泰然流 烈道陸
リュウ視点 猛者
ん?
違和感を感じる。何事か……。いや、これは殺気だな……それも、なかなかにできる奴。悪くない腕前とお見受けする。しかし素知らぬ振りをして、私は無敵甲冑の無双格を投げまくっていた。
その強者の気配が、一歩また一歩と近づいてくる。私が背を向けているときに、その方角から……。その角度、距離を絞りきった。つまり、それだけ接近を許して誘う。
そしてその瞬間は来た!
ひと足で刃筋を躱す、敵は左に。木刀を抜いた、ひらめく物打ちで敵の小手を斬った……いや、外された。スッとひと足後退、私のノドがあった場所に白刃の切っ先が伸びている。
「やるな、柳心無双流……」
知っているのか? 私を、無双流を? それともブラフか?
自慢ではないが、柳心無双流は極めてマイナーば流派だ。インターネット上にもその存在は知られていない。九割九分、私個人の望みとして教伝しているのみ。ならば私の動画を見て、その存在を知ったのだと、すぐに知れる。
「そこ元は?」
問うた。その使い手は答える。
「泰然流免許皆伝、烈道陸。恨みなどひとつも無いが、死んでもらう……」
そう言ったときにはすでに、剣尖を走らせていた。鋭い、私たちのように和装の袴履き。足元も草鞋で固めている。が、真剣だ。重い、遅い。
軽く、欠損させる気さえ込めずに小手を打ち上げた。命中だ。あっという顔をして、烈道陸は後退した。
「やはりな、噂に違わぬ業前だ。では、これはどうかn……」
みなまで言わせず、私は手裏剣を打った。当然のように、烈道陸は動きを止めた。その頭部に面の一撃。よろしい使い手ではあったが、撤退。死人部屋へと旅立って行った。
「よう、リュウさん。そっちはどうだい?」
士郎さんの声だ。
「あぁ、たった今、泰然流の烈道陸とかいう奴を斬った。免許皆伝の腕らしい……」
「俺もさ、泰然流免許皆伝とかいう奴だった」
「面白いのが出てきたねぇ」
「いやぁ、いるモンだなぁ……五万人の中には……」
「両先生方、俺のところにも来ましたよ。格は新兵格なんですけどね」
フジオカ先生だ。こちらも免許皆伝というのを斬ったらしい。
しかし、ここは東軍本拠地の手前。新兵格がうろちょろするような場所ではない。
「だからよ、ワシらをつけ狙っておったんじゃよ。初日っからな、気ぃついとらんかったんかい?」
翁は私たちに手厳しい。
「気がつかなんでしたなぁ、士郎さんや」
「そうさなぁ、フジオカ先生や」
「俺は……翁に叱られたくないので、気がついていたことにしてください」
「この世渡り上手め」
「ズルいぞ、フジオカさん」
「なんにしてもな、チームってのぁよ。六人で組むのが基本じゃろ、このゲームじゃぁよ?」
「ということは?」
「まだ二人いるってこったな?」
出てきた。二人のサムライだ。髷を結い、時代劇に出て来るそのままの、武士らしい武士。三十路に差し掛かったばかりという風体で、技を磨き体力の貯金もたっぷり。精悍な男どもだ。
「泰然流じゃな?」
「左様、一手御所望したい」
「そっちゃぁ二人、こちらは四人。まさか卑怯とは言うまいね?」
「なに、すぐに六人になります」
なんだ、そんな大味な闘いかよ。できればタイマン勝負で、もう少し楽しみたかったのだけれど。しかしそこは交渉役の翁が、上手く繋いでくれる。
「斬った殺しただけじゃつまらねぇぞ、若いの。オイラたちぁこれからじゃんけんで順番決めっからよ、もうチョビっと他流派と遊んでみねぇかい?」
武士二人、顔を見合わせなにか相談している。ちなみにわざわざ記載はしていないが、当然のように翁も一人泰然流を斬っていた。
そして相談が終わる。
「是非に」
「ってこたぁ?」
「一人と一人でお願いしたい」
「そう来なくっちゃな!」
ということで、私たちもじゃんけん。翁の出陣がいきなり決定した。カエデさんにお願いして、タイマン勝負の申請を運営に届け出てもらう。二人きりのフィールドを作ってもらうのだ。
ついでと言っては何だが、一戦の記録もお願いしておいた。
烈道陸たち、四人の死に帰りも復帰してきた。しかし試合場には入って来られないので、正座して観戦する。
で、緑柳翁。木刀は腰に落としたまま。居合腰に構えて両腕はダラリと垂らしている。
「ほんじゃま、始めようかいのぅ?」
「何を申す御老体」
泰然流は影のように踏み込んだ。胸の触れ合いそうな間だ。そして刀を上に抜いていた。
「もう始まっていますよ?」
そう言って、緑柳翁を脳天から一刀両断!
……は、できない。そのまま顔面から地面へ墜落した。緑柳翁は片膝の姿勢、ただ軽く。本当に軽く泰然流の小手を取っているだけだった。
「若いのう」
ヒョッヒョッヒョッと翁は笑う。そしてかなりの手心が加えられていたのだろう。泰然流剣士は立ち上がってきた。
「お代わり、所望いたす!」
居合で抜いた刀を中段に構えた。切っ先に殺気を重たく乗せている。が、緑柳翁経験者である私からすれば、それははやり過ぎると見えた。緑柳翁相手に気迫は必要かもしれない。しかしそれ以上に必要なのは気配を消すことだと私は思っている。
「突き技ですかな?」
剣は専門でないフジオカ先生にも見抜かれている。
「突き技だな」
「あぁ、狙い過ぎですな」
士郎さんと私も同意見であった。
マンガ、映画、フィクションの世界で古流武術というものは、物理的に速いとされる時代があった。そして現在では、魔法かなにかのように、何故か先に攻撃が当たることになっている。
ではどちらが正しい古流武術なのか? 誤解を世界配信することを恐れずに言うならば、後者が正しい古流武術の表現である。
もちろん小童、小僧っ子、初心者に毛の生えた若造の話ではない。技の確かな術者が、その技を理解できるレベルの者を相手にした場合である。初心者もしくは未経験者のみなさんに、わかりやすい説明をするならば、何故か逃げられないから技なのだ。何故かもらってしまうから術なのである。
その『何故か』を探求していく作業が、修行ということになる。考えて考えて考え抜いて。迷って迷って迷い抜いて、そこから見出したひとつの手がかり。それをモノにしたときに初めて自分の技となる。
そして物理的に速い突き技が来た。しかしいかに速くとも、いつ、どこにその突きが来るのかを事前に察知できていれば、躱すことは難しくないのである。事実、翁は横ひと足で攻めを避け、おそるべき白刃を指先で摘んでいた。まるでトンボか蝶々でも獲るかのように、優しく造作もなく。
「どうしなさる、お若いの?」
翁はあくまで、人間でも頭からムシャリといきそうな顔で笑っている。私からすれば、獰猛な野獣そのものだ。泰然流剣士の顔色は真っ青になっていた。よほど自信のあった突き技だったのだろう。しかし、甘い甘い、気迫のみで押すというのなら、免許皆伝よ。相手が悪すぎる。
「こなくそっ!」
剣士はそのまま物打ちを効かせて、翁の手を斬り落としにかかる。だが翁は、摘んだ指先の圧力をそのままに、刀を引っ張ってゆく。
「お、お、おぉっ!?」
迂闊に台車へ片足をかけてしまったウカツ者のごとく、泰然流剣士は前のめりに引っ張られてしまった。
「もう良いじゃろ。今度は手加減してやらんぞ?」
泰然流剣士は脳天から地面に激突。そのまま撤退していった。
「まずは一勝、さて免許皆伝どの。どうなさる? まだ学びますかな?」
士郎さんが問う。当然のように、「なんのっ! もう一手!」と意気込んできた。
それに対し、フジオカ先生が立ち上がる。
「翁に比べれば、まだ若輩なれど……」
コキやがる。無双流宗家の私から見ても、堂々たる剣豪の風格を漂わせてるクセに。
「次は俺だっ!」
泰然流陣営からも人が出る。こちらも熱血漢のようだ。僧帽筋が盛り上がり、三角筋をいからせている。つまり、無駄に燃えていた。ガチギレとかヤバいとかいう状態で勝ちを得られるのならば、私はいつでもガチギレしてやろう。マジヤバイ状態にでもなってやる。だが素人目によるガチギレとかいう状態など、面白くも可笑しくも無い。魅力がまったく無い。
土台ガチギレしなければ人を斬れないというのであれば、すぐに剣を捨てるべきであろう。斬る技なんぞは、感情も怒りもなにもなく、ただ剣を正しく振るだけで良いのだ。むしろ感情、勝ちたいという気持ち、そういったものは剣の前では邪に過ぎないのだ。免許皆伝まで着きながら、その境地には至っていないようだ。
対してフジオカ先生、まさに歴戦の勇者。泰然流という冠を奪ったかのように、むしろこちらの方が堂々とした立ち振舞いだ。
「さ、始めましょうか」
悠々とフジオカ先生がペースを取る。
「お、おうっ!」
中年未満の若造が、剣を抜いた。いや、抜かされた。
柔道は競技。競技だからこそ立ち合いの機微は心得ている。熟成されている。敵に気づかれることなく、フジオカ先生は試合のペースを握っていた。フジオカ先生からすれば、すでに場は「さあ、来なさい」と上段に構えたようなものである。うかうかと敵は中段に構えさせられ、相対することを強いられてしまった。
何が来るかな? と見ていたが、なにも出しそうにない。フジオカ先生の太刀に、完全に飲まれていた。
「どう出ますかな、フジオカ先生は?」
「常套手段ならば、ここは面をねらうでしょう」
そう、剣は面を打てれば大抵の場所を打てる。ズッ……とフジオカ先生の切っ先が迫った。泰然流は一歩、大きく退く。
「気迫で大きく上回っているな。現代武道もなかなかにやる」
「いや士郎さん、現代武道だからこその気迫だよ。戦気はなにも古流のみのものではない。いや、武道武術だけのものではない」
そう、テニスプレイヤーでも大型タイトルのトーナメントともなれば、武道家格闘家にも勝る気迫を出すものだ。以前テレビで視聴したテニスのビッグタイトルを競うトーナメント。勝敗が決したというのに両選手とも、まだ緊張感を解かずひと度「いまの一戦無効!」という声がかかろうものなら、すぐさま戦に挑むことができるという態勢であった。
ラケットを手にしたサムライ。日本人選手も、海外選手も。どちらもサムライと賞賛したい戦気。まさに天晴な武者振りと記憶している。
そして泰然流は動き出した。それ面だ、やれ小手だと矢継ぎ早に攻撃を繰り出してくる。しかし、気も乗っていなければ腰も入っていない。斬る、という気迫に乏しい。
気迫を重視する士郎さんではないが、これでは豪傑フジオカ先生から一本を取ることは叶わないであろう。
事実、フジオカ先生は泰然流の太刀を切っ先のみでひょいひょいとさばいている。難しいことは何もない状況と言えた。
うん、わかるよ泰然流。その状況は、かつて私や士郎さん。あるいはフジオカ先生が通ってきた道なんだから。はるか高みの者が稽古をつけてくれるのは良いのだけれど、まるで技が及ばないという現実にさらされる体験。みんなそれを経験しているんだ。そして師の技をよく見て、考えて吸い込んで、自分のものとしてゆく。
免許、あるいは免許皆伝の腕ともなれば、師の教えなど言葉ではない。ただ無言で打ち据えられるのみである。そして「今日の稽古はここまで」と言い捨てられるのである。
もしかしたら読者諸兄の仲良くには、そんな思いをしてまで古流武術を習いたくない、と思う方もいるかもしれない。が、それは違うと言わせてもらおう。
免許皆伝の境地にまでは、なかなか行けないものである。そして免許皆伝の境地にまで至れば、その程度の稽古は「軽い軽い」と笑ってしまうに違いない。