83 マナ
「――過去は変えられない。けれど、調べるウチに例外があることが解った」
「調べるって……どこで?」
「……セントラルアテナ」
ぽつり、とアルミアは語る。
アルミア達は直接の過去改変が何者かの手によって失敗した後、そもそも過去改変とはなにかについて調査を始めた。方法は簡単。マナが時間に関わる最大の鍵であるというなら、当時のマナが周知されていない段階からマナが豊富に存在する場所を調べればいい。
そうして見つけたのが、セントラルアテナというわけだった。
「セントラルアテナは私達が初めて見つけた時から、あそこに“刺さって”いた。中にはマナと時間に関する仮説などが眠っていて、私達はそこから真実を知った」
「……まるで図った見てぇだな」
「そう。でも私達に方法は一つしかなかった。それを使って、私達は未来に願いを託すことにした」
「……願いを?」
首をかしげるランテ。
――アルミアは、そんなランテを羨ましそうに、慈しむように見た。
「一つ、例外があるといった。この世界の未来はマナによって全て決定されているが、それを一度だけ歪めることができる」
「…………それは?」
「――貴方を、犠牲にすること」
正面から、アルミアはランテを見据える。
告げられたランテの目が大きく見開かれ、一瞬、音が死んだ。
「月光の狩人をケーリュケイオンの代償にすることで、この世界の未来を一度だけ変えることができる」
――それこそが、アルミア達のたどり着いた結論だったのだ。
そう、アルミアと共にこの世界にやってきたランテはもう、どこにもいない。過去にも、未来にも、そして現在にだって。
にごりきったアルミアの心に、ほんの少しの羨望が浮かぶ。アツミだけが感じ取れるその事実、しかしアツミはいつもどおりのむっすりとした顔をしたまま、何も言わない。
言うべきではないと、解っていたから。
「他に方法はなかった。止めてといってもランテは聞かなかった。止めてほしかった、世界なんて諦めて、私と二人で逃げてほしかった……!」
「……アルミアさん」
「……その顔で、声で、貴方は私のことをアルミアと呼ぶ。ねぇ、どうして私のことをミリアと呼んでくれないの。アツミも、……シェードも!」
――答えられるものは、誰もいなかった。
シェードは無言でアルミアの頭を撫でるだけ、アツミは難しい顔で何かを考えている。ランテは、言葉もなく胸元で手を抑えていた。
そして、ミリアは――
「……アルミアさん。貴方は……貴方の親友であるランテさんは、何と願ったのですか?」
「…………」
「宿痾の消滅……それは、願っていませんね? いえ、願えませんでしたね?」
アルミアは、その言葉に頷いた。
羨望を感じながらも、アルミアはあくまで冷静に思考している。そうしなければならないと己を律しているから。――どこまで言っても、今のアルミアは人形なのだ。
生きてと願った月光の狩人によって呪われた、歩くことを止められなくなった人形。
「理由は、そもそも宿痾の出現が、それもまた月光の狩人による時間改変だったからだよね」
「――そう」
シェードの問いかけに、頷くアルミア。
そうだ、そもそも宿痾がなぜ出現したのか。どうしてアルミアたちがケーリュケイオンで歴史を変えたにも関わらず、宿痾は消滅していなかったか。
先に叶えられた願いがあったからだ。
時間は絶対。であれば、時間改変もまた絶対。故に、先に叶えられた願いが優先される。だから後出しのアルミア達に、宿痾の消滅は許されなかった。
「だから、貴方達は違うことをケーリュケイオンの願いに託した。では、その願いとは? ――既に、何度も語られていますが、一つしかありませんね」
「…………うん」
すぅ、とミリアは一息いれて、仲間たちを見た。そして、ぽつりと口にする。
もうひとりのミリアに、もうひとりのランテが願った、最後の祈り。
「生きて」
――ランテはミリアの生存を願ったのだ。
その生存が、いつか未来に、変化をもたらすと信じて。
「ケーリュケイオンによる過去改変は、この世界だけではなく、あらゆる世界、あらゆる歴史に影響を及ぼします」
「マナが存在する世界になら、絶対に影響を及ぼす。だから一度目の過去改変で、マナが存在する世界には宿痾が存在することが確定した」
「――そして二回目の過去改変で、マナが存在する世界には、始まりの戦姫アルミア・ローナフが登場することも、また確定したわけです」
そして、そうなればハッキリとすることがある。
アルミアの狙いと、黒幕の目的だ。
「だからアルミアさん。貴方は――もう一度月光の狩人による過去改変をするために、始まりの戦姫になることを選んだ」
「同時に、黒幕もそれを狙ってたんだな」
「どうして?」
「黒幕は歴史を自由に書き換えたかったんだよ、一度だけじゃなく、二度、三度、自由に」
アルミアたちが一度の過去改変で宿痾を消滅できなかったように、黒幕もまた、一度の過去改変では目的を達成できなかった。
その目的がなにかまでは、今のアツミ達にはわからないが――
自由に歴史を書き換える方法が一つ存在することは、アイリスの記憶から把握することができた。
「――黒幕はトリスメギストスで過去を改変したんだね」
「……? えっと」
「そうなると、あと一つあれば、全部の魔導機で歴史を変えたことになるよね。そうすると、できるようになることが一つあるんだ」
シェードは、三本指を立てて言う。
一つはケーリュケイオンで、二つがトリスメギストスなら、もう一つは言うまでもない。
「……メルクリウス!」
「そう、メルクリウスを含めた三つの魔導機に月光の狩人を捧げると――歴史を、自由に変えられるようになる」
それこそが、黒幕の目的。
そしてアルミアたちが果たそうとした、逆転の一手だった。
だから、黒幕もアルミア達を排除しなかったのだ。願いを叶えて貰わなければならないから。そのために、最も簡単な方法は、真実を教えず情報だけを与えて選択を迫ること。
結果、アルミア達は黒幕の思ったとおりに歴史を変えた。
かくしてここに、全てのピースが揃う。
「黒幕とアルミアは、共に世界全てを使って競争を始めた。どちらかがどこでもいい、どこかの世界でメルクリウスと月光の狩人を確保して最後のカギを手に入れる競争を」
「結果は――」
「――それは、これから解ることでしょう」
ミリアが、ケーリュケイオンをくるくると回しながら、あるき出す。
カツン、カツンと、静かな大地に足音だけが響く。やがてミリアは、屋敷の入口手前で足を止めると、屋敷を覗いた。
「ハッキリしたことがいくつかあります」
語り始めたミリアに、全員の視線が集まる。
「一つ。やはり私達にシルクさんを過去で救うことはできない。単純に準備できていないものが多すぎるし、何より私達はメルクリウスを手にしていない」
「……アイリスちゃんと決着をつける必要があるってこと?」
「そうです。何より、救うべきはシルクさんだけでは終わらなくなった。過去に来て、この世界の真実を確信し、私は思いました」
そうして、振り返る。
ミリアはまっすぐ、何一つ疑いなくいい切った。
「私達は世界を救わなくちゃいけない、と」
それは、決意だった。
「シルクさんだけじゃない。アルミアさんだけでも終われない。全てです。全てを私は救うんです」
「……それって」
ぽつり、とアルミアの問いかけ。
続く言葉はない、しかし、その目は雄弁に語っていた。
――そんなことは無理だ、と。
けれど。
「――救います。何もかも」
決意は変わらない。
「未来も過去も関係ない、悲劇なんてなくっていい。誰もが笑って、当たり前に生きれる世界を私は作る」
「――ダメ。それだけはダメ!」
シェードの手の中から、アルミアは遂に立ち上がる。
まるで今のミリアに、誰かを重ね合わせているかのように、彼女は必死だ。
「それをしたら、今度は貴方が消えてしまう。メルクリウスによる改変で歴史を変えたとしても、結局代償で誰かの命が奪われることに変わりはない! それが貴方であろうと、ランテであろうと!!」
「……歴史を操ろうというのなら、そうでしょうね」
ミリアは、その言葉に笑みを浮かべて切り返す。
そうだ。――かつてミリアの記憶を読んだ宿痾操手“弟”は言った。やがてミリアは自身を代償に世界を救う、と。
それは『学園戦姫アルテミス』におけるグランドエンドの結末だ。
結局ランテは、グランドルートにおいて自身を代償に世界を救う。
あとに残されたのは、救われた世界と、ランテのいない世界。
だから、アルミアはそれを否定する。それだけはだめだとミリアを止める。
けど、でも、
アルミア以外の全員は、そうではなかった。
ミリアの仲間たちには解っていたのだ。これからミリアが何を口にするのか。
ミリアの最終目標を、彼女たちは重々承知していた。
「――ですが、変えるのが歴史ではなかったとしたら?」
「……何を?」
「そもそも、歴史を変えることができないのも、歴史を変える力のリソースも、同じ存在によるものです」
――――マナ。
それこそが、この世界の歴史を固定する存在であり、そしてそれを自由に操るための力の出どころでもあった。
再生も、命滅も、開闢も、マナがなくては動かない。
だから、
「私は、マナを消滅させます」
そうすることで、この世界の未来は“わからなく”なる。
ミリアの願いは、誰もが自由に未来を描く世界。
ミリアだけが知っている。前世というイレギュラーによって知っている――未来を自由に決定し、生きていくことのできる“当たり前”の世界だった。




