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37 クロア

 アツミは意識を取り戻す。

 なにもない空間。ただ、ただただ渦巻く闇が広がるその場所で、アツミはむくりと体を起こす。それを、横目に少女が一人、腰を下ろして見下ろしていた。

 足を組み、そこに腕を乗せて、からかう少女のような。


 ――クロア。

 その名が真っ先に想起される。懐かしさと、親しみと、それから哀しみを覚える少女の名前。そんな感情が一気に押し寄せて、やがて喪失感によってかき消される。

 ああ、どうして自分は――こんなにも胸が苦しいのだろう。


<おはよう、お姉ちゃん>


「……っ、やめろ。アタシは、“てめぇ”にそうよばれる筋合いは……ねぇ」


 いいながら、距離を取る。

 アツミはしかし、動かしているはずの体が移動しないことに気がつく。ここは――


「……ここは、どこだ」


<ふふふ、ここはお姉ちゃんの体の中さ。静寂を閉じ込めることで、その静寂の中は一つの世界になる。まぁ、ちょっとした特異だと思ってくれていいよ>


「そう、かよ……」


 ――精神世界。

 それも自分の心の中だというのなら、アツミはそれがこの場所は自分が起点にできているからだと想像をつける。言うまでもなく、クロアは問題なく体を動かすことができた。


 故に、ゆっくりとアツミに顔を近づけて、クロアはニヤニヤと笑いながら呼びかける。


<アツミ、キミって本当に――自分勝手だよね>


「何が、いいてぇ」


<キミはずるいよ、自分の都合で、自分のために誰かを助ける。向こうがどう思ってても関係なく。ねぇ、助けられた相手がどう思うか、キミは解る?>


「……けっ、余計なお世話ってか?」


 ――思い当たる節はある。

 アツミは面倒事がきらいだ。誰かが困っていれば、それを見過ごせない。自分が見ていられないからだ。だから相手のことなんて関係ない、自分にできる範囲であればそれを解決する。

 相手から頼られれば、態度はともかく行動は案外乗り気だったりする。

 それが、先日のミリアシェードへのサプライズへも言えるわけだ。


 だから、相手の状況は関係ない。必要なのは、自分がそれを解決したいという意志だけ。それを、余計なお世話と思われるのは覚悟の上だ。



<――こっちからも助けさせてほしいんだよ>



「……ああ?」


 だから、想定とは全く異なるその回答に、アツミはただただ首を傾げた。

 だってそうだろう。クロアを名乗るその少女は、結局の所宿痾操手、アツミの敵だ。だから、そんな言葉をかけられるとは思ってもみなかった。

 だからいっそう、わからなくなる。


 こいつは一体、何が言いたいんだ?


<あはは、わからないって顔してるね。そりゃそうだ。キミは何も知らないんだから。しょうがない、知らないのならしょうがない>


「……回りくどい言い方すんじゃねぇ!」


<――知ってしまったら、キミには間違いなく罪がある>


 クロアは――操手はゆっくりと手を伸ばした。

 奪われる――そう、身構えるが。

 しかし、体は動かない。


 まるで、それを望んでいるかのように、アツミの意志を拒否する。


<返して上げるよ。自分勝手で図々しい、ズルっ子のアツミちゃん>


 それは、奪われるのではない。


 返される。

 ――アツミの中にあるはずだった記憶。操手によって奪われた、彼女の罪。悪意なき悪。


 ある意味この世界の誰よりも傲慢で、救いようのない――自分勝手のツケを、アツミは押し付けられようとしていた。



 <>



「これ、は――」


 おーんおんおんおん。

 寝取られに脳を破壊され、ミニマムになっていた私の周囲がにわかに騒がしくなる。わかっています、わかっているのです、こんなことをしてはいられない。

 私は立ち上がらなくてはならないと。


 でも、失うことは痛みなのです。

 怖いのです、誰かがいなくなってしまうことが。思わずミニマムになってしまうくらい。赤ちゃんに戻ってしまうくらい、私にとっては辛くて辛くて、耐えられないことなのです。


 だから、立ち上がるのには別の要因が必要で。

 ――たとえばそれは、時間。少しの間心を休めれば、きっと私は立ち上がれる。今であれば、アツミちゃんはまだ死んだと決まったわけではないし、だからこそ救うために立ち上がらなくてはならないのだからなおさらで。


 その上で、今回は時間以外の理由が、私に力をくれました。


「ミリアちゃん! 大変だよ!」


 シェードちゃんが呼びかける。

 私はミニマムなまま空を見上げて、そして気がついた。



「宿痾の主だよ! それも四体!」



 ああ、これは――

 私は寝ている場合じゃ、ないですよね。


 一瞬でミニマムミリアからもともとミリアに姿を戻し、私はケーリュケイオンを天にかざしながら立ち上がる。やることは最初から決まっている。これだけの数相手に防衛は不利。

 時間がかかりすぎる。

 だから、



 一撃で倒す。



 それを――


 ――私は、思い出していた。


『なぁ、どうしてそうまでするんだ?』


 そんなことを問いかけられていたこと。

 問いかけてきたのは、アツミちゃん。私のやることに、アツミちゃんはいつだって猜疑的というか、否定的というか。

 だから、“そのこと”に疑問を持たれるのは、当然だった。


『自分を代償に奇跡を起こす。なんて、とてもじゃないが正気でできることじゃあねぇだろ』


 ああ、それは。

 ――きっと誰もが思っていて、けれども誰も言わなかったこと。


 わかってる。

 私が他の人より少しだけ普通じゃない思考をしていて、アツミちゃんからはよく“アホ”って言われること。自覚はしている。だから、周りは私の代償が大したことじゃないって思ってくれてることを、理解はしてる。


 言ってくれるのは、アツミちゃんだけだ。アツミちゃんだから、言葉にするのだ。


 だって――


 ――それは、アツミちゃんも同じじゃないですか。


 私はそのとき、そう返した。


『アタシが? バカやろぉ、アタシがてめぇみたいなアホなわけねぇだろ』


 ――アホじゃありません! それに、そういう話でもありません!


 ――困ってる人を放っておけない。自分の周りにいる人が、ずっと幸せでいてほしい。それはアツミちゃんだって同じなはずです。


『……それは、アタシがそれを気に入らねぇからだ。だが、気に入らねぇからって自分の命まで張るわけじゃねぇだろ。てめぇのそれは行き過ぎてんだよ』


 ――行き過ぎてなんていません。私は私にとってはいらないものを、けれども私しかもっていないために価値のあるものを、有効活用しているに過ぎません。


『ま、この世界で信号の区別とやらはツケなくていいんだろうがよ』


 そうして、アツミちゃんは言った。

 その時私が手にしていたものを――ケーくんを見ながら。


『そいつはちげーだろ』


 私は、そう言われて見下ろした自分の杖を、今、高々と掲げて、そして叫んでいる。


「――再生機(リザレクションズ)ケーリュケイオン!!」


『そいつの起動は、代償の意味がちげぇ。てめぇはヒツジがどうだの言ってたがな、それは本当の代償じゃねぇだろ』


 私は今から数年前、初めてセントラルアテナに足を運んだ時、地下に迷い込み動かなくなったケーくんと出会いました。

 その時、一つの代償を捧げてケーくんを再起動した。

 その代償は、ヒツジと牛の鳴き声の区別。


 だけど、アツミちゃんはそうではないという。


『てめぇの捧げた代償は――』


「――――|限界突破《コード:オーバードーズ》ッ!!」



『この世界を救う希望になるっていう、義務だ』



 ――この力を手に入れた時。私は世界を救わなくちゃいけなくなった。私はこの世界の主人公じゃない。どころか主人公を苦しめる悪役で、いてはいけない人だ。

 それでも、私はそんな主人公のそばにいて、世界を救う必要ができた。


 そう、たしかにそれは代償だった。


 愛は世界を救うと、私は本気で思ってる。そのことを忘れたつもりは毛頭ない。


 でも、でも、だけど。


 世界を救うのに必要なのは愛だけじゃないって、時折思う。


『その杖をてめぇは再起動させることができた。でも、もしかしたらそれは別の誰かが握るものだったんじゃねぇか? だとしたら、てめぇはその誰かの責務を肩代わりしたってことだ』


 ――だったら。


『てめぇはこれから、世界を救わなくちゃいけなくなった。たとえその救済の先に救いがなくたって、それをてめぇが代償に捧げた以上、絶対だ』


 ――――だったら、


 私の捧げた代償に呼応して、杖からは膨大なマナが広がる。

 辺りに浮かぶ主たちは、それに対抗することすらできない。


「――だったら、それはアツミちゃんも同じじゃないですか!!」


 私の叫びとともに、主達は吹き飛ばされた。


 ――皆が見守る中で、私は天を見上げていた。

 アツミちゃんは、まだ生きている。


 まだ、私にはアツミちゃんを救う義務がある。


 だってアツミちゃんは、私の友達になってくれたから。嫌だって態度にだしても、私にサプライズをしてくれようとしたから。


 しなくてもいいことを、それでも自分の意志でする。

 私とアツミちゃんは――似た者同士だ。



 <>



 ――アツミは最初、カナやナツキのいる院とは別の院にやってきた。

 その時のアツミは今のようにコミュニケーション力が高いというわけではなく、むしろ自分のしたことで家族を傷つけたために、他人との関わりを避けようとしていた。


 なにより、院にとっては異質な成長してからやってきた特異だ。既に関係の出来上がっていた特異持ちは、そんな異質を、遠巻きに眺めていた。

 嫌っている、というよりも――どう声をかければいいのかわからない。相手は、自分と同じ境遇でありながら、自分と違って親に拒絶される形でやってきたのだから。


 はたしてどっちが恵まれていないのか、彼女たちにはわからなかったのだ。


 そんなアツミに、友人ができた。

 ――それが、クロアだった。クロアもまた、稀有な生まれた後に特異が判明した少女である。その特異は――静寂。

 言葉を紡ぐことができないのだ。

 ただ口がきけないだけの特異故に、彼女もまた、判明が遅れた。

 そして――静寂故に、クロアはアツミの読心でも心を読むことができなかった。


 だから二人はすぐに仲良くなった。気兼ねなく付き合える同じ境遇の友人。アツミにとっても、クロアにとっても、それは救いだった。


 そんな二人だけの世界で、ある時クロアは、アツミに言った。


 他の子とも仲良くできないか――と。


 きっとそれが、全ての始まりだったのだ。

 アツミはクロアの願いを叶えた。遠巻きに自分たちを眺めるだけだった少女に果敢にもコミュニケーションを取り、輪の中に加わっていく。

 読心の力もあったが、アツミはコミュニケーションの天才だった。

 決して相手の触れてほしくないところには踏み込まず、相手のしてほしいことは見逃さない。アツミは自然と一目置かれるようになり、人が増えた。そんなアツミの隣にいるクロアのことも、周りは受け入れてくれた。


 ――その間、クロアは何かをすることはなかった。


 全部アツミがやってしまったから。

 だからクロアは、ずっと、ずっと思っていたのだ。


 心の底で、アツミはずるい、と。


 思って、思って、思い続けて――


 ――それはきっと、今も変わらずクロアの心の底に、こびりついている。

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