We are made in japan!
「ではこれから、トヨムやセキトリが経験した『ちょっと本気』な稽古を始めます」
カエデさんは花がほころぶように、パッと明るさの差した顔になり、マミさんは「おぉっ!?」と言いながらもどこか他人事のよう。当然のことではあるが、この二人は、これから何がはじまるのか、まったくわかっていない。
「ただし、ここから先は必死必殺の世界です。そのほんの一部を公開するだけなので、決してこっち方向を極めようとか思わないように」
「極めようとすると、どうなってしまうんですかー?」
マミさんの良い質問だ。私は即答する。
「帰って来ない人になる」
「?」
「戦さとあらば先駆けに先駆けて、男が戦場で命を落とすのは当たり前、とか自分勝手なことを言って、帰って来ない人になる」
幕末好きと見られるカエデさんの瞳が、ほんの少し輝いた。
「だからカエデさん、そういう目をしないの」
「あ、はい……」
どうしてこう、幕末期の若者やら現代においても少年少女というやつは、何かに命を賭したがるのか? ただ一直線に、何かを信じたがるのか? ひたむきなのは大いに結構。しかし『これしかない!』という生き方は先人たちがあまりに脆く儚い生き方をしたということで、少しくらいは何かを学んでもらいたいものだ。
「私がこういう世界をチラリと公開するのは、あくまでも君たちが熱望するからであって、本来ならば秘匿していたい世界なので、これを経験したからといって、人生に影響を受けないように。いいね?」
「「はい! わかりました!」」
では、マミさんから。いつもはおっとりのんびり。どこか少し抜けているようなマミさんだが、私と正対すると小さく薄い唇を噛みしめた。
私はもう、出来ていたからだ。戦闘の準備である。居合腰で立ち、いかなる攻撃にもいかようにも対応できるよう、構えをとっていたのだ。端から見れば腰に二本の木刀を落とし、ただ立っているだけのようにしか見えないだろうが、すでに目はマミさんを斬るつもりで捕らえている。
恨みは無い。怒りも無い。憎しみも無い。そんな相手を感情も無しに斬る。ただ斬る。その結果が相手の「すべてを奪う」ことになろうとも、悲しみもせず憐れみも見せず、ただ斬る。この一点に凝縮された世界。そして斬らねば斬られる。とても単純明快。
そこには正当防衛の概念も無ければ、正義も悪も理念も無い。余計なものは一切が省かれた世界である。そう、人を斬ることで我が身を滅ぼすことになろうとも、「だからどうした」で済ませる世界。それが「帰って来ない人たちの斬る世界」なのだ。
「いざ……」
腰からゆっくりと木刀を抜き出す。私が構えたならば、マミさんが構えたならば、もう後戻りはできない。どちらかが斬りすべてを失い、どちらかが斬られてすべてを失う。剣術とはそういうものである。抜いた以上は、構えた以上は、もう後戻りはできないのだ。剣士には掟がある。
「抜かば斬れ、斬らずんば抜くな」
実に単純な掟ではないか。そしてこれは、おいそれと刀に手をかけてはならぬ、という教えでもある。しかし抜いた以上は斬るの一言。そこにすべてが凝縮される。わずかに震えながら、マミさんが構えた。ポクポクチーンと言ってゲームを楽しんでいたマミさんは、そこにはいない。私の一刀を身に浴びることを恐れる少女がいるだけだ。
年若い、未来あるお嬢さん。しかし斬る。恋も遊びも楽しみも、まだまだこれからたくさんある、未来ある若者を私は斬る。すべてを奪う。泣いても止めない、許してを乞うてもダメだ。刀に手をかけ、構えをとった以上は剣士なのだ。そして剣士は相対すれば、どちらかが死ぬしかないのである。
ガチガチに硬いマミさん。私は切っ先を向けて、一歩二歩三歩。影のように音も無く間を詰める。そして間合い。ポンと胴に木刀を入れる。
「はい、これで一本」
声をかけると、マミさんはヘナヘナと崩れ落ちた。ドッとおおきくため息ひとつ。
「ちょっと怖かったかな? まあ、これは忘れてください」
と肩をふたつポンポンと叩いてやる。スパイクの生えた棍棒二本を抱えて、マミさんはシャルローネさんの元へ。
「お疲れさま、マミちゃん」
出迎えてくれたシャルローネさんに愛用の棍棒を渡すと、マミさんは腹いせのように磔にされたトヨムをくすぐる。
「だーーっ! なんでアタイ!? なんでアタイがくすぐられるのさーーっ!」
「怖かったんですよ! 怖かったんですよ! 恐ろしかったんですから! 小隊長に八つ当たりです!」
「だからってそんな、あ〜〜っ!!」
まあ、そうなるのも仕方ないな。ということで、カエデさん。つぎは難物のキミだ。
「はい、お願いします!」
まずは楯に隠れるカエデさん。楯をぴったり左肩にあてて、その向こうで身体を完全に半身に構えている。しかし、目から上は楯から出ている。フ……と息を吐いて、木刀を構えた。カエデさんはギョッとしたように目を見開く。果たして、何を見たものやら。
しかし動けないでいるのは確かだ。肩が上下して、呼吸が乱れているのが見て取れた。私はまたも音も無く、影のように間を詰める。少女は懸命に殺気を押し返そうとしていた。しかし、私を獅子とするならば、彼女は可愛らしい小鹿に過ぎない。そして必殺の牙は、すでに小鹿の喉笛に突き刺さっていた。
硬直したカエデさんの胴に、これまたポンと木刀をひとつ。
「これが剣の世界だ。こんな沼にはまっちゃいけない」
カエデさんはガックリとヒザに手をついて俯いてしまった。その額から流れた汗が、鼻の先からしたたり落ちる。
「じゃあ今度は日本人らしい闘いを見せよう。セキトリ、カマン」
「おう! ワシの出番かい!」
愛用のスパイク付きメイスを手に、セキトリが開始線に立つ。
「これはあくまでも見取り稽古なので、シャルローネさんたちは全員見学。これから先の人生の参考には、絶対にしないように」
ということで、セキトリと相対する。私の本気度数は半分程度。しかしセキトリをその場に縫い付けるには、十分な殺気である。事実、セキトリは動けないでいた。
「さあ、かかってこい!」
「お、おう!」
威勢はいいがしかし、セキトリの顔には脂汗がにじんでいた。それが一条二条と滴り落ちる。
「休んでいる暇は無いぞ、セキトリ!」
「わ、わかっちょるわい!」
殺気を押し退けるようにして、無理矢理セキトリが前に出てきた。軽く木刀でいなして足をかける。力士であるはずのセキトリが、豪快にすっ転んだ。
「そら次だ次! 休んでいて強くはなれんぞ!」
「おう! もう一丁!」
腕力で遥かに勝るセキトリの打ちを、姿勢で受け止めた。セキトリは腕力でグイグイと押してくる。しかし私はその圧を全身で受け止めていた。もちろんセキトリにも相撲の姿勢はあるだろう。しかしこれは回しを取り合う相撲ではなく、得物を取り合った武器術なのだ。
木刀をひねってメイスと鍔迫り合いをしながらセキトリの首を押さえ込む。がぶりである。セキトリは態勢を立て直そうとして体力を消耗する。私は手の内の操作だけで、セキトリをゴロリと転がした。
「この程度でヘバるな! 相手が根負けするまで押せ! 前に出ろ! それが相撲取りというものだ!」
「お、おう!」
明らかに反応が鈍っている。しかしこれが日本人の闘いなのだ。がっぷり四つで組み合って、泥臭い闘いを挑んで挑んで、どちらが根負けするかで男を決めるのだ。
故に「ドスコイ!」と当たってくるセキトリを、真正面から受け止める。……私は相撲取りではないが、セキトリは力士としてもうひとつ形ができていない部分があるのではないかと思う。つまり恵まれた体格を活かしきれていないというか、その馬力を持て余しているというか……。
稽古次第ではもうひと皮ふた皮剥ける力士だと、私は見るのだが。しかし腰が砕ける。ヒザから崩れる。それでももう一丁! もう一丁! と、ヘバっても立ち上がらせた。そして遂に、立ち合いの顔つきが鬼のようになる。
「このクソが!」
堰を切ったように怒涛の攻撃をみせる。もちろんそれを貰うような私ではないが、セキトリを前に出させる、手数を出させるためにジリジリと後ろへさがる。セキトリの連打。また連打。途中で息を継いで、まだまだ打ってくる。どの打ちも一打必倒一撃必殺の威力である。
しかも小技の突きも交えて、なかなか良いコンビネーションであった。だがしかし、貰ってはやらない。
呼吸の入れ替えの一瞬の隙を突いて、私は反撃に出た。さしもの巨漢も、ただひたすらに打たれ、防具を失った。
「そら、ここで出て来い!」
丸裸にされてからが、そこからの粘りが日本人の真骨頂なのである。それこそが本物の粘りであり、そこから逆転するのが日本人なのだ。しかしそのような夢物語は、私に通用しない。一撃を進呈して、セキトリを休ませた。
「次、トヨム!」
くすぐり地獄を受けて、すっかり弱ってしまったトヨムを呼び出す。
そうだ、自分がヘナヘナでありながら相手はピンシャンしている。そんな状況でも戦わなければならないのが勝負の世界である。戒めを解かれたトヨムは、青ざめた顔を私に向ける。
「あの、リュウ先生? 小隊長は私たちが散々遊んじゃったので……」
「ので?」
「ベストコンディションではないかと……」
「どこがかね? シャルローネさん」
「へ?」
「消耗しきって、集中力も欠いている。まして突然にまさかの呼び出し。トヨムとしてはベストコンディションではないのかな?」
「ですが、リュウ先生……」
シャルローネさんが反論しようとした、まさにそのとき、トヨムが襲いかかってきた。低い位置で左フック、右フック。天突き上げる左のアッパーカット!
もちろん私は受けて受けて受けて、カウンターの軽いこめかみ打ち。一瞬虚をつかれたトヨムだが、今度はジャブジャブジャブジャブ、しつこくジャブを打ってくる。これは足だけでさばいた。というか、壁際までトヨムを誘う。
トヨムは必殺の右をのばしてくる。小柄なトヨムの脇の下をくぐって、私は背後に回った。そして頭部へ、お土産代りの一発。私を見失ったトヨムが振り向いた。獣の眼差しだ。この言い回しは近年ネタとして使われているが、その実態は『捉えられたならば背筋が凍るような眼差し』という意味である。……もちろん私には通じない。それどころか私が目を合わせると、トヨムは一瞬たじろいだ。しかし……。
「手数だ、トヨム! 私が音を上げるまで手を出し続けろ!」
返事は1ダースのパンチであった。それも、私の言葉から間髪置かずに。突っ込んでくるトヨムの首筋に物打ちを宛てがい、がぶりを入れてからトヨムを転がす。一応トドメを入れる態勢に入っておく。しかし身体能力を駆使して、トヨムは素早く起き上がった。寝っ転がっているつもりは無いということだ。
事実、立ち上がると同時にトヨムは突っ込んできた。カウンターでチョコンと眉間打ち。そこから木刀で足をすくう。バランスを崩したトヨム、しかしすぐに戦闘態勢。
「見ている暇があったら掛かってこい!」
トヨムは一度頭を振って、狙いにくくしてから飛び込んできた。拳を出させる。トヨムのこれまでのパターンから、もっとも打ちやすいボディーを空けておく。飢えた獣同然。トヨムはボディーに食いついてきた。私は足を使ってトヨムの攻撃を捌き、頭をおさえて体力を削り落とした。
無数の連打、ことごとく空振り。そしてがぶりの効果も現れて、トヨムは肩で息をし始めていた。
「あ、そこで見ちゃうんだ?」
手を休めちゃうんだ? という意味だ。ムキになっていると人が見るであろう突撃で、トヨムがまた飛び込んでくる。そうだ、相手を休ませるな。自分が苦しいときは相手も苦しいものなのだから。しかしこれは試合ではなく稽古なので、私はちっとも苦しくない。足を使ってトヨムを引きずり回す。それもパンチを出しやすい距離を保ちながら。
ドンドンドンドン、トヨムはパンチを出してくる。しかしいずれも空振り。上を打とうとすれば、物打ちで頭を押さえてそれを許さない。遂にトヨムは前のめりに倒れた。顔面から練習場の土に突っ込んでいく。呼吸が追いつかず、立っていられなくなったのだ。
「トヨム、私はまだ元気なんだが?」
「ま……待ってろ旦那……。いま立ち上がって、その頬げたブン殴ってやっからな……」
「だったらさっさと立たんか」
後頭部をポクポクチーンと叩いた。……拳闘士トヨム、無念の撤退である。
「とまあ、戦略も戦術もへったくれも無い、泥臭くてダサイ戦いだったんだけど、こんなことは参考にしてはいけない。白百合剣士団のみんなは、もっとエレガントに、もっとスマートに勝利する方法を模索してもらいたい。以上!」