トヨム小隊長、新たな敵の登場に準備を始める
後日。
トヨムが一人、拠点の稽古場で頭を振っていた。
ピーカーブースタイル、いわゆるボクシングの構えでだ。シャドーボクシングの稽古中である。
私はそれをしばし眺めさせてもらった。
細かなサイドステップ……あれは相手の正面に立たないように、という考えだろう。そしてウィービングダッキング、ローリングにボンビング。とにかく頭を振って振って、的を絞らせない動き。
……それから仮想敵の正面に戻ってきて、ミスショットを誘い……踏み込んだ。同時に左のボディーブローを脇腹へ。
ふたつの拳しか武器の無いトヨムだ。得物攻略には他のプレイヤーよりも、仕込みに時間がかかる。そこに何か不満がありそうだ、難しい顔をしていた。
「仕上がりに不満、そうだなトヨム」
「あ、ダンナ。夏イベントでは学生たちと闘うんだろ? でも得物持ちばかりだ。ふんぞり返ってて足元すくわれる訳にいかないからね」
「具体的に何が不満なんだ?」
問いかけてみると、やはり距離を埋めるために消耗するタイムラグが不満だと言った。
「なるほど、だが先日の稽古で、緑柳師範が良いことを言っていたぞ?」
それが私の回答だ。
「ジッちゃん先生が? ……確か、相手の長得物を弾くな。巻き取れ、だっけ?」
「それそれ」
「……………………」
考えている。
「だけどこれじゃあまだまだだよな……」
「いいさ、トヨム。頭に思い浮かんだことを、実際にやってみると良い」
「じゃあさダンナ、手槍使ってもらえる?」
良いとも、と答えて本身の手槍を構える。本身であるのは、トヨムからの要望だ。
「じゃあ行くよ、ダンナ」
「おう!」
トヨムは左手をダラリと垂らしたキューバスタイル。ヒットマンスタイルと言った方がわかりやすいか?
私は左手足を前にした中段。この方がトヨムはやりやすいだろう。
ヒョイ、という感じでトヨムは左を伸ばしてきた。接触の瞬間、私は槍を引く。トヨム、左手を負傷。
そう、トヨムは私の槍を取りに来たのだが、槍を引かれてしまい手の平の中で槍に走られてしまったのだ。
「ん〜〜……じゃあ、次」
左を回復させて、次の手を試みる。今度は左前腕をからめるようにして、槍を押し退けてきた。その小手をしたたか打つ。またもや左手欠損。
「やっぱりこれもダメか……」
「だが、悪くない。とくに構えが素晴らしいと思うぞ?」
ヒットマンスタイルは、身体を真横に向けて顔だけが相手に正対している。
つまり自然と顔を狙いたくなる構えなのだ。得物が手槍でこうなのだから、剣を手にしたら面か小手くらいしか狙いたくなくなるだろう。
剣士の狙いを限定する構え、それがヒットマンスタイルと私は考える。そして攻撃が顔に集中する競技、それがボクシングなのだ。
「ん〜〜……なるほどそうだけど……あ、待ってダンナ。答えは出さないでね」
ウンウンと唸って、トヨムは考え込んだ。
「ヒントを出すのは、ダメかい?」
「それももうちょっと待って、考えさせて!」
またまたトヨムは考え込む。そのように悩むことは良いことだ。悩んで考えて導き出した技こそが、本物の技になる。考えることなくすみやかに繰り出される技となるのだ。ブツブツと独り言を呟きながら、トヨムが立ち上がった。
そしてヒットマンスタイルでのシャドーを再開。どうやらここは一人にさせておいた方が良さそうだ。『研究』という単語を私の師匠はよく使った。
教わった技を一人で繰り返し、技を自分のモノとする。技に熟成をかける、とでも言おうか。そんなときには周りに誰かがいるのではなくて、一人で技と向き合った方が良いものだ。
「インしました〜〜っ、てアレ? 小隊長……ひとり稽古ですか?」
カエデさんがインしてきた。
今日は少し遅目である。おそらく西洋剣術の稽古をしてきたのだろう。集中しているトヨムの姿を見て、口をつぐんだ。
「……どうしたんですか、小隊長?」
これは私に訊いてきた言葉。なので、かいつまんで事情を説明する。
「フムフム、な〜るほど。対長得物で間合いを詰める方法ですか。しかもそれを自らひらめきたい、と。なかなか面倒くさい話ですねぇ」
「とりあえずヒットマンスタイルの構えは有効だとヒントを出しておいたのだけど、返って迷宮に迷い込んでしまったんだ」
むむむ……カエデさんも唸り始めた。ブツブツと独り言を呟きながら、カカシの前に立つ。それからいつもの丸楯を押しつけてみたり引っ込めたり。
「ふぃ〜〜、個人戦から帰って来たぞい……とと、小隊長にカエデさんや。なにを頭抱えとんじゃい!?」
かなり説明的なセリフ臭いが、セキトリが拠点に戻ってきた。こちらにも事の次第を説明する。
「ほうほう、夏イベントの仮想敵どもが手槍を使うから、間合いを安全に詰める方法のう?」
セキトリは何でもかんでも粉砕しそうな、巨大なアゴを撫でて考える。
して、その結論は?
「小隊長、案ずるより横山やすしじゃい! ワシが手槍の相手になっちゃる!」
これ、故人の名をダジャレに使うでない。
そうこうしていると、今度はマミさんとシャルローネさんが出稽古から帰ってくる。
「お〜〜や〜〜? なにか熱い展開のようですよ〜〜? シャルローネさん?」
「いやいやマミちゃん、熱いのは小隊長の方だけで、ホレ。カエデちゃんは嘆きの壁みたいに、カカシさんに頭突きを連発してますよー?」
これで三回目の説明だ。
「間合いの詰め方に工夫の必要を感じている小隊長ですか〜〜? 今まで通りでも良さそうですけどねぇ〜〜?」
「そして同じ悩みに苦しむカエデちゃん、と……。リュウ先生、実際に最適解などは?」
「もちろん存在する」
というか、これは柳心無双流の基本的な思考方法と言える。なので性格が草薙神党流的なトヨムは見落としているだけだ。
「シャルローネさんならどうする?」
迂闊に訊いてしまった。天才児の返答は簡単である。
「ぱっと入ってピッと斬ってシュッと逃げます」
「うんそうだね、ありがとう。じゃあマミさんなら?」
トンファーを使用しているマミさんなら、トヨムと間合いが似ている。参考になるかもしれない。
「う〜〜ん……マミさんなら鉄壁のガードを固めて、それから突入しますねぇ〜〜……」
マミさんならばそれで良い。トンファーという得物でディフェンスをして、トヨムのような突撃で間合いを詰める。
しかしトヨムには身を隠す得物が無いのだ。
「ほえ……リュウ先生は小隊長に、ヒットマンスタイルが有効と。そう教えたんですか」
興味深そうに、シャルローネさんは私の説明に耳を傾ける。そして死神の鎌を刀架にかける。
「じゃじゃじゃじゃじゃあ、カエデちゃん! 実際にやってみましょうか! 案ずるより井上靖だよ〜〜♪」
だから故人! 故人の名前をダジャレに使わないっ!!
まったく、どうなっているんだウチのメンバーは……。そうこうしている間に、シャルローネさんは無手になりオープンフィンガーグローブをはめた。
足元はトヨムと同じ、丈の高い地下足袋である。これでキュッキュッと地面を鳴らす。いや、実際には鳴らないのだが。マミさんは悩めるカエデさんに手槍を渡した。
「そうね、水飲むなら汲むが安しっていうものね」
今度はそっちかっ!!その角度でボケて来たかっ!クソッ、私は負けないぞ!と、私が見えない何かと取っ組み合いしている間に、シャルローネさんはヒットマンスタイル。
カエデさんは中段に手槍を構えていた。シャルローネさんは左手ブラブラ、死神の鎌を揺らしている。カエデさんは構えがキビシイ。オーソドックススタイル、左手足が前のシャルローネさんに対し右手足を前にした構え。
何がどのようにキビシイかと言うと、カエデさんの手槍はシャルローネさんの真正面に来るからだ。カエデさんはただ単純に槍を繰り出すだけで、シャルローネさんに致命傷を与えられる。
ではその辺りをもう少しくわしく。シャルローネさんの拳がもっとも有効に働く空間、あるいはもっとも効くパンチを当てられる空間。
これをボックスと呼称しよう。このボックスにカエデさんの頭部をスッポリ当てはめるためにはシャルローネさん、カエデさんの正面に立つのが一番楽なのだ。
カエデさんの左つま先が正面を向いたとき、その延長線上にシャルローネさんの右つま先がある。カエデさんの右つま先の延長線上にシャルローネさんの左つま先がある。
それがシャルローネさんにとって、理想的なポジションなのだ。そしてその立ち位置のまま拳の間合いまで間を詰めようすると、カエデさんは難なくシャルローネさんの顔を貫ける。そうした位置関係にあったのだ。
シャルローネさんはアゴ先を左肩でガード、右のこめかみはグローブをあてがいガード。しかしそれ以外、というか顔面そのものはがら空きに近いものがあった。ボクシングという過酷な競技を、あるマンガ家先生が語ったことがある。
一番守らなければならない顔面を敵にさらしておかなければ、敵のパンチが見えないのだ、と。