72 そして盤面は翻る
「――ようは、代償にしても問題のないものを代償に奇跡を起こすんです」
時間はすこし遡り、シルクの言葉を号令に、ミリア達が救出作戦を開始するときのこと。ミリアが仲間たちに作戦を話していた。基本的な方針は、シルクを救い出すために代償の奇跡を起こすこと。
つまりミリアかアイリスのどちらかを、シルクの元へ届けることが肝心だ。
「ケーくんでも、メルクリでも、どちらでもそれを代償にすれば、きっとシルクさんをどうにかできる奇跡を起こせます」
<メルクリ言わないでよ!>
アイリスの抗議を無視してミリアは続ける。他の者達はクビを傾げていた。一体何を代償にすればそんなことができるのか? と。
ミリアは笑みを浮かべて、手にしている杖を指差した。
「これですよ。ケーくんやメルクリなら、代償には最高の素材です」
――その場が沈黙した。
確かに杖は奇跡を起こす道具。その道具そのものには計り知れない価値がある。だが、それを代償にするには、あまりにも代償がおもすぎる。
<メルクリウスは私そのものでもある。それを代償にするなんて、私は無理。かといって、ケーリュケイオンを代償にするのはフェアじゃないでしょ>
「そういうところ気にするんだ……」
ランテがポツリとつぶやいて、アイリスに睨まれる。流石に失言だと思ったのか、ランテは素直に謝っていた。
「……いや、もう一つあるだろ」
そこで、アツミがミリアの思考を読んで、ポツリと呟く。
なんか心底ドヤ顔しているミリアに、げんこつを飛ばしたくなったが、方法としては理解できるものだったので諦めた。ほっぺたはムニムニしたが。
「そう、もうひほふ……」
ニヤリ、とミリアはそのまま続ける。
「ほひふめひふほふへふ」
――なんて?
アイリスとランテの心が一つになった。
「トリスメギストス……そっか、それなら問題の解決にもなって一石二鳥だ!」
「なんで分かるの!?」
<……いや、無茶でしょ。トリスメギストスはここにはないよ>
奇跡を起こせるのは目の前にあるものだけ。代償にできるものもまた、目の前にあるものだけだ。シルクは今、ああしてトリスメギストスの奇跡でおかしくなってしまっているけれど、それはトリスメギストスとシルクに繋がりがあるからだ。
死ねば意識がトリスメギストスに戻るというつながりが。
「じゃあ、トリスメギストスのところに行くっていうのは? 奇跡の代償で空間転移すれば、一瞬じゃない?」
<……ソレも無理。そもそも今、トリスメギストスはこの世界のどこにもないと思う>
「なんで?」
<持ってかれたから……誰か、までは話さないよ。ソレ以上は私が不利になっちゃう。まぁそもそも私も場所は知らないんだけど>
アツミの読心もカットして、アイリスは沈黙する。
とにかくトリスメギストスは今、空間転移で行ける場所にないということだ。それだけわかれば、ミリアにとっては十分である。
「つまり、誰かがトリスメギストスの元へ行く必要があるんです。私、最近空間転移を奇跡の代償なしで発動する魔法を開発しまして、それなら問題なく、トリスメギストスの元へ手が届きます」
「……昼に使ってたやつだね?」
ランテが思い出す。ミリアは昼頃、ランテとシルクのもとへ空間転移をした。自分と繋がりの強い人間が何かを開く動作をすることを起点に空間転移をする。
そういう魔法だ。
これならば、どこにトリスメギストスがあるかも問題ない。
「これに対する問題点は二つ。まず1つ――アイリスに聞きますが。宿痾操手にとって肉体とは、最悪捨てても構わないものですか?」
<……肉体?>
アイリスが訝しむように問い返す。わざわざソレを聞いてくるということは、肉体を捨てろという意味だ。だから、ミリアとしてはすこしだけ賭けだった。
アイリスは身体を捨てたがらないようだったから。
<別に、肉体自体はどうでもいいけど、肉体を失ったら戦姫を乗っ取らないといけなくなるから、効率が悪すぎるんだよ。そっちとしても、誰かの身体をかせって言われても困るでしょ?>
帰ってきた答えは、ミリアにとっては最善と言っていいものだった。
「奇跡の中に、身体の復活も混ぜてしまえば大丈夫かと。ようは、一度意識を《《トリスメギストスの中へ送り込めれば》》それでいいんですから」
<……そういうこと>
ミリアのやろうとしていることは単純だ。トリスメギストスの中へシルクの意識を戻し、シルクに何かを開くような動作を意識してもらう。ミリアの魔導はその意識があれば起動できるので、必要なのはシルクの肉体を一度吹っ飛ばすことだ。
その内容をアイリスは理解して、すこしだけ唇を尖らせながらも、他に方法はないことを理解して同意した。
「問題は、こちらの方です。私の魔法は円環理論が起動できるくらい、互いに互いを慮る必要があります」
「それ自体は、一時の気の迷いでもなんとかなるだろ。円環理論に重要なのは、強い心のゆらぎ見てぇなもんだ」
感情を震わせて、その感情を重ね合わせることが円環理論の本懐。
だから、極限まで互いに感情を高ぶらせれば、円環理論は機能する。
「運命の出会い、って感じだねぇ」
シェードはぼんやりとそんなことを呟く。ちょっとふざけてはいるが、言っていることは尤もだ。
「だから、必要なのはシルクさんの意志です。助かりたいという意志。ともに歩みたいという意志。極限まで生存本能を高ぶらせて、シルクさんの生きたいを引き出さなければ、この作戦は成功しません」
ミリアの作戦。
その最大の問題はそこだった。
シルクが生きたいと願うか。言葉を伝えられるタイミングに、第一声で殺してと嘆願する相手にそれができるか。救うと言った。救うところを見ていてほしいと彼女を説得した。
それでも、彼女が本当に助かりたいと思うかはまだ確実ではない。
「……シルクちゃんは、生きたいって言ってくれるかな」
<言わなくたって、言わせてあげるよ。私がそう望んでるんだもん。そうしたいって、そいつが動いてるんだもん>
ミリアを指差して、アイリスは鼻を鳴らした。
<悪役令嬢、なんでしょ。わがまま放題好き放題な、どうしようもない悪なんでしょ>
「ええ、だから気に入らないと思ったら、シルクさんは何が何でも助けます」
――彼女たちの意志は既に定まっていた。
後はシルクが選ぶだけ。
手を伸ばせとミリアは叫んだ。
その手をシルクは掴んだ。
であれば、後は――
後はシルクを、救い出すだけのこと。
その、はずだった。
<>
「――再生機ケーリュケイオン!」
ミリアの手の中で、ケーリュケイオンは光を放つ。
奇跡は成った。シルクは既にこの場にはいない。そして、シルクは救いを求める意志を見せ、ミリアの魔導は成立している。
――勝敗は付いた。
ミリア達の策は成り、シルクは救出される。少なくとも、今のミリア達にとってそれは事実だった。
しかし。
「|限界突破《コード:オーバードーズ》ッ!」
こんな話があった。
“魔導機には意志がある”。少なくとも、開闢、命滅、再生の三つには。だから、魔導機は奇跡を選ぶのだ。もちろん、ミリアだってそれは認識していたわけで、意図的に願いを歪められたなら、即座にそれを止めただろう。
だけれども、それは違った。
バチリ、と杖から電流が奔る。まるでそれは、危険をミリアに教えるかのようだった。
「うわっ!?」
思わず、一瞬杖から手を離す、即座に掴み直すものの、杖からは更に電流が流れた。
「な、なにっ!?」
<……杖が暴走してる!?>
アイリスが叫ぶ。まずいと思ったのか、彼女は種を取り出して限界突破を起動する。しかし、効果はない。メルクリウスにケーリュケイオンは相性が悪いのだ。
「……どうなってんだ!?」
「これは……いえ、ちょっとまってください?」
ミリアは目を細めて集中する。
現状、何がどうなっているのかわかったものではない。杖が何かしらの暴走でヤバいことは見れば解る。それがどうなるのかは、ミリアでなければわからないだろう。
だが、この場合。
わかってしまうことは果たして幸運だっただろうか。
「……これは」
ミリアが、何かを掴んだ。そして、ポツリと――
「時空が、歪んでる?」
直後。
光がミリアたちを包み始める。光が包んだのは、アイリスを除く全員だ。
<時空が……? ああ、そっか。そういうことか!>
除外されたアイリスが何かに気がついたのか、叫ぶ。
それは、彼女だけが知っている事実。彼女だからこそ解る理由。時空が歪んでいるとミリアは言った。そしてアイリスはかつて、
<――ミリアちゃん達は、過去に飛ぶんだ!>
今から数十年前、ミリアと邂逅したことがある。
「え、え? 何が起きてるの!?」
<私がミリアちゃんをどうして知ってるのか。今なら教えて上げられる。ミリアちゃんと私は、過去で出会ったことがあるの。今、ここであなた達が過去に飛ぶから!>
「過去だぁ……?」
「……でも、ミリアちゃんが言ってるなら、間違いないよ」
訝しむ面々をよそに、シェードは納得したように言う。
過去への渡航。遥かなる時間の旅路。なぜ、ケーリュケイオンはミリアのごくごく単純な願いをそのような形に歪めて暴走した?
――不明。
ミリアにだって、それは一向にわからない。
ただ、すくなくともこの時間転移は止められない。止めようがない。トリスメギストスという、三位一体の関係にある魔導機を代償としたのだから。
「……とにかく行くしかありません。シルクさんをまだ救えていないんです。どうにかして、過去からシルクさんにアプローチを仕掛けるんです!」
<それは……いや、いいか。ミリアちゃんになら賭ける価値はある>
いいながら、アイリスは自身の衣服についたボタンを一つむしり取って、ミリアへと投げた。
「これは?」
<私の私物。使い方はそっちのヤンキーに投げればいい。言っとくけど、私が必要だと思う情報しか乗せてないから、変な期待はしないでよ>
――記憶を読めと、アイリスは言うのだ。
ミリアはまだ諦めていない。杖の暴走という形で、シルクの救出が終わったとしても、ミリアならば、それでもまだ先に進もうとするだろう。
否、実際に進んでいる。
だとしたら、アイリスはソレに賭けるしかない。過去に飛べず、帰りを待つしかないアイリスには。
<だから絶対、お姉ちゃんを助けて>
――アイリスは願った。
誰でもない、ミリアへと。
「――任せてください」
ミリアは返した。
誰でもない、自分だからこそ。
力強く、笑みを浮かべて。
かくしてミリア達は、過去へと舞台を移すことになる。
そこで待っているのは、アイリスだけでは終わらない。
もうひとり、その時代から生きていて、ミリアを知っているモノが入る。
アルミア・ローナフ。
始まりの戦姫。若き日の救世主は、その時。
ミリアという救いに、何を思ったのか。
そして盤面は翻る。
終局へ向けて。
――ミリアたちが姿を消して、一人残されたアイリスは空を見上げる。
この盤面を見下ろす誰かへ、
<……全部、全部貴方のせいだ。貴方がこれを始めなければ、私はこんな思いをしなくて済んだのに>
全ての元凶。
<どこにいるのよ、貴方の居場所さえ見つけられれば、私はすぐにでも貴方を殺してあげるのに>
始まりにして、終わりを導く災厄へ。
<……ねぇ、“お母さま”>
宿痾を生み出した、本当の意味での宿痾の主へ、アイリスは想いを馳せるのだった。