床山神八流の老人
出番の無い私は、シャルローネさんの闘いぶりに目をやった。そして思わずギョッと目を見張った。シャルローネさんの浸透勁だが、突きしか教えていなかったのにいつの間にやらスイングでの浸透勁まで繰り出していたのだ。以前カエデさんにスイングでの浸透勁を教えてくれとせがまれたのだが、そのとき私は断った。
スイングでの浸透勁は手の内が特に重要である。しかしこれは何年も稽古を積んで初めてできるものなのだ。よって、そんな技術を追い求めていると、いつか人間ではなくなってしまうぞ、と断ったのである。そんな技術を、いともたやすく鼻歌でも歌うようにして、シャルローネさんは身につけていたのだ。
古流……。
確かシャルローネさんは、個人的に古武道の道場に通っているとか言っていた。それが下地になっているのは確かだ。しかし高校生ていどの小娘が、そんなシブい技術を身につけていようとは……。これこそ、生徒がどうかしているのか? 先生がどうかしているのか? というところであった。そしてシャルローネさんとセキトリの奮戦により、南山学園の女の子たちを襲撃していたプレイヤーは、すべて撤退させることに成功した。
「おまたせしましたのう、リュウ先生」
「おう、セキトリ。女の子たちを助けてやっとぃたのか、感心感心」
「いやなに、相手が六人おって女の子どもは三人。一丁加勢してやろうかと思いましてな。いらぬケンカに首突っ込んだだけですわい」
「大いに結構! 王国の刃はそういうゲームだし、辻斬り祭りはそういうイベントだ。それにしてもシャルローネさん……」
「おふっ!? ななななんでしょうか、リュウ先生?」
大変に後ろめたいことがあるのだろう。シャルローネさんは目にも明らかに動揺していた。
「別に叱ったりしないから落ち着いて。その浸透勁は、古流の先生から教わったのかい?」
「ははははいっ! 道場でちょこっと、ほんのちょこっとだけ浸透勁の稽古をしていたら、おじいちゃん先生にあっさり見抜かれちゃいまして……」
「おじいちゃん先生に叱られたのかい?」
「いえ、逆におじいちゃん先生の方が無双流に興味を持っちゃって……」
思いもよらぬところへ技術が流出した、という訳か。
「それでおじいちゃん先生と二人で研究して、しかもしかもおじいちゃん先生。『王国の刃』にまで興味を持っちゃって……」
「やるのかい!? 老人が!! VRMMOゲームを!?」
と言った瞬間、背後に虎の気配を感じた。あわてて飛び退る。振り向くとそこには、虎ではなく老人がいた。痩せた、こう言ってはなんだが、枯れ木のような老人であった。白い稽古着に白い稽古袴、腰に落としているのは木刀の大小。一見すると好々爺にしか見えないだろうが、そこがクセ者だ。細めたまぶたの奥には、獲物を狙う虎のような眼差しが隠されている。
「やってはならんかの? 老人が。VR……なんちゃらゲームを……」
塩辛声だが、迫力がある。人を襲って頭から食ってしまいそうな、そんな気迫に満ちていた。
「あ、柳沢先生。そのまんまのアバターじゃありませんか!?」
「柳沢先生……って、シャルローネの古武道の先生?」
「そそそ、床山神八流の宗家の先生だよ♪」
娘っ子どもはキャイキャイとはしゃいでいるが、こちらはそんな気にはなれない。とてもではないが、虎に狙われてはしゃげるほど私の肝は太くない。そして、娘っ子どもの群れにトヨムは混じってはいなかった。柳沢宗家から距離をとって、明らかに警戒している。
「ほ、こちらの小僧っ子じみたのが小隊長さんかい。そう怖がるこたぁないさ」
そう言われても、トヨムは近づこうとしない。二足一刀、いや三足一刀ほどの間合を取っている。
「じいちゃんがシャルローネのおっ師匠さんかい?」
トヨムの問いかけに老人は一言。
「どうじゃ、それでも届くじゃろ?」
トヨムの顔から血の気が引いた。マラリアにでもかかったかのようにブルブルと震え、ガチガチと歯を鳴らしている。そう、届くというのはそれだけの間合を取っていても、一刀が届くという意味だ。どれだけ間を空けても、この老人の必殺のひと太刀を浴びてしまうのである。その恐怖を、先ほどからトヨムは推し量っていたのだ。
「すみません、翁。私の弟子が不躾で……」
トヨムにかわり私が頭をさげる。しかし翁は笑わない目を私に向けてきた。
「師が師なら、弟子も弟子じゃのう。昭和の頃なら生きて道場を出られなんだったぞ」
異論は無い。おおむねその通りである。そしてこの老人、昭和の稽古の味を知っている……というか、昭和の生き物だ。しかも、鋭い。
こう言うとまるで私が蒙昧に昭和をリスペクトしているかのように聞こえるかもしれないが、昭和の生き物というのは恐ろしいものだ。ゼロ戦飛ばしてた奴らが普通に生活していたし、戦艦大和で主砲をブッ放していた奴らも生きていた。鉄砲を担いでガダルカナルのジャングルで生き延びた奴もいれば、満洲の関東軍も生きている。そこいらじゅうに、鬼が普通に生活していたのだ。
この年寄自身が銃弾の雨をくぐり抜けてきた、とは言わない。そんな鬼どもはことごとく、文字通りに鬼籍に入っておられる。しかし間違いなく言えるのは、この老人、そんな鬼どもに鍛えられてきた男、ということだ。そして、強い。
平気で人を斬ることのできる人間である。リアルに、生々しく。平成の世に古流を学んだ私などとは、モノが違う。そう、私の師匠たちの世代の生き物なのだ。
かつて師匠が言っていた。
「鉄砲なんてのぁなぁ、龍兵。あんなもん役立たずよ。あれぁ筒っぽの先っちょが向いてる奴しか殺せねぇんだ。その点オイラぁ、四方八方に刃が向くんだ。モノが違うってモンよ」
んな訳無ぇだろ、と師匠のホラ話を内心笑っていたのだが、今ならわかる。この老人もまた、鉄砲の弾など怖くないとか言う人種だ。
尺余の鉄砲あてにはならず、腰間の剣こそ頼みなる。そんな軍歌があったような気がする。しかしこれが戯れ言ではなく、昭和の剣士にとっては真実なのだ。
背中に冷たい汗が流れる。師匠と死別して以来、このような緊張感は絶えて久しい。
「で、お兄ちゃん。どうする? 剣士と剣士が向き合ってんだぜ?」
どうするもなにも、こちらが動けないほどの殺気を浴びせておいて、よく言うものだ。
そしてそんな場面に現れてくれるのが、陸奥屋一党鬼組のキョウちゃん♡ すなわち士郎さんの息子だ。
「リュウ先生、ご無事でした……何者っ!?」
腰の差料に手をかけた。が、そのまま撤退。そう、抜く暇すら与えられず、キョウちゃん♡ は撤退の憂き目に遭ったのだ。
「お若いの、腰のものに手ぇかける時ぁ、抜いて斬る覚悟を決めておくもんだぜ」
ジャニ顔の剣士への、はなむけの言葉である。そして妹のユキさんも現れた。
「あれ? 兄は?」
先に到着しているはずのキョウちゃん♡ を探して、辺りをキョロキョロと見回している。
「斬られたよ、ユキ。このじいさんにな」
答えたのはトヨム。そして老人はユキさんを見てようやく殺気を引っ込めた。
「おう、こりゃめんこい娘さんじゃの。お前さんもやるのかい、ヤットウを?」
「は、はい。家伝の剣術ですが……」
「ほうほう、そーかそーか。よし、決めた! ワシぁお嬢ちゃんの味方になるぞい!」
「は!? えっと……それはクランに入るということでしょうか?」
「クランだか知らんだか、ようわからんが婆さんに先立たれてワシも久しい。そろそろ若い娘に囲まれる生活も悪くないじゃろ」
「柳沢先生……奥さんご存命でしょうに……」
シャルローネさんがボソリと言った。そしてこのおかしな事態を納められる、おかしな男まで現れた。
「ハーッハッハッハッハッ! 話は聞いたぞ、そして見ていたぞ! 私の名は鬼将軍! 陸奥屋一党を統べる悪の総裁だーーっ!!」
奴が現れた。黒いマントを無駄に翻して、わざわざ高いところによじ登って、私たちを見下ろしている。っていうか見てたんなら助けろよ。私はいま絶体絶命のピンチだったんだぞ。そしてキョウちゃん♡
なんて斬られたんだからな。
そして地上へと華麗に舞い降り、ドテポキぐしゃ〜〜っ! 着地失敗。しかし首がひん曲がったままで翁に対面する。
「ようこそ翁、私が陸奥屋一党総裁、鬼将軍です」
「おう、おんしゃぁタフなやっちゃのー」
「なに、翁ほどの使い手を得るためならば、首のホネの一本や二本」
「ときにお若いの、お主のとこにゃキレイドコロはおるんかい?」
「選り取り見取りのウッハウハ。もうご馳走はカンベンしてくれとばかりに」
その証として、美人秘書の御剣かなめさんが一礼する。
「ほ、お主忍びまで飼っておるのか!? 食えぬ奴よのう」
一目でかなめさんを忍者と言った。食えない奴はどっちだよ? と舌打ちしたくなる。
「他にもこちらのリュウ先生と同等の使い手、同志士郎もおりまする」
「まさにご馳走責めじゃのう。気に入った!」
翁は鬼将軍と肩を並べて歩き出した。危機は去ったのである。しかしあのような老人と共に、となると私や士郎さんにとって地獄の日々が始まりそうな予感はする。
「結局……キョウさんは斬られ損でしたねぇ……」
カエデさんが言った。本当にただの斬られ損でしかない。私としては手を合わせるばかりだ。
さあ、次回更新は二十五日です! お楽しみに!




