前からここへ、ここから後へ
新兵格ふたりに熟練格ひとりという稽古は終了。次は豪傑格ひとりで新兵格ひとりと熟練格ひとりを相手にする稽古。つまり私も豪傑格として胸を貸さないといけない。
できるだけ堂々と、格上風を吹かせて若手の前に立つ。そう、私たちに稽古をつけてくれるリュウ先生は、いつもそうだった。だけど、やはり三人を一度に迎えると、やはりプレッシャーが強い。しかし緑柳師範の「始め!」の号令が容赦なく掛かる。
丸楯、これが私の命綱。これを突破されたら、怒涛の攻撃三人前が襲いかかってくる。
初手は熟練格の一発。それに新兵格の一発が続く。
早い! 二人掛かりのコンビネーションが、これほど早いだなんて。どうにか受け止めることはできたけど、三手目の攻撃は私の丸楯をずらすための縦打ち。上手い!
思わず舌を巻く。
今度は熟練格の突き、楯が傾いて私の左肩がガラ空き。
もらってしまった、新兵の打ちを肩に。でもまだ致命傷じゃない、新兵格のプレイヤーも降って湧いた好機に興奮してしまったようだ。クリティカルな一撃にはならなかった。
そうだ、これは胸を貸してやる稽古。打たれてホメる、打たせて自信をつけさせる。それも有りなんだ。
ということで、「チャンスはいつ来ても良いように、落ち着いて打ってください。タイミングは良かったですよ!」と、声をかけてあげる。新兵格プレイヤーさん、少年みたいに目を輝かせて、「ハイ!」ととても良い返事。
いいな……こういうのって、なんだか……。みんなが一生懸命、みんなが努力を積み重ねる。みんなが同じ目標に向かって頑張っている。それってなんだか凄いことですよね?
だから私も手を抜かない。
「さあ、今度はこちらから行きますよ!」
楯に隠れて切っ先で狙いをつける。
「落ち着いて、私がどこを狙っているかは剣が教えてくれてるでしょ?」
これもリュウ先生の教え。刃がどこを向いているか? どこを狙っているか? どう斬りたがっているのか?それは剣が教えてくれる。すごいな、武術って。こうやって代々受け継がれていくんだ。今日の稽古が二十年、三十年あとの誰かに。まったく同じ言葉で、まったく同じ方法で伝えられてゆく。
そして今のこの教えは、昭和大正明治とさかのぼって、江戸時代の昔から誰かが伝えてくれたこと。まったく同じ言葉で、まったく同じ方法で。
ただこれは伝統芸能伝統工芸でも同じ。それを受け継ぐ人が次の世代へと、自分が言われたのと同じことを伝えてゆく。滅びた文化もあるかもしれない、だけど今わたしたちは擬似空間の中とはいえそれを体験している。
手の空いている新兵格を集めて、リュウ先生と士郎先生が素振りの稽古、物打から走る素振りの方法を教えている。令和日本では、もう活かされる機会の無い技術。だけど日本人ならば誰でも、必要とされていないのに欲する技術。
もしかしたら滅びかけだったかもしれない技術が、この擬似空間で伝承されていた。
二人一組、あるいはいま行っている三対一の稽古。これだって元を正せば新選組で行われていた稽古方法だ。鳥羽伏見の戦いで、鬼副長は言ったじゃない。「もうこれから先は、天然理心流も北辰一刀流もありませんな」と。それは剣の時代の終焉を意味していたのだけれど、副長! 貴方の稽古は令和のこの国で、みんなを楽しませてくれます。もう、鬼の集団新選組なんて、どこにもいないかもしれません。人を斬る剣なんて存在しないかもしれません。
だけど私たち日本人は、みんなと仲良く遊ぶことのできる種族になったんです。
おっと、いけませんいけません。ひとり語りはもう充分、三人の若手たちが私からの攻めを待っています。では、丸楯の陰に小さくなって隠れて……体当たりのように前進、同時に突き。クリティカル、熟練格の鎧を破壊。だけど新兵格の一人が私の太ももへ一撃。クリティカルは逃したけど思い切って出てきましたね。
「そのタイミング! 差し引き赤字でも、精神的には優位に立ってますよ。もう一度!」そもそもが突き技はカウンターを取るのに、一歩後退した方が良いはず。それを思い切って前に出てくるのは、とても良いこと。本当なら突いた側がたじろぐ場面だけど、あえて私は前に出る。ここは死番の恐さを教えてあげましょう。
死番の精神、生きんとする者は死に死なんとする者こそ生く。その姿勢は常々リュウ先生が見せてくれていた、剣士という生き方と死に方。もしかしたら読者のみなさんは『古流武術』というものは、魔法のような技を使って何故か勝ってしまう理解不能なものだと思ってませんか?
それはまったくの不正解。とにかく厳しく鍛えること、そこからすべてが始まります。
だって、怠けていたら殺されちゃいますから。
えっと、小隊長が読んでる格闘技漫画に歴史的剣豪が現れて、現代格闘技に対して一言申します。「外れてもいいだなんて楽で良いね」、そんなことを言ってました。
古流武術にその考えは通じません。外したら斬られます。斬られたら死ぬか身体欠損になります。リュウ先生が腰に落としているのは剣。ただ斬ることを目的としたもの。
そんな武器で切り結ぶ、それは即座に命のやり取りを意味しています。だから徹底的に鍛えるんです。
そして斬られることを恐れない心。胆力とか精神力、つまり気合気迫を練り上げます。その上で技が活きてくるんです。もっとあからさまに言えば、リュウ先生との稽古に比べれば新兵熟練を相手の死番なんて、怖くもなんともありません。防具のひとつやふたつ、なんだったら腕でも脚でも一本くらいはあげますよ?
だけど最低一人は、生きて帰れないと思ってください。
気迫の草薙神党流、技の柳心無双流。とはリュウ先生のお言葉。でもその実態は技の無双流であっても、これだけ気合の稽古はするものなんです。
すごく泥臭くて、血なまぐさい稽古をしておきながら、リュウ先生は「士郎先生に気合で対抗しちゃ、敵わんさ」と笑うんです。
お喋りはここまで、さあかかってらっしゃい!
右にいる新兵格、これがまた私の太ももを打ってくる、かまいません。左の新兵格は私の小手に打ち込んでくる、防具破損。だけど一途に、ただ情熱的に。正面に立つ熟練格の彼、その喉元に切っ先を伸ばします!
よくやった、袈裟斬りに一刀。私の防具が消し飛ぶクリティカル。だけどカエデちゃんの切っ先は止まりません。奪うぞキル!
……といったところで身体が動かなくなりました。吹き飛んだ皮防具、無防備な胸に新兵格の突き技、そして袈裟斬りもう一丁。
死番カエデ、ここで撤退です。
ぞして復活は彼らに拍手をしながら。
「上手い上手い、お上手お上手♪ そんな感じで勇気を振り絞って! オールフォアワン ワンフォアオールの精神ですよ!
危険な仲間を見捨てずに、思い切った攻撃が逆転や形勢の不利を覆すんです! 頑張ってもう一丁!」
う〜〜ん、以前の私ならこんなこと言わなかったんだけどなぁ。あくまでも技巧派で、あくまでもクレバーに立ち回ることを教えたはずなんだけど……。これは私が上達したのか劣化したのか?
悩ましいですねぇ……。
ひと通りの稽古が終わって、ちょっと指導員サイドで反省会。あくまでも若手指導員だけ。
「カエデが指導したあとの新兵たち、すっごくやり難くなったぞ! どんな指導したんだ!?」
苦情なんだけど小隊長、ニコニコして訴えてきます。
「いえ、私はなにも……ただ考えてみたら、全部リュウ先生の言ってたことばかりだったかな? って……」
「リュウ先生の言っていたことを、そのままかな?」
白銀輝夜さんが、鋭い目でこちらを見てきます。
「き、気がついた範囲では、そのままです……」
「ふむ、よろしい……。師より授かった技を、そのまま後進に伝える。それこそが伝承というものだ」
「はぁ……」
それってそんなに重要なんでしょうか?
「指導する側に回ると、ろうしても自分の経験、自分の考えを挿し込みがちになってしまう。しかしそれをしては無双流ではなくカエデ流になってしまう」
じ、じつはチョコチョコやってます。反省反省……。だけど小隊長とシャルローネが、悪い例として手を挙げる。
「アタイなんてほとんどオリジナルだぞ?」
「私に関していえば、パーフェクトにオリジナルですね♪」
これには輝夜さんも苦笑い。
「まあ、この場所は柳心無双流の講習会ではないので。それにお二人は、型にはめない方が伸び伸びしている。型にはまるのべきなのは、私のような凡才だ」
こうして冬イベントへの稽古は着々と進んでいきました。