64 アツミは進化する。
「さてと、だ」
「あむあむ」
「……そんな食べると太るぞ?」
ぽつりとアツミが呟くと、即座にフォークが飛んできて、アツミの手元に突き刺さった。ナイスコントロール、一瞬恐ろしい何かを感じたが、アツミは努めて読心を切った。
「残すのもなんかもったいないし……」
「またマナに還るだけだろ、手料理でもなけりゃ、食事なんてタンクとそう変わらん」
「アツミちゃんは、相変わらず手料理には慣れたけど、それ以外の料理には辛辣だねぇ」
事実だろう、とアツミは適当に食事をつまんで、なんとも物足りない、乾いた感じを覚えながら箸を置く。マナによって人類が存続している現在、栄養もマナで補うことができるのだ。
魔導タンクにしろ、料理にしろ、基本的にはマナを体内に取り込むための手段に過ぎない。
「価値があるのは、行動に手間とこだわりをかけて、想いを相手に伝えた時だけだ。今はそうも言ってられないが、人間はマナなんて使うべきじゃないとおもうがな」
「マナがあるからこそ、必要ないものに価値を見いだせるのかもしれないよ?」
アツミとシェードの交わしている会話は、この世界がマナと魔導機で運営されるようになってから、何百回、何千回と繰り返されてきた哲学的な雑談だ。
マナとは人類にとっての福音、万能のリソースである。宿痾の登場が先だったために、それを議論する余地なく、人類はマナに頼らざるを得なくなったが、もし宿痾が存在しない状態でこの無限のリソースを人類が手にした場合、どうなっていたかは難しい問題だ。
宿痾なんていなくとも、人類は緩やかに滅んでいたかもしれない、と誰かが言ったくらいに。
「そもそも、マナがどこから来たかも解らねぇんだ。気にしたってしょうがねぇだろ」
「明日を生きれるかも解らないしねぇ」
もしかしたら、明日アイリスがすべての宿痾を率いて人類の生存圏にやってくるかもしれない。シルクが逃げ出した以上、それは本当にありえない話ではないのだ。
そんな状況で、使える手札を憂いていても始まらない。
まぁ、それでもこれまでだったらいつ人類が処理しきれない宿痾が襲ってくるかもわからない、という状態だったのだ。それが、今では敵の首魁を人類は把握するに至った。それは大きな進歩である。
「それで、シルクちゃんはどうしよっか」
「ミリアが何も考えてねぇわけねぇだろ。とりあえず、アイツが側にいる以上の対策はねぇ」
「アツミちゃんなら、できることもあるでしょ」
そういうこともあって、話題は宿痾操手、シルクへと移る。アイリスと同じく名を持つ操手。自分で考えたのか、はたまた何か由来があるのか。
どちらにせよ、彼女も他と違う操手だ。
そして、彼女がここにいることが、人類にとってのリスクになりうるのは、先日のアイリスとの対決で知れている。
ただ、だからといってアツミやシェードにできることが、ミリアにできないかと言われると否なので、彼女に任せるのが最善なのだが。
問題は、アツミにしかできないことが、世の中には一つだけ存在するということだ。
「シルクへの読心か。あいつは読心への対策はできてねぇから、やろうと思えばできるだろぉな」
読心は、対象の近くで集中すれば記憶までもを読み取ることができる。もし頼まれれば、アツミはミリアの記憶以外は読み取るだろう。ミリアだけはゴメンだが。
ちなみに、いつぞやに弟へ指摘されたのを気にして、一度だけミリアの記憶を覗いた事があるが、地獄をみたためアツミは口を閉ざしている。同時に、アツミは密かに弟へ尊敬の念を抱いていたが、これも誰かに喋ったりはしていない。
「ただ――」
「……シルクちゃんを刺激したくない?」
頷く。
記憶を除くということは相手のすべてを丸裸にするということ。親しい人間にだって、アツミは理由がなければ記憶の読心はしない。それが自分とは本来敵対する存在であるとなれば、向こうから頼まれでもしない限り、アツミはそれを覗こうとは思えない。
「何より、あいつはアタシの読心を知ってる。だから、心のなかでずっと言ってたよ。記憶を覗かれるくらいなら、“死ぬ”ってな」
「それで、態度が辛辣でも親切でも変わらないから、辛辣に接してたの?」
「それもあるが――アイツの心境は随分と複雑だ」
ふむ? とシェードが首を傾げる。如何に察しのいいシェードでも、流石にシルクの相反する感情を表面的な態度だけで読み取ることは難しいだろう。
あの場で、シルクの本音を把握しているものが、果たしてアツミの他に誰がいたか。
ミリアでも、きちんと自覚的に理解しているかは怪しいところだ。
「アイツはアイリスが苦手だ。けどな、アイツはアイリスの姉であることに自負を抱いてるんだよ」
「……どういうこと?」
「苦手と好き嫌いは別ってことだ。どれだけ苦手な相手でも、シルクにとってアイリスは世界でただ一人の家族らしい」
――アイリスは言っていた。
アイリスはシルクへの愛を自分だけのものにするために人類を殲滅する。狂気的な独占欲こそが、自分の原動力なのだと。
案外それはシルクにも言えるのかもしれない。
「きっと、シルクはアイリスが人類を殲滅して、アイリスと自分、二人きりの世界を造ったとして――結局は受け入れるだろうさ」
「……そのくらい、大切な人への依存が強いってこと?」
「本人は意識してないみたいだけどな」
シルクの恐ろしいところは、この依存心に自覚がないことだ。アイリスがいなくなって、一人になったところで脱出を決め込む行動力を持ちながら、アイリスが死ねば自分も死ぬと言わんばかりの依存心を見せる。
――この二律背反は、多くの人間の心を読んできたアツミをして、未知とすら言える相反する精神性だった。
「あいつの警戒心は異様なほどに強い。ミリアにだって、それを解きほぐすのは至難の業だ」
「ランテちゃんは?」
「……どうだろうな、ミリアとクルミさんの不和を解消した実績から言って、あいつは人付き合いに関してはミリア以上に柔軟で優れているところがある」
ミリアには実力と、周囲のものを引きつける不思議なカリスマはあるが、人間性は奇々怪々過ぎて近寄りがたく、本人もあまりコミュニケーションが得意なタイプではないため、遠巻きにされることがよくある。
一度懐に潜り込んでしまえば、その人懐っこさからミリアは好かれるが、まず懐に入れるためのガードを固くされがちなタイプでもあった。
その点ランテは、誰に対しても仲良くなることができ、自然と人を集める能力がある。アツミだってコミュニケーション能力には自信があるが、ランテもまた別格だ。
「ただ、アタシには正直ランテがよめねぇ、アイツ、ほとんど考えなしに行動するんだ。なんてーか、頭の回転が早すぎんだよな。これはミリアにも言えるけど」
「ミリアちゃんの場合は計算が早くて、ランテちゃんは入力が早いって感じはするよね」
そして計算が未知の世界すぎて、奇行に至ってしまうのがミリアで、行動が早すぎて考えなしに映るのがランテだ。それぞれ、別種の天才といえばそのとおりだが。
「ま、どっちにしても警戒心の強い相手に対しては非常に有効なカードではある。シルクの心を開くのはあいつらに任せるのが最良だろうな」
「そこは私も同意だよー」
「だから、アタシにはアタシにできることをする」
いいながら、アツミはあるものへと手を伸ばした。
「なにするの?」
「いいことを教えてやる」
そうして手にしたのは、シルクが食事に使っていたフォークだった。
「アタシは、常に進化している」
「……さっきやったじゃん。道具から記憶を読み取るんだよね?」
「どうしてそこでカッコつけさせてくれないんだ?」
アツミは唇を尖らせた。
まぁ、やることは単純だ。先程ミリアに対してやったように、道具を使って読心をする。あの時は、今のミリアの居場所を探るために使ったが、今回はシルクの根底にある記憶を覗くためにやるのだ。
「いいか? こういうのはな? 雰囲気が大事なんだ。さっきからアタシ達はすげー真面目に話してただろ? だったらその雰囲気は継続されてしかるべきなんだ。解るか?」
「むー、アツミちゃんがなんか変なものにかぶれちゃってるよぉ」
「大事な話だからな!?」
アツミにだって譲れないものくらいある。
このぶっきらぼうな口調だって、カッコイイと思ってアツミはやっているのだ。否定されると悲しくなるから、あまり否定してほしくない。
「えへへ、そうやってカッコつけようとして失敗すると恥ずかしがるアツミちゃんがカワイイんだぁ」
「おいこら本気で喧嘩うってやがるな!? 買うぞコラ!」
アツミはテーブルを叩いて立ち上がった。手にしていたフォークを机において、拳を握りながらシェードと相対する。
シェードは迎え撃つ構えを見せる。
「朝はトーストを食べるのがエレガントでカッコイイと思ってるけど、実はごはんに納豆派のアツミちゃん!」
「うぐっ!」
「昼は食べると眠くなるけど、ミリアちゃんみたいでカッコイ悪いと思ってるアツミちゃん!」
「ぐおおお!?」
「夜中に寝ぼけたままリビングまで来て、作業してた私にママって言ったアツミちゃん!!」
「がはっ――――」
すべてが必殺級のストレートを叩き込まれたアツミが、のけぞり、それからうずくまる。致命傷だ、ここまで一方的にやられるとは思わなかったがために、アツミは机によりかかりながら、なんとかシェードを睨む。
勝ち誇ったドヤ顔のシェードがそこにいた。割と珍しい光景であった。
「……へっ」
だが、しかし。
ここで諦めるほど、アツミはミリアにケイオスを叩き込まれてはいない。いつだってそうだ。ミリアはアツミに想定を越える混沌で、アツミの正気を削ってきた。
だったら、このくらいなんだ。ちょっとくらいシェードに追い詰められたからって、それで勝負を捨てるほどアツミは軟ではない。
――一つだけ、アツミには切り札があった。
「言ってくれるじゃねぇか、シェードよぉ」
いくらアツミでも、それにフレない程度の優しさはあって、今までフレてこなかった秘奥中の秘奥。最後の切り札は、しかしここまでくれば、あのドヤ顔へのカウンターとして切らないわけには行かなくなった。
アツミは、覚悟を決めてそれを口にする。
「ふふ、これで終わりみたいだね?」
必殺の一言。胸だけは大きいミリアと同サイズの少女に対し、切っては行けない、しかし切らざるを得ない最後の一手。
「終わり? バカいうなよ、――チェックメイトはてめぇだ。なぁ!」
死中に活、決死の中でこそ笑みは似合うのだ。
アツミはそれを口にした。
シェードの、絶対にフレてほしくない、最大の弱みを。
「なんでもできるみてぇな顔して、実はピーマンが食べられなくて、裏でこっそりミリアに食べてもらってるシェードちゃんよぉ!!」
――その時、空気が死んだ。
沈黙と、それから停滞が世界を支配して、アツミとシェードは停止した。――どうだ、とアツミはシェードの顔を見る。これが通らなければ、アツミの負けは確定。これまで三度の致命傷を受けたアツミにとって、切り札が一つしかないというのはいささか心もとない。
だが、それでもやるしかないのだ。
相手はシェード、母性の怪物。そんな少女が、本気を出せばきっとアツミは赤ちゃんにされる。それだけは避けなくてはならない。
この切り札を切った以上、ここでの敗北は絶対に赦されないのだ――!
――そして、
沈黙の後。
「――――死にたい」
シェードは赤面し崩れ落ちた。
アツミの勝利が決まった瞬間である。
「はっ! アタシの勝ちだシェード!! これに懲りたら、アタシのことをからかうのはやめるこったな!!」
勢いよく、アツミは高笑いしながら、立ち上がる際に机に置いていたフォークを手にする。いや、手にするつもりだった。
――しかし、勝ち誇っていたアツミはミスをした。
手にしたのは、シルクのそれではなく、シルクの隣の席に座っていたモノのフォークを手にしてしまったのだ。
そう、シルクの隣には、ミリアが座っていた。
「んじゃ、行くぞシェード! 読心は、他人に記憶を見せることもできるぜ!」
「このテンションのまま、シリアスな記憶に行きたくないよぉ!」
――嘆くシェードの願いは叶う。
アツミが気が付かず、シェードがそもそもそれどころではなく。二人はミリアのフォークを対象に、記憶の読心を開始した。
だから、
「――――よーこそおいでくださいました、ミリアの記憶世界、またの名を、“ミリア・ワールド”へ! 歓迎いたしましょう。シェードちゃん、アツミちゃん!」
記憶の中のミリアが二人にそう呼びかけた時。
――シェードとアツミは、先程までのよくわからないテンションを、死ぬほど後悔するのだった。




