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66 だけど、そうはならなかった。

「――私、アンタを殺そうとしてた」


 ぽつり、夕闇に暮れる街を歩きながら、シルクはランテにそう零した。昼の喧騒と打って変わって、夜の中央都市は静かだ。夜にパフォーマンスをする人間はいないし、中央都市にいる人間の多くは地方からやってきている人間だ。

 夜には列車で家に帰らなくてはならない関係上、基本的に中央都市は昼には役目を終える。


 ミリア達はセントラルアテナに泊まっているため、そこに戻ればいいのだが、三人は静かになった街をぼんやりと眺めつつ、あまり人に聞かせるような内容でない話を、言葉にしていたのだ。


「それを決めたのは……私じゃない。でも、私は命じられるままに貴方の故郷を、主とともに襲撃した。貴方以外に主を止められる人間はいないとわかっていたし、主は止められても宿痾そのものは止められないって、わかってた」


「……」


「ミリアがいたとか、そういうのは本質的には私とアンタの間には関係ないのよ。アンタはそう思わなくたって」


 ミリアがいなければ――というのが、この世界において意味のないイフであることは、わかっている。

 ただ、それとこれとは話が別で、つまるところシルクがいいたいのは、


「私はそれを気にするの」


「シルクちゃん……」


 シルク個人の問題だった。


「私、アイリスから逃げたわ。あの子のもとにいたくないって。でも、あの子は私の妹なのよ」


 ぽつりぽつりと、一方的にシルクは言葉を吐き出す。

 ランテに対しても、アイリスに対しても、それは一方的にシルクが思っているだけのこと。相手のことは関係ない、これはシルクのどうしようもないワガママだった。


 そもそも、この会話が始まったのだって、シルクが望んだからだ。周りに人がいなくなり、ぽつんと自分たちだけがそこにいる感覚を覚えた時、自然とシルクは話し出していた。


 ――会って一日の相手に、こんな話をするのか? 今シルクが口にしていることは、シルクが生まれてからこれまで、一度も誰かに話をしたことのないものだ。

 それを、自分に優しくしてくれるから、という理由で? ――それは違う、と心のどこかでシルクはつぶやいた。もっと別の理由があるのだ、ただ、その理由がどうしてもわからない。それだけのこと。


「でもね、アイリスは私の妹なのよ。私をいらないって言ってくる、あの兄弟とは違って。本人の意志がどうあれ、私をお姉ちゃんってあの子は呼んでくれる」


「……うん」


「だからそれを否定できない。あの子のことを教えてって言われても、私には無理よ。そんな必要なくたって、あの子は私の妹なんだから」


 シルクは、ランテに対して起こる“かも”しれなかった未来を気にしていた。それと同時に、アイリスに伝えられた“かも”しれなかった言葉を口にしている。

 かも、だって、もしかして。

 それは、きっとシルクが、自分で行動したことが一度もなかったからだ。


「アイリスのもとを離れたことだって、確固たる決意でそうしたわけじゃない。あの子がいなくなって、行けるんじゃないかって思って、そして“許可が出た”からやっただけ」


「許可されなかったら、絶対に貴方はアイリスのもとを離れなかった?」


「うん」


 それは間違いない。もしも“お父様”がシルクに許可を出さなかったら、シルクは今だって籠の鳥だったはず。お父様が何を考えて許可を出したのかはわからない。そもそもお父様はただの道具だ。意志があるわけでもなく、あったとしても自分にはわからない。

 だからシルクは、父の許可という免罪符に従ったに過ぎない。


「――それってさ、ふつうのコトじゃない?」


「……え?」


 ふと、ランテの言葉にシルクは目を丸くする。シルクだけに。

 慰められるにしても、罵倒されるにしても、肯定されるとは思わなかった。否定されて、その上で救いの手を差し伸べられるか、否定されたまま終わるのか。

 そんな未来を、シルクは思い描いていたのだ。

 経験則から。


「この世界に、自分の意志で行動を起こせる人間がどれだけいるの? 人は、宿痾に追い詰められて今の生き方以外に選択肢がない。戦姫は、マナがあるってわかったら絶対に戦姫にならなきゃいけないんだよ?」


「それは、それこそ私達が――!」


「第一、今の世界じゃなくたって、それはあんまり変わらないんじゃないかな」


 そう言って、ランテは書店で手に入れた本の中から、一冊を取り出してパラパラとめくる。それは、かつての世界で人類がどのような生活を送っていたかを記した本だ。


「“普通”に生まれた子供は、学校に通って、仕事をするようになって、そして死ぬ。多様性は今よりもずっとあったと思うけど、この生き方以外の生き方ができる人間は、きっと滅多にいなかった」


 ランテは、パタンと本を閉じて言う。


「ううん、人以外だってそう。――私、森を育ててるの」


「……森?」


「うん、自然。かつて存在して、今はなくなった、そんな森。そこには多くの自然があって、そして命が芽吹いてる」


 ――ミリアにそれを任されて、自然を育て上げるウチ、ランテは多くのことをしった。

 とりわけランテの中に残されているのが、


「植物も、動物も、命を育てるの。育てて、次につなげて、そして終わってく。その原理は、人が学んで成長してから、対価を得て社会を作ることと、そんなには違わない」


「人も、自然も、その根本的な原理は同じってこと?」


「うん。自然も人も、長い時間をかけて変化していくことはできるけど、一生の中で世界を変革することは難しい。だからね? シルクちゃんも同じなの」


「……」


「――一人が世界を変えるのって、とってもとっても難しいんだよ」


 月光の狩人であれ、宿痾操手であれ、一人の立場で何かを変えることは難しい。

 何より、


「人は生まれを決められない。私やシルクちゃんは、特にそうでしょ?」


「……そう、だけど」


 シルクはすこし黙って、それからランテの方を見る。

 無垢な笑顔が、そこにはあった。彼女の話していることは、どこまでも現実的で、シルクに現状を突きつけるもの、だというのに彼女の話し方に翳りはなく、彼女の笑みに衒いはない。

 ただあるがまま、道の定められた人生も、その道をすこしでも彩りのあるものへ変えようと、彼女は生きている。


 ――自分とは真逆だ。

 そう、心の底からシルクは思った。


「――私ね、今日一日一緒にシルクちゃんと遊んで、楽しかった!」


「……どうして?」


 ――自分とランテはこんなにも違う。

 自分のような存在と一緒にいて、ランテは楽しいものだろうか。そう思った矢先に、ランテはそれを口にした。意外だった。思ってもみない言葉だった。

 なにもできない自分を、肯定された時以上に――嬉しかったのだ。


「シルクちゃんはいろんなことを考えてる。いろんなことから逃げないで、今もいっぱい悩んでる。そういうのすごいと思う。何より――」


「……何より?」


「悩みながら私と一緒に楽しんでくれる。私は無理、一度悩んだら、ずっといつまでも立ち止まっちゃう」


 かつて、ランテは答えを出せてはいなかった。花畑を作りたい、そう願って、けれどもその方法も、作った後も解らなかった。

 ――わからないまま立ち止まって、ミリアがいなければ、きっとそのまま答えをだせないで大きくなっていただろう。


「……そんなことない! 私だってずっと迷い続けて、答えが出ないままここまで来た! 百年よ!? 百年迷い続けて、今だって答えが出てない! 貴方よりも、ずっとひどい!」


「でも、ここまで来た。変化はあった。小さくたって、短くたって。私は思うよ。貴方は許可を得たからといったけど――自分の意志で、逃げてきたって」


「……!!」


 限界と言わんばかりに吐き出した言葉を、それでもランテは受け止めてくれた。わからない、わからない、わからない。

 どうして彼女はそこまで自分に親身になってくれるのだろう。

 どうして自分は、あって一日しか経っていない自分に、ここまでやさしくしてくれるのだろう。わからない、わからない、わからないのだ。


 その時だった。



「――これが、最初の一日だからじゃないですか?」



「おねえちゃん!?」


 ミリアが戻ってきた。

 ――先程から、ミリアはどこかへと行っていた。すぐに戻るとは言ったものの、案外時間がかかっていて、どうしたのかと気になっていたが、


「別に明日には、またアイリスのもとへ帰ろうというわけではないのでしょう? だったら、貴方には明日があるんです。確かに、今日は貴方とランテちゃんにとっては一日かもしれませんが――」


「も、もぉどこに行ってたの?」


 どうやら、戻ってきたようだ。


「――これから、貴方達の間には、長い長い“毎日”が待っているんですよ?」



 ただし、顔はライオンのきぐるみで覆われていた。



「うわああああああああああ!?」


 ミリアの小さい体に、やたらでかいデフォルメされたライオンのきぐるみがズン、と乗っている。

 思わずシルクが叫んで、ランテの後ろに隠れてしまったのは、シルクのせいではないと思う。というかなんか笑っているように見えるきぐるみの能面が、やたら怖かった。


 きゅっぽん、とミリアはそれを脱いで、


「もう、失礼しちゃいますねぇ」


「い、いや……なによソレ!?」


「ご自由にお使いくださいってかいてありましたよ!」


 なんだそれは、と思いつつシルクはソレ以上つっこまなかった。

 ――さきほど、とてもいいことを言われた気がしたが、完全に頭の中から抜け落ちてしまっていた。おそらくランテもそうだろう。


「ま、とにかくですよ」


 きぐるみを道の脇において、ミリアは語る。


「ランテちゃんの故郷を滅ぼすところだった。ソレは実際そうなんでしょう。だけど、そうはならなかった。それでいいじゃないですか」


「でも……!」


「今すぐ納得する必要はないんです。これから、時間はいっぱいあるんですから」


「――!」


 さっき、同じことを言われたような気もしたが、すんなりとシルクの心にミリアの言葉は入ってきた。

 ランテには、それは言えなかっただろう。彼女は心の底からシルクと仲良くなろうとしているのに、今すぐにでも友達になりたいと言うのに、時間が解決してくれるなんて、口が裂けても言えやしないのだ。


 遠くから、一歩引いているミリアだからこそ、そう言える。

 そして――ミリアなら、そう言っても許される。


 だけど、そうはならなかった。


 ミリアがそうしたからだ。


「……ふふ、そうね。ありがとうミリア」


「おや、こちらこそ。まぁ、目の前で困っている人がいたら、何をしても救うのがミリアちゃんですから」


 ちょっとだけ照れてからそう言って、ふとミリアが何かに気がついたようにランテを見る。


「ところで、さっきから言葉のないランテちゃんはどうしましたか?」


 そういえば、無言だった。

 ――ランテは、呆然としていた。まさか、いつぞやのシルクのように驚いて気絶してしまったのか?


 答えは、否だった。


「――か」


「……か?」



「かわいい!!!」



 そういって、ランテはミリアが脇に置いたきぐるみに飛びついた。


「なにこれかわいい!!!!」


「いやいやいや」


 さっきまでの空気はどこに行ったの? それくらいのひと目ぼれだったの? きぐるみに? なにそれ怖い。シルクはランテのことがわからなくなった。


「持って帰ってもいいかなおねえちゃん!」


「いや、それは自由に使っていいだけで、持って帰っていいものではないですよ。パフォーマンス用ですから」


「そんなぁ……」


 ――しかし、目をキラキラさせているランテを見ると、なぜだかシルクも嬉しくなってくる。いや、これは楽しい、ということだろうか。


 心がおどる。

 何に対して? 言うまでもない、


「ふふ……楽しいわね、ランテ」


「……? うん、そうだね、シルクちゃん!」


 ――明日へ、だ。

 そう、心に決めて、シルクは希望を見出した。


 どうか、明日は今日よりも、もっと楽しいものでありますように――――










 だけど、





 そうは、ならなかったのだ。





「――ん? アツミちゃんから通信?」


「なんだろ」




『――おい、そこにシルクはいるか!?』



 だから、


<――――開闢機(イグニッションズ)トリスメギストス>


『お前らなら、もうシルクと打ち解けちまってるだろうから、細かい説明はしねぇ、いいか!?』



<|限界突破《コード:オーバードライブ》>



『シルクを連れて、すぐに中央都市から離れろ!!』



「――シルク、ちゃん?」



『そいつには、そいつも知らない、“罠”が仕込まれている!!』



 ――だけど、そうはならなかったから。



 宿痾操手“シルク”に、未来はない。

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