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91 運命は定まった

『――トライ、この物質は世界を変えるのよ!』


 記憶の世界。

 ミリアとアツミは読心によってそれを垣間見ていた。

 そこにいるのは二人の男女だ。一人はヘルメス・グランテ。もうひとりは――既にミリア達は名前を知っているが、ヘルメスの夫。


 名を、トライ・グランテ。


『……そうは言うがな、ヘルメス。この物質は世界を“変えすぎる”。理論上、命の蘇生以外の全てが可能の物質。そんなものを人類が扱いきれるとは――』


『だったら、管理すればいいのよ。今この世界にこの物質の存在を知っている者は私達しかいない! これさえあれば、私達二人でも世界を変えることができる!』


 二人の男女は、目の前に鎮座する水晶を眺めながら、激論を交わしているようだ。

 ここはヘルメスの私室。隣の部屋でシルクが寝ているからか、二人はかなりヒートアップしているが、声はあくまで潜めたものだ。

 もちろん、目の前の水晶が誰かに知られることを警戒している、というのもあるだろうが。


「マナを見つけて、それをどうするか家族で相談しているようですね」


「ヘルメスは随分と野心家だな、こんなとんでもねぇもん、一人で扱えるとか普通考えねぇだろ」


「トライ氏の反応が普通、なんでしょうね」


 積極的にマナを運用しようとするヘルメスを、トライは窘めようとしているようだ。こんなとんでもないものを、自分たちだけで扱うべきではないと。

 どころか――


『俺はこいつは存在するべきじゃないと思う。こいつが存在する限り、未来は人の想像する範囲を出なくなる。こいつは未知を殺すんだ』


『未知なんて存在するべきじゃないのよ。私はこの世界から未知を無くすために、宇宙を探求する生き方を選んだの!』


『俺は……この世界は未知にあふれているということを証明するために、宇宙を選んだ。未来は無限だと信じたいんだよ』


 ――端的に言って、トライはこの水晶、マナというリソースを必要ないと考えていた。

 あくまでそれは考え方の一つだろう。少なくとも、この考え方に関して、ヘルメスもトライも間違いではないと思う。


 世界から未知を無くすことを願うのも研究者の願いの一つだし、未知を探求することに意義を見出すのも研究者の在り方だろう。


 その上で、


『なら、無限であることを証明するために、最善をつくすべきよ! このエネルギーを使って、宇宙に打って出るべきだわ!』


『その使い方を間違えないという保証がどこにあるんだ!? 人の手にあまる、このエネルギーは使うべきじゃない!』


 両者は完全に平行線だった。


「……これは、どっちが正しいんだろうな?」


「どっちも。というべきなんでしょうが、この場合結論として語るべきなのは――」


 答えの出ない討論は、やがて終りを迎える。

 景色が変化したのだ。その変化の中で、ミリアはぽつりと零す。



「――選ばれたのは、ヘルメス女史の方だった、ということです」



 変化した先は、ヘルメスの私室ではなかった。

 そこは確認すればトライの私室であることが解る。夜中、眠りにつこうとしていたトライの元に、不思議な杖を手にしたヘルメスが現れたのだ。


「……あの杖は」


『急にどうしたんだ、ヘルメス。もうこんな時間だぞ。よっぽどのことじゃなければ、明日でいいんじゃないか?』


『よく聞いてトライ。私は――未来から来たの』


「――トリスメギストスですね」


 杖を手にした、焦燥した様子のヘルメスは、トライに宥められながら、なんとか落ち着きを多少取り戻し、話をすすめる。

 それを見ながら、ミリア達は本当にヘルメスが未来から来たということを認識する。


「しかし、なんでまた――」


 当然、アツミは疑問を口にするが、答えは即座にヘルメスから告げられた。



『――――シルクが、車に轢かれたの』



 それは、シルクの死。


「――な、シルクが?」


「…………」


 驚愕。

 シルク・グランテ。彼女の容姿はミリアたちがよく知る操手のシルクを幼くしたといった感じで、明らかに両者は同一人物だった。

 それなのに、シルクは死んでいる?

 それはおかしい。


 この世界で、マナが存在する世界で、人の死だけは絶対なのだ。


 とはいえ、ヘルメスが過去へと時間転移してきたという事実はすんなりと飲み込める。シルクが死亡したことが事実で、マナの水晶を使ってここまで来てしまったのだろう、おかしなことはなにもない。

 狼狽するヘルメスの様子、そして自室で眠るもうひとりのヘルメスを確認したことで、トライはいよいよヘルメスの時間転移を信じるほかなくなった。


 そうなれば、いくら慎重なトライとて、ヘルメスの行動を受け入れるほかなくなる。

 娘の死。それをマナで回避できるのだとしたら、一度の行使をトライが認めるのは必然だった。


「けど、結果は見えてる……よな」


 苦々しげに、アツミ。


「――そうですね。二人のシルクさん救出作戦は……」



 失敗する。



 景色が変化した。

 場所は外、事故現場だろう、そこには崩れ落ちるヘルメスと、シルクを巻き込んだまま停止する車、おびただしい血痕と破壊痕。


 ――それを遠くで眺める、未来のヘルメスと、救えなかったトライ。


 未来は変わらなかった。

 当然だ。ミリアたちもこれまで散々見せられてきた光景を、再び突きつけられているような気分である。とてもではないが、受け入れられるような状況ではなかった。

 トライにとっても、ヘルメスにとっても。


『なんで……なんで、どうして……』


 トライは呆然とそれを眺めている。

 救えるはずだった。救えるように行動して、そして失敗した。むしろ、トライが余計なことをしたせいでシルクは死んだようなものだった。


 まるで、最初からそうなることが決められているかのように。


「……ふざけた話だな」


「そうですね」


 それを、なんとか冷めた目で見ようとするミリア達。一歩引いて、客観的に見なければ、トライの絶望は見ていられなかったのだ。


 そして――


『――過去は変わらない。変えられないのよ。時間はマナによって固定され、それをどう変えようとしても、過去に転移しても変化はない。むしろ最初からそうなるように定められている。未来に対して私達が介入する手段はない。マナがそう決めた。マナがそうした。マナが――――』


『……ヘルメス?』


 ヘルメスは、錯乱していた。

 ぶつぶつと彼女は何かをつぶやいていて、それはよく聞けばマナというエネルギーの理論であることがミリア達には理解できる。

 しかし、


『――何を言っているんだ、ヘルメス?』


 トライにはまったくもって、これっぽっちも理解できない発言だった。


「――!」


「お、おいどうしたんだミリア。急に険しい顔をして」


 なにかに気がついたのはミリアだけだった。読心が使えないというのもあるが、アツミがそれに気付かないのは、むしろ幸運なのかもしれない。

 ――それくらい、これから起きる事実は衝撃的だった。


『ねぇ――トライ。やっぱりね、試してみたけどシルクは救えなかった……救えなかったのよ』


「――アツミちゃん。トリスメギストスは魔導機です。そんなものを、ヘルメス女史は一朝一夕で作れると思いますか?」


「え――――?」


 つまり。


『ヘルメス……?』


 目の前で、ヘルメスの変貌を察知したトライが、訝しむようにヘルメスの名を呼ぶ。

 ヘルメスの目は明らかに常軌を逸しており、血走って正気ではなかった。はたして、それはいつからそうだったのだ?


 いつから――それは、トライにとって一体、どれだけ“先”の話だ?



『ねぇトライ――私ね、この日。大切な人を喪ったの。――――二人』



「――!!」


 アツミが目を見開く。

 そうだ、トリスメギストスは魔導機としては非常に重要なもので、簡単に作れるものではない。つまりヘルメスは――


「――ヘルメスが転移してきた未来は、今からずっと先の話です」


『それで、ね――?』


 ミリアの指摘を肯定するように、ヘルメスは当たり前のようにトリスメギストスを掲げ、魔導を行使する。


『――シルクは、どうあっても即死してしまう。マナでも救うことはできない。だったら、救うためにはもっと大きなモノを変える必要がある。そのために――』


『ヘル、メス――?』



『――多少の犠牲は、仕方がないと思うのよ』



「お、おい……! あの女、まさか……!」


「……そうですね、きっと、そのまさか何だと思います」


 掲げた杖をヘルメスは、トライへと振り下ろす。



開闢機(イグニッションズ)トリスメギストス。|限界突破《コード:オーバードーズ》』



 それは、一瞬にして。


『ヘルメ――――』



 トライをマナの水晶へと変質させた。



『――ごめんなさい、ごめんなさいトライ。代償にする上で価値があるのは、私にとって大切な人の命なの』


 そういいながら、ゆっくりと魔導機を手にしたヘルメスは姿を消していく。

 あとに残ったのは、マナの水晶。事故の痕。そしてこの時代のヘルメスだけだった。


「――狂ってる」


 ――やがて、ヘルメスは地面に転がっているマナの水晶に気が付き、それを手にする。


「……そりゃあそうでしょう。相手はこの世界をあそこまで破壊できる――災厄そのものなんですよ」


 それこそが、全ての始まりであるとでも言わんばかりに。



 <>



 そして、


 話はこれで終わりではない。

 景色は再び、ヘルメスの私室へと戻ってきた。


 そこにいたのは、杖を手にしたヘルメスと、シルク。


 ――猛烈な嫌な予感に、アツミは思わず口元を抑える。


「おい、ちょっとまて」


「無駄ですよアツミちゃん。これはただの記録ですっ」


「けどよ、ミリア――!」


 たしなめるミリアに、アツミは反論しようとするが、ミリアが両手を握りしめて、必死に唇を噛んでいたことで、それをやめる。

 二人は、既に覚悟を決めるしかない段階に至っていた。


『――ごめんなさい、ごめんなさいシルク。でもね、貴方も悪いのよ?』


『おかあ、さま……?』


『どうして、――どうしてよりにもよって』


 ヘルメスはシルクの頬に手を添えて、悲しげに、けれども狂気を孕んだ瞳で見る。



『貴方が月光の狩人なの?』



「――シルク、が?」


「……ありえない話ではないでしょう。特異は同じものを発現しないわけではないですし――彼女が黒幕なら、必ず月光の狩人で過去改変を行っているはずなんですから」


 シルクにランテ。二人の月光の狩人が見つかることは、天文学的可能性と思うかも知れないが、因果が逆だ。シルクが月光の狩人だったから、もうひとり月光の狩人を用意する必要がでてしまった。

 つまり――


『ああでも、待っていてね。いつか、貴方を救い出して見せるわ。トライも、私も、歴史を改変する力で幸せになるの』



 ヘルメスは、シルクを救うという目的のために、シルクを犠牲にするのだ。



 ここもまた、過去の世界。

 しかし、月光の狩人を代償にすれば、未来を一つ、自由に改変できる。


「これが……これが人のやることだっていうのかよ!」


「……ヘルメス女史は、そういう人だった、ということでしょう」


『ふふふ……月光の狩人を見つけるために、必要なことを考えたの。人類の管理、極限まで人類を追い込んで、特異の発現する可能性を上げる。布石は打った。トライの妹さんにセントラルアテナに関する情報を与えてある。あの子も優秀だから、きっとそこから対抗手段――戦姫を生み出してくれるでしょうね』


「……! それで、グランテか!」


 グランテとは、トライ・グランテの親族が魔導機を開発したために名乗ることを赦されていた、というわけだ。


『さぁ、始めましょう。これから私は人類を管理し、衰弱させる。そのために必要なのは武力ではなくきっと――病』


 シルクを手に掻き抱きながら、ヘルメスは宣言する。



『いえ――――宿痾! そう名付けることにしましょう!』



 かくしてここに、シルクは代償となり、


 人類の天敵。

 最悪の破壊者――宿痾(カリプス)は誕生した。

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