82 ミリア・ローナフ
アルミア・ローナフはこの世界の――『学園戦姫アルテミス』の記憶を中途半端にインストールされたアホとは、別の世界からやってきたミリア・ローナフだ。というよりも、彼女こそが本来のミリアと言えるだろう。アホインストールを受けていない、本来のミリア。
――アホがいなければ、ミリア・ローナフは本当ならこうなっていたはずなのだ。
同一存在である二人のミリア。アイリスの解説したこの世界の時間の流れに真っ向から反するその存在は、けれども決してアイリスが間違っていたわけではない。
アルミアである方のミリアが、反則手を使っただけなのだ。
「――私は、貴方達と違う世界からこの世界にやってきた。過去を変えるために」
「何も知らない状態から、手探りで過去にきた、ってことだよね?」
ミリア達はアイリスから時間の流れについて聞いていたが、そうでなくともアイリスがミリアの名を知っていたことで、過去に干渉する可能性は若干ながら考えていた。
そして実際に過去に来たとき、過去は変わらないかという仮説を既に立てていたが、アルミアの場合はそうではない。
「私達がやってきたのは、今よりもう少し過去だった。宿痾が出現するよりも前の過去」
「まぁ、普通ならそうしますよね。こっちは過去に飛んだのがそもそもケーくんの暴走っていう理由なので、そもそも出現する時間と場所を選べなかったのですが」
アルミアが少し大人びているのは、この世界で数年経過しているからなのだろうということは、この場にいる誰もが推測できた。
「そうして――最初に降り立ったのがこの場所だった」
「ってことは……」
「大事なことだけど」
シェードちゃんが周囲を見渡して。
「ここで、宿痾は生み出されたんだね」
「……そう」
アルミアは能面の顔で頷く。
そうして、少しだけ目を閉じているところに、
「――ねぇ、アルミアさん」
ふと、ランテちゃんが一歩前に踏み出した。
アツミちゃんが止めようとするが、ミリアが押し止めるとアツミは何も言わなくなる。ミリアはここは踏み込ませるべきだと判断したのだ。
「アルミアさんは……ケーくんを使ってこの時代に来たんだよね?」
「……」
「――“誰”が、“どうやって”?」
アルミアさんは、その言葉にピクリと身体を震わせて、それからゆっくりと、ランテへと歩み寄っていく。
シェードがミリアとアツミに瞳で問いかける。どうして、ランテはそう思ったのかと。
アツミも、ミリアも何も答えなかった。
答えないことが理由だった。――ただの直感、そうとしか言えないものに、ランテは突き動かされたのだから。
そして、
「――あなた」
アルミアは、ランテの前で崩れ落ちた。
ぽつり、ぽつりとアルミアの瞳から涙がこぼれ落ちる。まるで、それまで溜め込み続けてきた全てを、決壊させるかのように。
ランテはそれを、黙って受け止める。
絶望で、止まってしまった少女の涙。
時間をすすめるためにどうしても必要なものを、吐き出すように。
「あなたが、シルクを代償にした。シルクが、そう望んだから」
「……っ」
――ミリア達は、シルクを救うためにここまで来た。
そして、相対したアルミアは、シルクを犠牲にしてここまで来た。
「過去に来たのは、私とアルミアさんだけ、だったんですか?」
「――そう」
涙を拭い去って、周囲を見渡しながら言った。
「私と、貴方だけ。シェードと、アツミは――――死んだ」
息を呑む音。
アツミか、シェードか、はたまたランテか。
言葉はなかった。
「シェードは、初陣実習で、アツミは――アイリスとの戦いで」
それぞれ、過去に辿り着く前に。
特にシェードは、この世界のミリアが助けたあの初陣実習で、他の者達と共に命を落とす。
「……ねぇ、ミリア」
そうしてアルミアは、ミリアを見た。
「どうして、貴方は救えたの――?」
自分が救えなかったものを、この場に持ち込んだ。全てを喪った自分とは正反対の自分を、アルミアは涙を浮かべながら、見た。
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『学園戦姫アルテミス』において、ルートはいくつかあるが、その中でも他のルートをクリアしてから開放されるルートが二つある。
『シルクルート』と『グランドルート』だ。他ヒロインのルートをクリアすることでシルクルートが解禁され、これをクリアすることでグランドルートへの道が開かれる。
ゲームにおけるシルクはランテの宿敵だ。アイリスも存在するが、彼女は表向きのラスボス枠なので、ランテ個人の宿敵というと少し違う。
あくまでランテ個人と因縁があるのはランテの故郷を滅ぼしたシルクであり、そんなシルクのルートが最終ルートの直前に開放されるのだ。
ただし、シルクルートでシルクは途中で死亡する。
シルクルートは別名真・ミリアルート。
ミリアは学園戦姫アルテミスにおいてランテとともに並び立つ、いうなればメインヒロイン枠なのだが、シルクルートではシルクが死に際に自分を代償に過去への転移を提案。
このとき、人類で唯一――文字通りの意味である。シルクが死亡するとき、ランテとミリア以外の人類はモブからネームド含めて、全滅していた――生き残っていたランテとミリアを過去へと飛ばした。
結果、ミリアとランテは宿痾を出現させる前に転移して、それを阻止するべく動いたのだが――
失敗に終わった。
気がつけば、ミリアとランテは二人でこの時代に転移した場所まで戻っていた。間に何があったのかは覚えていない、きっと宿痾操手“弟”のような収奪能力によって記憶を奪われたのだろう。
疑問はいくつか残る。どうして自分たちは死んでいないのか。
どうして何も喪っていないのか。
どうして元いた場所に戻ってきたのか。
疑問はいくつも残っている。
しかし、一つだけ言えたことがある。それは――
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「――私達は、諦めた」
アルミアの言葉に、ミリアたちは息を呑んだ。
諦める。
過去へとやってきて、たった二人、最後の二人となったミリアとランテ。後には戻れないし、捨てるものはない。諦めることだけは、絶対にありえない状況で、
それでも、アルミアは諦めてしまった。
なぜ? 誰もがそう思う。アツミだって止まってしまったアルミアの心を読むことはできない。だからわからない、アルミアたちに何があったのか。
「それから私達は、過去を変えるために色々なことをした。結果、解ったことがある」
「……それは?」
「この世界の過去は変わらない」
――アイリスが教え、ミリア達も理解していた事実を、彼女たちもまた突きつけられたのだろう。ひどく淀んだアルミアの瞳に、当時の感情は伺えないが。
正気では、きっといられなかったはずだ。
なにせ、
「未来を変えるための布石にも意味はなかった。貴方達の目的は、この場所への細工だと思うけど」
「シルクちゃんを助けるためだよ!」
「……?」
「……ああ、アタシ達の世界じゃシルクはランテの故郷を滅ぼしてねぇんだよ、ミリアが止めたからな」
「…………理解不能」
――話がそれた。
結果アルミアが正気度を削られてシェードに泣きついていたが、アルミアがお祖母様であると同時に、自分自身であると知ったミリアは、少しだけむずがゆさが抜けたようだった。
流石に立派な祖母が昔、自分の親友に泣きついていたと知った時は如何にミリアといえ、実はショックを受けていたのだ。
「しかし、これではっきりしたぜ」
「どういうこと? アツミおねえちゃん」
アツミは自分の手を開閉しながら何かを思い出すかのように言う。
それがなにか、については語るまでもないだろう。アツミは理解したのだ、アルミアの情報と――アイリスの記憶から。
「この世界の過去は変わらねぇんだろう」
「……そう」
「けど、アイリスの言う通り過去で仕込みをすればアタシたちがわからないだけで未来は最初からそうなってることになる“はず”だった」
アルミアは黙ってしまった。
ぎゅ、とシェードの服の裾を握る手に力が込められる。
「原因は、それを許さない存在がいるからだ」
「許さない……存在?」
ランテの問いかけに、アツミは二本の指を立てる。
しかし、その一つを口にしたのはシェードだった。
「一つは――マナ、だよね?」
「ああ、そうだな。一つはマナ、こいつが存在するために、この世界の時間は、運命は、どうしたって変わらない」
否、もっと言えば――
「――とっても、とっても単純な理屈なんだよ」
シェードは、アルミアを撫でながら告げる。
「そもそも、この世界の未来が既に決まったものであるのも、私達が過去であるのも、マナにそういう性質があるからなの」
そう言って、ミリアが手にするケーリュケイオンを指差すシェード。ランテが何かに気がついたか、ぽつりと呟く。
「たしか、ケーくんって未来を象徴する魔導機なんだよね」
「そうですね。メルクリが現在、トリメギが過去です」
「メルクリ……? トリメギ……?」
困惑した様子のアルミアを他所に、話は続く。
「これらの魔導機は、マナに干渉するために最初に作られた魔導機なんだよ。そこからも分かる通り――マナっていうのは、時間に強く影響する物質なんだ」
「まって、そもそもその魔導機は、一体誰が作ったの?」
――アツミは、1つ目の指を折った。
一つは、マナが時間を固定している。
ならば、もう一つは――
「――その人こそが」
ぽつり、とミリアがつぶやく。
全員の視線がそちらへ向いて、
「その人こそが、全ての黒幕。マナを発見し、魔導機を生み出し、宿痾を生み出した――そうですね?」
ミリアの言葉に、アツミとシェードは力強く頷いた。




