おまけ
人生は、不意打ちの連続だ。
大学で学食に向かう廊下、不意に背後から呼び止められる。女性の声だ。ノートを貸してくれと言われるには、まだ早い時期。しかもその声には、試験前になると群がってくる媚びたような艶が感じられない。
申し遅れました、ヤハラです。
ゲーム『王国の刃』では陸奥屋一党本店所属、専任参謀を務めていますがこちらは現実世界。しがない大学生でしかありません。
そんな私が女性から声をかけられるなどという機会は、ほぼ皆無に近いはずなのですが……。
振り向くと、華奢な感じがするお嬢さんが。ブラウン系のジャケットに清潔感あふれる真っ白なブラウス。パンツルックではあるが、軽快感というよりも大学という世界に溶け込むためという印象。全体的に見て女子大生ファッションというよりも、『擬態』という言葉が浮かんでしまう。
しかし擬態はしきれていない。カチューシャで上げた前髪。すなわち露出したデコ、丸々と見せつけたデコ。果てしなくデコ、デコデコデコデコデコ。貴女のお名前、もしかして『おデコ・丸出しーノ』とおっしゃるのでは?
造形美の究極とも言うべきそのおデコに見とれていると、彼女は改めて口を開く。
「経済学部のヤハラさんですわね?」
聞きたくもない、耳にするのもおぞましいお嬢さま言葉。よもや毒蛇が、これほど身近にいようとは。しかし滝のように流れ落ちる冷や汗など表には出さず、まずはシレッととぼけてみせる。
「そうですが、貴女は?」
結果論でしかないが、この手は良くなかったようだ。表情筋が存在しないはずの毒蛇が、ニヤリと笑ったかのように見えたからだ。
「同じ経済学部の出雲鏡花でしてよ? ご存知ですわよね、参謀さん?」
顔から血の気が引いてしまった。出雲鏡花、人の曰く「出雲財閥の御令嬢」、曰く「巨大資本イズモを、やがて手中に収める者」、そして曰く「血も涙もない吸血生物」と。ひと度出雲に睨まれたなら、その者の命は尽きたも同然。そんな噂がまことしやかに流れていたのだ。
その死神出雲鏡花が、去り際に残してゆく。
「午後四時、三階の第三資料室でお待ちしておりますわ」
第三資料室……そこはほとんどひとつの出入りが無い場所だった。というか、その棟そのものが無人といっても差し支えない。……人生が終了の鐘を聞く。それはグラナダに響く鐘よりも悲しく虚ろな響きであった。……人生は、不意打ちの連続だ。
人気の絶えた群がってくるに足を運んだ、指定された時刻の十分前。こんな場所に呼び出されて、『薄い本』ならばめくるめく展開を期待してしまうだろうが、吸血生物にそれを求めるのは命取り。ならば次の展開は、人知れず私を亡き者とするのだろうか?
いや、それも愚策だ。イズモの力を駆使すれば私ごとき、生きたまま死人とすることも可能である。ならば、何故? 疑問を解消できぬまま、資料室の前に。ん? プリントされた張り紙が……。
『出雲鏡花会議室』だと?
……………………。室内に人の気配があったので、まずはノック。
「お入りなさい」
出雲鏡花の声だ。ドアを開くと、向かい合わせで並べられた長机と、窓に背を向けた事務机。その事務机に毒蛇は着いていた。背もたれにまでクッションを詰め込んだ、無駄に高そうな椅子で。
「さすが専任参謀。時間通りですわね。それに比べて、あの穀潰しときたら……」
室内の掛け時計は、四時を少しだけ回っていた。廊下に人の気配、そしてノックも無しに開かれる音。
「来てやったぞ、デコっぱち。今日は何の用だ……っ!?」
平凡、どこまでも平凡な若者が入室してくる。そして私の顔を見るや、息を飲んでいた。
「騙されたのかっ!? 騙されたんだなっ!! 悪いことは言わない、今すぐここから逃げ出すんだ!!」
若者は私に訴えかける。しかしその言葉を、出雲鏡花が遮った。
「騙してなどおりませんわ。わたくしがお呼びしましたのよ、こちらの新入会員は」
新入会員? いつどこで、何がどうしてそうなったんだ? そんな疑問も新たに生まれるが。
「なら弱みを握られたんだな!? だったら全財産使い切ってもいい、世界の果てまで逃げるんだ! 手遅れになるぞ!!」
「いい加減になさいまし」
……間。…………………。
彼と私は向かい合って長机についた。出雲鏡花は事務机。どうやら彼と私を引き合わせたかったらしい。
「さて、同じ同盟に所属する『王国の刃』プレイヤーが、奇遇にも三人揃った訳ですわね」
やはりそうか……。ゲーム世界ではできるだけ関わらないようにしていた女、出雲鏡花。プレイヤーネームを見たときから嫌な予感はしていたが、現実世界でも絶対に関わらないようにしていたので、無縁なものだとすっかり油断していた。
「こらデコ、カタギに手を出すとは見下げ果てた女だな、お前……」
若者は不貞腐れた態度だ。私同様、彼女に見入られたことが不満らしい。
しかし、同じ同盟の『王国の刃』プレイヤー三人と言っていたが、彼は……?
「そろそろお互いに名乗り合ってもよろしくはありませんこと、穀潰し?」
出雲鏡花は下男のように若者を扱う。
「チーム『情熱の嵐』リーダー、ヒナ雄です」
ヒナ雄くんは、私には素直な態度だ。しかし、『情熱の嵐』……。私の知る範囲では、災害先生方の『古流の動き』を自力で習得した集団、となっている。油断ならない男かもしれない。
「私は陸奥屋本店で専任参謀を務めてます、プレイヤーネーム『ヤハラ』です。よろしく、ヒナ雄さん」
お互いに握手を交わす。しかし私を見るヒナ雄くんの目は、大災害の被災者に向けるものに似ていた。
「ところで出雲代表、今日この日に私たちを巡り合わせたからには、何か懸念すべき事態でも発生したのでしょうか?」
私が訊くと、ライジング・サン……水平線に昇るデコ…はキョトンとした顔をした。もしや、何も考えていなかったのか?
「それを事前に懸念してわたくしに報告するのは、ヤハラさまのお仕事でしょう?」
しまった、事態はより困難な進路に舵を切っているようだ。私の認識が甘かったようだ。改めて人生には不意打ちしかないことを思い知らされた。
だが、勇者はいる。運命に抗う者、ブレイブリー・ヒナ雄だ。
「おいおい、それじゃあ俺の出番が無いじゃないか」
なんとしても一言物申してやらなければ、そんな気持ちが不用意な一言を引きずり出してしまう。
「あら、ヒナ雄さんは出番が欲しいんですの? でしたら後世に鬼畜と誹られるような悪逆非道をお願いいたしますが、よろしいんですの?」
逃げ道は与えておく、それが出雲鏡花の遣り口か。これならばなるほど、ヒナ雄くんの使い捨てには至らない。その血がすべて流れ出るまで酷使することができる。そして出雲鏡花の腕から逃れ出るための、大義名分も成立しない。
永久機関スレイブ制度、彼女の手腕はそのように名付けてあげよう。
「もしも、ですが参謀長」
あえてここは前に出る。そうすることで永久スレイブの身分を回避するのだ。
「私に命じるならば、どのようなことを考えますか?」
「カエデさんのように戦場へ出撃してくださいまし」
即答だ。
「そうすればヤハラさまの策にも実践性が生じますわ」
だったらお前が率先して戦場に出ろよ。そう言いたくなるのを我慢する。それはヒナ雄くんと同じ轍を踏むことになるからだ。だから大見得を切る。
「出雲さまほどの方が、そのように命じますか。これは残念至極……」
芝居がかった仕草で、嘆息して見せる。出雲鏡花は不機嫌そうに眉を動かした。
「それはどういうことですの?」
「軍師に直接剣を取れなどと、これはいかにも短慮に過ぎます。軍師の価値は、陣幕の内で孔雀の羽根の扇をくゆらせていることこそが」
一応出雲鏡花の行為を肯定しておく。
「真の価値であるかと」
「ヤハラさまはまだ孔雀の羽根の扇が似合いませんわねぇ」
これは、戦場に出ろということか? いや、それでは出雲鏡花が安っぽい。
「参謀長の職というものは、本当に大変なんですわよ?」
よかった、参謀としてよりよく仕えよという意味だ。……ん? それは本当に良いことなのか、私にとって。
もしかして、より地獄道一直線に近い辻を折れてしまったのではないだろうか?
「これからもより良くわたくしを支えてくださいまし」
「力及ぶ限り」
小さく頭を下げる。うん、やっぱり私は閻魔大王の御前行き超特急の片道切符を買ってしまったようだ。舌なめずりするように、赤い舌をチロチロ出してコブラが笑う。期待してますわよ、と。