本当の剣豪修行
「それではみなさんも、手持ちの武器を使って『見切り』稽古を始めてくださーい」
カエデさんの指示に、私のアドバイスも追加。
「あくまでもゆっくり、軽く。振り抜かず貫かず、触れる程度に留めて。稽古相手の恐怖心をあおるようなことは、絶対にしちゃ駄目だぞ!」
二人一組、三人一組の編成があちこちで組まれる。
今の今まで裂帛の気合いや実戦稽古の見学をしていた者たちは、こんな気の抜けた稽古で良いのかという戸惑いが見て取れた。
しかし、それで良い。
できないことはどこまで行ってもできないのだ。ならばできることから始まって、少しずつでもできることを増やしていけば良い。
「おう、リュウの字。相手してくれや」
緑柳師範が近寄ってきた。
「はて、士郎さんやフジオカどんがおりませんか?」
できれば妖怪の相手をしたくない私は、二人の名を出した。
すると『ぬらりひょん』はアゴをしゃくって、見切り稽古をしている二人を指した。
チキショウ、私を売ったな……。
士郎さんもフジオカさんも、私などには目もくれず熱心に稽古を続けていた。
仕方ない……。
たまには『死』を覚悟するか。
「ワシから行くぞい」
緑柳師範、八相。私も木刀を中段に構える。
「お前さんごときでワシにカウンターを取れるもんかい。受けに専念せんかい、ホレ、木刀は腰に落とせ」
居合からの受け技を指示された。不本意ながら、木刀は腰に落とさせてもらう。
「では……」
師範、切っ先を私につけてからいま一度八相に取る。
ヌラリという殺気が私を押し潰す。
なんのと私も殺気を放つ。
しかし肩を沈めてヒジは墜とす。
生きている『怪奇博覧会』に対応する前に、まずは自分を整えるのだ。脳天から会陰部を貫く軸は? ……OK。
足の裏の皮膚で感じる体重のポジションは? ……間違いない。
掌の皮膚と脳をつなぐ回路もクリア。
脳から四肢へと伝達する連絡ルートも問題ない。
……ならば、かかって来い、達人め!! 意気込んだところで、いきなりスカを踏まされる……。
師範の気配が消えたのだ。
どこだ? 私も視覚に頼るのを諦めた。ただただ師範の殺気を探ることに専念した。
どこだ? すでに私は視力を捨てている。妖怪ジジイが気配を消して私を葬るつもりだろうが、そうはさせないぞ。
探せ、探せ、奴はどこにいる。どこを狙っている。
呼吸音、いやこれは違う。
私が構えた途端、そこから姿を消しているはずだ。
足音? これも違う。すぐに消えて無くなるものだ。
それよりも核心、私のどこを狙っているか? そこを感じなければ。
腰の木刀を抜いた、頭上でカッという乾いた音が響く。
面だった、どうにか受け流した。
「よしよし、それじゃあ次は受けずに躱してみいや」
「はい」
来たぞ来たぞコンチキショー、いよいよ理不尽稽古の始まりだ。
「どっち向いとる、お前さんクラスならワシに背中向けんかい」
いやいやそんな無茶苦茶な、いやいやそんなご無体な、という一般人向けな理屈など通る訳が無い。
そんな理屈が通るくらいなら、「お前さんごとき」が「お前さんクラス」と呼び方が変更される訳がない。
よろしいだろうか、読者諸兄。これが昭和なのだ。
良くも悪くも、昭和という時代はこういうものだったのだ。
そして緑柳師範が学んだ師匠たちは、さらに酷かったという。
なにしろ銃で撃ち合いをして大砲の弾が飛んできて、白兵戦ともなれば日本刀を抜いて戦っていたのだ。
そう、第二次世界大戦の経験者たちが指導していたという。
今や大衆的武道として迎え入れられている剣道も、その時代の先生方はまず最初に目を狙っていたというから、いかに令和剣道と違うか御理解いただけるかと思う。
そんな『THE 昭和』が私の背後に立ち、剣を構えているのだ。
ソロリ……来た。
足音も立てず息をひそめて。いや、今度は殺気を隠していない。
大胆にも殺気丸出しで迫ってくる。ならば私も雑念は捨てよう。
ただ師範の気配を感じ取り……ここだっ!
右足中心で四分の一、円を描く。剣が風を斬り刃音まで聞こえた。空振りした緑柳師範は、私のすぐ右側に……いないっ!?
「や〜〜い、引っかかった♡」
背後に体温、そして妖怪の声。
ゾブリ、背後から心の臓を貫かれ、私は死人部屋へ。
そう、私に斬りかかってきたのは、師範の気配。いわば殺気だけ。
風斬り音もなにもかも、すべてただの殺気だったのだ。
これは使える、よし次に士郎さんと対戦するときはコイツをお見舞いしてやろう。
そう決意して道場に復帰してみると、余計なことしやがって妖怪ジジイ。今度は士郎さんで遊んでやがる。
「おう、リュウ先生。どうでしたか、緑柳師範の技は?」
「……教えない」
「ほい?」
「どうせヒロさんもおもちゃにされるんだ。予備知識など教えてやらん」
豪傑は愉快痛快と笑った。
「確かにリュウ先生の言うとおり。何を見て何を感じるか、経験は個人の財産だ」
そこに他人が混ざるものではない。技も心も純粋ではなくなる。
ここで一旦、一般プレイヤーたちの稽古を見て回ることにする。やはりみんな、闘うことに気がはやっていた。
「今は実戦のことなんか考えないで、ゆっくり軽く。振り抜かず貫かずだよ」
ということで、長物を使っている者にはたんぽ槍を、刀剣を使う者には竹刀を渡す。
「稽古には稽古用の道具だ。これなら殺気立たなくて良いだろ?」
時には槍兵の槍を借りて、ゆっくり穂先をすすませて眉間にぺとり。
「突くのは速度も強さもこれくらい。触れる程度が最適なんだ」
竹刀を借りたら髪の毛をフワリと押さえつける程度。
見切り稽古の始まりは、本当にこんなものなのだ。
熱心で過激な稽古に走りがちな、大学剣道部は竹刀でペチペチ。
「こらこら、そんなに激しい稽古じゃ、繊細な見切り稽古にゃならんぞ? もっと気を抜いて手を抜いて」
若者というのは過激であり、強さを追い求めるきらいがある。
以前語ったかもしれないが、剣の初心者では男子よりも女子の方が飲み込みが早い。
それは無駄に殺気立つこともなく、威力も求めずただ教わったまま稽古するからである。
「強くなりたい」
武の道へ足を踏み入れる者なら、誰しも願う。だが剣は見ているのだ。
その剣を執る者に、力を与えて良いものかどうかを。
ということで、男山大学剣道部には、私が直接指導してやろう。
「じゃあ、行くよ」
私は上段、火の位に構える。
対する剣道部主将は中段、切っ先をほとんど動かさずピタリと私につけてくる。
「おいおい、打たれる稽古だぞ。君が竹刀を構えてどうする」
思わず笑ってしまった。
「失礼しました」
と若者は竹刀を控えに置く。
「どうせだから、その固っ苦しい防具もすべて外してしまえ」
気さくに言ってやる。部員たちは全員防具を外して控えに並べた。
主将が出てくる。額の鉢金も外していた。
私、やはり上段。
スッスッスッと足を送り、間合いを詰める。ス……そこからはゆっくりと静かに、竹刀を降ろしてゆく。髪の毛に触れたところで、竹刀を自然落下。
ペシ、と脳天に入れる。主将は目を閉じなかった。
「次は突き」
「はい」
中段に構えたところから、またもや足を運び間合いに。ス……これも影のように切っ先を突き出し、喉に触れる。
これも主将は目を閉じない。
「もう一度、面」
「……はい」
今度は八相に構えてから間合いを詰める。
そこから上段の構えをしっかり見せて、ゆっくり静かに竹刀を降ろす。
ペシ……目を閉じない。閉じないというか、額から流れ落ちる汗が目に入っても瞬きしない。
いや、できないのか?
「よし、選手交代」
そう告げると、主将は大量の息を吐き出した。