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23 仮にそれが限界だとして

 記憶の中に、彼女は居た。

 赤髪の少女、大胆不敵に笑みを浮かべて、まるで日常のように戦場を駆ける。

 それでいて心根は誰よりも誠実で、真面目で、純粋だった。


 自分のようなまがい物とは違う、本当の希望はああいう少女なのだと、カンナは思っている。


『カンナとローゼは、親友って言葉を知っている?』


『親友……?』


『え、全然わかんない、どうしたのライアちゃん』


 ――ライアは、時折そんなことを言い出す少女だった。


『私もよくわからない。ただ、素敵な言葉だと思った。その言葉を知っていれば、きっといいことが起きる。きっと』


『……隊長がそういうなら、そうなのかな』


『カンナは隊長のことを信用し過ぎよ、この人はそんなすごい人じゃないって。今日も紅茶に砂糖を一つ多く入れてたし』


『入れてない』


 口をまっすぐ棒にして、やっていないとライアは嘘を付く。

 そんなカンナを、ローゼは楽しく笑いながら、頬を突く。

 周りの隊員もなんだなんだと集まってきて、自然と一つの輪ができた。


『でも、親友という言葉が似合うのは、あなた達だと思った』


『……そうなの?』


『私に聞かないでよ』


 ライアのよくわからない話に、カンナとローゼ。そして隊員たちはクビを傾げる他はない。しかし、否定はできなかった。

 確かに、親友。そう呼び合うことで、カンナとローゼはなんだか胸が熱くなる。


『ふふ、いい言葉ね。親友』


『でしょう』


 カンナがそう返すと、ライアは笑みを浮かべてぐっと親指を立てた。そんな様子に、少女たちはわいわいと賑わいながら言葉を交わす。

 それは、今からずっとずっと昔の話。


『――だから、カンナ。ローゼ』


『なぁに? 隊長』


『なにかしら、隊長』


 まだ、少女たちが限界を知らなかった頃。



『君たちが親友である限り――きっと君たちは、最後の限界を、越えることができると私は思うよ』



 明日が、当たり前のようにあると、そう信じていた頃の話――



 <>



「なん、で……隊長……」


 目の前に、隊長がいる。

 格好はだいぶ変わっているけれど、顔立ちは変わらない。あの頃のまま、記憶の中にあるライアそのもので、カンナは思考が停止していた。


「何が何だか……っく、しつこい!」


 そんな間も、宿痾たちはやたらめったらに暴れまわっている。

 呆然としているカンナの分まで、飛んでくる宿痾を吹き飛ばす。かなりきついが、しかしあれはしょうがないだろうとローゼは思った。

 死んだと思っていたライアが生きていた? しかもまるでアレは――


 その時だった。


『ローゼさん、聞こえていますか?』


「――アルミア先生!?」


 通信。

 それは、地下へ向かったはずのアルミアからのものだった。そういえばそうだ、地下はどうなっている? あそこにはアルテミスシリンダーがある。ミリアがいれば万が一はないだろうが、まさか――


『よく聞いてください。私達は無事です。貴方達は地上の宿痾を掃討してください』


「地上の……って、ご存知なんですか?」


『ミリアさんから聞きました』


「わかりました。ご指示をお願いします」


 ミリアの名前が出されたので、ローゼは質問をやめて指示を聞く姿勢に回った。だってミリアがそういうのだから、もう色々なものがしょうがないのだ。

 ローゼはとても良く知っていた。


『地上に、人型の敵性存在が居ますね?』


「……はい。ライア隊長が」


『……そうですか。であれば結構。彼女を無力化してください』


「…………具体的には」


 アルミアがどこまで知っているのか、気になることは増えたが、しかし同時に、ライアの名を聞いた時の沈黙に嘘はなかった。


『敵の行動パターンは私にもわかりかねます。姿を隠したまま本拠地に乗り込んでこれる、以上の情報はありません。ですが、その肉体は間違いなくライアさんのものであり、破壊すれば救出は不可能になります』


「……つまり」


『殺さぬよう、拘束する必要があります。やってくれますか?』


「無茶です。……ですが」


 ローゼは思う。

 相手は得体のしれない敵、知識のあるアルミアとミリアは地下で何かをしている。指示があったということは、しばらくは二人は地上にこれないということだ。

 だから、自分たちが――地上にいる戦姫がやるしかない。


 無茶だ。


 しかし、



「やってみます。……ミリアちゃんには、負けてられませんから」



 ――きっとミリアは、地下を片付けてやってくるだろう。

 ミリアにだけ任せておくことは出来ない。だから、やるしかない。そう、自分たちも人類の守護者――戦姫なのだ。

 だから、負けていられない。


 そうローゼは返した。


 そして、



<――そうか、やはりお前か、アルミア・ローナフ>



 声が、した。

 それは――一瞬言葉であるということがりかいできなかった。人とは違う、明らかに別のなにかから発生される異物感混じりの声。

 しかし同時に――


「ライア……隊長」


 紛れもなく、ライアの声だった。


<殺してやる……アルミア・ローナフ!! アルミア・ローナフ!!!>


 焦りと怒りに満ちた、殺意の言葉。

 やがて、殺意の主は、こちらを見下ろす。


<お前達もだ……カンナ! ローゼ!!>


「……どういう、こと。ライア隊長……どういうことよ!!」


「落ち着けカンナ、アレはライア隊長じゃない!」


「でも!!」


<うるさい、何を言っている! ハッ、お前たちもオレに殺されたいんだな。――いいだろう、蹂躙してやるッ!!>


 ――その時、ライアの姿をした何かが動いた。まずい、と直感的にローゼは理解して向き直る。ライアのような何か――仮称偽ライアは、一目散にこちらへと突撃してくる。迎え撃つか、避けるか。

 ローゼは感覚的に後者を選んだ。嫌な予感、というのはバカにならない、大きく距離をとって、突撃を避けた――はずだった。


 しかし、



 気がつけばローゼの右腕は吹き飛んでいた。



「なっ――!」


 驚愕、カンナが絶望に満ちた顔でそれを見ている。ローゼは顔をしかめながら歯を食いしばり、即座に魔導を行使する。


「ぐっ――腕が吹き飛んだくらいで……何よ!」


 言葉とともに、光が腕を形成し、再生する。痛みは幻視としてそこにあるが、すぐに忘れる。ローゼは乗機を反転させながら偽ライアに向き直った。


<チッ、運のいいヤツだ>


「あいにくと、これくらい悪運強くないと、この年まで戦姫はできなくってね!」


 向き直る。今度は偽ライアは見下ろすのではなく、正面から向き合う形になった。だからこそ、彼女がライアであるということがよく分かる。

 間違いようのないほどに、彼女の顔はライアそのものだった。


「隊長……答えて隊長! 何がおきているの!! 隊長は無事だったのよね!」


「落ち着いてカンナ! アレは隊長だけど、隊長じゃない! 聞いて、カンナ!」


「でもローゼ!!」


 カンナは錯乱している、

 ――ああこれは、もとより限界だったのだろう。英雄として触れ回ることに疲れ、希望としての立場についていけなくなっていたカンナは、偽ライアという幻想じみた存在によって、限界を迎えている。

 心が、持たないのだ。


<く、クク……ククク! そうかそうか! お前達、この身体の知り合いか。なんとも、奇遇なこともあるものだ! そうだぞ、そのライアというのは確かにオレだ。今のオレの宿主だ!>


「宿主……」


 アルミアが言っていた、肉体はライアのもの……というのは確かなようだ。


<まぁ、今はオレの物だがな……クク、知り合いだというなら、どうする?>


「どうするもこうするも……」


 ローゼは、乗機を動かす手に力を込める。ここまでくれば、やるしかない。何より、こいつがここにいると地上の救援に迎えない。こいつはここで倒さなくてはならない。

 だが――


<いいぞ、来るがいい。――知り合いであるお前らに殺されるなら、この体も本望だろうさ!>


「――!!」


 ――カンナは、ライア隊長にたいして杖を向けられるかどうか。

 無理、だろうなとローゼは思った。普段のカンナならばともかく、今のカンナのメンタルでそれは、あまりにも荷が重すぎる。


「殺さないわよ……」


 だからこそ、ローゼは乗機を動かし始める。


「絶対に殺さない。生きて連れて帰る。カンナが前に進むためには、それしかない」


「ロー、ぜ?」



「――見てなさいカンナ。あのバカ隊長は、私が助ける」



<ククク、バカを言うなよ、ローゼ・グランテ!!>


 かくして、上空のチェイスは、始まった。



 <>


 ――夢を、見ていた。


 カンナとローゼは、グランテの家で生まれた。

 カンナはグランテの人間ではなかったが、グランテにとってカンナはローゼと同じくらい大切な子供だという。どういうことか、というと少しむずかしいけれど、カンナはローゼの母の親友が産んだ子らしい。

 親友、というのは後にライアに教えてもらった言葉だけれど、自分とローゼを、その両親を評するのに、これほど確かな言葉も無いと思う。


 カンナ達は、常に一緒だった。

 楽しみも、哀しみも、苦しみも、痛みも。全てともに分かち合って生きてきた。一心同体。二人なら何でもできると、信じていたのだ。


 あの時――ライアが犠牲になったあの作戦までは。


 そこで、カンナとローゼは逆転の一手として、相互円環理論を実践した。宿痾の群れに消えたライアを救うために、この状況をひっくり返すために、自分たちの一心同体をベットして一世一代の大博打に打って出て、



 失敗した。



 それからだ。カンナとローゼがどこかすれ違い始めたのは。

 カンナは英雄として前線で戦い、ローゼは教師として前線から退いた。そして今から少し前、カンナもまた学園にやってきた。アルミアの指令だった。


 そこで出会ってしまったのだ。

 カンナも、ローゼも。


 かつて夢見ていた希望。明日があるという本来ならば当たり前だったはずの事実を、心の底から信じる光。



 ミリア・ローナフという少女に、二人は出会ってしまった。



 結局。

 ミリアはその希望を現実にした。主の討伐という、自分たちではなし得なかった偉業を引っさげて。

 きっと、彼女は世界を変えるだろう。そして自分は、それを甘んじて受け入れる。そう、思ってしまった時、きっとカンナは――



 ミリアという少女に、どうしようもなく嫉妬してしまっていたのだ。


 <>


「ぐ、あああ!」


 地上空中の戦闘は一方的だった。

 ローゼは飛び回りながらも、吹き飛んだ左足を再生させる。これで何度目かも分からない再生。円環理論でマナが供給される現状でなければ、容易にローゼは力尽きていただろう。


<ククク、どうしたどうした!? その程度か、お前の覚悟とやらは!>


 ――偽ライアは、一切の傷なく健在だ。

 ローゼは魔導で牽制する。

 それらは偽ライアの目の前で弾かれて、届かない。どういうわけか、あちらは素手のはずなのに攻撃のリーチが長い。どころか、ああして腕を動かさずに攻撃を防いでいる。


「まだ、まだ――!!」


 叫び、ローゼは再び突撃する。

 そして、また怪我をした。


 それを――カンナはただ呆然と見ていた。


 やめて――と、そう呼びかけたい。

 しかし、口から言葉が出てこない。


「まだ、……終わってない!」


<いいや、終わっている! それがお前達の限界なんだよ! お前達では、オレたちは倒せない!!>


 限界。

 ローゼが飛びかかり、そして偽ライアに一蹴されるたび、カンナはその言葉を反芻する。

 無茶だ、偽ライアの言う通り、ローゼでは彼女を倒すことはできない。それが限界なのだ、と。


 ――であれば、自分は?


 それも、無理だ。


 限界。その言葉を、カンナはどうしようもなく知っている。

 あの時、ライアを助けられなかった時。カンナとローゼが、心の底から一つになることが出来なかった時。


 カンナはどうしようもなく行き着いてしまったのだ。


「――――違う!!」


 しかし、ローゼは叫ぶ。

 まるで、それは、


「違う! 私達は限界じゃないわ! だってまだ、私達は生きているのよ!?」


 ――それは、カンナに呼びかけるようだった。


「生きているなら、限界じゃない! 諦めないなら、限界は越えられる!」


<無駄無駄! 限界なんだよ!!>


 ――そして、また吹き飛ばされる。

 もうやめて、貴方はこれ以上傷つかないで。言葉にしたくても、カンナは一向に口からそれが出てこない。


 一瞬。

 ローゼは意識が飛んでいたようだった。


 慌ててカンナは回復の魔導でローゼを修復する。万全に戻ったローゼは、カンナに笑みを浮かべてから、上空の偽ライアを、睨みつけた。


「――仮にそれが!」


 そして、叫ぶのだ。


「限界だとして!!」


 ただ、純粋に、



「だったら、その限界を越えればいい!!」



 ――カンナを鼓舞するように。


「私には、まだカンナがいる。カンナには、まだ私がいる! だから、私達は終わってない。たとえ、一度立ち止まったとしても、またあるき出せばいい!」


 ――その言葉は、


「だって、私とローゼは!」


 ミリアがシェードに贈り、そして、



「今もまだ、大切な親友なんだもの!!」



 ローゼもまた、受け取った言葉だった。


<ならば――>


 だが、そんなことは偽ライアには関係ない。

 あくまで、無慈悲に、ローゼとカンナを、壊そうとする。


<どちらもまとめて、消えてしまえ>


 偽ライアは、一瞬にしてローゼの後方へと回り込んだ。

 それはつまり、カンナの背を取ったということでもある。


「しまっ――」


 ――思った以上のスペック。偽ライアはここまでそれを温存していたのだ。

 結果、最高のタイミングで、最悪の状況を作り出す。ローゼは、対応できなかった。


 だから、



「……じゃない」



 ――見ていることしか、できなかった。


「――限界なんかじゃ、ない」


 カンナに迫った偽ライアの一撃を、カンナが受け止めていた。

 素手であるはずなのに、どういうわけか攻撃を防ぐ偽ライアの挙動。その正体は――透明の小型宿痾。当たり前と言えば当たり前だ。偽ライアはここまで、宿痾を透明化させて運んだのだろうから。

 自分だけでなく、宿痾を透明化することができると考えるのは自然。それを操って武器にする、というのも。


 だが、そんなこと――先程から戦闘に関わっていなかったカンナに、解るものか?


 そう。カンナは宿痾を受け止めているのだ。

 受け止めた手を血だらけにしながら、それでもハッキリと、


 偽ライアをにらみながら。



「私の親友は、まだ、限界なんかじゃ、ない!!」



 ――それは、悩み続けたカンナにとって、最後の道標。

 未来なんて、わからない。希望なんてとうに潰えた。



 それでもまだ、カンナの親友はそこにいる。



 それはカンナに、限界を越える一歩を踏み出す、最後の力を、少しだけ与えた。

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