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42 恐怖

 倒れ伏す宿痾操手“弟”を、ミリアとアツミは油断なく見つめている。決着はついた――というよりも、そもそもミリアと弟の力の差は、決して奇策なしに弟が勝利できるものではない。

 だから弟も、あくまで特殊な方法でミリアの限界突破を封じ、勝利条件もアツミの殺害によるミリアの価値を奪うこととしていた。


 限界突破がなければ弟を消滅させることはできないし、ならば最悪勝てなくても体を自爆させて逃げ帰れば問題ない。

 少なくともあそこまで一方的に、かつ体を自爆させる暇もなく倒されなければ、弟はこの場から即座に逃げ出していたことだろう。


 そして、今の体――つまりクロアを殺してしまえば、最低限“弟”の目的は達成される。ミリアを殺すことは容易でなくとも、ミリアという素材の品質を落とすことは、正直なところ弟にとっては容易どころか、一つ手を打てばそのまま実行されてしまうことのはずだったのだ。


 だが、その機会は永遠に失われた。ミリアという、想定なんて言葉を玩具かなにかとしか思っていない少女によって、たやすく、あっという間に。


「……これからどうする?」


 そんなミリアに、アツミは問いかける。勝利はもぎ取った。であれば、その勝利をどう活かすか。ここからミリアたちには、クロアから弟を引き剥がし消滅させるという目標がある。

 後者はともかく、前者は絶対だ。これで万が一にも弟に自爆を許してしまったら、この勝利は意味を失ってしまう。


 ミリアはその未来のためならば、悪でもいいと言ってのけた。

 覚悟を決めて、そう宣言した以上、ミリアはそれを守る義務がある。責任がある。だからここでは止まれない、ミリアはアツミの言葉にうなずいて口を開いた。


「まずは、この空間を破壊します。限界突破なしでこのイケメンをクロアさんから引き剥がす方法はないんです」


「大丈夫なのか? すぐにでもこいつは起きてこないか?」


「さっきの魔法の効果は意識の喪失なんですよ。なので私がいいと言うまで、このイケメンは目覚めません」


 倒れ伏し、意識を失っている弟は、ピクリとも動く様子を見せない。ミリアがそういうならば大丈夫だろうとアツミは納得すると、疲れからか大きく息を吐いた。


「……ったく、ふざけた野郎だぜ」


「む、私は野郎ではありません」


「てめぇにはいってねぇよ」


 なんて冗談を飛ばし合って、二人は互いに笑みをこぼす。


「ふふ、じゃあアツミさん、今この空間は貴方のものです。貴方が“終われ”と願えば、この悪夢はあっという間に終わりを告げるでしょう」


「……そんなもんか」


 ミリアから伝えられたこの空間を破壊する方法が、あまりにも単純だったがため、アツミはぽつりとそうこぼす。拍子抜け、といわれればそのとおりだ。

 その上で、ふとアツミは問いかけた。


「なぁ、ミリア」


「なんですか?」


 ミリアは杖を構えたまま弟にも意識を向けている。そもそも弟が何らかの要因で起き上がっても、即座にミリアに鎮圧されるのが関の山だった。


「これから、ここを出れば――お前は変わらずその杖を使うんだよな?」


「ケーくんを、ですか」


「さっきお前はそいつをクロアから引き剥がす方法は、限界突破以外にねぇつったよな。だったらこれからも、お前は何かを犠牲にしていくんだろう」


 ミリアは、それに答えなかった。そして、この場合沈黙は金だ。


「……辛く、ねぇのか?」


「それは……」


「他に方法はねぇのか? てめぇなら、もっとスマートで、誰もが驚くような方法があるんじゃねぇのか? てめぇはミリア・ローナフなんだろ?」


 ――ミリアなら、あらゆる奇跡を我が物顔で振り回し、当たり前のように世界を救うだろうと、そう思ってしまう心は、誰にだってある。

 アツミの言葉は、決してアツミだけがいいたい言葉ではないのだ。


 アツミは読心で、周囲がミリアに対して何と思っているか知っている。申し訳無さと感謝。そして希望を見出している。その感情は、けして間違いではないだろう。


 だが、いつかだれかが、口に出さなければならない言葉だった。


「アツミちゃんはすごいですね」


「……なんだよ、急に」


「誰もが口にしたくても、できないことを口にするのも、一種の才能だと私は思いますよ」


 そして、アツミは別にそれを口に出す必要はなかった。

 そもそもアツミは、ミリアがなんと答えるか想像はある程度ついている。きっとシェードもそうだろう。近くでミリアをずっと見てきて、そしてミリアに救われた自分たちなら。

 だから、アツミがそれをわざわざ口にしたのは――


「アタシがやったほうが、他の誰かが聞くよりも楽だと思っただけだ」


 結局、誰かのためだ。


「アツミちゃんらしいです。……じゃあ、そうですね」


 ミリアは少しだけ悩んで、それから答えた。


「私は別に、ケーくんの力だけを特別に思ったことはありません。そして自分自身を、何でもできる存在だと思ったこともありません」


「……そうだな」


「一人で世界を救うには、私の力は少しだけ足りないと思います。誰かの力が必要なんです。そしてその力に、優劣なんて絶対にない」


 ――ケーリュケイオンだって。

 今のアツミだって。

 そしてここに来るために、力を貸してくれた皆のことだって。


 ミリアにとってはどれも等しく価値のある存在なのだ。


「だから私は、その選択が誰かを不幸にするものでない限り、躊躇をしません。手段も選ぶつもりはありません」


「それは、また随分とやべぇ言葉だな」


「あはは、悪っぽいでしょ」


「てめぇにワルは無理だろ、ミリア」


 そんな、と驚きながらミリアは口を丸くする。

 悪を名乗って、その役割に忠実だと思ってきたミリアにとって、その言葉は衝撃だった。


「てめぇを何かの言葉で図れるもんか。悪とか善とか、てめぇはそもそもどうでもいいだろ」


「……かもしれませんね」


 流石に言葉で表現できないというのは心外だが、どうでもいいのは確かにそうだ。


「じゃあ、どうでもいいつながりで、さっさとこのイケメンをどうにかしましょうか」


「はは、悪い悪い。んじゃ、この世界を終わらせるとしよう」


 話を終えて、二人は意識を弟へと戻す。もちろん警戒は怠っていなかったが、それはそれとして二人は既に弟に対して興味を失っていた。


 だから、



<が、ああああああああああああああ!!!>



 弟が突如として叫びながら飛び起きた時、ミリアの対応は冷静だった。

 即座に魔導を解き放ち、再び弟の意識を奪う。――はずだった一撃は、しかし弟に何の効果も及ぼさなかった。


「なんだ、どういうことだ!?」


「……魔法が効いていないわけではない。これは一体……!?」


 困惑する。

 ミリアが焦るなど、アツミは初めてみた。つまりミリアにすら理解が及んでいないという状況。幸いなのは、クロアの体がどうこうなる気配はないということだ。

 あくまで弟が、何かに掴まれたかのように起き上がり虚空を眺めて棒立ちになっているというだけ。


 何も問題はないのだ、クロアには。


 であれば弟には? ――今、何かが起きているとしたらそちらの方だ。ミリアはそれに気が付き探りを入れて――



<あはは、気付かれちゃった>



 直後、どこからか声がした。


「なんだ!?」


「……今、あのイケメンは別の誰かに干渉を受けているんです。クロアさんには何の干渉もありません。おそらくは、イケメンの本体が攻撃されているんです!!」


 本体。

 つまりここではないどこか、おそらく操手の本拠地であろう場所にいる、弟そのもの。それが何かによって鷲掴みにされ、痛めつけられている。


 ミリアが察知したのは、そんな情報であり、その情報に呼応するようにその声は響いた。

 操手特有の、どこか加工されたかのような声だった。


<もぉ、もう少し鈍ければよかったのに>


 そうやって笑う少女の声は、



<――ねぇ、ミリアお姉ちゃん>



 当然のようにミリアの名を呼んだ。


「……どちらさまですか?」


 ミリアは、油断なくそう返す。そう、ミリアはその声の主を知らない。初めて聞く声だったのだ。


<んふふそっか。じゃあ名乗るね>


 声の主は愉しげに。

 苦痛に叫ぶ弟の悲鳴をバックに、ミリアたちに名前を告げた。



<私はアイリス。貴方達の宿敵、宿痾操手の末妹だよ>



 アイリス。

 少女はミリアにそう名乗る。


「どなたか存じ上げませんが、名乗られたからには答えましょう。ミリア・ローナフです」


<知ってるよぉ、でもでも、そうやって名乗ってもらえるとそれはそれで嬉しいな>


「どういうことですか?」


<えへへ、秘密>


<があああああああああ、ぐ、あああああああああああああ!!! あ、あああ……あい、りす……!!>


 そこで。叫ぶ弟の声に変化が訪れる。

 アイリスの名を呼んだ。意識が戻ったのだろうか。ミリアはアツミに視線を送り。空間は即座に歪んでいく。


<……下お兄ちゃん、うるさい。しかもお兄ちゃんのせいで、ミリアお姉ちゃんたちがこの場所を壊し始めちゃったじゃん>


<ひっ……ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! だ、だから命だけは! 存在だけは消さないでくれええええええ!!!>


<――もう遅いよ>


 やれやれと、アイリスはため息をつく。

 その言葉からミリアは推測を立てて、弟の“魂”の情報を読み取る。見れば弟は、急速に魂そのものが力を失っていた。

 簡単に言えば、急激に寿命を失い、衰えていた。


 間もなく、完全に魂はその存在を消失させるだろう。


<あ、あああ、ああああ!!! な、なんでだ! 確かにボクは敗北した! でも惜しいところまではいっただろ!? 限界突破で消されることもないんだ、最悪撤退すればそれで良かったじゃないかぁ!!>


「……ふむ」


 弟の叫びから、弟とアイリス。立場が上なのはアイリスのようだとミリアは察した。よっぽど恐怖の対象なのだろう。弟が操るクロアの体は、完全に恐怖によって歪んでいる。

 いやそもそも、これは恐怖と呼べるのか?


 そんなもの、とっくの昔に通り越えてしまっているのではないか?


「どちらにせよ――感謝しますよ、アイリスさん」


<……あはっ、お礼なんていいよぉ。そっちの手間を省いただけなんだから>


 ここに来て、理解が追いつかないのはアツミだ。突如として現れた、宿痾操手の上位存在とすら思えるアイリスという少女。

 ミリアと台頭に言葉を躱し、ミリアのわけのわからない異次元の行動に一切よどみなくついていく姿は、アイリスが異常であることの何よりの証明だ。


 だから、


「おいミリア、クロアは大丈夫なのか!?」


 一旦、アイリスの存在を棚に上げることにした。


「大丈夫どころか……クロアさんからイケメンが抜け落ちていきます。アイリスさん――声の主は、それができるんですよ」


「……っ!」


 ――ミリアがクロアから弟を引き剥がそうとする場合、それは代償の奇跡が必要だ。アイリスは、そんな代償必要ない。

 宿痾操手の更に上に立つような存在なら、当然といえば当然なのかもしれないが――


<別に、こいつのことなんてどうでもいいんだよ。私はこいつが持ちかけてきた、約束とかいうものに従ってるだけ>


 ――その上で、心底どうでも良さそうに、アイリスは弟のことをこいつと呼んだ。


「約束……?」


 アツミが、そう問い返す。

 アイリスは笑ってそれに答えた。とてもとてもあっけからんと、



<人類を滅ぼすのは自分たちがやる。だから自分たちの命だけは助けてくれだってさ。かっこ悪いよね?>



 宿痾操手の兄と弟。

 兄弟がアイリスという圧倒的上位者にたいして、命乞いをしたという事実を、


 ――アイリスが命乞いをされる立場の存在であると、そう言ってのけたのだ。

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