表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

105/724

流派は代々弱くなる

 さて、見切りやら一之太刀やらカエデさんの華麗なる過去やら手裏剣やらで、話があちこちへ飛んでしまったが、いま一度見切りの話である。



 緑柳老人の太刀は見切り難い。その太刀を再現することはできた。だが避けることができていない。せいぜいがひと足お先に逃げるくらいである。しかしそれも二の太刀三の太刀で追い詰められ、結局は打ち据えられた。



「せっかく一之太刀ができるようになったのに、歩みが遅いねぇ、お前さん方は……」

「いえ、翁の太刀があまりに速すぎますので」

「そろそろ気づかねぇかな? 一之太刀は回避不可能ってよ」

「は?」



 私は緑柳起きるの顔をまじまじと見た。士郎さんも目を丸くしている。



「だからよ、徳川だけで二百六十年も続いてんだ。その間、剣術ってのは常に磨かれていたんだ。生まれて四十年やそこいらのポッと出なんぞに、かわせる訳が無ぇだろ?」

「いいんですか、そんなことで?」


「だからひと工夫よ。一之太刀相手にするにゃ、先に斬るか誘って斬らせるか? さ」

「先に斬らせる……相手を操るのですか?」

「おうよ、シャルローネから聞いてるぜ。リュウ坊、お前さんなんか『相手も楽しんでもらえる対戦』を目指してるそうじゃねーか。だったら打たせて斬らせて、その上で斬れなきゃ面白くないだろ?」



 対戦の演出という部分では、私には芝居っ気が足りていない。だからどんな演出が相手に喜んでもらえるか、については言が無い。しかし相手に存分に得物を振らせれば、十分納得はしてもらえると思っている。



「よう、リュウ坊。それが難しいなら連中の目標とか、壁になってやりな。誰が見ても斬ってやりたくなるような、それでいて斬ることのできねぇ目標によ」



 その辺りならば、私も目指せないこともなかろう。



「お前ら二人、まだ気づいてないだろうがよ、オイラとお前さん方の実力差なんざ、ほとんど無ぇんだぜ? あっても紙一重よ」



 士郎、リュウ坊。立ち合ってみな。緑柳翁にうながされる。

 私は中段、士郎さんも中段。互いに切っ先が交わる一足一刀の間合い。私が

切っ先で正中を取ろうとすると、士郎さんも押し返してくる。互いに正中の奪い合いである。


 しかしそんな中で、士郎さんが切っ先で負けてくれる瞬間があった。……誘いか。

 私はジラすように、わざと仕掛けない。すると士郎さんはふたたび正中の争いに戻る。だが、その太刀がイヤらしい。常に私の目→切っ先→鍔→柄頭のラインを一直線に保ち、刀身を消したいたのだ。つまり正中は正しく正中ではない。相手の視線も含めて正中なのである。


 だから私は後退した。士郎さんの切っ先から逃れようと後退する。攻め込んでくる士郎さん。しかし私の後退こそ罠。グイグイと相手を引き伸ばして、隙あらばとつねに狙っていた。

 もちろんそれに気づかない士郎さんではない。太刀筋を消したまま私をジリ貧へと追い込んでくる。そして私もまた、不意に太刀を士郎さんの死角に入れた。切っ先で目を狙い、その延長線上に柄頭を置いたのだ。


当然士郎さんの動きが止まる。どころか切っ先で圧力をかけて士郎さんを追い返したのだ。

 こうなるともはや泥仕合。ハイレベルな泥仕合へと趣きを移す。明確な決着がつかないのだ。

 そこで緑柳師範の止めの声がかかる。



「どうにか剣士のやり取りらしくなってきたかのう? どうじゃ、修行のスタート地点に立った感想は?」



 ふう、と大きく息をついて、汗を拭う士郎さん。もちろん話の演出上の話なので、実際には汗などにじんでいない。しかし、汗がにじむような立ち合いであったことは確かだ。



「どうじゃもなにも、虎ですよ虎。とても人間を相手にしている気分じゃなかったですわ」

「それはこっちの台詞だよ、士郎さん。おまけに太刀の構えのキビシーことキビシーこと」

「よく言うぜ、散々隙だらけで誘っておいて、食っちまおうかなって思った瞬間に牙剥くんだから、性格の悪さが剣に出てるよ」



 翁は白いアゴひげを撫でながら、どことなし満足そうであった。



「で? せっかく経験した剣士のやりとり。次の世代にどう伝える?」

「全力で、容赦なく!」

「手加減抜きで、容赦なく!」

「それじゃ弟子が逃げ出すじゃろ、アホったれどもめ」



 木刀で脳天にツッコミが入る。



「次の世代なんちゅうもんは、絶対に自分の世代を越えられんもんじゃ。無理なハードル拵えて、これを越えろなんぞと言うておっては剣術なんぞたちどころに絶滅するぞい」



 ん? いま何か大事なことを言ったような……。



「師範、次の世代が自分を越えられないとは?」



 士郎さんナイス! 私もそれが引っかかっていたのだ。



「流派というものは、代を重ねるごとに弱くなるって放してよ。大体にしてお前さん方、自分の師匠を越えられるかえ?」



 あの鬼をか? 虎より怖い鬼を越えろってか?

それはちょっと無理だろう。これがスポーツ競技ならば可能だ。というか、越えなければならないのがスポーツである。新たな技術、新たな鍛錬方法。栄養学からメンタルに至るまで、技術というものは日々進化している。だから記録というものは更新されてゆくのだ。


 しかし、古武道は違う。バーベルを何キロ持ち上げたところで、古武道にはほとんど関係が無い。5,000メートルを何分で走ることができても、ほとんど意味が無い。ただ、古武道の長い歴史の中で、腕力体力脚力というものは、『持っていて当然』という側面はあっただろう。しかしそれは武家階級が農民町人と比較して、のことである。むしろ現代では科学的トレーニングが古武道を学ぶ上で弊害になりやすいから行っていないだけだ。


 誤解を恐れずに言うならば、バーベルを担いで作った筋肉はバーベルを担ぐための筋肉であって、剣術の筋肉ではない。剣術の邪魔になる筋肉をも鍛えてしまうのだ。それならば剣術の筋肉は剣を振って鍛えた方が良い。


 話がかなり逸れてしまった。弟子が師匠を越えられないという話だ。

 科学的トレーニングによるアプローチが、古武道には弊害にしかならないというのであれば、古武道に必要なトレーニングとは如何なるものか?


 私は濃度である、と答える。

 モノになる門人というのは、一年を通じて鍛えに鍛え、時間を無駄にしない。一年を通じて稽古する者は、半年の稽古を大切にする。そうした者は一ヶ月という限られた時間を稽古に集中させる。となれば、強くなる者は日々の稽古で決して手を抜かずに稽古に励む。どころか、素振りの一振り一振りにも祈るような、極意を求める気持ちを込めて振っている。


 そうなってくると、稽古をしていない時間にも稽古が溶け込んでくる。飯を食うにも、この座り方で良いのか? 歩くにもこの歩き方で良いのか?

ペンを取る手も、剣に通じるものは無いのか?


どんどん頭がおかしくなってゆく。しかしそれで良い。剣士というものは仕事中でも食事中でも、風呂に入っていても寝ている時でも、いつ襲われるかわからないのだから。

 こうして剣士は腕を上げてゆく。とてもではないが、常人には不可能な話である。しかしこうした濃度が古武道には必要なのである。


 となれば、翁の世代と私や士郎さんの世代には、大きな隔たりがある。こんなことを言っては失礼かもしれないが、翁は生まれて何十年かは、自動車にすら乗ったことがなかったのではなかろうか?


私などは物心がついた頃には、すでに周囲に自動車があふれ、ほどなく『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と呼ばれる時代に……すでに入っていた。というか、その頃はすでにバブル経済真っ只中であった。ファミコンはスーパーファミコンに取って代わられ、やがてプレステ、セガサターンなど、ゲームの黄金期を迎える。

 そして子供たちを外で見かけなくなるのだ。


炎天下でも極寒の中でも、外を駆け回って騒いでいた子供たちが、家の中で遊ぶようになったのである。これでは基礎体力に差が出て当然だ。濃度どころの話ではない。

 事実、枯れ木のような翁ではあるが、骨格は実に頑丈である。筋肉云々を語る前に、骨格が違うのだ。これでは家の中で遊んでいた私たち世代に、勝ち目は無い。

 先代を越えることなど、夢のまた夢。



 そして翁の世代は、娯楽というものが限られていた。悪く言えば、剣しかやることが無い世代なのである。その点私たちは、あの世代に比べて目移りするものが多すぎだ。剣に集中せよと言っても、可哀想なくらいに目移りしてしまう時代ではないか。


 文化が発展することは大いに結構、しかしその弊害というのは、人がひとつ事に命まで注ぐということが難しいことにある。

 いかがであろう? 私が『先代を越えることは不可能』という理由がおわかりいただけたであろうか? その上で翁は言うのである。


 「だから流派は弱くなっていくのさ」と。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ