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41 “悪役令嬢”

 ――ずっと、思っていたことがあります。


 ミリアは悪です。悪い子です。

 そう決められて生まれて来たのです。


 悪は悪でなければなりません、誰かを困らせて、誰かを泣かせて、誰かを否定する。そんなとんでもないやつでなければなりません。


 自分がミリアなのだと自覚した時、私はそうはなりたくないと思いました。

 悪役令嬢なんてなにかの間違い。私には、普通に生きて普通に幸せになる未来が待っているのだと。


 でも、世界は私が思ったよりも大変で、愛が世界を救うのだとしても、その愛が目の前の大切な人を守れるとは限らなかったのです。

 愛とは、結局誰か一人にだけ向けられなければ、薄く広がってしまうものなのですから。


 でも、どれだけ薄くなってしまったとしても、大切という思いは否定されるべきではないと思います。確かに人は、誰か一人だけを愛し、その誰かと愛をつなげていくべきなのかもしれません。

 ですが、愛していなくたって大切に思うことは悪ではないはずです。


 伴侶、という言葉でくくられなくたって、かけがえのない存在はいくらでもいて、そんな人達のために頑張ることを、悪というのはいささか腑に落ちません。

 私は皆に幸せになってほしいです。その結果が、自分という存在の消滅なのだとしたら、それはきっと美しく、誰の心にも響くことなのでしょう。


 悲劇です。


 悲劇ですが、誰からも愛される悲劇です。

 多くの人の心を打ち、称賛される素晴らしい劇でしょう。後世にも語り継がれるような、非の打ち所もないバッドエンドです。



 でも、私は嫌いです。



 そもそも、どうして悲劇なんてものがあるのでしょう。喜劇でよいではないですか。幸せになっていいじゃないですか。どうして舞台の上で人は涙を流すのでしょう。

 舞台は舞台、けっして現実ではないというのに。現実ではないのなら、フィクションであるのなら、その最後はこう綴られるべきだと私は思います。


『めでたし、めでたし』


 そんな思いは、悪なのでしょうか。

 頑張って頑張って頑張って、最後に素敵な花束を手にしながら笑顔でありがとうございましたと観客に告げる。それを願って何が悪いのでしょう。


 役者と役を混同するな? 悲劇には悲劇の良いところがある?


 どっちだって正しいのかもしれません。でもそれは、私の正しさではないのです。

 私が正しくないのか、私以外が正しくないのか、そんなことを討論するつもりはありません。だって私の正しさは私の嫌いから生まれた正しさなんだから。きっと、それをよく思わない人だっているでしょう。


 そもそもそれを気に入らないというのは、恵まれた人間のワガママなのでしょう。

 精神のアツミさんはいいました、私の救済は、恵まれたご令嬢の施しに過ぎないと。施された側は、そんな令嬢に心の底で嫉妬するだろうと。


 だから私は悪なのだ、と。


 一つ、確かなことがあります。


 それは、私が悪として生まれてきたということ。誰かを傷つけるために、ワガママであれと願われて創られた、そんな役回りなのだということ。

 だって私はミリア・ローナフ。



 ――“悪役令嬢”、なんですから。



 <>



<ぐ、ああああああああああ!!>


 弟は派手に吹っ飛んだ。

 ミリアはなにもないところから現れた。

 突然、当たり前のようにそこにいた。


「ミリア!?」


「――アツミさん、大丈夫ですか?」


 拳で誰かを殴るミリアなんて、アツミは初めてみた。その表情は険しく、こちらに視線を向けた一瞬、少しだけ弛緩して、向き直ったときにはまた怒りに満たされていた。

 今のアツミは弟の収奪で読心ができない。だが、今のミリアは読心しなくたって心が読める。


 怒っているのだ。


 あの脳天気なミリアが、純粋に、ただまっすぐに。


<な、なぜそこにいる、ミリア……ローナフゥ!!>


 弟は狼狽する。ありえないことだ。この空間は弟が支配している。何人たりともその支配から逃れることはできない。

 それこそ、今のミリアには奇跡を起こす力もないのだから。


<この空間では、ケーリュケイオンの代償による奇跡も起こせないはずだ! 奇跡は起きない! 希望なんて実らない! なのになぜ、お前は我が物顔でそこに立っている!!>


「……そうですね、たしかにケーくんの奇跡は使えません」


 ミリアもそれは否定しない。

 この空間で今、ミリアができることは自分の魔法を行使することだけ。そしてその魔法の中に、空間転移を可能にする魔法は存在しない。

 もしも存在していれば、最初に弟を探知した時、ミリアはそれを使っていたはずだ。


<だったら、可笑しいじゃないか!! ここはボクの庭だぞ!! お前が勝手にしていいはずがない!!>


 殴られた顔を抑えながら、弟は叫ぶ。

 情けない姿だ。だが、そんな姿すら、今のミリアにとっては怒りの矛先に過ぎないのかもしれない。アツミは、ただ杖を構えるミリアを眺めていることしかできないが。


「まず、一つ間違えている。ここはアツミさんの心の中です。貴方が土足で上がり込んで、踏みにじっていいものじゃない」


 そう言って、ミリアは杖から光を生み出す。


「そして二つ。確かにここは貴方が作った。でも、貴方は貴方の力でこれを作り上げたわけじゃない。だからどれだけ貴方が絶対を主張したとしても、それは本物じゃないんですよ」


<だ、だったら何だと言うんだよ! だとしても収奪はボクの力だ。それに、そんな言葉がボクの支配から抜け出せる理屈になりはしない!>


「――人の心は!!」


 光は、


「一つで終わりじゃない!!」


 ――“弟”の体に突き刺さる。


<ぐ、おお!!>


 弟はなんとかそれを受け止めていた。受け止めて、奪おうとしていた。だが、上手く行かない。弟は拮抗する。それは、


「貴方はアツミちゃんの、後悔という感情を支配していたに過ぎない!! だから私は――」


 それは、アツミの心のようでもあった。



「アツミちゃんの……いえ、“アツミちゃん達”の、希望という感情でここに来た!!」



 叫び、そして、ミリアは更に光に込めるマナを増やした。



 <>



「――ここは、アツミちゃんの心の中なんですね」


<……なんだよ、急に>


 ここに来る前、ミリアはアツミに自分は悪だと断じられた。そんなアツミの言葉を受けて、ようやくミリアは口を開いたのだ。


「ここは、とっても真っ暗で、寂しい場所です。それがちょっとだけ悲しいです」


<……お前が、そうしたんだ。お前という希望に魅せられて、けどあの操手によってそれが奪われようとしている。だから世界はこうなった>


「そして――」


 アツミの言葉を無視して、ミリアは続ける。



「嬉しくもあります」



<――あ?>


 不可解。

 アツミにその言葉は理解できなかった。そもそも、アツミはミリアのことを完全に理解できているわけではない。今も、弟という異物によって勝手にイメージを植え付けられて、そのイメージによってこのアツミという精神体を作り上げているにすぎない。


 このアツミはアツミであってアツミではない。それが大前提だ。


「だってアツミちゃんは、私を心配してくれているんですから」


 その上で、ミリアは視線をそらすことなくそう呼びかける。アツミは、それに反論できなかった。


「心配は、親愛の一つです。大切だから心配という思いは生まれます。そして、親愛とは、“好き”でなくともいいのです。愛という感情は、好きという気持ちだけでできているわけじゃないんですよ」


<だから、何だってんだよ>


「アツミちゃんの心配がある限り、私はその心配を後悔にできるんです。後悔するから、踏みとどまることができるんです」


 そして、一歩前に踏み出した。


「この一歩は、決して結末へ向かうための一歩ではありません。私の向いている先にあるのは、未来じゃないんです」


<だったら、何だって言うんだよ!>


「貴方以外にないじゃないですか、アツミちゃん。ここには、私と貴方しかいないんですよ?」


<――!!>


 そうしてまた一歩。

 また一歩。ミリアはアツミへと近づいていく。


 アツミは、後ずさろうとして、けれどもできなかった。ここは精神の世界。たとえ意志が後退を望んでも、精神がそれを望まなければそれは成立しない。

 今別の場所で、弟がアツミをそうしているように。


 ミリアはアツミの心を引き止めた。

 その上で、ミリアの心はアツミへと近づいている。


「確かに私は悪かもしれません。悪だからこそ、こんなことをしているのかも知れません」


<だったら――>



「でも、悪だからこそ、私は主役にはなれません」



 ――ミリアは、記憶を欠落した状態でこの世界にやってきた。

 その欠落によって、自分を“悪役令嬢”だと信じた。でもそれは、決して記憶を素直に読み取ったからそうなったわけではない。


 魔導戦姫アルテミスのヒロインとしてのミリア。

 別の作品の悪役令嬢としてのミリア。


 どちらがより自分にしっくり来るかで、ミリアは結論を出したのだ。


「私は救われる立場(ヒロイン)になんかなれません。でも、救う立場(しゅじんこう)にだってなれやしないんです」


 向いていないから。

 主役やヒロインになりたいわけじゃないから。


 そして、


「――我慢が、できないから」


 目の前に悲劇があった時。その悲劇の台本を、ミリアは台無しにするだろう。喜劇に書き換えて、ブーイングをどれだけ受けようと、自分が納得するものに変えるだろう。

 だから、


「だから私は、“悪役”であり、傲慢な“令嬢”でもあるのです」


 ――――ミリア・ローナフは悪役令嬢だ。


「でも、そんな私に」


 ミリアはそして立ち止まる。

 少女の目の前で、


 自分が大切だと思う人の前で。


 親愛を込めて、



「私を心配してくれる友達ができました」



 そう、笑顔を向けた。


 優しくて、華やいで、引き込まれてしまいそうな笑顔だった。


 可憐に咲き誇る少女の笑みは、やがて世界に色を差す。


 一つではない、七色の。七色では止まらない。カラフルな。


 少女の色。


 希望の色。


 そして、


<――綺麗、だ>



 アツミという少女が見たかった、色。



「アツミちゃん」


 ミリアは少女の心に呼びかける。


「私は、悲劇の主人公にはなりません。私がなれるのは、せいぜい喜劇の道化がせいぜいです」


<……>


「――そんな私でも、私を信じてついてきてくれますか?」


 ――きっと、ミリアの進む道は、どれだけ素晴らしい悲劇と比べることすらできない、頭のおかしい、どうしようもない喜劇になるだろう。

 これまでの奇行なんて眼じゃないくらい、もっともっと正気とは思えない事態が訪れるかもしれない。


 それは、アツミを苦しめることもあるだろう。

 それは、手を取らなければよかったと後悔することもあるだろう。

 でも、後悔だって、苦しみだって終わらなければ人生だ。


 ――セントラルアテナの戦いで、生きてさえいれば、希望は終わらないとカンナたちは知った。そして今、アツミもまた、ミリアによってそれを教わった。


 ああ、だから――



「――――しょうがねぇな、ミリア」



「それでこそ、ですよ――――アツミちゃん」



 少女たちは笑顔で手を取り合って、そしてアツミは、――これから起きる弟に対する悲劇へと謝罪して、ミリアをその場に呼び寄せた。



 <>



「――悪いなクロア」


 気がつけば、呆然とするアツミはそこになく。

 ミリアと同じように怒りと決意でもって“弟”を睨む、毅然としたアツミがそこにいた。


「ずっと、待たせてきちまって。でも、アタシたちはこうしてまた再会した」


<ぐ、おおお……やめ、ろ!>


「――やり直そう、今度こそ、アタシたちは幸せになるんだ」


 失ったものはある。

 取り戻せないものは、数え切れない。


 でも、これから作れるものもある。


「紹介したいヤツがいるんだ。ミリアだけじゃない、アタシにはまた友達ができた。ありがたいことにな」


<や、め、ろおおおおおお!!>


「――だから、そんなクソみてぇなヤツから、さっさとさよならしようぜ」


 光は、やがて弟を包んでいく。

 拮抗は、ミリアの優勢へと変わり、弟は追い詰められる。


「――ミリア!!」


「――はい!!」


 この魔法は、決して特別なものではない。

 ただ、アツミによって許可された、宿痾の主にすら効果のある、アツミの世界でしか使えない魔法だ。理屈なんてない、結果としてあるのは、宿痾操手は敗北する、という結果だけ。


 魔法。


 魔導と呼ぶにはお粗末で、奇跡と呼ぶには現実的で。


 それでいて、ハッキリとした意志によって創られた、ミリアとアツミの、未来の象徴だ。


 ミリアがしたことは単純なことだ。

 ――弟の言う通り、この世界は弟の支配下にあった。だが、ミリアはそこに弟の知らない法則を追加したのだ。言葉で、思いで、そして希望で。


「これで――――」


 ミリアは、ぐっと杖に力を込める。


 その杖は、奇跡の再生機などではなく。



「――――終わりだああああああああ!!」



 ミリアという、悲劇を押しつぶす少女の手脚だ。


<く、そ、があああああああああああ!!!>


 かくして弟は、自身が作り出した世界で、自身の知らない法則によって敗北する。



 法則を作るという形で、強引に悲劇の台本を捻じ曲げた、悪役令嬢の手によって――

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