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その男、草薙士郎

いつの間にやら総合評価740pt、ブックマーク登録247件、評価ポイント合計246ptまことにありがとうございます。

改めて考えてみれば、かなり酔狂な話だと思う。滅びゆく古流剣術、というか最早昇る太陽とは言い難い現状。精神性のみが説かれて久しく、武術と名の付くものは戦後GHQの政策によりことごとくその牙を抜かれた。

いや、それはあくまでも死んだふり。歴史と伝統の恐ろしさを知らぬアメリカ合衆国の目を盗むようにして、古武術は生き延びてきた。誰が残している、どこに残しているなどとは、敢えて言わない。しかしえげつない殺人術、一般的には公開をはばかられる技術を隠して、武術は生き延びている。

しかし、それも平成初期までの話。にわかに巻き起こった『古武道ブーム』によって、技術が金銭に変わるということを諸流派宗家が知ってしまった。誰にでも教える、それが金になる。そしてさらなる金のために名前を売ろうと、動画サイトで技を公開する。それを宗家の判断、宗家による技術の選択で公開するならまだ良し。

門人たちが(おそらくは)勝手に技術を公開し、悪いモノになればさもさも自分が時代劇の主人公になったかのように勘違いをし、映画のような演出と芝居がかった表情で演舞する者まで現れた。


ここでひとつ、偏見に満ちているかもしれないが、あえて断言しておく。

居合、抜刀術、試斬などにおいて、日本刀を扱うモノは曲ってはいけない。

前のめり、うつむく、そういった動作は武術には存在しない。

日本武道館で毎年開催される古武道演武会。諸流派宗家が集まるそのような場で、前のめりになる者はいない。うつむく者もいない。師匠より授かった技を背筋を伸ばして、熱心に披露するのみだ。

そうだ、俺が視聴した『悪い技術公開動画』は、師匠と呼ばれるべき者の姿が映っていなかった。門人たちが勝手に、面白半分や広告収入目的で公開しているのである。

非公式な技術公開、あるいは師匠不在の技術公開にロクなものは無い、と読者諸兄は覚えておいてもらいたい。

そのようにして低下してゆく武術モラル。そんな調子ではまともな伝承などされようはずもない。

武術は滅びた。そう断言したくなる。しかしそれでも、凶気の技術は細々と残っている。まだ武術は生き残っていて、時代の流れに逆らうようにして頑なに、その術理が残されている。

似非どもをぶっ飛ばしてやりてぇ。そんな邪な考えが頭をよぎる。しかし令和の御代でそれをやれば、確実に警察のご厄介になってしまう。

こんな技術が本当にあるんだぞ。それを示したい欲もあった。


一丁腕試しもしてぇやな。そんな良くもある。だが、何よりも古武道社会にはびこるおかしな連中にひと泡吹かせてやりたい、というのがホンネかもしれない。この『王国の刃』というゲームに参加した動機だ。

そう、酔狂というのはこの疑似世界で古武道の有用性を今一度示してやろうと考えたことだ。この世界への案内人は、財界の鬼将軍と呼ばれた男。ミチノックコーポレーション会長、水樹隆士という男。この男は俺が流派『草薙神党流』のスポンサーであり、案内を断ることはできない。

いや、断る道理は無い。二つ返事で請負った。ゲームには俺よりも詳しい(と思われる)恭也と深雪も誘った。ポンコツと半人前ではあるが、仮想空間での『実戦』を積ませるには良い機会だ。

ただ、あまりに殺傷に逸る恭也のデキの悪さには、気がついていたとはいえ肩を落とすことになったが。

逆に深雪は良い。自分にできること、できないことをよく計り、その時々に応じた最適解をチョイスしてくれる。ただ、師匠としては面白味に欠けてしまうのだが……。

そうこうして日々を楽しんでいると、俺の前に災害が現れた。草薙流同様、幕末の景色の中に躍り出ることのなかった柳心無双流剣術の使い手、宗家和田龍兵だ。


奴もまた、酔狂な人種であった。俺と同じく和装に木刀という、『王国の刃』に必要な装備をまるっきり無視した姿で、古武道の存在意義を探るためにこの疑似世界へと迷い込んでいた。

そして奴の剣を見て、身震いするような凄味を感じる。

妻を働かせ、鬼将軍の資金提供のおかげで剣術三昧を許された俺はでさえ、シビレるような男だった。あぁ、コイツも気の毒な男なんだな……。率直にそう思う。そして言葉を交わし、その人となりを知るほどに、現代社会に居場所の無い男とわかる。公務員をしているというが、そうした足枷こそが奴にはお似合いだ。

そうして何かで縛りつけておかないと、歩く兇器、人間兇器となってしまう男だった。週に一度、月曜日にしか指導していないと奴は教えてくれた。それ以外の週六日は?

自分が強くなるための稽古でしかない、と言う。いや、指導稽古が終わったあとで一人稽古に励んでいたそうだ。

バカがいた。公務員という立場でありながら稽古にすべてを捧げるバカが、目の前にいた。そしてその男は、王国の刃をログアウトしたあと、ひとり木刀を振り自主稽古に今でも励んでいるという。


強い男は稽古に励むものだ。そして、師匠をこよなく愛している。その亡霊はいまだに傍らの存在し、剣を振るうたびに『あ〜ぁ……』と分かりやすくため息をついてくれるのだ。

それは、俺にも共通する宝である。俺もいまだに師匠、つまり剣士俺の親父を愛し抜いている。道楽オヤジで母に苦労ばかりかけていて、人としてはサイテーな男のはずなのに、あんな生き方をしてみたい、家に金を入れなくとも平然としていられる太さが羨ましい、とも思えた。

俺にはスポンサーがいて、オヤジを越える機会は永久に失われてしまっている。だからこそ、いまさらながらにオヤジがおもしろい。今この場に生き返ってほしい、などとは言わない。なにしろ穀潰しでしかないから。だが、俺にとっては『男の教科書』ではあった。

その辺りが、リュウと俺との差だろうか?

だが、何度見ても奴の剣は冴えていた。嫉妬するほどに斬れている。俺も負けられない、と思い自主稽古のノルマを厳しく課した。

それで臨む年末イベント後の、二人きりの立ち合い。

貴様俺、どっちが本物の男なのか? それを決する男の闘い。しかし、そこでも決着はつかなかった。


緑柳師範の判定は、どれもこれも相打ち。相打ちは草薙流の望むところではあるが、しかしどれもこれも俺が持ち込んだ相打ちではなかった。奴の気迫が相打ちに持ち込ませたのである。

できる、和田龍兵。

真剣による立ち合いとなれば、もしかすると俺を凌ぐかもしれない。奴もまた、神道流系の流派なのだろうか? いや、大切なのはそこではない。

天の采配か運命の気まぐれか、今は奴らと別チームになっている。そして戦力的に伯仲な我ら、次のイベントでは確実に敵に回る。

孔子が言うには、友が遠方より訪れてくれることこそ嬉しいものらしい。しかし俺からすれば、奴が敵陣営に回ってくれること。これこそが喜ばしいことであった。

だが、いままで通りの俺では、いままで通りの結果しか出ないだろう。いや、ともすれば敗れ去るということも考えられる。


娘の深雪が、ダイスケくんとの立ち合い稽古で技を見せてくれた。もちろんその技は草薙神社に存在するありふれた技でしかない。しかしそれこそが重要なのだ。基本への回帰。絶対の壱へと無限に回帰すること。それこそが稽古というものである。

ひとり、拠点の稽古場に立つ。

勝負、気迫、合戦。俺を構成する重要なキーワードだ。しかしそれらをすべて脱ぎ捨てる。『狂』の一文字。草薙流においては絶対に通過しなくてはならないゲート。それすらも脱ぎ捨てる。すると、技が見えてきた。俺も宗家としてふんぞり返ることのできる立場ではある。しかし改めて剣を取り直せば、まだまだ新しい発見があった。

『戦』の一文字。そこから幽玄の境地へと……。新たなる『俺』を追い求めて。今風に言うならば、新しいステージへ。すぐそばにある、緑柳師範がその域に達していた。兵法『二天一流』がその領域を目指していると聞いたこともある。

ならば、俺も……。そこを目指すにはいささか若すぎるかもしれない。だが、悪いなリュウさんよ。ひと足お先に行かせてもらうぜ。


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