そして囮稽古と全体会議へ……
トヨム撤退、というところで通常の稽古をひとつ。
「それじゃあカエデさん、前に出て」
「はい」
ちょっとだけ本気の私を見せたせいか、カエデさんは怯えるようにして前に出た。別に怖い稽古をしようというのではない。囮作戦の練習をするだけだ。その旨、カエデさんに言い含める。なにも生娘を手込めにしようというのではない。
「あ、そっちの練習でしたか」
カエデさんも少しホッとした様子だ。とはいえ複数対一人。決して楽な相手ではない。まして相手を務めるのはトヨムにセキトリ、マミさんシャルローネさん。いずれも熟練格では破格の強さを誇る精鋭である。
まずは三人を相手に。シャルローネさん、マミさん、セキトリの三人を向こうにまわして生き延びてもらう。
練習用の銅鑼! まずは闘志に火の着いたセキトリとマミさんが出た。カエデさんも間を詰める。が、まともには相手にしない。
パッと接触、カスダメを与えてパッと離れる。
セキトリのサイドに回り込んだ。上手い、これでマミさんからは離れることができたので、セキトリと一対一を作れている。しかしそれはシャルローネさんが読んでいた。セキトリの陰から現れて、カエデさんに奇襲攻撃。
距離をとってカエデさんがかわす。セキトリも攻撃に参加、しかしこれも当たらない。マミさんが囲みにきた。ここにポン突きを入れてカエデさんは回り込む。追いかけるシャルローネさん、展開しようとするセキトリ。今度はカエデさん、シャルローネさんにカウンターアタック。しかしこれも欲はかかない。ポン打ちのカスダメだけをいただく。
「よし、トヨム。お前も参加しろ」
この稽古は夏イベントに向けた稽古だ。敵は次々現れる。トヨムのような対戦相手が登場してもおかしくはない。というか、早く私も参加したい。さあ、敵は四人だカエデさん。どうさばいてどう対処する? まずはトヨムと距離をとろうとするカエデさん。
しかしトヨムはしつこい。カエデさんがさがったと見るやグイグイと前に出てパンチを放ってくる。カエデさんはトヨムの申し込みを受ける……とみせかけて、マミさんの陰に回り込んだ。マミさんにカスダメ、攻め込んできたシャルローネさんは足でかわす。セキトリも出て来た。これもダメージは狙わず、ひたすら足を使う。
もしも君が警察官で、泥棒をつかまえて柔道技で投げてやらなければならないとしよう。こんなときなかなか投げられない泥棒というのは、逃げることのみを考えている泥棒だ。つまり、まともにバトルをしようとしないカエデさんに一本をいれるのは難しい。トヨムなどはその戦法にすっかりはまっていて、血が上った頭のまま一生懸命にカエデさんを追い回している。
ではカエデさんのようなアウトボクサーを処するにはどうすればいいか?
ここで、私、登場!
逃げ回ってカスダメしか入れて来ない相手。これを処するにはカスダメを積み重ねることだ。以前熱闘型のインファイターが、アウトボクサー相手に熱く熱く勝負をいどんで空回りさせられていたとき、テレビ桟敷で共に観戦していた知人に解説してやったものだ。
「私がセコンドなら、インファイターに『触って来い』と指示を出す」
これがアウトボクサーへの最大の嫌がらせなのだ。ということで、シャルローネさんを前に置く。カエデさんは回り込んで……来た! そこへポン打ち。カエデさんは進路を変更しなければならない。追いかけてきたセキトリに申し込んむふりをして、脇からスルリと逃げてゆく。
しかしそこにはしつこいコゲ茶色のブルドッグ、トヨムがいた。
私のポン打ちひとつで、カエデさんはリズムを狂わせてしまったのだ。カエデさんは今、こう考えているだろう。
『リズムを立て直すには、足だ』
そしてリズムを回復するのに、トヨムというブルドッグは格好の相手と言えた。トヨムもまたリズミカルに動くからだ。頭を振ってジャブふたつ。それからボディーへのフック、右足は顔面。パンチの予告でもされているかのように、カエデさんは華麗な足さばきでことごとくよけてみせた。それだけではない。セキトリの陰に隠れてトヨムの攻撃を遮断したのだ。そしてシャルローネさんをかわし、マミさんから逃れた出口にはジャジャ~ン♪ と私が立っているのだ。
「とまあ、そのような具合で、私たちは囮作戦の稽古を積んでおります」
陸奥屋本店会議室。各隊の隊長と副官が集い、大部隊『陸奥屋』の対夏イベント作戦会議が開かれていた。本店からは総裁鬼将軍と秘書の御剣かなめ、そして白詰襟の参謀くん。鬼組からは隊長の士郎先生と小柄で童顔のフィー先生。そして私たち、トヨム小隊からは小隊長のトヨムと私が出席。その会議の場で、私たちは稽古の進展を訊かれたのである。
「なるほど、囮作戦ですか……それは興味深い話ですね」
参謀くんは目を輝かせた。
「夏冬問わず、イベントというのは毎回大混戦のようでして、ほとんど収集がつかない泥仕合になっているそうなんです。そこに敵を引き付けるというか、コントロールできる因子が介入するとなると、面白い展開になりそうですね」
そのとき鬼将軍のメガネが輝いた。
「参謀、リュウ先生の小隊はキレイどころが揃っている。それらを前線に押し出して囮とすれば、効果はさらに大ではないかね?」
「お言葉ですが総裁、そうなると三人の乙女がそれぞれに連携を取るという、かなり面倒くさいことになります。ここは一人を推奨します」
そうだ、囮は数がいれば良いというものではない。有能な囮がひとり、カエデさん一人で十分なのだ。
「いやしかし参謀、ならばリュウ先生のところのトヨムという娘。あのキレイどころこそ囮にはふさわしかろう」
トヨムが小さな声で、「旦那、大将がアタイのことキレイどころだってさ♪」と私の脇腹をヒジで突っつく。
「総裁、ご趣味に口ははさみませんが、トヨム小隊長は少年では?」
鬼将軍のメガネが発光した。そして謎の怪光線を放つ。参謀は黒コゲになった。
「参謀! 君はレディに対してなんということを! トヨム小隊長は美しいレディだぞ!」
「参謀さん、アタイ女だよ?」
そうだったな、トヨム。私もすっかり忘れていた。
「そら見ろ、参謀! これほどまでに可憐なレディが他にいようか! 私はキミの審美眼を疑うぞ! もっと美を見る目を磨け! 美しさを知れ! 美人の基準を塗り替えるのだグフッ」
興奮する鬼将軍の首筋に、美人秘書の手刀一閃。鬼将軍は死んだ。そして場は御剣かなめが仕切ることになる。
「囮役を引き受けてくださるお嬢さん……カエデさんと申しましたか? 差し出がましいようですが、陸奥屋本店が囮役に相応しい装束を提供したいと思いますが、いかがですか?」
受けよう、とトヨムに耳打ちした。トヨムは私の言葉にうなずく。
「カエデが笑い者にならない、カエデが泣かない、カエデを悲しませない。そんな装束ならオッケーだ」
「で、かなめさん。カエデさんにどんな衣装を着せるんだい?」
「そうですねぇ、囮役と墨染めされた幟を背負ってもらいましょうか?」
「それは嘘ですね、かなめさん?」
「もちろん♪ それは陸奥屋一党と染め直して、みなさんに背負っていただきます」
イベントの前情報として、NDWSなるものが存在していることは、すでに知っている。これは仲間がどこにいるかわかっちゃうシステムの略で、いわばマップとか俯瞰図のようなものである。他にも部隊通話といって仲間同士距離があっても会話ができたり、撤退復活の状況を把握できるシステムもある。
簡単に言えば幟など背負わなくともなんとでもなるのであるが、そこは合戦の雰囲気作り、あるいは見ただけでシステムを使わずとも、仲間の存在がわかるというもの。
「で? かなめさん。カエデさんの衣装というのはどういうものですか?」
「略図でアイデアを説明しますと……」
かなめさんは黒板にチョークで板書。その図を見て、私も一言もの申す。
「かなめさん、それはどこの年末歌番組の大御所女性演歌歌手ですか?」
「ダメでしょうか?」
「ダメですね、それではカエデさんが動けなくなる。」
いや、本当はそれ以前の話なのだが。どこの世界に戦場で電飾まみれ、巨大な羽根のついた帽子をかぶる奴がいるものか?
その辺りをとっくり説明してもらいたいのだが。
「ふむ、囮役の乙女の装束か。私に考えがある」
「総裁、黙っててください」
御剣かなめが言う通り、死んでいた鬼将軍が復活した。
「決死の覚悟に躍動する乙女、きらびやかな機能美。その美しさを存分に発揮するには、体操服をおいて他にあるまい! もちろんジャージだの半パンだのは不可、いや大却下だ! 陸奥屋鬼将軍推奨の戦闘服、それはっ『赤ブルマー』だーーっ!! ぷぎゅる」
合気道の四方投げを受けて、鬼将軍は死んだ。投げたのはもちろん、御剣かなめである。喉元にパンプスの足刀蹴りまで突き刺さっていた。
「とりあえずかなめさん、カエデさんの装束はいつも通りでよろしいですね?」
「本店としては戦場に相応しい装束をみなさんへ支給したかったのですが」
「それでしたら、揃いの羽織などいかがでしょう?」
士郎先生だ。
「なにも新選組のような浅葱色のダンダラ染めとは言いません。しかし黒羽織のひとつも揃えておけば、陸奥屋ここにあり! を見せつけられるのでは?」
「さすが士郎先生、採用させていただきます」
「それと、トヨム小隊の囮作戦。ウチでもやってみようかと」
「鬼組で? どなたか適任でも?」
「フィー先生がもっとも食いつくかと。彼女の容姿は、きっと敵の食指を動かします」
私たちトヨム小隊だけではない。鬼組まで囮作戦を実行するという。これは囮作戦が有効という証明なのだろうか?