決戦前
一本目をよくよく吟味すべしと言っておきながら、士郎さんはさらに技を教え込む。両膝立ちから左に向き直って抜き付ける技。一気一八〇度旋回して、背後の敵を斬る技。どちらも着いた右ヒザを中心に旋回する技だ。
さらには右九〇度の敵を斬る技。これは左ヒザを着いて回る。ここで読者諸兄は少し疑問に思っていただきたい。武士やサムライは刀を左の腰に差してある。右の敵を斬るならば抜いてそのまま斬ることが想像できるだろうが、左の敵は斬り難いのではないか? と。
これがまた斬れる、斬れてしまうのだ。斬れることを前提に次の言葉を聞いてもらいたい。私は以前言ったと思う、狭い便所の個室で抜いて斬って納刀できて、居合は一人前なのだと。もう一丁。左からの攻めに遅れをとるならば、居合など何百年も受け継がれはしなかっただろう。
抜いた勢いそのままで右の敵を斬る。その感覚をまずは捨てていただきたい。真理ではないのだが、イメージを掴みやすいように誤ったことを言わせていただくのなら、刀は柄頭の方向に抜かれるのだ。柄頭が左を向いていたなら、左へ抜くのはさして難しいことではない。ただし、トヨムと並んで生まれつきのイノシシ娘なヒカルさん。まずは頭がこんがらがって蹴っつまづいていた。
慣れてしまえばどうということは無い技なのだが、初心者が一度にこれだけの技を教われば、混乱するのも当然だ。
まずは日々、怠りなく稽古せよ。というところでヒカルさんの稽古は終了。む?
金髪ツインテールぼいんぼいん、陽気なヨーコさんが難しい顔をしている。
「むむむ……ヒカルさんがまた強くなっちゃいますねぇ。これはウカウカしてられませんよ」
「そう思うんなら、ほれ。フィー先生に一手ご教授いただくとよろしい」
「うえ、フィー先生って情け容赦ないんですよね……」
そう言いながらも、木製の薙刀をかついで歩いてゆく。
「私はどうしよっかな?」
槍使いのさくらさんだ。
「さくらさんの相手は、ホレ。あそこでしなびた裸電球が、槍をシゴいて待ってるよ?」
緑柳翁を見たさくらさんは、顔から血の気が引いていた。
「……死んできます」
死刑執行が決定した死刑囚のように、さくらさんは槍を引きずって旅立った。
「さて、私らの出番も終いですかな、士郎さんや?」
「そうさなリュウさんや、道具片付けて終わりましょうや」
「ほい、大事な稽古を忘れとりゃせんか?」
半死半生のフジオカ先生を引きずって、私たちの目の前に妖怪が現れた。さっきまで槍をシゴいて喜んでいた妖怪だ。ちなみに、鬼神館柔道の若い連中も息絶えたかのように転がされている。
「手ぶらで帰らんと、まずちょっと遊んでいけや」
翁もまた、仲間はずれが嫌いな性分のようで……。
さて、妖怪武術ジジイによる私たちへの稽古は、居合を中心にしたものだった。
「ほれ、その軌道で刃を飛ばしたら、こっちが隙だらけじゃぞ」
と言われてビシリ。
「さっきと違う軌道じゃのう? お師さんはそんなこと教えたかい?」
そう言われてズビシ。
「ホイ、足の位置が三ミリずれとるわい」
と言っちゃあ足払い。ジジイ、さっさとさくらさんの相手してやれや。稽古時間そのものは短いものだったが、内容の濃さでは地獄そのもの。こちらが正しい技を繰り出しても、ミリ単位でダメを出してくる。
だが読者諸兄、これは私たちが宗家だから言われるレベル。ご安心いただきたい。一般門下生は、ここまで細かいことを言われることは無い。
私たちとて、剣道連盟の段位で言えば八段クラス。称号まで含めるならば、範士八段クラスなのだ。それが先輩の範士八段に絞られているだけ。通常はここまで言われることは無い。
「ダンナ、お疲れ」
ジジイ稽古のおかげでデロンデロンのぐでんぐでんにされた私を、トヨムが迎えてくれた。
「なんだ……まだ上がって……なかったのか? 妖怪『変態稽古』に捕まるぞ……?」
「いやぁ、師範稽古ともなれば、誰も上がったりしないよ。ホラ……」
と指さす先には、誰ひとり帰らない講習会参加者たちの姿が。その中にはもちろん、白樺女子校の面々も混ざっている。
「……白樺女子チーム、人数が増えてないか?」
「そっかい?」
トヨムはあまり細かいことには興味が無いようだ。しかしカエデさんはそうではない。
「リュウ先生のおっしゃる通り、人数の上昇率は低いんですけど、それでも日々人数が増えています」
「稽古への参加実数は?」
「多少の欠席者はみられますが、それを補うくらいに。やはり日々増えています」
「日数が経てば、脱落者が出るモンじゃがのう……」
セキトリも巨大なアゴを撫でている。「熱心ちゅうなら、熱心なこっちゃい」
うむ、日数を重ねてなお、人数が増えるというのは油断ならない。
「カエデさん、白樺女子校の全校生徒数はわかるかい?」
「およそ九〇〇人」
「最終的には、そのすべてを敵に回すことになるかな?」
「出雲参謀長、秘書のかなめさん。鬼組の忍者、全員リュウ先生と同じ見解です」
ということは、対策ができているということか。
「いえ、それが……」
カエデさんの歯切れが悪い。どういうことか?
「いかなる状況にあろうとも、陸奥屋は真っ向勝負っ! 横綱相撲というものを見せつけてくれよう! 心してかかってくるが良いっ、小娘どもっっ!!」
鬼将軍の檄が飛んだ。しかしその鬼将軍は、カエデさんの記憶の中の鬼将軍ではなく実物であった。そして奴は「お邪魔したな、諸君」とマントを翻して去ってゆく。自分の話題はキッチリとひろってゆく男だった。
「なるほど鬼将軍が真っ向勝負を宣言してきたのか」
「だけど、その方がかえって好都合かもしれません。人数の差は面倒ですが、これで敵は奇策を打てなくなりましたから」
確かにそのとおり、人数にまかせて一隊を側方や後方に回されたら、それだけで面倒である。というか我ら『ミスター災害』、小賢しい真似をして抜けられると思うなよ。
「だけど後ろから前から責められても、デコッパチ参謀長は準備してんだろ?」
トヨムが訊くと、カエデさんは「もちろん♪」と答えた。
「敵は数がいても、所詮は素人の集団です。マヨウンジャーやジャスティスさん。情熱の嵐チームを回して、暫時防衛にあてがうことが決まってます」
「アタイたちの知らないところで、根回しは済んでるってことか」
「ですから小隊長もセキトリさんも、リュウ先生を護衛することに専念してくださいね?」
「まあ、狼牙棒部隊と護衛集団がおりゃあ、先生方には近づけさせんわい」
「そこなんですけど、セキトリさん……」
カエデさんが口ごもる。
「今回は敵の人数が段違いということで、一発の威力よりも回転数。ということで、六人制試合のようにメイスを使っていただけたらと……」
「おう、もちろん構わんぞい。どんな得物だろうが、ワシがいりゃあ百人力じゃい!」
日付は進んで、春卯月。間もなくプロ選手たちによるチャレンジ・マッチ。ゲーム内外ではそこに耳目が集まって、ネットニュースにも流れるような塩梅であった。
試合動画の再生数だけで小遣い銭をはるかに越える報酬を稼ぎ出す、『王国の刃』プロ選手。より具体的に言うならば、サルブタカッパの三人娘。これが上位進出をかけて下剋上に挑むのだ。運営が支配する試合動画。
これに選手自らが解説をつけるのが公式動画。しかしこれに独自の解説介錯を付け加えて、動画そのものは使用せずに語る『自称・解説者』『自称・評論家』までが小遣い銭を稼いでいる状況なのだ。社会現象に近い勢いで、金銭が動いているのである。
笑ってしまうことには、「さくらの槍はホンモノではない」「ヒカルはただの素人」などという、『自称・専門家』が語るアンチ動画までがそこそこの小遣い銭を稼いでいたのだ。だが総裁鬼将軍の命令により、それらアンチ動画が選手の目に触れない措置が施された。
「選手のモチベーションが下がるような情報を、わざわざ与えるなど愚の骨頂ではないかね?」
まったくおっしゃる通り。その辺りは鬼将軍の持ち企業『ミチノックコーポレーション』から情報処理の専門家がマネージャーとして派遣され、対処に当たっているという。
さらには身バレ問題。ヒカルさんに関しては、全寮制のミチノック学園セキュリティ部門により、部外者は完全にシャットアウトされている。さくらさんには鬼神館柔道から、未熟者のナンブ・リュウゾウがシークレットサービスとして送り込まれた。
では、ヨーコさんは? 鬼将軍の顔で某巨大カラテ団体から、腕利きの若者が護衛に派遣されている。全国のネット民、彼らが情報を売り込むマスコミは、『GO WEST』の素顔を必死に追っていた。しかしその幻は『動画で見ている通りの顔ですよ?』というヒカルさんの言葉により、さらに霧の中となっていった。
だが、学園に住まうヒカルさんは常に生徒たちの目にさらされている。心ない子供がイタズラ心で素顔をさらしかねない。しかしそこは鬼将軍、選手ヒカルの素性を暴く者は一族郎党二度と日の目を見ぬ処置をする故、重々承知するように。との達しがあったらしい。
教育機関としてはかなり問題があるだろうが、なにかあれば一人をいたぶるネット社会を思えば、決して過ぎる処置ではないと思う。そして私は、ヒカルさんの出来を見るために『まほろば』本宮へと赴いた。