男は鼻っ柱を折られる生き物。そして挫けてなお立ち上がる者……いや、立ち上がれませんでした。
……問おう、お前は何者か? 俺とは、何者か?
……俺の名は草薙恭也。地元国立大学の二回生だ。
…………誰がそんなことを訊いたか。今一度問う、俺とは何者か? 我こそは草薙神党流剣術目録、草薙恭也だ。
ではお前は今、なにをしている。
俺は今、寝転がっている。……いや、死人部屋だろうか、ここは。
草薙の剣士たる者が、なにを無様な姿を晒しているか。
……いや、待ってくれ。俺はいままで、今日この日まで、家伝の剣術草薙神党流に励んで来たはずだ。それだけは偽らざる事実だ!
ではお前がいま斃れているのは、草薙の太刀が弱いということになるが、それは構わないか?
……いや、草薙の剣は決して弱いなどということはない! 親父は、父は驚くほどに強い!
ならばそれだけ努力をしておきながら、勝つこと能わず地に伏しているということは、お前が無能ということになるぞ? それでも構わぬか?
至らぬは自己責任。なんと言われても構わない。
だが振り返ってみよ。お前を屠ったものは誰か?
……フィー先生……。
そう、なんだかんだと言っても、所詮は女子とあなどっていた、あのフィー先生だ。剣対薙刀と得物に差はあれど、お前は婦女子に不覚を取ったのだ。努力を積み重ね、それでなお婦女子に敗れたる今の心持ちや、如何なるや?
……………………。
もう、剣を捨てるか?
まだだ、まだ俺は終わっちゃいない!
いつまでしがみつく、この人斬りの技に? すがりついてしがみついて、その先に何が残る? お前に才が無いのは、これで知れたろう?
ならば問おう、才無きものは剣をとるに価せざるや!?
才無き者は才無きなりに剣をとれば良い。されどお前の剣は才ある者のマネごとに過ぎぬ。汝は剣に何をもとめるや?
……守るべき者を、守るだけの力だ。
お前はそれ以上の剣を求めている。そのままでは路地裏で斬られ死ぬ野良犬と少しも変わるところが無いぞ。現に薙刀に斬られ死んだであろうが。
……………………。
妹にも、負けるぞ。
何故わかる。
妹の剣には『その先』があるからだ。
その先とはなんだ!?
……………………。
答えろ! 答えてくれ! オレに足りないものはなんだ!!
……………………。
俺のことを散々になじってくれた者の気配は消えた。
そして俺は、陸奥屋一党の道場へと復帰する。神前、神棚の下で緑柳師範が、腕を組んで正座していた。苦虫を噛み潰したような顔色だ。太鼓のそばでは父が、草薙士郎が目を逸らしている。
「……もう一本、お願いします。」
「もう止めといたらどうだ、兄ちゃん」
緑柳師範が言う。
「ぜひ、もう一本。……ユキと」
妹を指名する。
「負けるぜ、兄ちゃん」
緑柳師範まで。どうして俺は負けたのか? どうして俺は勝てないのか!? それを教えてくれる者はいない。
「お嬢ちゃんよ、大力無双のダイスケ兄ちゃんとやってみな」
俺はさがらされた。壁際に戻り、座して立ち合いを見学する。
ユキ……俺の妹。本名は草薙深雪。小学生の頃から、俺の後をついてくるようにして剣の道に入っている。そのユキが、巨漢ダイスケさん相手に刀を構えている。
藍色の稽古着に稽古袴。女性としては凛々しいだろうが、剣士としては線が細くたよりない。そして構えが軽く軟ヤワしすぎだろう。
対するダイスケさん、巨漢に似合った大きな構え。そう、いうなれば大山のように雄々しく、どっしりとした構え。そしてメイスの切っ先に気迫が乗っている。
柔よく剛を制すとはよく聞く言葉ではあるが、その言葉には対がある。剛よく柔を断つというものだ。そしてダイスケさんの身体能力というものは、剣士である俺も驚くほどのものである。
持って生まれた恵まれた体格。これを遺憾なく発揮して闘う姿は、同じ男子として羨ましいほどである。
だが、しかし。
ダイスケさんのメイスが空を切る。立てこもるに打とうとも横に薙ごうとも、ユキを捕らえることができないでいた。面打ちは入らない、小手もダメ。胴払いも無効。……ユキが、ダイスケさんの猛攻をすべて、足でさばいていた。
ダイスケさんの持ち味は強打だけではない。その強打を連発することだ。巨大な重戦車が巨砲を連打しながら、猛然と進んでくる。その勢いは俺でさえ剣の下に隠れなければならないほどなのに。ユキは……。ユキは、藍色の袴を少し揺らすだけで、見切っている。それも、メイスの風圧が前髪を揺らすほどの短い間合いで。
そのユキが、初めて剣を動かした。ダイスケさんの一撃を、刀の棟で受け止める。いや、受け負けている。やはり女子の腕力、刀がグッと押し込まれた。
が。
打ったはずのダイスケさんが一歩二歩とつんのめる。合気だ。便宜上合気と呼称はしたが、現在合気と呼ばれる技術の初歩的なものは、他流諸流派にも存在しているものだ。
草薙流で言う葦の橋、これにかかりダイスケさんは転倒。苦もなく年下の女子に転がされてしまった。
「なんの、もう一丁!」
すぐさま立ち上がるダイスケさん。ユキは余裕の姿、下段に構えて待っていた。
対するダイスケさん、今度は上から振り下ろす形ではなく、低く構えて下から攻め上げるつもりだろうか。グイグイと突き技を繰り出してユキを浮足立たせようとする。しかしこれにもユキは袴の裾を軽く揺らすだけ。足さばきでことごとくダイスケさんの進撃をかわす。
ダイスケさん猛進、徐々にユキの稽古着をかすめるようになってきた。
その瞬間だ。
鮮やかに小手が決まった。ダイスケさんの右に手首が黒く染まる。
「やっぱりユキさんの技は切れるなぁ」
さして残念そうでもなく、ダイスケさんは笑顔。年下の女の子に小手を奪われて、それでも笑顔。
「いえ、ダイスケさんの下からの責め。あれはキビシかったですよ」
ユキも笑顔だ。確かに、ダイスケさんの責めは猛烈だった。しかしそれに付き合おうとせず、ユキは技のみで対処した。草薙神党流でありながら。
……日本剣術には三大系統がある。ひとつは陰流系、ひとつは中条流系。もうひとつは神道流系。この分け方にも色々あるようだが、とりあえずこのように分けておく。陰流から出た有名どころでは、やはり柳生新陰流。中条流系統からは一刀流が有名だ。そして最後の神道流系、ここからは薩摩示現流や天然理心流が出ている。
このように有名どころを並べれば、各系統がどのような特色を持っているかうかがえよう。
そして草薙流は、神道流系の流れを汲んでいる。薩摩示現流や天然理心流に近い流派なのだ。その草薙の剣術をもって、ダイスケさんを技で処理するなど……俺には理解ができなかった。
「納得いかねぇ、って顔してんな。兄ちゃんよ」
緑柳師範だ。この方の流派は床山神八流はさらに古く、源義経が天狗から授かったという京八流の影響が強いとかなんとか……。どこからが嘘でどこまでが本当なのか、俺には分からない。
「ダメかい? お嬢ちゃんが技で対応しちゃ」
「あまり草薙流らしくはないかと……」
思ったままを口にした。
老人はカカと笑う。「デキが悪いなぁ、お前ぇさんはぁよぉ!」とまで付け加えてくれた。
「草薙の剣が気合や気迫を重視してるってのぁ、流派の一面に過ぎんだろ。逆に言やぁあのデカブツに気迫負けしてねぇから、技が出るのさ」
それはわかるのだけど……。
「よし、今日からお前ぇさんは一切の攻撃禁止。防御も禁止だ。全部足さばきだけでかわしてみな」
な、なんつーことを、このジイさんは!
「せっかく出稽古で磨いてきたこと、みーんな忘れちまってんじゃねーか。荒療治が必要だぜ、お前さんみてぇな石頭にはよ。おう忍者、一丁揉んでやれ」
しかも相手は忍者かよ。
次の立ち合い稽古で、当然のように俺はコテンコテンにのされてしまった。