チャレンジステージ
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さて、ここで私の『武将チャレンジステージ』だ。私の獲得ポイントはブッチギリの圧倒的なので、一人で豪傑格になってしまっている。しかし実戦での稽古もしたい。メンバーの豪傑格昇格まで、ポイントの稼ぎを悪くしてなおかつ、実戦稽古をするにはどうすれば良いか?
チャレンジステージでノーキルとノークリティカルを達成するしかない。
腰から木刀を外し、代わりに腰の角帯へ棒手裏剣を二本差し込んだ。
この使い勝手の悪い得物のみで何百という敵の雑兵を相手に立ち回らなければならないのである。これを読者諸兄は無謀と考えるであろうか?
私には確信があった。「私ならばできる」と。
渇いた風の吹く荒野に立つ。ご存知、武将ステージ。間もなくあの地平線の彼方から、無数の敵兵が現れてくる。
心地よい緊張感がピリリと走った。
そうだ、この空気なんだ。私を古流へと、剣へと、戦いへと駆り立てるのは。
もう手慣れたはずの武将ステージであっても、やはり気持ちが引き締まる。
さて……。と居合腰を造り身構える。いつも腰にあって頼もしい木刀の大小もいまは無く、それでも新たな戦い方にはやる気持ちが湧いてきてしまった。
立ち止まっていても、甲冑の武者たちは現れた。手に手に剣を、槍を携えて、声を上げて駆けてくる。私も充分、スルリと前方に体重を移し、落下するように駆け出した。敵勢が迫る。私も敵勢に迫る。そして見ていた、敵勢の隙を。
前面に五人、揃いも揃って、ボクシングで言うところのサウスポースタイル。心臓を後方にさげた、右手足が前の構えだ。そして私の正面には三人目の兵士。つまり敵勢のど真ん中と衝突することになる。
私目がけて槍が伸びてきた。私目がけて槍が伸びてきたというのなら、私が変化をすれば槍はすべて外れる。私は急停止、当たり前のように槍を外した。そこへ剣士が二人斬り込んでくる。
剣士は基本的にサウスポースタイル。私は剣士にとって右側、私から見て時計回りに回り込む。そして密着。そこは剣士がなにもできない、私はやりたい放題のポジション。これまたボクシング用語で言うところのピポットポジションであった。
しかし私の目的はキルでもクリティカルアタックでもない。そのまま剣士と剣士を結ぶラインをクリアした。そのまま今度は三人の槍兵がつくるラインもクリアする。槍兵は剣士ほど機敏ではない。チラリと確認しただけで脱出ルートが見て取れたのだ。
そう、私がノーキルノークリティカルでステージをクリアできる確証というのは、このルート確認とルート選択の能力である。パーフェクトクリアをした私からすれば、一人ひとりを相手にしなくても良いランナウェイプレイは、鼻歌レベルの芸当でしかないのだ。
戦わずに済ませるランナウェイは、なんともサクサクと進むものである。ただひたすらに敵の刃をかわし、安全なルートを選択するだけ。時間もかからないし、戦闘の集中力さえ維持していれば問題は起こらないのだから、お得意の『上様大活躍』のテーマを鼻歌で歌いながらプレイを続けた。
「旦那、また上様かい?」
「なんでしたらリュウ先生、私が『新選組の旗はゆく』を歌いましょうか?」
などとトヨムやカエデさんから提案される始末だ。
「いや、この曲は私のルーチンのようなものだから遠慮しておくよ」
「それでしたらー、マミさんが江戸の黒豹を歌って差し上げますよー♪」
「いやマミさん、君はルーチンという言葉とその効用を知ってるかな?」
「おう、マミさんカエデさん。歌詞のある曲はリュウ先生の妨げになるぞい」
「そうだセキトリ、言ってやれ!」
「こういう時は大都会PARTⅡのテーマを口ずさむもんじゃろ」
「時代劇縛りを台無しにすんなよ!」
「1番、シャルローネ! クリスタルキングの大都会、歌います!」
「カラオケ大会かよ、ここは!」
「アーーアアアアーーーー!」
「女ターザンかよ!」
シャルローネさんのギャグのどこが面白かったのかわからない方は動画サイトなどでご確認を。面白さを理解してしまった方は成人病の検査をおすすめします。
さて、冗談はこの辺りまで。いよいよ敵の数が増えてくる。その攻撃を防ぐためにも、少し技を使ってみたい。
無刀取りである。敵の得物を奪って防御の役に立ててみたいと思う。
槍兵が突いてきた。そのケラ首を捕らえる。手の内を効かせた。それだけで敵の手から槍が外れた。他の兵が槍を構えた。その正面を避ける。私は槍を持ち直して、敵の槍をからめ取った。
クイッと槍の頭を押さえ、スッと別な槍をからめる。二本の槍をからませて、そこから捻りを入れた。ガシャガシャと兵士二人が膝を着いた。得物を利用した崩し技である。これならばキルには結びつかない。
ということで突破口ができた。NPC兵たちは、取られたキルで空いた突破口や、陣形の崩壊などには反応が鈍い。即時対応、ということができないのである。
私は悠々と隊列を突破させていただいた。そしてこんなときにはこの台詞だ。
「あ〜ばよ〜、とっつぁん♪」
まるで天下の大泥棒が気球に乗って警察の手を振り切るがごとく、軽やかに逃亡させてもらう。軽やかにというからには、手にした槍は捨てさせていただく。こんな重たい物を握って駆け足などしていられない。なに、得物ならば剣でも槍でも薙刀でも、向こうからいくらでも走って来てくれる。
さて、今度は大人数の団体さんだ。右に十八、左も十八。さらに正面も十八人。槍が前面、大剣が中列。三列目に片手剣という配置で迫ってくる。
先程は槍を手にした。ならば今度はあの大剣とやらを使ってみたい。槍兵の足をすくうようにしてコカし、その背後にあった大剣の剣士にとりつくや、小手を軽く捻って得物を奪い取った。
さて、この剣という直刃にして諸刃の道具。今や有名となったであろうが丁々発止と打ち合いをしてはいけない。まず峰がないので変に受ければ刃がかけてしまう。一番厚い棟で受けようとも、鍛えが甘ければ折れ損じてしまう。
ならば用法としてもっとも正しいのは?
というと、カンフー映画などで見られるような「受け流し」が最適解と言える。そして攻撃面では、決して力まかせな攻撃をしてはいけない。一に突き技、二に撫で斬り。この辺りも中国武術を参考にした聞きかじり知識である。
しかして西洋剣術、いかに攻撃で剣を用いるかといえば……悪い表現をさせていただく。セコい攻撃が最も有効なのだ。これは我々日本剣術の反省点とさせていただく。
我ら日本人の刀剣信仰たるや、まさに涙ぐましいというか愛くるしいというか、とにかく真っ向から一刀両断にしなければ上手とは見なさない傾向にある。だが西洋剣術というのは、必要以上の殺生や殺傷をしないというか、とにかく合理的なのである。
そう、敵の腕一本を斬り落とすのが日本剣術ならば、腱や血管を切るのが西洋剣術と考えればよろしいか。例え指一本程度の負傷であっても、動脈をカットされていたら応急であっても処置をしなければならない。放っておけば失血死してしまうからだ。それはもう戦闘不能を意味していて、事実上の戦死である。
ただ、誤解の無いよう申し上げておく。鉄の鍛え、兵器としての工夫という点において、日本刀文化というのが変態的なまでの執着をもって研究されただけであり、西洋剣が劣っているとか斬れないというわけではない。やろうと思えば豚肉の塊くらいはスッパリと斬り落としてしまうだけのものはあるので、やはり頼みの剣であることには間違いが無い。
そして私は、かわすいなすの技術を磨くために、チャレンジステージへ来たのではない。
手裏剣である。
これを実戦投入するためにこのステージに挑んでいるのだ。
まずは確実な距離というのをモノにしなければならない。そして避けられないように打たなければならないのだ。そのためには見極め、それが課題になる。集団に囲まれるような形をとり、もっとも適した距離の兵に手裏剣を打ち込む。それも、他の兵に斬られないようにだ。
一本目を打ち、それが命中したとなると、さすがに私もホッとした。途端に頭上から刃が降ってくる。すんでのところでかわすことはできたが、油断は大敵だ。サッサと囲みを抜けて、大将戦いわゆる武将へと挑む。




