エンター・ザ・ファイナル
赤陣営から、小隊長の入場なんだけど、試合場に重苦しく不吉な旋律が流れる。何者を弔うか? 何者を悼むのか? 追悼の旋律にしか聞こえない。
そして鏡花さんの選手紹介。
「かつて不遇の時がありました。スラヴ人キリスト教徒が多数殺害され、それを弔うために書かれたチャイコフスキー作曲、スラヴ行進曲。流れよ悲しき涙、歌えスラヴの人々。弾圧と不遇、ひとつの文化が失われることに抗い、なおも闘う魂を悼むこの曲」
荒れ果てた母国を吹き抜ける風。しかしまるで立ち上がる民衆の怒りのように、曲は盛り上がりをみせる。抵抗、暴力の嵐、そして墓碑のごとく立ち昇る煙。地面を揺るがすかのような、地の底から湧き上がる人々の激情。祖国を取り戻せと草莽は崛起する。
怒りにまかせた民衆が押し寄せるかのような旋律を背中に、小隊長が現れた!
聞け、虐げられた民の声! いまその怒りは頂点に達したのだ!
虐待された人々の恨み、怨念、そうしたものをすべて背負い、トヨム小隊長・本名藤平響、堂々のリングイン!
「……どうするバカボン? 小隊長はクラシック音楽で来たよ」
「カエデちゃん、気後れしちゃダメ。もうルビコンの流れに足を踏み入れたんだから」
「それを『後戻りできない状態』と言うわね」
「あちゃ〜、やっちゃったー。ともいいますねー♪」
やば、小隊長ってばこれまでにないくらい圧をかけてくるわ。勝てるの、バカボン?
「やっぱり実物は迫力あるね♪」
なに呑気なこと言ってんのよ。ヤルのはアンタなんだからね!
「わお、私ってばカエデちゃんに心配されてる?」
「べべ別に、アンタのこと心配してなんかいないんだから!」
「とか言って、ホントは愛してるクセに」
主審、代わって士郎先生。コホンと咳払い。
「はい、選手以外は壇上から降りて」
私、マミ、あちらではセキトリさんが降壇。試合前のルール確認が始まる。
「多少のことは目をつぶるから、二人とも全力で闘え」
おい! そこのオイ! 主審おい! 普通は「反則は厳しく取るぞ」とか言うんじゃないの!? なにその陸奥屋ルール!?
士郎先生、自分がおかしいこと言ってるのに気づいてる!?
「どうせここはゲーム世界、やり過ぎたって死にゃしないさ」
人の話きけーーっ! っつーかもう少し一般人の常識をもって……。
「始め!」
おそらく法律上もっとも立ってはいけない人物を主審に立てて、試合は始まってしまった……。
まずシャルローネはメイスを下段に。いや、正確には下段じゃない。繭玉のような先端を地面につけている。対する小隊長は、やはりピーカーブースタイルで頭を左右に振っていた。
うん、そうだよね。どこからどう考えても、小隊長の戦法はこれしか無い。無手の小隊長、長得物のシャルローネ。中途半端な距離では絶対に闘えない。シャルローネの距離を潰して、自分が距離、クロスレンジに入ってからの攻撃にしかならない。
我慢相撲なんて言葉があるらしいけど、インファイターは常に我慢を強いられる。攻撃の前に、相手の距離を潰すという手間がかかるからだ。
「なんだカエデ、そんな手間がどうしたってのさ?」
小隊長なら、平然とそう言ってのけるだろう。
小隊長には、何かがある。
私たちの持っていない、何かがある。私ごときでうかがえるのは、体格に恵まれなかった人生。平均でスタートできなかった青春。明らかなハンディキャップとしかならない、柔道競技。それだけしか選択肢の無かった、これまでの生涯。
そんな重たい現実に比べたら、敵の攻撃をかいくぐる手間なんて。そう言って小隊長は笑うだろう。いや、小柄な体格でさえ文句も言わず愚痴ひとつこぼさず。丁寧に丁寧に敵の攻撃をかいくぐる練習を続けるに違いない。
「チビで損したこと? 無い無い♪ この体格でデカイ相手をぶっ飛ばしたら、それこそオイシイじゃん!」
ああ……言いそうだ。小隊長ならそんなこと言いそうだ。なんかもう、八重歯をのぞかせて笑う小隊長が、目に浮かんでるもん。
で、ウチのバカボンや? あのジャイアント・ガールに勝てるのかしら?
シャルローネ、相変わらずメイスの先を地につけている。小隊長の動きは鋭さを増して、頭を左右に振っていた。
そろそろ来るわね。
小隊長が一歩一歩前進を始めた。ジリジリと近づいてくるが、シャルローネの間合に入る手前、足を止める。時計回り時計回り、小隊長はシャルローネの外へ外へと逃れようとしていた。
正面、シャルローネはそこに小隊長を納めておきたい。だから小隊長を追いかけるように右へ右へと向きを変える。シャルローネを中心に円を描く小隊長、その円が小さくなってゆく。焦れるような濃密な時間。どちらもまだ、仕掛けてはいない。
シャルローネが持つ得物の切っ先が跳ね上がり、中段の構え。
小隊長はパッと飛び退く。
いつの間に。間合はかなり深くなっていたようだ。仕切り直し、小隊長はグローブを二度パンパンと合わせて、ピーカーブースタイルで頭を振る。シャルローネの反応、小隊長の動き。どちらも切れている。両者絶好調、上々に仕上げてきたことがうかがえる。
シャルローネ、またも下段。切っ先は地面に置いてある。どうやら小隊長のアゴを、下から狙っているようだ。そして小隊長はこれを嫌う。つまり、これはボクシングにおけるインファイター対策の常套手段と言えた。
今度は小隊長、円を描かず頭を振って正面から。しかし手の内は読み切っていると豪語したシャルローネ、小隊長のアゴが到着する位置を予測して、的確に切っ先を跳ね上げた。
だけではない。今度は石突を返して突き技も見せる。
小隊長、大きく後退。間合は長得物であるシャルローネのものとなった。
うん、これがシャルローネの選んだ戦法。とにかく間合に入れない。入って来たら下からかち上げて上体を起こして、また突き放す。小隊長に何もさせない、侵入すらさせない。まさに常套手段。その一手一手が、「小隊長は必ずここに来る!」と読み切っているんだから、間違いを探す方が難しいわね。
もしも見落としがあるとすれば……それは……小隊長を敵に回してるってことかしら?
「ま、そうだよな。そう来るよな」
小隊長、全然へこたれていない顔。鼻をひとつこすって、構えを変える。
身体の向きはまったくの半身、左の拳をダラリと下げて、肩関節と右の拳でアゴ先、チンの急所をガードする。いわゆるヒットマンスタイル。そうだ、小隊長はインファイターのイメージがあるけど、実は初期の頃はよくこの構えを取っていた。
だけど、ヒットマンスタイルになってもシャルローネからすれば、所詮中間距離の構え。間合で長得物に勝てる訳じゃない。
シャルローネも中段に変化。間合の差を証明するように、小隊長を釘付けにしている。
……小隊長を釘付け? ホントに? 何か違和感がある。シャルローネにとって、とても不吉な違和感が。
シャルローネの攻撃。顔、脚、顔、腹。上下を打ち分けるコンビネーション。上手い!
なのに小隊長は小さなステップとガード、軽く頭を振るだけで無傷を保つ。
「やっぱりイイね、起き上がると。シャルローネの攻めが全部見えるよ」
え? 小隊長……いま何と……?
違和感を拭えないまま、シャルローネは突き技を軽く軽く。小隊長は左のリードで軽く軽く弾き飛ばす。右足右手が前のシャルローネはサウスポーの形。小隊長は左が前のオーソドックススタイル。そう、小隊長は踏み込むことさえできれば、届くものならば、右をシャルローネの顔面に打ち込むことができる。いわばサウスポー殺しのスタイルなのだ。そしてシャルローネに、左の拳は無い。メイスがひと振りあるだけだ。
サウスポー殺しの右は、カウンターで十分。つまりシャルローネの失策を待っていればいいだけ。つまりこれは?
小隊長が釘付けにされているんじゃない。シャルローネが動かされているんだ。
ボクシングではサウスポー有利が謳われている。それはサウスポーにとって右利きは数が多いからたっぷりと練習ができるから。右利きにとってサウスポーは希少なので、十分な練習が積めない。
ではこの一戦において有利不利は? シャルローネにとって徒手の相手は経験が少ない。小隊長は大抵の相手が得物を持っている。経験値に雲泥の差があった。
シャルローネ、小さな攻め。小隊長、左でこれを撃ち落とし、大きく踏み込もうとする。それをシャルローネは察知。大きく後退する。押し込まれている、シャルローネが……。本当なら長い間合を利用して小隊長を後退させたいところなのに、経験値の差で小隊長に後退させられている。それも、手を出せば出すほど。
じゃあ、シャルローネが動きを止めて待ちに入ったら? シャルローネの方がカウンターを狙ったら?
「シャルローネ! 小隊長に動かされてるよ! 待ちに入ってカウンター、カウンター狙い!」
私の声が届いたか、シャルローネはハッと気づいた表情。足を止めて中段に構え直す。しかもその切っ先は剣道か北辰一刀流か?
フルフルと小刻みに動いた鶺鴒の尾、居着くことなくいかようにも変化できる構えだ。両者カウンター狙いとは、なんという闘いなのか?
感動にも似た思いだったのに、ここで小隊長は両手ダラリのノーガード戦法!? いま!? この場面で!?
これに誘われるのが我らが愛すべきバカボン、シャルローネだ。無邪気に打ちかかってゆく。
ヌルリ……小隊長が影のように動いてそれをかわす。って、いつの間に間合を詰めたんですかっ!?
右ストレートをシャルローネの腹に。メイスの柄でシャルローネ、これをブロック。しかし左も腹狙い。これもブロック。さらに右で顔面を、なんとかこれも受け止めた!
「シャルローネ、上下に打ち分けされてるよ! 離れて離れて!」
なんとか体当たりで小隊長を押し退け、距離を確保したシャルローネ。しかし今度はピーカーブースタイルの小隊長、近間でメイスの有効打が飛んでこないのを良いことに、頭から潜り込んでくる。
体当たりで押し退け、潜り込まれてはまた体当たり。立ち技の攻防なはずなのに、寝技を見ているようなしつこさだ。
しつこい、となればこの攻防は大変に重要となる。成功を焦って雑な体当たりなどすれば、小隊長はたちまちダース単位のパンチを放ってくるだろう。
「丁寧に、シャルローネ! ここはガマンくらべだよ! ミスしないミスしない!」
そう、下手に下からのかち上げなんかで功を焦ろうものなら、小隊長は上体を振ってこれをかわし、倍の速度で踏み込んでくるはずだ。絶対にミスの許されない場面である。
「ん〜〜……シャルローネさん、先ほどからエビさんのように後退ばかりですねぇ……」
「仕方ないのよ、マミ。それくらい小隊長の圧力が凄まじいんだから」
天才シャルローネ、この場面をどう乗り切る? 何か私たちの知らない手を秘めていないの?




