまたまた読者諸兄は憤慨するかもしれない。
しかし結局のところこんな稽古が宗家の私を作り上げたのだ。
「な、分かっただろ? いちいち懇切丁寧にアレは駄目だこうしやがれ、なんて教え方じゃあいざというとき闘えねぇんだよ」
ベロを出して笑う師匠に対して、あからさまな舌打ちをして良いのは私だけなはずだ。
そして令和の子供たちに、こんな理不尽を伝えて良いものかどうか。
以前の私ならば、「それでこそ古流」と鼻息を荒くしただろう。
しかし頭がどうかしていない一般人にとって古武道とは、そこまでして極めるものではないのだ。
それこそ月いくらの文化教室に通うような感覚で、『ちょっと珍しいもの習ってます』という特別感が出ればそれで良いのだ。
人生のなかのちょっとした彩り、あるいはアクセサリーとして身につけておく。
古流の生き残りには、もうそんな手段しか残っていないのかもしれない。
何故なら剣など現代社会において、どこにも居場所が無いからである。
思わずクスリと笑ってしまう。
「どうされましたか、リュウ先生?」
ユキさんが訊いてくる。
「いやなに、古流剣術などイマドキどこにも居場所が無いと思っていたらさ、こんなにも熱心に学んでくれる人間がいるじゃないか、ってね」
「はあ……?」
ユキさんは納得いっていない顔だ。
おそらく彼女は、古流の居場所の無さなどは普段から感じていないのかもしれない。
「あの、先生。よろしいでしょうか?」
始祖アイドルの相川海さんだ。
「先生の言うとおり刀を立てて落としているんですが、それだと落ちる場所がバラバラというか、安定しないんですけど」
「うん、それは斬っているんじゃなくって斬れているだけだからだね。だけど、今はそれでオーケイ。あそこを斬る、狙って斬るは次の段階さ」
今はまだ、斬るための感覚を養っている段階だ。
自ら狙って斬っているのではない。
斬れる動作を身体に教え込ませているだけだ。
どんな動きが斬れるのか?どうすればそれが可能なのか? まったく未知の技術を身体に教えているのだから、時間をかけたい。
とはいえ、同じ動きばかりでは飽きが出てしまう。
ひとつカンフル剤でも投与しておくか。
「はい注目、いま海さんから良い質問がありました。刀を立てて落とすの動作だけでは、斬った位置がバラバラになる。ただ立てて倒して落としているんだから、当然といえば当然」
じゃあどうするか? 特効薬がある。
が、道を誤る可能性が高い。
道を誤ったらどうするか?『先生』という存在はそんなときのためにいる。
「まずは斬った姿勢、そこから刀を立てて振りかぶる」
そこまでは良しとしておこう。
「はい、頭上に振りかぶって刀も水平。ここからだ。刀を立てて倒して落とすの三つの動作、これを止まらずにやってごらん」
ひと呼吸で三つの動作をおこなう。
「これが狙って斬る、だ」
もちろん今の段階では早すぎる稽古だ。
しかし一度は経験しておくのも良かろう。
自分はまだこの稽古をするに足りていない。そう自覚することも稽古のうちだ。